今夜またここに

文字数 733文字

 どうして忘れていたんだろう? 
 遺影の中の小さな男の子。

朔也(さくや)、美月ちゃんが来てくれたよ」

 おばちゃんは、仏壇の上の写真の男の子に話しかけた。
 私は、慣れない手つきで線香を立て、手を合わせた。
 写真の中の男の子は、遠い思い出の頃のまま。

 (さく)ちゃんは、色が白くて線の細い、病弱な男の子だった。
 (さく)ちゃんの家族は、一人息子の静養のために、一家でここに越してきたのだ。

「知ってる、この縁側……」

 (さく)ちゃんが、外を眺めて座っていた。
 近所の子たちは幽霊がいるなんて言っていた。

 ある日、肝試しだって誰かが言い出して、縁側に面したこの家の庭になるトマトをもいでくることになった。
 負けず嫌いの私は、はりきって一番に行くことにした。

「おなかすいてるの?」

 庭に忍び込んだ私に、朔≪さく≫ちゃんはそう言った。
 そして林檎を手渡してくれた。
 子どもの手に収まるほどの、小さな赤い林檎だった。
 触れた手が、ひんやりと冷たく優しかった。
 透き通るような笑顔だった。

 私は自分が恥ずかしかった。
 浅黒い肌、日に痛んだ髪、ひざ小僧のかさぶた……。
 私は(さく)ちゃんの林檎を食べることができなかった。

「ねえ、この林檎がもっとたくさんあるところに行こうよ。今夜、またここにおいで」
        ・
        ・
        ・
「今夜、またここに……」

 私は、縁側で月を見上げて、(さく)ちゃんの言葉を繰り返した。
 ここが仏間になるなんて、あの頃は思いもしなかった。

「美月ちゃん、今日はもう遅いから泊まっていきなさい」

 おばちゃんが、縁側にスイカを運んできて言った。

「おばちゃん、この部屋に泊まってもいい? (さく)ちゃんと、ゆっくり話がしたいから」

 そう言うと、おばちゃんは、泣きそうな顔で微笑んだ。
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