慈尽在

文字数 1,878文字

 子供の頃は康家という自分の名前があまり好きではなかった。大人からは「ご両親は歴史好きなの」と聞かれ、クラスメイトからは「徳川将軍もどき」とからかわれた。しかし自分の名前の意味を自分で考えるようになってからは、自分の名前との付き合い方に自信を持てるようになり、今では自分の名前に誇りさえ感じている。
 私の名を付けた父は七人兄弟の三男で名は三郎、結婚を機に勤務先の社宅に居を構え、私が生まれたら東京郊外に家を買おうと母と準備していた。ところが私が先天性心疾患を抱えて生まれてきたので、治療費とその後の生活を考え家の購入を諦め、社宅住まいを継続した。代わりに父は私の名前に「家」の字を入れ、健康を願い「家」の字との相性で「康」を合わせた。家康ではきっとからかわれるだろうからと、康家の字順にしたそうだ。
 私は乳児期に一度、小学校に上がる前に一度、心臓に計二度の手術を受け、幸い心疾患の症状はその後成長するにつれ改善し、運動こそできない子供自分を過ごしたが、体つきが小柄なだけで人並みに大学まで進学も果たした。社会人になってからは、名前の通り家が好きだったが、親元を離れて一人暮らしも経験し、三〇歳にして伴侶を娶り、結婚二年目の今年初についに子供を授かるまでに至った。
 妻の妊娠がわかったときに、父が家を建てようと言ってきた。金は俺が出すという父に、私も少しばかりの貯金を合わせて頭金にし、低金利の恩恵に預かり、私の名義で二十年固定金利ローンを組んだ。妻の出産を前に都心まで一時間の郊外の通勤圏に小さな庭付きの二階建ての一軒家が建ち、二世代四人が暮らし、そろそろ五人目が加わろうとしている。念願の家を建て父も母も毎日嬉しそうな顔をしている。そんなある日、父が提案をしてきた。
「提案なんだが、この家にも名前をつけないか」
 理由を聞けば「名前をつければ家に愛着も湧くだろうし、家の名前が共有されて家族間の連帯も深まるだろう」とのことで、提案を聞いた私はすぐに同意した。母も妻も父の提案に反対する理由はない様子で、早速どうやって名前を決めるかを話しあった。書家でもある母は、名前は漢字にして欲しいというので、父と妻と私がそれぞれ漢字一文字を五つ候補として考え、三人の考えた五文字の合計十五字から、母が一字ずつを選び、選んだ三文字を組み合わせて名前にすることになった。
 妻は(楽、悦、慈、悲、憂)、私は(帰、在、包、擁、壺)、父は(与、根、尽、無、寂)を選んだ。母は、各人の字の選びかたに性格や考えが反映されてとても興味深いと感心し、「これは考えがいがあるわね!」と意気込んだ。母は翌日の夕飯前に早速、考えた!という名前を披露してくれた。母は「慈尽在」と揮毫した八切の半紙を額装に収めていた。額装を見せながら母は、
「じじんざい、と読みます。慈は当たりまえ、慈は言わずもがな、そんな意味よ」
 母は中国語読みだと cí jǐn zài だ、と得意げに発音を披露して話を続けた。
「与悦壷」にしようかとも迷ったんだけど、与悦壷だと表面的すぎる感じがしてね、家族って語らずとも伝えられるつながりでもあると思うから、慈尽在にしたの」と言った。
 母の言葉の意味を咀嚼しながら、母の書いた文字を目で追っていると、突然カタカタと家が揺れ出した。地震のようだ。壁が、窓が、天井が、カタカタと共鳴し合うかのように音をたて、次第に大きくなる音に合わせて天井の照明は左右に揺れ、テーブルの上の食器も音をたてて震えている。やがて揺れは消えるように収まり、私たちはテレビをつけて地震速報に注意深く耳を傾けた。どうやら地震は、震源も震度三の観測地も私たちの町だけで、他では発生しなかった局所的な地震のようだった。
「名前を気に入ったよ、っていう家の意思表示じゃないかな」父が冗談めかしてそういうと、 
「家買う前に断層の有無とか過去の地震調べたんだけどね、日本はどこでも地震はあるのね、地震在ね」と母がわかりにくい冗談を言った。
「『慈尽在』に『地震在』の駄洒落で反応したのなら戯れが過ぎますな」と父があらぬ方向に向かって言った。
 私たちはこれからこの家での過ごし方にこの家の名前を意識し、この家の名前に従うよう縛られるのだろうか。私はこれからこの家に起こるであろう数々の喜怒哀楽に思いを馳せ、臨月の妻のお腹に目をやり、「じじんざいだって、この家の名前」とつぶやいてみた。すると余震なのか、本当に慈尽在が耳を持っているのか、壁や窓がまた「かたかたっ」と音をたてて優しく揺れた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み