林檎の木の下での誓い

文字数 1,389文字

 その晩、私は夢を見た。

「美月ちゃん、美月ちゃん……」

 (さく)ちゃんが、私を呼んだ。

 私は布団から起き出して、縁側の雨戸を開けた。

 (さく)ちゃんが庭に立っていた。

 色の白い(さく)ちゃんが、月明かりにぼんやり浮かぶ。
 あの頃と変わらない、少年の姿のままで……。

 (さく)ちゃんは、手を差し出した。
 私は震える手を伸ばす。

「行こう!」 

 (さく)ちゃんは、私の手を引き、駆け出した。
 冷たく優しい手だった。

(これは夢……?)

 満月が降り注ぐ。

 私たちは走った。
 大人から逃げ出し、勝ち誇るように、無邪気な笑い声をあげた。
 切り絵の林が見える頃、私は(さく)ちゃんに言うのだ。

「かくれんぼしようよ、(さく)ちゃん」

 (さく)ちゃんはその場で目をつぶり、十数えるごとに言う。

「もういいかぁーい?」
「まぁだだよぉー」

 そう言って、私は林を駆け抜ける。
 月明かりに照らされないように。

 暗闇が怖くなかったのは、(さく)ちゃんが、必ずみつけてくれるとわかっていたから。
 二人で「誓いの木」と呼んだ、あの場所に私はいるから。

「あった、あの場所……」

 私は切り絵の林を抜けて、一本、遠ざかった場所にある、林檎の木の下で腰を下ろした。
 幹に寄りかかり、夜空を仰ぎ見る。
 枝の隙間から満月の光が降り注ぐ。
 私はゆっくり瞳を閉じた。
 (さく)ちゃんの声が聞こえる……。

「僕たち結婚するんだよ。この木の下で、永遠の誓いを立てよう」

「むずかしくてよくわかんないよ」

 私が首を傾げると、朔≪さく≫ちゃんは、あの透明な笑顔を見せる。

「ずっと一緒にいようねってこと。ずっと、いつまでも、永遠に……」

 そうして林檎の実をもいで、二人で一つをかじりあい、ほろ苦く甘いキスをした。
 涙が頬を伝った。

 今ならわかる、あんなにも、「永遠」を切に願ったあの子の気持ち……。

 ゆっくりと目を開けると、目の前に(さく)ちゃんが立っていた。
 私は(さく)ちゃんに言った。

「『もういいよぉー』……もう、いいよ。(さく)ちゃん、私をみつけてくれたね。もうどこにも隠れたりしない。忘れていたの、約束を。『もういいよぉー』って言う前に、私の方からいなくなったの……」

 涙がぼろぼろと溢れた。
 (さく)ちゃんは月に(はかな)げだった。
 責めるわけでもなく、(さく)ちゃんは、じっと私を見つめて、そして静かに微笑んだ。

「帰ろう。月が白むから……」

 (さく)ちゃんはそう言って、私の手を引き、帰り道をたどった。

 縁側で、(さく)ちゃんは、「じゃあね」と言って、背を向けた。
 私は彼のを抱きしめた。

「行かないで……行かないでよ! 私も一緒に連れていって! 大人になんてなりたくなかった。朔≪さく≫ちゃんのいない未来に、存在したくなかったよ!」

 私の涙で彼の背中が濡れた。

 色んなことを思い出した。
 おばあちゃんが亡くなる前の最後の夏休みは、(さく)ちゃんにとっても最後の夏となったこと……。(さく)ちゃんの死で思い出もいつしか死んでいったこと……。

「私を呼んだの、(さく)ちゃんでしょう?」

 (さく)ちゃんは、寂しそうに微笑んで言った。

「迎えに来てほしかったんだ」

「迎えに来たよ。また会えたじゃない。ずっと一緒にここにいよう」

 (さく)ちゃんは、静かに首を横に振った。

「どうして? 私、みつけたよ。かくれんぼはもう終わりにしよう」

「かくれんぼはまだ終わってないよ。君はまだみつけていない。どうかあの子を探してあげて……」

 そう言い残して(さく)ちゃんは、月に溶けるように消えてしまった。
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