第5話 神は運命を結び合わせる

文字数 5,557文字

 旧市街中央の星の広場より西は、ガレイの店の周辺と変わりない風景が続くだけ。乾いた風に埃が舞い上がる、荒れ果てた廃墟となっている。
 ならば東は……
 大通り周辺は先述の通りにぎやかであり、比較的町としての体裁を保っている。
 だが、そこから南北に離れるにつれてやはり廃墟感が強くなってくる。
 アレンは大通りの北側に住んでいることもあり、比較的北の方は馴染みの場所が多い。
 ここはそんな中の一つ。
 すでに機能は新市街のそれに完全に移されており、その残骸と言える旧市街の教会。
 だが、廃墟と言うには妙にこぎれいだ。
 それもそのはず、ここには熱心な聖職者がまだ数人残っているのだ。

「あ、アレンだ」
「アレン、背伸びた?」
「ディルより高くなった?」
「最近ネミアも背が高くなったんだよ」
「アレンまでもうすぐだね」

――何でここのガキは、俺を見ると背のことばかりあいさつに乗せてくるのだろう?

 子供たちは年長でも12歳であって、16歳のアレンとは体格に差があって当然だ。だが、腹立たしいことにディルは長身で、アレンよりも高かったし、さらに腹立たしいことにネミアは女の子だ。

「ガキども、マリアさんはどこだ?」
「マリアは裏庭」
「野菜の世話」
「ベイベルさんと一緒」
「そうかい、じゃあ顔出してくるわ、お前らは俺に構ってないで遊んでろよ」
「えー、せっかくアレンの鉄砲見せてもらおうと思ったのに……」
「見せるわけねえだろ、商売道具だぞ。それに危ねえから、あんまり近寄るんじゃねえぞ」

 そう言い残して教会の裏に回り込む。
 なんだかんだと言って、マリアの人柄だろうか、どうしようもない悪ガキはいない。
 そもそもこの教会に本来孤児院は無い。
 事情があって流れ着いたマリアが中心になって、自費で旧市街の孤児たちを引き取って育てているのだ。
 どうしようもなく性根が悪い奴は、子供のころから犯罪組織に出入りしている。
 もちろん犯罪組織も半ば自警団のようなものであるのが旧市街だから、中にはまともな親分のもとで育てられ、最終的に正業に就くものもいる。
 何を隠そう、あのサシェもそうであるとバックウォッチャーの隊員に聞いたことがある。
 マリアも自発的にやっている関係で、全ての子供に手を差し伸べることはできない。それでもめげずにできることをやっている、という点は皆に好意的に受け止められていたし、アレン自身もそうだった。
 前面に比べてもさほど荒れていない教会の裏にやってくると、そこに一面に広がる畑が見える。
 いい土を森から持ってくるのにはアレンも協力したが、それでも豊かな実りを得るには日々の手入れが欠かせない。
 気温も上がってきているこの時間、一心不乱に作物の世話をしているのは若い女性と中年の男性。
 中年の方が、元々新市街の教会の神官であったベイベルという男性で、短く切りそろえられた黒髪に、細身の長身を窮屈そうにかがめて作業をしている。
 そして若い女性が、あのシアの姉でマリア。
 光の中では白髪にも見える薄い金髪で、女性にしては長身。シアと似て整った顔立ちだが、シアとの信仰心の差は、その胸のボリュームに与えられた加護の違いに表れている。とアレンは思っている。
 つまりは、大した美人であり、旧市街に名前がとどろく人気者だ。

「あら、子供たちがはしゃいでいると思ったらアレンなの。久しぶりね」
「あ、ああ、ちょっと顔を見に来たんだ。病気とかしてないかなって」
「あら、私はいつも元気よ。神のご加護により病気なんて何年もしてないわ」

 これは強がりではない。
 神の加護。すなわち回復魔法の高い能力を持つマリアは自身の体も不調になりにくい。
 なにせ聖女なのだ。
 マリアが聖女として認定されたのは子供の頃だ。
 イムトラス聖教の聖地に妹とともに連れて行かれ、そこで教育された彼女は本来こんなさびれた教会にいるべき人間じゃない。
 確かにエリントバルは広い領土こそなくても世界の中心と言っていい都市だから、聖女の一人が派遣されるのは分からなくもない。
 しかし新市街の教会の上層部は彼女を持て余し、結局本人の希望のままこの旧市街の教会にベイベルとあと一人の神官とともに追い出したのだ。

「だとしても、大変だろう? 子供たちの相手とか……シアの相手とか……」
「あら? そんなことは無いわ。子供たちはいい子だし、シアちゃんは良くお手伝いをしてくれるし……」
「そういうもんかねえ」

 実際シアは姉のために尽くす妹であるのは間違いない。
 酒場で稼いでいる給金も教会に寄付し、あまり食材を持って帰ることもしばしばある。姉と一緒に教会で寝泊まりし、時間のある時は教会の仕事を手伝っている。
 子供のころから聖女となった姉のそばでいろいろな下働きをしていた彼女は、そのことを不満に思うこともなく今も同じように過ごしている。
 正直マリアとしては、いい加減シアは自分の幸せを追求してもいいのではないかと思っている。
 確かに聖女という肩書によって妹を守れたことは何度かあったが、それもこの場所に来た今となっては大して役に立たない。
 一方的に妹から手助けされているのは心苦しいし、自分としても妹離れをしないといけないと思っている。
 だが一方、現状があまり余裕が無いのも事実であり、妹の助けがありがたいのが実情だ。
 胸を張って「あなたは自分のことだけ考えて」と言えない現状に、マリアは心を痛めていた。

「お、これが今日の分か……じゃあせめて運ぶぐらいはやるよ」

 かごに入った野菜を担ぎ上げ、アレンは教会奥の宿舎の台所に移動する。

「せっかくだから、お昼も食べていかれませんか?」
「あ、いいの? じゃあお願いするよ」

 作業が終わったのか一緒についてくるマリアと献立についておしゃべりしながら、アレンは本題をいつ切り出すべきか、と考えていた。



「ごちそうさまでした」
「アレン、食べ終わったら遊ぼう」
「いや……俺はちょっとマリアと話が……」
「あーっ、ついに告白?」
「そんなんじゃねえや。ほら、ガキはさっさと外に遊びに行っちまえ」
「えー、食後すぐに運動したら気持ち悪くなるんだよ」
「そうそう、消化に悪いんだよ」
「アレン、馬鹿だね」
「これ、人のことをそんな風に言ってはいけません。いいですか……」
「うわっ、ベイベルさんの説教が始まるぞ」
「いつも長いからな……」
「逃げちゃう?」
「逃げちゃお」

 そして子供たちは蜘蛛の子を散らすように食堂から姿を消す。
 ベイベルは怒った顔をしながらも、子供たちを追いかけることはしなかった。
 表情を緩め、マリアとアレンに声をかける。

「いいですよ、後片付けはお任せください。聖女様とアレン殿はお話があるようですから」
「……申し訳ありません。それではよろしくお願いします」

 後をベイベルに任せて、アレンとマリアは教会の宿舎から表通りに面した聖堂に移動する。
 神は全知である。
 そのため、魔法が盛んなアルブリーブでも信仰を集めていた。
 神は全能である。
 そのため、魔法が盛んなアルブリーブには忌み嫌う者もいた。
 全知なものが存在するなら、知識を得るという道にはまだ先があることを意味し、魔法使いたちは奮起する。そして全能なものが存在するなら、これまで積み上げてきたことすら無効化されうるということだからだ。
 そんなわけで、この場にいるアルブリーブ出身の女は、信仰に生きる聖女となり、この場にいるアルブリーブ出身の男は、世を拗ねた奔走者となった。
 そんなことを考えてしまうのは二人のうちアレンだけだ。
 年若く聖女とされた4歳年上の少女のことは、地元では良く知られていた。一方で病弱な領主の次男のことは、事情通ならば名前も含めて知っていただろうが、それほど有名ではなかった。
 名前を変えた今となってはなおさらだろう。

「……それでな、どうにも危ない男が旧市街をうろついているらしいんだ」
「まあ、怖い。今からでも子供たちを呼び戻した方がいいかしら?」
「いや、その男は夜にしか動かないらしい。今頃は寝てるんじゃねえかな」
「そうなのですね、では夜の戸締りをしっかりすることにしましょう」

 実際アレンは、男の黒づくめの衣装から、闇に紛れた活動を志向しているとわかっていた。
 一応細部をぼかし、奔走者の噂として伝聞の形をとっているのは、自分が危ないことをしているとマリアに知られたくなかったからだ。
 もちろん奔走者が危ない仕事であることはマリアも知っている。
 それでも、夜に殺人鬼と殺し合いをするというのはいささか刺激が強すぎるだろう。
 アレンは、この姉妹のためになることなら優先して行うつもりだった。
 それは、一部は贖罪、一部は親愛、一部は尊敬が混じった曖昧模糊とした感情によるものであった。
 表から子供たちのにぎやかな声が聞こえる。どうやらお絵描きには飽きてこれから鬼ごっこを始めるようだ。

「近いし人通りもそれなりだから大丈夫だと思うが、できればシアも向こうに泊まらせてもらった方がいいかもしれねえ」
「そうねえ、後で出向いてタッドさんにお願いしてみましょう」

 タッドは栄光の古、じゃなかった古の栄光亭の店主だ。
 夜遅くまで店を開ける必要がある以上、シアの帰りが心配だ。
 店主一家は店の二階に住んでおり、そこにお邪魔させてもらうのが彼女の安全を守ることになるだろう。幸い店の手伝いをしている娘さんとも仲がいい様子がしばしば見られることだし、気まずくはないだろう。
 これで、とりあえず注意しておくべき場所は全部回ったかな、とアレンが思ったとき、表から流れてくる風が変わった気配を感じた。

「もし、どなたかおられないか?」

 表から声が聞こえる。
 開かれた教会を標ぼうしているので聖堂の扉は開けっ放しである。
 なので、声をかけたそのまま入って来たのは、男が一人であった。
 その男を見た瞬間、動きには出さなかったもののアレンは体をゆすって愛銃の重さを確かめる。

――相当に危険な男だ

 軍警の制服に身を包み、一見したところ中肉中背で特徴の無い体躯だが、動きを見るだけでその内包した力が見て取れる。
 まるで、筋肉繊維の一本一本を常にミリ単位でコントロールしているかのような、普通の動きをしているが一瞬後には人間離れをしたスピードで敵に一撃を加ええていてもおかしくないような、鍛錬と熟練の極みがそこにあった。
 アレンは室内と出入口に目を走らせる。
 ここで打ち合いになった時に、どうやって自分の、そしてマリアの身を守るか、そしてどうやって逃げるか。また、増援の可能性などについていく通りもプランを構築する。

「どなたでしょうか? 私はこの教会を任されている神職のマリアと申します」
「ああ、失礼しました。私は軍警察第一部のナセル・エイダリオと申します」

 軍警の第一部。すなわちオオカミ。圧倒的な武力でにらみを利かせるエリントバル最大戦力だ。
 主に対外任務が多い、他の国でいうところの軍隊である彼らが訪れるには、この場所はいささか不似合いだ。

「それで、軍隊の方がどうしてここに?」
「ええ、詳しくは言えないのですが、ちょっと最近危険な奴がこの旧市街に入り込んだという情報を得まして、なるべく夜は出歩かないように各所に注意を促しているところなのです」
「まあ、それはご丁寧に、ありがとうございます。ええ、それに関してはこちらのアレン君からも似たような話を伺ったので、戸締りを厳重にしようと話していたところなのです」
「アレン……まさか、アレン・ヴァイスか?」
「いやはや、俺も有名になったもんだな。まさか名高いグレイウルフに名前を憶えられているとは……」
「なに、内外の有力な人物の情報は我々の生死を左右するからね。もちろん見知っているよ。それとグレイウルフは部隊の名前だ。私自身はその一員に過ぎないよ」

――よく言うぜ、部隊の最大戦力で指揮官のくせに……

 ともあれ、伝え聞くだけで大変優れた軍人であるナセルを相手にしては、アレンも普段の口の悪さを全開にするわけにもいかない。

「その危険な奴っていうのは、何をやったんだ?」
「新市街で騒ぎを起こしてこちらに逃げてきた。二部も向こうの奔走者も大騒ぎして旧市街に入っているよ」
「なるほど……なあ、そいつは素手で強い黒づくめの男じゃねえか?」
「ふむ……情報の裏がとれたな。やはり昨日君がやり合ったんだね?」

 息をのむマリア。
 まさか危険だと聞かされていた相手とすでにアレンが交戦済みだとは思っていなかった。
 会話の途切れと合わさって、教会内部に沈黙が落ちる。
 表から鬼ごっこをしている子供たちの、楽しそうな声が流れてくる。

「……ああ、さすがだな。もう状況を把握しているとはねえ。それで……あいつは何だ? あんた知っているんだろう?」

 アレンに確証はない。
 ただ、そんな気がした。
 だいたい、いくら凶悪だと言ってもわざわざグレイウルフが出張ってくる一件だろうか?
 せいぜいが二部を主体にして装備に優れた一部の人員が臨時に貸し与えられるといったところだろう。精鋭部隊を充てる理由などない。普通なら……

「うむ……詳しくは言えん。わかるな?」
「わかる」

 つまりは軍警内部の何らかの問題。
 むしろ、あの強さからすればグレイウルフからの脱走兵という可能性すらある。
 ともかく、熟練の軍人であることは間違いない。
 実際に対峙したアレンの目には、それだけとは思えなかったが……

「そんな男だったらさっさと他の国か荒野にでも逃げてるんじゃねえか?」
「いや、それは無い」
「なんで?」
「奴は旧市街でクライン博士を探しているのだ」

 その名は――アレンが会うためにエリントバルに足を運び、そしてそれから二年間ずっと探し続けている男の名だ。
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