第2話

文字数 968文字

「先にシャワーを浴びるわね」
 初めてのラブホテルに、足の震えが止まらない。見る物すべてが新鮮で、そわそわして落ち着かなかった。
 だが、毅然とした顔つきをキープするように努める。
 隅にあるローテーブルには、さっき美奈と乾杯したワイングラスが置いてある。もちろん前川は口をつけておらず、わずかに唇を濡らしただけ。彼女がシャワーに入った隙を見はからい、大急ぎで洗面台に流す。
「今夜は寝かさない」などと、大口を叩いたものの、女性と寝るのは今日が初めてだ。前川には風俗の経験も無く、当然ながら自分が童貞(チェリー)だとは、口が裂けても言えなかった。
 しばらくすると扉の開く音が聞こえ、バスローブ姿の美奈は、バスタオルで頭を拭きながらベッドに腰を下ろす。
「あなたもひと浴びしてくれば?」
 ああ、と低音(ロートーン)で返事をすると、前川は言われるがままにバスルームへと入った。石鹸の香りが残るそこは、身を落ち着かせるのにはちょうど良かった。蛇口を捻り、熱い温度で体を清めながら、これからのことを思い浮かべた(シミュレートした)
 手順(ステップ)は頭に入っている。後はしっかりとリードするだけだ。いつか来るこの時のために、大人の雑誌(マニュアル)を読み込んでいたのだった。
 ボディーソープで全身を洗い、シャンプーや入念な歯磨き(デンタルエチケット)も欠かさない。最後に冷水で火照りを(衝動)抑えると、備え付けのバスローブを体にまとい、満を持してとばかりに、曇りガラスの扉を開けた。
 しかし、ベッドにいるはずの美奈(セクシーレディ)の姿は無かった。トイレかと思い、しばらく待ってみるが、一向に戻ってくる気配はない。もしかして酔いつぶれているのかもと、トイレのドアをノックしてみたが返事は来ず、失礼しますとドアを開けてみたが、もぬけのであった。
 まさかと思い、ハンガーにかけられているコートのポケットを確認すると、財布から現金が抜き取られていた。確か三万以上はあったはずだが、今は小銭しか残っていない。
 幸いなことにクレジットカードや免許証は無事だったが、それでも落胆の度合いは計り知れなかった。たしか大藪晴彦(おおやぶはるひこ)の小説に同じような手口があった。いや、北方謙三(きたかたけんぞう)だったか。男がシャワーを浴びている隙に、女が財布や時計などの貴重品をちょろまかす詐欺だ。
 しかし、まさか自分の身に及ぶとは思いもしなかった。
 ハードボイルドも辛いよと、肩を落としながら、つくづく実感する前川だった……。
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