第19話 エドムンド・クライン

文字数 5,093文字

「こんな遅くに……朝まで待つぐらいしやがれ、この早漏野郎」
「いやいや、だってすでにお客さんいるだろう?」
「……何のことじゃ?」
「いやもう爺さんの演技はいいぜ。久しぶりだな、エド先生」

 その言葉を聞いた小さな影、いつの間にか旧市街で店を開いていた、前歴不明の謎の人物。
 ガレイ爺さんだった。
 だが、そんな彼にアレンはためらいなく「エド先生」と呼びかける。
 体躯も、声も、年齢も全く違うこの相手に対して。
 黙り込んだガレイ爺さんを前に、アレンは話を続ける。

「本当に偶然だった。ああ、何回も顔を合わせていたのに名乗り出てくれなかったのは、後で訳を聞きたいんだが、とりあえずいいや。だけど、同じような事を言ってたから気が付いたんだぜ」

 前に、ロータスを点検に持ってきたときに帰り際に言われた言葉。

「確か――『百発百中』だったら術式制御だって並じゃねえはずなんだ。魔法陣ぐれえ扱えて当然――だったか? 同じような事をエド先生に言われたことを思い出したんだよ」

 それはあの精力素過剰を起こした一撃を思いつく直前、記憶の中のエド先生の、「大魔法使いに成り得た君なら術式制御だって並ではないはずだ。例えば魔法陣の扱いなどは当然私より適性があるだろう?」という言葉に感じた違和感だった。
 すぐ最近、どこかで聞いたのではないか?
 戦いが終わって、冷静になって考えてそこに行きついたのだ。

「……そんなのは、お前を見ていれば誰だって思うことじゃねえか。その術式制御の力がもったいないってことぐらいはな……」
「もう、あんまり自覚がねえんだと思うが、『術式制御』なんて普通の球屋からポンポン出てくる言葉じゃねえ」

 術式、という言葉自体、魔法使い以外は使わない。
 並の真空管技術者は既存の魔法陣、または魔法回路の細部を、実験しながら改良し、あるいは組み合わせて開発をしていくので、魔法の世界にあまり明るくないのが普通だ。
 もちろん、ミスルカのような元魔法使いの技術者にとっては周辺の知識はあるだろうが、そもそも霊力素の領域である「術式」は、電気と精力素の領域で全てが完結している現在の真空管技術には関係ない。

「だいたい、俺が爺さんの前で発砲したことがあったか? 弾を曲げて見せたことがあったか?」
「それは……噂で……」

 店で試し撃ちをすることもめったにないのだが、それもせいぜい発動を確認するぐらいで、その先の光弾操作は銃本体に関係ないのでやって見せたことは無かった。

「噂ぐらいで、そこから術式制御に行きつく、っていうのは無理があるんじゃねえかな? 大体俺は術式を介して精力素を操作してるんじゃねえ。直接精力素を動かしてるだけだからな」

 言い切ったアレンに対して、ガレイは何か言いたそうにしたが、結局沈黙した。
 動かない矮躯の老人は、昼間に見るのと同じように、ボロボロの服を纏っていて、一見普段と変わりないように見えた。
 灯りはお互いの持つランプのみ。
 その淡い灯りの中で老人の深いしわが影を落とし、顔の造形をあいまいにしていた。
 だが、だからこそ、表情の動きは一層良く解る。
 無表情だったのが、急にニコッと笑みを浮かべた表情になり、その瞬間、アレンはこの小さい老人の身長が急に伸びたように錯覚した。

「……なるほど、これは不注意だったかな……改めて、この姿で会うのは初めてだね。アレン君……元気……なのはいつも会ってるからわかっているが……」

 声は変わらずとも、話し方の雰囲気が変わった。
 それはアレンにとって二年間探し、あきらめていた、かつての恩人と同じものだった。

「エド先生、なんですね……その姿はいったい?」
「ああ、もちろん本来の体、というわけじゃない。いくら見た目ほど若くないとはいえ、さすがに二年ではここまで老いないよ」

 当時見た目30歳前後、実年齢44歳であったクラインであったが、それから二年ではここまで年を取ることはない。
 だが、彼は老人の見た目通りの動きで、よっこいしょ、と床の木箱に腰を掛ける。

「連中は、治療してあげたんですよね?」
「ああ、それに関しては問題ない。要は精力素の不足だから、定期的に補う薬を服用することで、日常生活はおくれるはずだ、いや、だった」

 すでに死んでいる者もいるからか、老人は言い換えた。

「それを、なぜ最初からしてあげなかったんです?」
「したさ、だけどね。私が直接彼らに会ったのは、ここに訪ねてきたのが初めてだ。私は軍から必要と言われたものを作っただけ、そして薬もちゃんとレシピとして軍に提出したよ」

――ああ、やはり……

「違和感はあったんですよ。先生がやることにしては非道で、救いが無いと……」
「おいおい、私はそんなに善人じゃないよ」

 記憶にある通り、肩をすくめて眉を下げながら彼は返した。

「善人でなくても、人でなしからは程遠いでしょう?」
「いや、私は人でなし、でもあるのかもしれないね。結局自分のことが最優先なんだから……」

 軍の上層部の要求を拒んで命を狙われたことは事実だ。より強力な、全身を置換するような改造兵士を作る計画への参加は、クラインには耐えがたかった。
 だが一方で、自分の研究が一つ大きな進展を迎え、そちらに本格的に取り組みたいという事情もあった。
 ちょうど種々のタイミングが合致した結果として、クラインは行方をくらませることになったのだ。

「で、連中は?」

 アレンは本題に話を戻そうとした。
 だが、老人姿のクラインは、それに答えず唐突に声の調子を落として言った。

「ふむ……いや、その前にアレン君も自分のそれに不安を感じていたりはしないかね?」
「ああ、そっちもありました……」

 そうだった。
 アレンにとって元々クライン博士を探していた理由はそれであった。そっけない返事をしたが、今聞いておくべきだろう。

「軽いねえ、扱いが……彼らのことを知った君が、自分について不安を覚えたのではないかと考えたが……杞憂だったかな?」

 実際には最近のことどころではなく、ずっと悩んでいたことだったが、クライン博士にはそんなことは想像の外だったようだ。つまり、彼にとってはアレンのことは心配事ではなかったということだ。
 それが薄情から来ることでは無いことは、アレンには自明だった。

「その返答だけで十分ですけどね」

 きっと、彼にとっては心配する必要もないほど、完璧な仕事だったということだ。
 老人は立てた人差し指を振りながら話を続ける。
 姿は全く違うが、アレンの知るエド先生の癖そのままであった。

「その通り、君のそれは、生まれ持った膨大な霊力素を消費して、異次元に本物の心臓を形作っているのだよ。KE300シリーズのプロトタイプではあるが、唯一にして最高のものだ」

 唯一というのは、他にそれを適用できる人物がいないということ。成人まで生きることを望めないほど心臓を傷める、莫大な霊力素を宿した人物がそんじょそこらにいるとは思えない。
 そして最高というのは、その特殊な条件に合うように作られたそれが、新型であるはずのKE300シリーズのどれよりも制限が少なく、性能が高かったということだ。
 アレンは、意を決して質問する。

「僕の一生分ぐらいもちますかね?」

 これが核心の質問だ。
 もっとも、10年や20年しか動かないとしても今後のアレンの行動には影響しない。
 故郷の……魔王? 悪魔? 吸血鬼? と化し、人々の命を奪い続ける実の弟を滅ぼすために突き進むだけだった。
 だが、クラインの答えはさすがのアレンにとっても想定外だった。

「余裕さ。君が年老いて、そして死んで、その後何百年でも、何千年でも、そのクライン・ハートは動き続けるさ。君の霊力素の源、君の魂がこの世にあり続ける限りね」

 アレンは似たような話をつい最近聞いたのを思い出した。

「それは……先生は僕を神にでもしたいんですか?」
「神……か、構造としては似ているね。だが君も、そして僕も全知とは程遠いし、全知なんてくだらないものにかかわることは今後もないだろう?」

 くだらない。
 クラインにとって、知はそれ自体価値のあるものではない。知を増やす、新しいことを学ぶその瞬間こそが価値あるものだと考えている。

「じゃあ何であんな文字を刻んだんですか?」
「あれはね……単なる飾りだよ。ちょっと神の話と似ていると思ったからね。それに、気付くものがいるかと試したかったのもある。何百年か後に、君の心臓だけ残って、そこにあの言葉が刻まれていたら、勘違いして面白いことになるとは思わないかい?」

 なんとも迷惑な愉快犯だった。
 確かに、アレンの肉体が朽ち、その後にあの金属の箱だけが残されて、その表面にあの文字が刻まれていたら、後世の教会が聖遺物だと思うかもしれない。
 そうなるころにはアレンもクラインもとっくに死んでいるが、そうした騒動を想像するのもクラインの好みだった。

「じゃあ、本当に妙な意図はないんですね?」
「ない。私としては君がちゃんと一生を全うしてくれれば、それ以上のことは望んでいないよ……そうそう、それの正式名称を教えていなかったね。文字で気づいたかもしれないけど、それは『クライン・ハート』というのが正式名称だ」

 『KH』と大きく刻まれていればそれ以外は無いだろう。
 アレンは防具の上から胸に軽く触った。
 予想通りだったので、それがそこにある、ということが分かればそれでいい。
 クラインはさらに唐突な話を始める。

「……ところで、私の姓のクラインだが、私の他に、この名前に聞き覚えはないかね?」
「……確か、数学者でしたか……」
「そう、表も裏もない立体に名前が残っているね。あの立体を実現するなら、我々の認識しているより高次の空間が必要だ」

 アレンは話のつながりに気付いた。

「なるほど、それが先生の研究と関係が深いと……もしかしてご先祖様ですか?」

 クライン・ハートは異次元に心臓を再現している。また、クライン・エンジンもミスルカが分解してみて空洞、ということはその機能が異次元に存在するのだろう。高次元の空間の利用といえる。

「いや、単なる偶然さ。だが、クラインの心臓、と言葉にすれば……まさにその性質を正しく示しているとは思わないか? まさに矛盾した心臓ということさ」

 矛盾――同時に成り立たない二つの命題。
 この世界から見るなら箱の中身は空洞で、しかし箱の中に心臓が存在する世界から見るなら、自分の肉体が存在しないことになる。
 まさに『矛盾心臓(クライン・ハート)』……だが、

「それを言うなら『本末転倒(クライン・ハート)』でしょう? うちの実家の人たちにとっても、当時の僕にとってもそうでしたよ」

 家では偉大な魔法使いが望まれ、アレン自身もそうありたいと望んでいたのに、残ったのは魔法の使えない少年だった。
 そういう意味では本末転倒なのかもしれない。

「ふふ、なんとも皮肉が多くなったものだね。まあ、ガレイの中から見て知っていたけど……さて……」

 そこで老人の姿をしたクラインは木箱から立ち上がった。

「そろそろいいかな……気づいていたかな? 私が時間稼ぎをしていたことを……」
「そうですね、先生はもっと簡潔に話していたと思います。以前なら」
「そうだね、よく覚えている。これでも、彼らには成功してもらいたいと思っているのでね。私自身の安全のためにも……」

 クラインは、この場に包囲網が引かれていることを承知していた。
 そうして、その包囲網をテラーフォックスが抜けることができるように手助けをしていた。
 具体的には、クライン自身が時間を稼ぎ、その隙に地下から彼らが逃げるというものだった。
 今までの経緯から、たとえグレイウルフのような精鋭であっても、テラーフォックスが利用している旧市街地下の下水網に関しては、全く感知していないのを把握していたのだ。

 アレンを見上げて自分の目論見について告白したクラインには、自分が悪いことをしている、という感覚は無いようだった。
 アレンは、視線を床に落としてため息をつき、クラインに返答した。

「残念です……」
「幻滅したかね……君をだましたことに……」
「いえ……そうではありません」
「では何を?」
「尊敬する、最高の知性をお持ちの先生でも……意外にだまし合いには弱いんですね」
「何っ?」

 その時、アレンの背後から銃を構えたグレイウルフの隊員が店内になだれ込んできた。
 そして、一団の後ろからコツ、コツ、と一歩ずつ響かせて軍靴の足音が聞こえる。
 立ち止まったナセルが、二人に声をかける。

「アレン君の情報通り、地下の連中は制圧できた。協力感謝する」
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