お弔い

文字数 1,999文字

 携帯端末に珍しい人物からの着信があった。
 仕事を終えて、着替えるために自分のロッカーを開けた私はそれに気づいて端末を手に取る。付き合いの長さのわりに気安く連絡をしてくるような相手ではない。なにがあったのだろう。そそくさと着替えをすませ鞄を持って職場を出ると、途端にむっとした熱気に包まれる。
 電話を折り返すと何度めかの呼び出し音のあと回線が繋がる音がした。
「秋葉くん?」
 電波が悪いのか返事は聞こえない。
「遠藤ですけど」
「うん」
 微かな声が答える。
「どうしたの、なにかあった?」
 しばらくの沈黙のあと、彼はぽつりと告げた。
「おばあちゃんが死んだ」

 私はその足で故郷へ向かう新幹線に乗り込んだ。
 高校を卒業後、就職してからは一度も実家に帰っていない。実家は地方の県庁所在地にあるものの因習(いんしゅう)の残る田舎町で、それに染まりきった両親とは折り合いが悪く、私は逃げるように故郷を出て就職した。
 秋葉くんは祖母と二人で暮らしていた。子どもの頃から両親の姿はなく彼は祖母に育てられた。就職先も年老いた祖母の家から通える条件で選んだと聞く。
 その唯一の家族である祖母が亡くなったという。

 すっかり日が暮れた頃に故郷の最寄り駅に着いた。
 駅前のコンビニに立ち寄り、香典袋と、迷ったすえ適当にお弁当や惣菜、飲みものなどを購入する。
 電話で彼がいうには、祖母が亡くなったのは半月ほど前で今はもう落ち着いているとのことだった。差し入れを渡して少しようすを見て、お焼香をすませたらすぐにとんぼ返りで帰るつもりだった。
 というか、わざわざ夜分に押しかけずとも明日は土曜日で週末なので、日付が変わってから訪ねるべきだったのではないかと今さらながら気づく。話を聞いて、いてもたってもいられなくなりこうして来てしまったものの、かえって迷惑なのではないか。
 電話で「今から行く」と告げたとき彼はすんなりと「うん」と受け入れてくれたが、本当は迷惑だったのでは。

 しかしそんな懸念は実際に彼の家を訪ねてその顔を見た瞬間、消し飛んだ。
「わざわざ悪かったね」
 玄関先に出てきた彼はげっそりとやつれていた。元々の柔和(にゅうわ)な顔立ちは様変わりして目つきまで鋭くなっている。私は絶句した。
「どうぞ、上がって」
 うながされて、はっと我に返り靴を脱ぐ。
「お邪魔します」
 年季の入った仏壇の前に座りお焼香をすませる。
「このたびはご愁傷さまです。あの、これ、御香典と、よかったら差し入れ」
「ありがとう。気を遣わせて申し訳ない」
「そんなこと」
 部屋中に漂う線香の匂いと煙がなぜか妙に鼻につく。
「連絡をもらうまで知らなくてごめん。私、実家とは音信不通だから」
「いや、僕のほうこそ。遠藤さんはこの町に帰ってきたくないだろうと思ったから、本当は知らせるつもりはなかったんだけど」
「そんな、水臭い」
「うん」
 彼は柱に寄りかかるような姿勢で足を投げ出して座っている。乱れた前髪。シャツは襟元がはだけて着崩れた印象を受ける。普段のおっとりとした端正な姿は見る影もない。私の視線に気づいた彼は暗い眼をして尋ねる。
「どうかした?」
 このままではよくない。それだけははっきりと感じた。
「私にできることがあれば」
 彼は目を細めて唇を歪める。
「抱かせろっていったら?」
「え」
「できないでしょ」
 聞き間違いかと思った。けれど挑発するような彼の眼差しが私を試しているのがわかる。
 今、彼の手を振り払ったらきっともう二度と会えなくなる。そう思った。だから私は彼の挑発に乗った。

 彼は乱暴な手つきで性急に私を抱いた。まるで溺れる者ががむしゃらになにかにしがみつこうとするように。行為そのものとは裏腹に色っぽい雰囲気など微塵(みじん)もなく、それはさながら死の(ふち)に立つ彼と、彼をこちら側に引き戻そうともがく私の一騎討ちに等しかった。
 この方法が正しいとは思わない。
 けれど正しさだけではどうにもならないことがある。

 事を終えたあと彼は力尽きたようにおとなしくなりそのまま眠った。目の下の(くま)()げた頬。おそらくずっと寝ていなかったのだろう。この状態の彼をひとり残して帰るわけにもいかず、週末のあいだ私は彼の家に(とど)まることになった。
 翌日、目を覚ました彼を風呂場へ連れていき頭のてっぺんから足の爪先まで磨き上げ、前日買ってきたお弁当に簡単な味噌汁を作って食べさせた頃には、彼はようやく人心地ついたような顔つきに戻っていた。

 私の血と肉とを引き換えにして無理やりこの世界に引き戻した彼は、なぜかすっかり私に依存するようになっていた。真夜中、寝ているときに急に起こされてなにごとかと思えば、
「よかった、生きていた」
 などという。そう簡単に死ぬつもりはないが、こうなった以上、彼を残して先に()くわけにはいかない。
 
 今はもう友だちではなくなった彼と暮らしながら、ひとりの友人だったあの頃の彼を今も懐かしく思い出す。
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