第1話

文字数 3,636文字

  ある子供の手記

 お母さん。お父さん。
 私が急にいなくなって、びっくりしているでしょう。世間ではこれを『蒸発』というのでしょうか。
 でも、心配しないでください。
 私は元気です。私は『青の国』へ行きました。向こうには友達もいっぱいいて、食べものもたくさんあって、学校もありません。きれいな景色がずっと広がっていて、いつも晴れています。
 だから心配いりません。私がいなくてもお父さんとお母さんならきっと大丈夫です。


  とある男の証言

だから、本当なんだって。
俺は見たんだ。青白いでっかい雲が浮かんでて、そこで空に浮かぶ船が出たり入ったりしてた。他にも青い角の生えた人間が我が物顔で街を歩いてたり。
本当にもうなんなんだよ、何でわかんないんだよ!俺は見たんだぞ。『青の国』を!
 本当だからな!


  東の民族の言い伝え

世界には被さるもの多し。
赤の眼で血の通う人の世を見、青の眼でこの世に被さる異界を捉える。その者、片割れ人と呼ばれし。
 片割れ人、青の幻影に魅せられたし。その多く、心に闇の巣くいし危ぶまれたし者。片割れ人、十七までにこの世を去りし。


あるニュース番組の報道

 近年、若い人の失踪事件が増加傾向にあります。これについて、若者の行動心理学の専門家の田中先生は、どうお考えでしょうか。
 そうですねぇ。若い人たちというのは、思春期、青年期を迎えて体も心も大きく成長します。進学したり働き始める人もいまして、自分を取り巻く環境が大きく変わるわけです。そこで心身の調子が不安定になることが多いのですね。とりわけ今は『ネット社会』ですから、見ず知らずの人間と簡単にやり取りできるわけです。そこで自分の居場所を得たように感じてしまって、軽率に会いに行ってしまうわけですよ。まあ失踪事件の全てにネットが絡んでいるわけではありませんが、つまり私が言いたいのは、不安定な若者の心のトリガーとなるものが近年とても増えてきているということです。
 なるほど。貴重なご意見をありがとうございました。
 心がしんどい、つらいと感じたら、相談先はたくさんあります。ご自分を大切にする行動をしてください。
 《いのちの電話相談 電話番号一覧》
 それでは、つぎのニュースです。


  とある女の記憶

 小さな頃、まだ学校に行き始めたばかりの時。毎日が楽しかった。友達が学校にいるから、早く会いたくて走って登校していた。算数はパズルで、国語は苦手だったけど、先生は優しく教えてくれた。休み時間には校庭で虫を探したり、ドロケイをしたりして遊んでいた。チャイムが鳴ったら急いで教室にもどる。休み時間が終わるときはいつもちょっとだけ寂しい気持ちになった。体育の授業があるといつもくたくたになるまで動いて、給食をガツガツを食べた。どれだけ食べてもお腹が空いていた。
 学校が終わると、友達と喋りながら家へ帰った。お父さんとお母さんは仕事でいないけど、テーブルの上にはいつもお菓子が置かれていて、それを食べて満足だった。
 ずっとそんな感じで五年生までやってきて、にわかに私の周りは変化していった。
 私は体がふっくら丸みを帯びて、胸がふくらんできた。校庭で全力で走ると、揺れて邪魔だったし擦れて痛かった。お母さんに相談してブラを買ってもらうことにした。今まで一緒に遊んでいた男子たちは、私と目が合うと視線をそらしてうつむくようになった。そのうち私の筆箱やノートを取り上げてからかったりする奴まで現れた。私は何が何だか分からなかった。目まぐるしく日々が回転していて、自分の行動の正解が分からなかった。
あるとき今まで一緒に帰っていた女子から「●●さんってモテるよね」と言われた。全力で弁解したけど、その子には届かなかったようだ。それから何日か経ってその子が私をからかっていた男子が好きだったということをようやく知った。その出来事があって、女子は自分のように学校で素を出している人間だけではないと知り、小さく傷ついた。周りの女子たちは気が付けば服装が派手になっていって、彼氏を作る子まで現れた。クラスの女子は恋バナが大好きなグループか、二次元が好きなオタクのグループかで分かれていた。私は、たまたま前者のグループに属していたが、恋バナは得意ではなく、若い教育実習生の先生が好きだということにしていた。グループの子たちと話を合わせるのは大変で、いつもその先生を観察していなければならなかった。
 学校のしんどさを話せる友達はクラスにはおらず、いつもため息と鬱屈をかみ殺して登校していた。
 6年生になり、クラス替えが行われると、私の周りの人間はガラリと変わった。まずは担任が変わった。五十代ほどのおばちゃん先生で、眼鏡の奥の眼光が鋭く、どことなく冷たい印象の人だった。自己紹介で以前の中学校では国語を担当していたと言っていた。
 新しいクラスは先生のふいんきも相まって、ひんやりと冷めた空気の漂うクラスになった。色に例えるなら暗い灰色のクラスだ。グループでは私はいじられ役になった。深い意味なんてない。ただその場のノリで何となくだ。
 ペット、アホかわいい、キモイ、変なの、●●菌、ぶすだよね、バカっぽい、うざい、きえろ、しね。
 私に向けられる言葉は加速度的に冷たく鋭利になっていった。このクラスのストレスの掃き溜めになっていることぐらい私でも分かったが、私一人の犠牲でクラスが回っていくのならそれでもいいと思っていた。しかし朝になると学校に行くのが嫌で、ベットから出るのにひどく労力を使うようになった。食欲はなく、食パン一枚で朝食を終わらせていた。
 あるとき、総合の時間で先生が神妙な面持ちで教壇に立っていた。先生が口を開くと、このクラスにいじめがあるという内容だった。内容を聞いていると、どうやら私のことが話されているようだった。どうなるのかと見守っていたが、内心期待していた。ここでいじられ役を卒業することができるのかもしれない。
 先生は半分泣きそうな声でクラスに訴えた。

「皆さん!本当の友達ってなんですか!」

 ………………は?
 本当の友達。それはつまり、嘘の友達がいるということである。だったらクラス全員嘘つきだ。本当に私が大切なら、ひどい言葉なんて投げつけてこない。冷笑を向けない。私に恋バナを強要しない。
 いままで皆は嘘つきだったのだ。
 嘘を本物だと勘違いしていた私は一体何だったんだろう。何を信じればよかったんだろう。誰を信頼すればよかったのだろう。一体いつから間違えていたのか。
 その日はどうやって帰ったか覚えていない。
 疑問で頭がいっぱいだった。人が信じられなくなった。自分も信じられなくなった。もうひととかかわりあいたくなかった。
 そんな時、視え始めた。
 最初は自分の部屋。次は登校中の道路。教室。
 角の生えた人間や青い雲。かけた硝子の月や水晶の鳥たち。
 美しい青の国。
 当時の私が現実を忘れてゆういつ没頭できるものだった。幻想でもいい。救ってほしかった。
 ある日自分の部屋で青の国を視ていると、角の生えた少女と目が合った。バチッと音がしそうなほどきっちりと。
 角の少女は青白い手を私に差し出し、何かの言語をつぶやいた。きっと「行こう」という意味だったのだろう。私はその手を取り、青の国へと踏み出した。そこは幻想的な美しい世界だった。青い光で輝く星座の星たち。透き通った氷でできた動物たち。空色をした洋館。飴でできた夜明けの草花。昼はいつも真夏のような突き抜ける青空で、夜はいつも晴れて星が出ていた。
 なによりそこには学校がなかった。どんなに美しいものを見ても、どんなに美味しいものを食べても、この喜びを上回るものは無かった。
 少女に手を引かれ、さらに青の国の奥地へと進もうとしたとき、氷でできた大きな象が目の前を通りかかった。すると象の体に少女と私の姿が映った。私の頭には角が生えかかっていた。アッといって思わず後ずさる。角の少女は私の手をひいて「行こう」とうながすが、私は途端に恐怖に襲われた。
 このまま行ってしまったら、私は二度ともとの世界に戻れなくなってしまうのでは…?そう考えると、頭にお父さんとお母さんの顔が浮かび、私は少女を強く拒絶した。

 目を覚ますと、いつもの自分の部屋に私は倒れていた。きょろきょろと辺りを見回しても、青の国は見えない。
 安心して頭を触って確認すると、ボコリと握りこぶしの半分ほどの大きさのこぶが、二つほど現れていた。腹の底から恐怖が這い上がってくる。どくどくと早鐘を打つ心臓をなだめて、私はようやく立ち上がった。
 今でもふと目の端に青の世界が見えるが、私は無視して日常に目を向ける。薄いのだ。あの頃よりの強く見えない。もうどれだけ望んでも、青の国へは行くことができないのだと悟る。

 私はあの時の判断を今になっても後悔している。



「ドキュメント 『青の国』とは実在するのか‼徹底取材備忘録」より 抜粋
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