第1話

文字数 1,995文字

 気がついたら、明るく清潔な会議室に座っていた。老若男女十名くらいいる。

 カーテンが揺れ、心地よい風と光。窓の外を見に行くと、青緑の宝石のような池が広がっていて、たくさんの(はす)の花が風に揺れていた。
そして遠くに見える橋から、ドボンドボンドボンと何かが落ちる音。
「あれ何かしら」
 おばさんから話しかけられた。この人、知っているような気がする。
「何でしょう、落ち方がペンギンみたい」
「ほんとね!」
 私はふと、(つえ)を手にしていることに気がついた。そう、私は左足が悪かったんだっけ。

 病院の先生のような白衣のお爺さんが入ってきた。
「こんにちは。みなさんの生前(せいぜん)の仕事ぶりが評価されまして……引き続きここでも仕事をお願いしたいと思います」
 お爺さんは、私とおばさんを見て言った。
「あなたはもう杖なしで歩けるはず……肉体がないのですから。そしてあなたも若い頃の姿を(まと)えますよ」
 おばさんは目を丸くして、
「あらまあ、そうですか! でも“おばさん”は楽なんですよ」
「わかります」
 微笑みながら(うなず)くお爺さんに、私はおずおずと質問した。
「あの、私は、死んだのですか?」
「下界での修行が終わったのです」
 お爺さんは合掌(がっしょう)した。

 お爺さんを「先生」と呼ぶようになり、私は「千両(せんりょう)」、おばさんは「万両(まんりょう)」という名をいただいて、ペアを組むことになった。
会議室のモニターをみんなで囲み『蜘蛛の糸』のアニメを視聴してから、先生の説明を聞いた。

「こちらの池から下界へ雨が降り、その雨の中に銀色の糸が(まぎ)れています。ランクアップを渇望(かつぼう)する下界の者、いわゆるカンダタが、その糸を手繰(たぐ)り登ってきます。その者がランクアップ不適合者だった場合、糸が赤く点滅します。みなさんは念力でその糸を切断してください」


 念力と聞いて、私と万両さんはびっくり。
先生が私達にお手本を見せてくれた。
「モニターに下界の様子が映し出されます。点滅する赤い糸、これをオンラインからオフラインに切り替えます。このように……念じて」
 画面の中で赤い点滅がフッと消え、糸は(すす)けてプツンと切れた。
「実践形式で習得していただきます。繁忙期(はんぼうき)には残業もあります……よろしいですか?」
「はい!」私達は声を揃えた。

 切断訓練を重ね、仕事は順調に滑り出した。
少しずつ死に(ぎわ)の記憶が戻ってきて、私は万両さんに謝罪した。
「万両さん、あの時は巻き込んでしまい、ごめんなさい」
「千両ちゃんは悪くない! それに私、悔いはないの」
 万両さんはお(そな)えの八朔(はっさく)()いて、半分私にくれた。
「ありがとう、万両さん」


 その日はスーパーフレアの影響で、大規模な念通信障害が起きていた。
タイミング悪く下界へ大雨が降り出し、
「全員、ご参集(さんしゅう)ください」
 先生の呼びかけで、非番だった私と万両さんも会議室に駆けつけた。

 私達は定期的に有事(ゆうじ)対応訓練を受けてはいたものの、訓練と実践は別物であることを痛感した。
全員一丸となり残業して手を尽くしたのだが、手動(しゅどう)での糸の切断に手間取り、六名のランクアップ不適合者を池の上に到達させてしまったのだ。
その中に「久野(くの)」がいた。私と万両さんの天敵(てんてき)である久野。

 私は久野に焦点をあて、その後の生き様を念で読んだ。
……心神耗弱(しんしんこうじゃく)(たて)に罪を減軽するも、前立腺がんが全身に転移し手遅れとなった末路。修羅界に堕ち、今も呪詛(じゅそ)を撒き続ける姿が浮かび上がってきた。

 生前の記憶を掘り起こす。
工場の事務に障がい者枠で就職した私に、ストーカー行為を繰り返したのが久野だ。
当時私が19歳、久野が39歳だったか。逆上した久野に、私は工場の駐車場で刺され絶命した。
そのとき久野を止めようとして巻き添えを食らったのが清掃の三宅(みやけ)さんで、今、私の手を握り締めてくれている万両さんだ。

 私は先生に伝えた。
「あの者は、自分が悪いことをしたという自覚が(いま)だ芽生えておりません」
「そうですね、社会経験及び他者との交友関係での経験の積み重ねが乏しく、両想いという誤信(ごしん)……その後も人生における誤信を繰り返した哀れな者……」
 先生は少し目を細めただけで、久野を読み取っていた。
「先生、あの者にはまず、自分が犯した罪を“わからせ”ましょう!」
 万両さんの言葉はいつも力強い。
「”わからせる”というのは難しいのです……自分で気づかないと。でも心配には及びません」

 侵入者を、私達はモニターで注視していた。
六名は池のほとりに上陸してから、所在(しょざい)なさげに彷徨(さまよ)ったのち、橋の上に集まったかと思うと、ドボンドボンドボンと池の中に落ちていった。
以前、ペンギンのように見えたのはこれだったのか。

 先生は言った。
「彼らは濁った水でないと呼吸ができないのです。きれいな水を渇望しても、その水は彼らには苦い……そしてまた分相応(ぶんそうおう)な階層まで沈み込む、その繰り返し」

 私と万両さんは橋のたもとまで走って、池を覗きこんだ。
すでに六人の姿は無く、蓮の花が風に揺れるばかりだった。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み