第3話 小さな奇跡

文字数 1,298文字

 おばあちゃんとの生活も、半年が過ぎようとしている。長かったような、短かったような。未だに、戸惑うこともあるけれど、大分慣れてきた。
 でも、問題はパパだ。仕事そっちのけで、しょっちゅう覗きにくる。事情は近所の人もお巡りさんも知っているから、堂々と不審者まるだしだ。心配する気持ちはわかるけど、少しはこっちの身にもなってほしい。
 一方、当のおばあちゃんは気楽なもので、毎週月曜日になると、1日中散歩に出かけていた。お弁当持参で。
 わたしが、
「どこに行くの?」
 と聞いても、
「ぶらっと歩くだけよ、フフ」
 と楽しそうに微笑むのよね。どうみても、それだけとは思えない。
 そういえば、今日は月曜日だ。夏休み中のわたしは、おばあちゃんの散歩に付き合うことにした。
 家の前にある坂道を登っていたわたしたちは、途中で30歳代の男の人と出会った。
 驚き顔のわたしに、その男の人はいたずらっぽい笑顔のまま、”シッ“と口の前で人差し指を立てた。
「始めまして。僕もぶらっと散歩しているので、ご一緒してもいいですか?」
 男の人が爽やかに尋ねると、それまで俯いていたおばあちゃんは、少女のように耳まで真っ赤に染めて頷いた。
 わたしは不思議でならないけど、 結局2人の後ろからついていくしかないんだよね。

 3人が坂の頂上に着くと、そこから海辺の町が見下ろせた。そのとき、わたしはやっと思いだした。
 ここは昔、おばあちゃんがおじいちゃんとデートした場所だと。
「おじいちゃん、ごめんね」
 わたしは、心中で謝った。でも、おじいちゃんなら、許してくれるよね。
 おばあちゃんから手作りのお弁当を勧められた男の人は、美味しそうに食べながら、いろんな話をした。最初は、はにかんでいたおばあちゃんも、すっかりおしゃべりになっていたっけ。わたしはきっと、眩しそうに、おばあちゃんを見ていたことだろう。

 気がつくと、もう夕方。
 帰り道、3人は出会った坂の途中で足を止めた。
「今日はごちそうさまでした。とてもおいしかったです」
 男の人が優しい笑顔でお礼を言うと、
「こちらこそ、すごく楽しかったです。フフ」
 微笑んで背を向けたおばあちゃんは、踊るような軽い足取りで歩いていく。
 そのとき、男の人がわたしに耳打ちしてきた。
「おやすみ、香」
 だから、わたしもおばあちゃんに聞こえないように、小さな声で答える。
「おやすみ、パパ 」
 そう、その男の人はパパだったんだ。
 約束なんてなにもない。だって明日になれば、おばあちゃんは覚えていないんだから。
 それでも、来週の月曜日にはまた、ポニーテールと水玉のワンピースと赤いハイヒール姿で、この坂をぶらっと散歩するに違いない。
 そして、若い頃のおじいちゃんにそっくりなパパと、“初めて”出会って、胸キュンするんだろうなぁ。
 そうかぁ。おばあちゃんはそんなことを毎週繰り返しているんだ。なんて考えていたら、まだ初恋もしていないわたしは、急に悔しくなった。
 おばあちゃんばっかり、ずるぅい。
 でも、今日のマリさん、素敵。
 嬉しくなったわたしは、マリさんの後ろ姿を追って走り出した。
「待ってよぉ。お姉ちゃんってばぁ」
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