お前たちは嘘吐きだ。

文字数 1,414文字

 ()(さし)(のくに)(こうの)()宿(じゅく)の本陣は、予定外の大名行列の受け入れで、大いに騒がしくにぎわっていた。
 真田()()(のかみ)

は「上段の間」に独り座している。人払いをして、小姓さえも室外に出してしまった。
 桜材の小さな文机を前に、墨を擦り、紙を広げた。(ちゅう)()の後遺症で震える右手を左手で支えながら、ゆっくりと筆を走らせる。

「あやつめ、心配しておるようで、の。わざわざ手紙をよこしおったから、急ぎ書き送ってやらねばならぬ」

 ぽつりとつぶやいた。
 書状の宛先は、上田城詰めの家老・(いで)(うら)(つし)()(のかみ)(まさ)(すけ)である。


()って今度召しに付いて、()()(さん)()仕る処に、(かわ)(なか)(じま)(おい)て過分の知行拝領せしめ候。殊に(まつ)(しろ)の儀は名城と申し、北国のかな目の(よう)(がい)に候間、我等に(まか)り越し()()()き申し付くべきの由、仰せ出だされ候……』


「他の者には、(ゆう)(ひつ)に書かせたもので十分なのだが、対馬はなぁ……私が直接言って聞かせないと、納得せぬだろうから……の」


『彼の表の儀は拙者に任せ置かるるの旨、御直に条々、御諚候。誠に家の面目外実共に残る所なき()()わせにて、今十三日鴻巣に至って帰路せしめ候。先づ上田まで罷り越すべく候間、其の節申すべき事これ在る儀、一角所迄遣わされ候。祝着に候』


 署名し、()(おう)を押し、「出浦対馬殿」と宛名を書くと、信之は一度筆を置いた。

「あちらこちらで大名が取りつぶしになっておる昨今、当家は加増となったのだ。めでたいことだ、実にめでたい」

 顔を文机から上げ、漫然と振り向いた信之のつぶやく言葉とは裏腹に、その面には喜びの色はなく、幾ばくかの安堵とそれを越える諦めばかりが見て取れた。

「お前達の

で、戦で死ぬようなこともなく、この年まで生き抜いたのだから、これから先もつまらぬことで命を縮めてはならぬからなぁ」

 信之の目は一所に向けられているが、眼差しはぼんやりとしている。

「しかし、お前達は嘘吐きだ。揃いも揃って、本当に酷い大嘘つきだ」

 信之の口元には微笑とも付かない微笑が浮かんでいる。
 滲にじんだ視線の先に、一つのものがある。
 懐中に収まるほどの小振りな、しかし(ごう)(しゃ)な作りの(くり)(だし)()(はい)には、二枚の白木の札板が納められている。

『清音院殿徳誉円寿大姉』
『大連院殿英誉皓月大禅定尼』

「何が『わたしが付いている』だ。お前達……二人とも、先に逝ってしまっては、付いているも何もないではいか」

 信之は暫くの間、返るはずもない妻達の返事を待った後、再び文机に向き直った。


『尚々、我等事もはや老後に及び、万事入らざる儀と分別せしめ候へども、上意と申し、子孫の為に候条、御諚に任せ(まつ)(しろ)へ相移る事に候。様子に於ては心易かるるべく候。以上』


 書状に(なお)()きを入れると、真田信之は手を叩いて小性を呼んだ。

〔了〕
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登場人物紹介

真田信幸(信之)

戦国時代の武将、江戸時代前期の大名。信濃上田藩の初代藩主、後に信濃松代藩の初代藩主。

真田昌幸の長男、真田信繁(幸村)の兄。

父親と弟の活躍の影に隠れて存在感が薄いが、実はどちらかというと信繁よりも信幸の方が武闘派で、派手に戦っている。

病気がちだけど一病息災タイプ(実際には三病ぐらい抱えてたっぽい)。

90歳まで現役のお殿様。隠居させてもらったと思ったらお家騒動勃発。

騒動が収束したその年に没。享年93。

清音院殿

真田信之の室。

父は真田昌幸の長兄・信綱。母は於キタ。


長篠の戦いで父・信綱が戦死した後、真田家を昌幸に相続させるに際して系統に正当性を持たせるため、武田勝頼により真田信幸と結婚させられる。

長男・信吉を産んだこと以外の次席は不明で、本名も伝わっていない。

(作中での呼称は作者が仮に付けたもの)


小松殿

本名は稲姫。本多忠勝の娘で、徳川家康(一説に秀忠)の養女。

真田信之(信幸)の正室。

敵対関係にあった徳川家康と真田昌幸が、豊臣秀吉の命により「昌幸を家康の与力大名とする」ことで決着したのを契機に、真田信之との婚姻が成立した。


このとき信之はすでに真田信綱の娘(清音院殿)を正室に迎えていたが、これより後の記録において清音院殿は「家女」と記され、側室の待遇とされた。

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