第3章 シンギュラリティ(1)

文字数 4,759文字

「なあ、孝一君」
 テーブルを挟んで目の前に座っている高校2年生男子に、真田は声をかけた。
「何ですか?」
 彼の名前は児玉孝一。身長は成人男性の標準ぐらいで、マイペースな男の子だった。
 里見香奈の従弟だと紹介された時には驚いた。身長的な意味で・・・。
「オレ達・・・待ってる必要あっかな?」
「必要なさそうですね」
 孝一は一瞬、横に視線を送ると即答した。
 香奈と、孝一の連れの藤田綾が、楽しそうに喋っているのだ。
「先に注文するとしよう」
 クールグラスにメニューを表示させているのだろう。孝一の表情が徐々に曇っていく。
「うーん・・・そうですね・・・」
 ここは個室のあるイタリアンリストランテで、値段が・・・結構お高い。
 1人前のコースが、都心の飲食店のランチ10日分に匹敵する金額だ。しかも、個室にはコースしか用意されていない。
 それに部屋へはウェイターが案内した。
 細やかな気配りなどロボットでは無理なので、給仕も人に任されているだろう。
 つまり、高級店なのだ。
「食事ぐらい奢るさ。これでも社会人だ」
「すみません」
 孝一は頭を下げた。
 香奈ちゃんの従弟にしては、殊勝な心がけだ。
 これなら、気持ち良く奢れるぜ。
「ご馳走になりますねぇ~」
 顔を横に向けると、香奈ちゃんが可愛い笑顔になっていた。
「ちょーっと、何言ってんだか。まぁーったく分っかんないなぁー」
 真田は感情を殺して、棒読みで台詞を吐いた。
「もう1回言いますよ~」
「イヤイヤ。その発想、相当オカシイぜ」
 香奈の発言を否定し、視線で《おいっ、割り勘だったよな》と突っ込む。
「真田先輩。基本給が3割アップするんですよね」
 それは事実だ。
 今日、西東京で棒給表の金額の1.3倍が支払われると説明を受けた。要は基本給が3割アップするのだ。しかも、これは一時的な措置ではなく、公務員でいる限り有効であるとも・・・。
 しかし民間企業への再就職は制限され、情報漏洩が認定されたら最低5年間の禁固刑。
 つまりは、アメとムチ。
「それはそうだが・・・」
 真田に考える暇を与えず香奈が畳みかける。
「それに大人として、高校生に食事代を出させる訳にはいかないですよねぇ~」
「無論だ」
 孝一君と、彼の隣に座っている綾ちゃんに、オレは断言した。
「あっ、ありがとうございます」
「ご馳走になります」
 綾ちゃんと孝一君の台詞で、オレは香奈ちゃんに抵抗するのを諦めた。高校生の分を出すのは当然だし、給与も上昇して余裕もある。なにより高校生の前で言い争いとかの、みっともない真似はしたくない。
「了解だ。ここの食事代は、オレが持つ」
 香奈ちゃんは喜々として、部屋にある据置型の端末に入力する。注文内容は予め決めていたようで、迷いもしなかった。
 高校生2人は、比較的割安のお薦めコースを選択をした。真田は肉中心のコースで、それぞれの料理に合わせたワインをチョイスした。
 香奈は、前菜/プリモピアット/セコンドピアット/コントルノ/ドルチェ/飲み物を、全部別々に選択していた。その所為で香奈の注文金額は、全体の4割近くになっているのだ。
 イタリアンリストランテでの注文に慣れてやがるぜ。
 それ以上に、高すぎるぜ。香奈ちゃん。
 ビルのエントランスホールを出る前の自分に、この状況を教えてやりたい・・・。

 前菜の次、プリモピアットが個室に給仕された。
 香奈の注文はピッツァ・マルゲリータである。これは個室を予約する際、窯焼きピッツァが美味しいとの情報に従ったからだ。
「さすがは香奈ネー。セキュリティ強度の高いお店を知ってる」
 おおーっと、ようやく孝ちゃんのセキュリティチェックが終了したのね。
「まあ、当然よねぇ。アタシは量子計算情報処理省のAI監査グループの一員なのよ」
 実は朝、門倉に相談した時に薦められていたお店なのだ。
 しかし孝ちゃん相手に、一々説明しても仕方ないから、香奈は自分の手柄にした。
 ただでさえ、コンピューター関連の知識は、孝一の方が上なのだ。
「外からも内からも、アタックが弾かれた。ここなら、安心して話せる」
 孝ちゃんお手製のセキュリティチェック用ツールでもハッキング出来なかったらしい。
「ちょっと待ったぁあああ! 色々確認するか・・・」
 慌てている真田に視線を合わせたが、孝一は待たなかった。
「第二次サイバー世界大戦への対策についてです。あっ、これで真田圭さんも関係者ですよ。里見香奈ネーも覚悟を決めて欲しい。日本を護る為に、いや世界を護る為に、量子計算情報処理省のAIの暴走を停止させる。これはAI監査グループの役割とも一致するから、問題ないですよ」
 相変わらず嫌らしい話の進め方ねぇ~。
 退路を断ってから、わざとフルネームでで呼びつつ、ムリヤリに話を聞かせる。しかも、予め反撃の手段は潰しておく。
 AI監査グループの所属というのを教えなければ、まだ何とかなったのにねぇ~。
「あのな、孝一君。証拠もなしにAIを停止でき訳ないだろ? 日本の社会システムがストップしちまう。そもそも量子計算情報処理省の研究所でAI関連だけでも5000人以上所属しているんだ。キミが気づけて、職業としているAI関連の研究者、技術者が気づけないとは思えないな」
 真田先輩。それは、ちょっと屁理屈が過ぎますね~。
 ちょーっと、コンピューターの歴史を紐解けば、少年が国の機関にハッキングした事件なんて数え切れないほどありますよ~。
 《証拠をだせ》と言うだけで、余計なことを語らなければ良かったのに・・・。
「研究者や開発者が気づけなかった。だからといって、自分が気づけないという理由になるんですか?」
「彼ら、彼女らはプロフェッショナルだ。その上、優秀でもある。そんな彼らが、人生の時間の大半を費やしてるんだぜ。その彼らを上回る実力がキミにあるとでも言うのかい?」
 真田の詰問に、とぼけた口調で孝一が応じる。
「気づきというのは、プロフェッショナルだから、優秀だからといって得られるものですか? 世の中、専門バカという人もいてますし、視野が狭くなっている人もいますよ。積み重ねが大事なのは知ってますが、才能という言葉がある。それに優秀といっても、人それぞれに適正がありますよ」
 真田先輩、イラついてきてるなぁ~。
 孝ちゃん相手だと、頭に血が昇ったら負けなんだよねぇ~。
「もう一度訊く。何が言いたいんだ? 自分の方が、適正も才能も上だとでも言いたいのか?」
「ねぇ、孝い・・・児玉君。ディベートじゃないんだから、ちゃんと説明しようよっ!」
 どう見ても恋人同士なのだから、隠さなくても良いのに・・・。
 綾が孝一を軽く咎めたが、まるで堪えていないようで話を逸らす。
「セコンドピアットが運ばれてきてからじゃダメか?」
 はあぁ、このままじゃ険悪になるだけねぇ~。話は、進まないだろうなぁ~。
「孝ちゃん。アタシと真田先輩は社会人で、高校生みたいに暇ではないのよねぇ~。それに協力の依頼をしたいのよね? 違う?」
「AI監査グループとしては、第二次サイバー世界大戦を放っておけない。違いますか?」
 孝一は論点をずらそうとしたが、それが命取りになる。
「それを知ったの、さっきだよねぇ~。アタシは量子計算情報処理省に勤務しているとは話してあるけど、所属がAI監査グループだとは教えていなかった。真田先輩の事は、同じ部署の先輩としか言っていない。孝ちゃんがアタシの所属を知ったのは、真田先輩が自己紹介でAI監査グループの真田と言ったからだよねぇ~」
 孝ちゃんはプログラミングも出来るけど、本質は設計者。
 実現しようとしている仕様に対して、最適な組み合わせを作る・・・設計する事。組み合わせるソフトウェア、ハードウェアの専門家の話を理解し、確認し、時には議論する。そして、論理的な思考によって解を導く。
 アタシたちを巻き込む解を、お店のセキュリティチェックプログラムを実行させつつ、孝ちゃんは考えてたんだろうけどね~。駆け引きは、経験がモノを云うのよ、孝ちゃん。
「高校2年生か・・・もし第二次サイバー世界大戦を未然に防いだなら、世界的な英雄になる。悪い事は人を巻き込んで多人数で、良い事は1人で、もしくは少人数で実施したいのが、人の常」
 真田は独り言を口にした後、冷静になり、それぞれの置かれている立場と状況を把握した。
 翻って、孝一は表面上余裕を保っていたが、内心では余裕を失いつつあった。
「量子計算情報処理省の人間に協力してもらいたい事があると・・・。単に大人でよければ、親なり先生にでも頼めばいい。その方が、少しは気楽に頼める。量子計算情報処理省への協力依頼となれば、ハッキングセンターだな」
 ハッキングを合法的に実施できる。それが量子計算情報処理省の1機関”ハッキングセンター”である。
「参りました。ただ、自分が研究所の方々より才能があるとの自信はありますよ。だけど自分の今の立場では、量子計算情報処理省のAIの仕様に関する情報も入手できなければ、アクセス権限もないんで・・・。その状況でAIが第二次サイバー世界大戦を起こそうとしている直接の証拠は掴めない。そこで協力をお願いしたいんですよ」
「それならば、第二次サイバー世界大戦があるなんて、なぜ断言できるんだい?」
 形勢逆転。さすがは元警察庁のキャリアですねぇ~。
「人間よりAIは遥かに優秀なんで、所員を騙すなんて簡単ですね。いくらAIを監視していても気づけない。まあ、かくいう自分も、第二次サイバー世界大戦に兆候を見つけたのは偶然なんで・・・。まあ、証拠はあるって事ですよ。間接的な証拠になりますが・・・。そして当然のこと、再現性もあるん・・・」
 真田は孝一の話を遮り、ゆっくりとした口調で脅しをかける。
「そんな抽象的な表現ではなく、もっと詳しく聞かせて貰おうか? キミの知っていることを細大漏らさず話すんだ。そうでなければ、キミたちを護れないな」
 真田は、孝一と綾の2人に視線を突き刺した。
 綾は不思議そうな表情で尋ねる。
「護れないって、どうしてですか?」
 悪意しかない笑顔で、真田は説明する。
「間接的な証拠を収集したのは、法の範囲内かい? 黒ではないが白でもない。そんなグレーゾーンをネット内で渡り歩いたんだろ? そして、それはキミ1人で渡り歩いたのかい? オレは警察庁から出向してきた。そして警察庁だけでなく、検察庁にも知り合いや、大学の同期生がいるぜ」
「それが、何だっていうんですかっ!?」
 若さからの反発心で孝一は言い返した。
 それが大人2人には丸分かりだった。
 大人の内の1人である香奈は、もう真田に任せても話が纏まるだろうと軽く考えていた。なので香奈は、自分のピッツァ・マルゲリータを熱いうちに食べるべきと判断したのだ。
「公権力の強制力を、甘く見ない方がいいぜ。キミ1人だけの問題ではなくなる」
 真田は優しく口調で、どう聞いても脅しとしかとれない内容で語りかけた。
 表情からは孝一の内心は窺い知れない。しかし香奈は、孝一が不機嫌になってはいるが、恐れ入ってはいないだろうと推察している
 それが事実であると、孝一の愉しそうな口調と微妙に上がった口角で、香奈は確信していた。
「第一次サイバー世界大戦と同様の兆候があるんですよ」
 孝一の眼は、あからさまに悪戯を仕掛けている色をしていた。
「証拠は、複数のダークネットワークが量子計算情報処理省AIの支配下にあるという事実・・・。量子計算情報処理省の汎用人工知能が、ついに人工意識を獲得した。史上初、AIのシンギュラリティが起きた・・・と自分は推測してるんですよね」
 4人に給仕されたプリモピアットは、香奈の注文した料理だけが減っていた。
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