文字数 786文字

 始まりはきのう、ある男が自宅の前で殺害されたことだった。
 調べると男は7年前若い女性を暴行し手にかけた罪で服役していたが、1年前に出所してからは専ら更生した態度で周囲から不審がる声も上がっていなかった。
 心を入れ替えた彼を支える女性もいた。
 「その女の子、泣いて会話にならないってね。婦警もさすがに参ってたみたいだけど」
 馴染みの解剖医・橘瑠璃は意味もなく足を組み直しながら言った。
 「関係のない事情はいい。それより被害者だが」
 「関係ないかは警察が決めんのよ。あんたただの記者でしょうに」
 台の上の布に手をかけた橘は「まあ腹決めといて」と申し訳程度に注釈を入れ、ゆっくりと被害者の遺体を露わにした。
 「これは」
 四肢は満足であったが、頭部の左側が著しく損傷していた。まるで、一部が切り取られたようにそっくりなくなっていたのである。
 「綺麗に――って言うのもどうかと思うけど、ここだけないのよね」
 死因はと尋ねると橘は傷を指しながら言った。
 「致命傷は頭の右側を鈍器のようなもので殴られたことによる脳挫傷。ほぼ即死だから、切り取られた方の傷口からはほとんど生活反応は出てない」
 棗は遺体の周りを一周した。逆に件の箇所以外は、どこにも損壊された形跡はない。ただ首の回りから胴体にかけて血液が飛んでいるようだ。
 「血が飛んでいる…というより、滴った後のようだな。失われた部位は遺体のそばには無かっただろう。持ち上げて運び出した時のものだ」
 「さすが、週刊ルミエール・エースの棗聖一郎。今捜索中ってとこ」
 棗が十分とばかりに部屋を出るところで、橘は思い出したように声をかけた。
 「そうそう、切り取られたのは前頭葉と側頭葉の一部と思われるんだけど。影響する機能でいえば主に言語ね」
 「――そこにも何か意味があるということか」
 眉間の皺伸ばせばと笑っている間に、棗の姿はなかった。
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