八分咲き

文字数 896文字

「ひっ……!」

次は自分なのか?!
一気に血の気が引き、震える足で転ばぬように気をつけながら慌てて走り、握り拳と距離を取る。
しかし、握り拳は土中を泳ぐように何の抵抗もなく進み、しっかりと後を付いてきた。

「こっち……来んなっ!!」

手を振り回しながら、思わず声を荒らげてしまった。すると握り拳はピタリとその場で止まり、しばらくすると、その拳から何滴も何滴も繊細な水滴を垂らした。


異様な光景。
それはまるで泣き震えている酷く哀れな人のようにも見えた。

そうしていると次第に恐怖よりも興味憐憫が勝つようになり、逆にそっと自ら握り拳の方に近づき問いかけてしまった。

「……何か言いたいのか?」

コクリと一度、手首が曲がる握り拳。
攻撃してくる様子はない。
恐る恐るだが意を決して、今度は話を聞こうという思いでその握り拳にそっと触れる。
感触は相変わらず恐ろしく硬く、そして冷たい。

『……ェエ…………ァ……』

「……何?!……何?!」

握り拳は確かに何か言葉らしきものを発した。

(硬直して、よく話せないのだろうか)

何故かそう感じ、自分の手に勢いよく息を吹き掛けて温めると、急いでその握り拳の上に重ねてやる。

温めては重ね、温めては重ねーー。

それを繰り返すことで、頑丈に握り締められていた拳の指は少しずつ解凍されていくかのように開いていった。
しかし最後の指、親指と人差し指だけはピタリとくっついて離れない。

『……メェエ……サァ……イィ…………』

握り拳はもどかしそうに、ひたすらに同じ言葉を発する。

何度か聞いて、ようやく俺は気づいた。
握り拳が『ゴメンナサイ』と言っていることに。

(あぁ……、そうか……。これは軽自動車の人の手か……)

この人は助からなかったのだろう。
そして俺自身も命が危ないのかもしれない。……この人のせいで。

呆気ないと思った。
こんな人生の終わり方か、と。

そう思うと少しは憎しみの気持ちも生まれたが、今、この目の前にある死してなお謝ろうと哀れに震える八分咲きのような握り拳を前にすると、そんな気持ちもスッと散り去ってしまった。

最後に思い切り自身の手に息をかけて可能な限り温めると、ギュッと握り拳の手に重ねて俺は言った。
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