別れの初日の出

文字数 2,643文字

「明日は餅の雨が降るでしょう」
 帰り道、紗奈がいつもの嘘をついた。仕方ないから乗ってあげる。
「当たったらべたべたしそう」
「しないよ。切り餅だから」
「痛っ!」
 だとしたら誰が切ってるんだろう。雲の上に、餅を切る係と餅を降らす係がいるのかもしれない。そう思うと面白かった。
 紗奈は幼なじみだけど、小さい頃からこんな冗談ばかり言う子じゃなかった。きっかけは二年前だ。
 六年生の夏休み、裏丘に望遠鏡を持ち込んで天体観測をすることにした。裏丘というのは、家の裏手にある丘で、私たちは勝手にそう呼んでる。
 自宅のすぐ近くで、親は来なかった。望遠鏡を覗き込み、二人で理科の教科書に載っている星を探した。
「あっ、あれ、夏の大三角」
 私が先に発見して、興奮ぎみに紗奈と交代した。
 ところが紗奈は望遠鏡を覗き込むと、何かに弾かれたみたいにパッとのけぞってしまった。
「どしたの? 何か見えた?」
 と私が訊ねても、紗奈は黙ったままだ。それどころか、ぼうっとしたままフラフラと歩いていき、前のめりに倒れてしまった。
 勢いよく斜面を転がっていった紗奈は、最後には木にぶつかって止まった。駆け寄ると、頭から血を流していた。
 パニックになりながら家に戻り、紗奈は救急車で運ばれた。お医者さんに「命に関わる怪我じゃない」と言われるまで、私は生きた心地がしなかった。
 診断通り、起き上がった紗奈は元気そうだったけど、この事件以降、人が変わったように冗談をよく言うようになった。前はもっと引っ込み思案でおとなしい子だったのに。
 特に天気に関することが多くて、夏にはスイカの雨が降るとか言ってた。当たったら死ぬんだけど。
 まあ私としては、今の紗奈も面白くて好きだ。それに頭を打ったんだから、そういうこともあるんじゃないかな。
 ただ、ときどき空を見てぼんやりしてるのはなぜだろう。
「そんじゃまた」
 紗奈と別れて、家に向かう。明日は大晦日だ。私たちは二年ぶりに裏丘に行って、初日の出を見る計画を立てていた。因縁の場所といえばそうだけど、もう紗奈は気にしてないみたい。
 防寒対策とか食べ物とか用意しなきゃなあと思っていたら、後ろから「あっ!」という声が聞こえてきた。
 振り向くと、後ろ姿の紗奈が、じっと空を見上げていた。
「どしたー?」
 声をかけても反応はなく、紗奈はおぼつかない足取りで歩き出した。それから急に駆け出すと、あっという間に見えなくなった。
 さっき図書館で宿題していたから、何か忘れ物でもしたんだろうか。でも上を見てたのはなんでだろう。私は頭をひねりながら、家に帰った。
 その日の夜、紗奈のお母さんが訪ねてきた。紗奈が家に戻っていないそうだ。
 大人たちが探しに行くというので、私もついていった。やっぱり何かあったんだ。なんで私はさっき追いかけなかったんだろう。あちこちやみくもに探しながら、後悔ばかりが頭をよぎった。
 しばらくして、もう遅い時間だからと私だけ家に帰された。誰もいない家の中はしんとして、夜の静けさが体に染みていくようだった。
 紗奈はどこに行っちゃったんだろう。
 布団に入ってもまったく眠れず、よくない想像が次々に浮かんでくる。気がつくと七時で、覚めないまどろみが全身にまとわりつく感じがした。
 部屋を出て一階に降りると、台所ではお母さんが朝食を作っていた。
「あら、休みなのに早いのね」
 何事もないように言われたので、私はびっくりした。
「紗奈は?」
 お母さんは手を止めて首をひねった。
「紗奈って……誰のこと?」
「えっ」
 私は何を言われたかわからず、何度も問い返した。けれど本当に知らない様子で、だんだん私を見る目が困惑から心配に変わっていった。
 ぞっとして、私は玄関を飛び出すと紗奈の家に向かった。インターホンを押して、おばさんが出てくるなり叫んだ。
「紗奈は見つかったんですか!」
「紗奈って?」
 全身の力が抜けて、私は門に手をつけたままずるずるとへたり込んでしまった。おばさんが立たせてくれて、足を引きずるようにして家に帰った。
 誰も紗奈のことを覚えていない。
 まるで最初からいなかったみたいに。
 部屋のベッドで布団にくるまりながら、私は紗奈のことを考えた。私と紗奈には思い出がある。小さい頃から一緒に育ってきた、大切な友だちだ。この記憶は嘘偽りなんかじゃない。確かに私の中にあるんだ。私は何度も繰り返し紗奈のことを思った。
 夜になり、しっかりと準備をした私は、裏丘に向かった。一番上まで来ると、東を向いて座った。
 けれど、いくら待っても紗奈は来ない。時折り頬を刺す冷たさを夜風が置いていき、その後は何もなかった。彼方の闇に、町の明かりが点々とあるばかりだ。
 手袋の上から息を吐きかけ、マフラーに顔をうずめる。この場所でずっと紗奈のことを考えていると、ふと、あの夏と昨日の姿が重なり合った。
 空を見て、走り出す。紗奈には何が見えていたんだろう。
 その時、遠くの空にまばゆい光が現れた。
 私は立ち上がり、目を細めながら光の中を探ろうとした。真ん中に何か浮いているのは見えるけど、はっきりとはわからない。
 五秒ほどすると、いきなり光はなくなり、それきりまた暗闇だけが空を包んだ。
 今のはなに? 残った光が、目の奥でじんとにじんだ。
「あたっ!」
 いきなり頭に衝撃を受けて、私はよろめいた。見ると、近くに何か落ちている。しゃがんで正体を確かめるやいなや、私はそれをがっと手に取った。白い四角形のそれを。
「紗奈! ねえ、いるの!」
 周りを見渡しながら呼びかけても、反応はない。でも頭に当たったって言ってもここは丘の上だ。じゃあこの餅はどこから出てきたっていうの。
 観察しようとして裏返した時に、私はやっと気づいた。手袋をしててわからなかった。何か文字が彫ってあるみたいだ。
 スマホのライトをかざしてその文字を見た時、私は息が止まった。そこにはこう書いてあったのだ。
「だから降るって言ったでしょ?」
 後からじわじわ来て、私は笑いだした。誰もいない夜の丘で、草むらを転げながら笑い続けた。
 それから涙が出た。
 もう二度と紗奈には会えないんだと、わかってしまったから。
 どこでもない場所に向かって、私は叫んだ。
「紗奈ー! 元気でねー!」
 星がまたたき、東の空からは太陽が昇りはじめていた。
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