三章 下種

文字数 8,881文字

十二月二十五日。

僕と透と裕美子は早めの昼食を済ませ、談話室で椎名と阿藤を待っていた。


「おっまたせー! じゃ、行こ行こ?」


椎名が元気いっぱいに言う。阿藤は相変わらず、椎名の陰でおどおどしていた。ホテルを出て駐車場に向かう。阿藤が助手席のドアを開けると、椎名が当然のことのように助手席に座り、阿藤がドアを閉めた。そのまま後部座席のドアも開けて中に入るよう促されたので、裕美子、僕、透の順番に後部座席に座る。阿藤は運転席に乗り、車を走らせ始めた。道中、椎名がずっと喋りかけてくるので、僕は内心げんなりした。どうしてもユリアンナ教のことを本にしてほしいらしい。会話しながら暫く経つと、車が減速し始めた。少し開けた場所に、車が十台停まっている。中には小型のバスのような大きい車もあった。阿藤はそこに車を停めた。


「ここです。降りてください」


阿藤は車を降り、助手席のドアを開け、椎名を降ろす。僕達も車の外に出た。


「椎名様、おはようございます!」

「椎名様、おはようございます!」

「椎名様、おはようございます!」


信者達が椎名のもとにワラワラと集まってくる。僕は信者が何人いるか数えた。ひい、ふう、みい。二十七人居る。車にも何人か乗っているのだろうか。カーフィルム越しには見えなかった。どの信者も水着の上にコートやジャンパーを羽織っていて、足元はサンダルだった。


「皆さん! 静かに! しーずーかーにー!」


椎名が少し声を荒げる。椎名と阿藤がお忍びで別のホテルに宿泊している理由が分かった。信者達に囲まれて、ずっとこの調子ではたまらないだろう。


「はいはーい、ちゅうもーく! 紹介するね! 今回、ユリアンナ教の活動を見学しに来た三人だよ!」


一斉に僕達に視線が集まり、僕は少し息苦しくなる。


「どうもー。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

「よ、よろしくお願いします」


透と裕美子が明るい声で言ったので、僕はなんとかそれに続いた。信者達が『よろしく』と返事をする。


「じゃ、こころ。後は任せたから。さっさとやっちゃって」

「はい」


阿藤が車のトランクからラジカセとメガホン、蓮の花束と三個入りの桃のパックを数個と、大量の謎のカプセルが入った半透明の袋を取り出し、車と椎名の隣を何度か往復した。そして椎名に蓮の花束を渡すと、残りは自分の足元に置き、メガホンを持って信者達に向けて話し始めた。


『え、あ、あー。み、皆さん、おはようございます』


『おはようございます』の声が不揃いにあがる。


『それでは、黄泉還りの儀式を行います。まずは、黄泉還りの詩を聞いてください』





『尾、尾、尾、鳩尾、尾。
 お山で採れた水蜜桃。海に向かって投げりゃんせ。
 赤き石を捧げたら、二拝、二拍手、一拝を。
 こうべを垂れて祈りゃんせ。
 露の陽より出づる者、黄泉より来る亡者なり。
 未練絶たせて浄土を示す、蓮の花を食わしゃんせ。
 命廻りて再び還る。お前のもとにやって来る。
 尾、尾、尾。鳩尾、尾』





『詩の通り、まず、桃を海に投げ入れます。その次に、ルビーを海に投げ入れます。ルビーは一粒が小さいので、大きなカプセルに入れて海に投げ入れます』


阿藤はカプセルの一つを取り出し、力を込めて開けた。中には指輪にするのに丁度いいサイズのルビーが三粒入っていた。信者達から歓声が上がる。阿藤はルビーをカプセルに入れなおすと、力を込めてカプセルに封をした。


『ルビーを投げ入れたら、二回、頭を下げ、二回、拍手をし、一回、頭を下げます』


ゆっくりと二拝、二拍手、一拝をして、阿藤は続けた。


『二拝、二拍手、一拝のあと、亡者が海からやってきます。その亡者に、椎名様が蓮の花束をお渡しします。皆さんは、亡者役です』


椎名は蓮の花束を抱えて、にっこりと微笑んだ。


『海に投げ入れたルビーは、一人何個でも、お持ち帰りしていただいてかまいません。海は寒いので、皆さん、しっかりラジオ体操をして身体を伸ばしてから、海に入ってください。絶対に無理はしないように。繰り返します。絶対に無理はしないようにしてください。それでは、ラジオ体操を始めます』


阿藤は僕達の方を見て、言った。


「見学者の皆さんも、ラジオ体操してください。同じ動きをすることで一体感が生まれますから」

「わかりました」

「では、音楽を流しますね」


ラジカセからラジオ体操の音楽が流れ、信者達が音楽に乗せて身体を動かし始める。僕達もそれに従った。ラジオ体操が終わった後、皆、思い思いに身体を伸ばす。その様子を暫く眺めた後、阿藤がメガホンを持った。


『では、桃を投げ入れます。一人一個配りますから、できるだけ遠くに投げ入れてください』


信者は阿藤の前に並び、一人一つ、桃を受け取る。阿藤は信者に桃を渡し終わると、僕達にも桃を渡した。捨てるには勿体ない美味しそうな桃だ。信者達が桃を海に向かって投げ入れる。冬の海は寒くてたまらないのに、非常に穏やかな雰囲気だった。


「なぁんか盛り上がりに欠けるのよねー。こころ、ちょっとメガホン貸して」

「は、はい・・・」


椎名がメガホンを持つ。


『皆さーん! おはようございまーす!』


『おはようございます』の声が揃った。阿藤との差が酷い。


『今からルビーを配りまーす! 阿藤さんのところに取りに来てくださーい! カプセルを取ったら海に投げてくださーい! 自分が後で拾いやすいようにってズルしちゃ駄目ですよー!』


信者が阿藤の前に集まり、カプセルを手に取ると海に投げる。椎名が僕達もカプセルを投げることを勧めたので、大人しく言われた通りにする。透が投げたものは少し遠くに落ちた。信者達の批判の目が痛い。僕と裕美子の投げたものは近いところに落ち、沈んでいった。


『はーい! 全部投げ終わりましたねー! では、寒中水泳しましょー! ルビーは一人何個でも持ち帰っていいですからねー! 頑張って拾ってくださーい!』


十二月の海に、信者がざぶざぶと入って行く。冷たい、寒いと嬉しそうに声をあげながら、ルビーを探し始めた。


「ここって遊泳していいのかな・・・」

「そもそも町に許可とったんやろうか・・・」

「んー? 何の話してるのー?」


小声で話し合っていた裕美子と透に、椎名が話しかける。


「ああ、いやいや、寒いのにすごいなあって」

「あー、そうだよね。ルビーにつられて、皆、馬鹿だよね」


椎名は今までの言動からは信じられない、聖母のような微笑みを浮かべて、言った。


「だから、死んじゃうんだよね」


僕達は顔を顰めた。椎名が右手を素早く天高く突き上げる。すると、車の中から濃紺の作務衣を着た人達がボウガンを持って出てきた。透が咄嗟に僕と裕美子を背に庇う。作務衣の人達は僕達には目もくれず、海ではしゃいでいる信者達に近寄っていくと、ボウガンで狙撃し始めた。


「ぎゃあああああああ!!」

「うわあああああああ!!」


あっという間に海は静かになり、海に血の膜が浮いた。


「な、なんてこと・・・!」


椎名は海に向かって二拝、二拍手、一拝する。


『あああああああああああああああああああああ・・・!!』


地面が揺れた。そして海から、不気味な鳴き声が響いた。不安を煽るサイレンのような、不吉な声。


「なん・・・や・・・?」


海から、人間の子供の形をした真っ黒な『なにか』が来た。


「『美樹ちゃん』!」


椎名が涙を流す。その顔は笑っていた。蓮の花束を椎名が『美樹ちゃん』と呼んだそれに食わせる。


「美樹ちゃん! 帰ってきた! 六歳なのに、こんなに小さくて、痩せてて・・・! ママのせいだね・・・! ごめんね! ごめんね!」

『お・・・が・・・あ・・・ざ・・・ん・・・』

「弱いママでごめんね! ママは強くなるからね! 『あの人』だって、利用してやるんだから!」


椎名は美樹ちゃんを抱いて、頬を擦り寄せた。


「どういうこと・・・なの・・・」


裕美子が呟く。阿藤は縮こまって震えている。


「あたし、馬鹿だから説明が下手だけど、全員、耳の穴かっぽじって聞いてね」


椎名は僕達の前に立った。


「ミーちゃんのお告げは大天使ミカエルの声じゃないの。あたしの息子、『美樹ちゃん』の声なの。美樹ちゃんは魂だけの存在だから、どこへでも飛んでいけるんだよ。一瞬で飛んでいけるんだよ。そして、他人の心に干渉して、何を考えているか知ることができるの。アハハ、どいつもこいつも馬鹿ばっか。それっぽいこと言ってれば、当たる、当たるって言ってお告げを有難がる! それで、自分では何も考えなくなって、あたしの言う通りに動く! あたし、宗教って、ユリアンナ教って大嫌い!」


椎名は吠えた。


「美樹ちゃんが教えてくれたんだよ。沢山の人間の命を捧げれば、美樹ちゃんは蘇るって。だから、あたしの財産の全てを注ぎ込んで、今回のルビー祭りを計画したんだよ。美樹ちゃんは蘇ったの!」


そして椎名は、僕を指差した。


「お前だよ、お前! 原田優! 『あの人』そっくりなお前を見る度、あたし、怒りで頭がどうにかなりそうだった!」

「『あの人』って、一体誰なんですか!」


僕が問う。


「『七瀬蓮』。お前の父親。そして、あたしの父親」

「・・・え?」


ざあざあと波が打つ。


「お前の父親の名前は『七瀬蓮』。『七瀬製薬』の代表取締役社長だよ!」

「そ、そんな馬鹿な。七瀬製薬っていったら日本国民で知らない人は居ない大企業じゃないですか。そんな人が、僕の父親?」

「そしてあたしの父親よ!」

「じゃ、じゃあ、僕と貴方は、兄妹・・・?」

「そうよ! そこに居る阿藤こころも、お前の妹だよ!」


僕は混乱した。七瀬製薬の製品は全国の薬局に置いてある。使ったことのない人間は居ないだろう。テレビのコマーシャルでも見ない日はない。そんな人間が、僕を含めて三人の子供を作っている。


「あたし、知ってるんだ! どうして『あの人』が、パパがお前を尾露智町に呼び出したのか! 美樹ちゃんに教えてもらって知ってるんだ! あんたは、」


ザシュ、と嫌な音がして、椎名の言葉は形にならなかった。椎名の太腿に、ボウガンの矢が刺さっている。


「あ、あああ、ああああああああああああああああーッ!!」


椎名は美樹ちゃんを抱え込む。その頭部に、

ズシャ。

と、トンカチが振り下ろされた。


「優の・・・お父さん・・・?」


白いコート、黒い手袋、服、靴。僕によく似た男。


「やあ、裕美子君」


僕によく似た声で、父は、七瀬は言った。


「会いに来てくれて嬉しいよ、優」

「あ、『会いに来た』だと!? 脅迫しておいて!!」

「本当に悪いと思っているよ。平穏な生活を送っているのに、巻き込んでしまって、申し訳ない。さて、それより、この異常事態を終結させないとね」


七瀬は椎名を足で転がした。


「どうして・・・ここに居るの・・・? あたしの方が先に、お告げで原田優を見つけ出したのに・・・」

「小賢しいガキだな。こころは従順だぞ」

「・・・そっか、こころがバラしたんだ。こころが、あたしの計画を台無しにしたんだぁッ!!」


美樹ちゃんはキィキィ鳴いている。


「どうしてあたしを解放してくれないの!? 子供は親の道具じゃない!! あたしはあんたの道具じゃないんだ!!」

「俺の稼いだ金で生活しているくせに、何を言ってるんだ? 自立の機会なら子供達には平等に与えてきた。それも一度や二度じゃない。何度もだ。お前は俺から離れることを選ばず、かわりに裕福な生活を手に入れた。充分、美味しい思いはしてきただろう? だが、もう利用価値もないな」


椎名は鼻血を垂らしながら、必死に叫んだ。


「あたし、パパの言うことなんでも聞いてきたよね!? パパのためなら何でもしてきたよね!?」

「八重歯を直せって言ったのに治さなかったじゃないか。それにお前は、勉強してこなかった。俺はブスと馬鹿が嫌いなんだよ」

「だからって殺すことないじゃない!! 美樹ちゃんを殺さなくてもよかったじゃない!!」

「これ以上話しても無駄だな」


七瀬はトンカチを椎名の頭に振り下ろす。振り下ろされるたび、椎名は口から、耳から、そして目から血を流す。それでも椎名は美樹ちゃんを抱いたままだった。


「あー、もう、鬱陶しいな」


椎名は死んだのか、もう抵抗していない。七瀬は椎名の腕をどかして、美樹ちゃんの頭にトンカチを振り下ろした。


『あああああああああああああああああああーっ・・・!!』


不安を掻き立て頭痛を催す鳴き声だ。威嚇しているのだろう。


「ハハハ! 生まれてもないくせに死ぬのか? 禅問答だな。人間の魂はいつどこで作られるのやら」


楽しそうに笑う目元に小皺がある。衣服が汚れることも気にせず、七瀬はトンカチでリズムを刻むように美樹ちゃんも殺した。美樹ちゃんは動かなくなった。


「海に捨てておけ」


作務衣の人達が椎名と美樹ちゃんを荷物のように抱え、海へ投げ入れた。七瀬は阿藤の前に立つ。阿藤はひたすら震えていた。


「お、お父さん、『知美には逆らうな』っていう命令通りにしました。ちゃんとお父さんに報告もしました。わ、私は・・・」

「安心しなさい。こころには怒ってないよ。それより車を運転してくれないかな。息子と、その伴侶と、姉と話がしたいんだ」

「は、はい」


七瀬は作務衣の人達に指示を出し、全ての車に運転手を乗せ、車を発進させた。僕達はボウガンで脅され、僕と透と裕美子、阿藤、七瀬と、ボウガンを持った作務衣の人二人で、大きな車に乗った。運転席に阿藤、助手席に七瀬、一番後ろの席に作務衣の二人、真ん中の席に僕と透と裕美子が乗った。


「こころ、知美が何を企んでいたのか、聞かせてやりなさい」

「は、はい・・・」


阿藤は非常に怯えていた。対する七瀬は窓に頬杖をつき、外の景色を眺めていた。


「知美は十八歳の時に妊娠しました。お腹の子供の名前は『美樹』に決めていたんです。性別が男だとわかると、父の財産の相続権は美樹ちゃんにあると主張し始めたんです。父は、お腹の子供を堕ろすかわりに大金をやると知美に言いました。知美は、一度はそれを受け入れたんです。でも、堕胎してから統合失調症に罹って、『美樹ちゃんの声が聞こえる』って言い始めたんです。それで優さんのことを知って、優さんを交渉材料に、父と縁を切るつもりでした。『手切れ金』としてお金も貰うつもりでした。そして、黄泉還りで蘇らせた美樹ちゃんと、幸せに暮らすんだって・・・」

「はい、よく出来ました。後は運転に集中してください」

「は、はい」

「さて、隠しても仕方のないことは全て喋ってしまおう。優、お前を見つけたのはあの馬鹿の計画をこころが報告してくれたからなんだ。俺はオカルトとかスピリチュアルなことは信じていないんだけど、在るんだね、こういうことも」


七瀬は軽く笑った。


「知美は俺に隠そうとしてたけど、こころのおかげで筒抜けってわけだ。馬鹿だったろ、あの女。きっと母親に似たんだろうな。俺は何人も子供を作ったけど、俺に似てるのは優、お前だけだよ」

「で、その息子を脅迫してどこに連れて行くんです?」

「焦るなよ。お前に聞かせたい話があるんだ。俺の昔話さ」


七瀬は煙草を取り出し、火を点けて吸う。臭くて白い煙が車内に漂った。


「俺さ、男娼なんだ。男も女も関係なく寝る。春を鬻いで今の地位や権力、財産を得た」


唐突な告白に、僕は思わず息を呑んだ。


「人間って顔が良いと性格がクソでも愛せるんだよ。俺はそうやって男も女も年上も年下も関係なく身体を重ねてのしあがってきた。何でもしたさ。男なら、俺と過激なプレイを楽しんでいるところを撮影して、それを弱味として強請った。女なら、仕事を与えて、それでも駄目なら子供を作った。不思議と生まれてくるのは女のガキばっかりだったけどな」


胸糞の悪い話だ。


「そのガキも何人居ンのかな。数えたことないけど三十人くらいかな。一番年上が知美で、一番年下は四歳のガキだよ。顔が良けりゃ男に売る。頭が良けりゃ仕事をさせる。そうやって、今の七瀬製菓は回ってる。でも、あと一息なんだ。今の俺の立場は『代表取締役社長』。『社長』なんだ。一番上は『会長』」


七瀬は携帯灰皿を取り出し、煙草の吸殻を捨てた。


「会長のクソ爺は病で長くない。爺の気に入るものを納めれば次期会長の座は俺のものだ。そのためには、こころ、優、お前達が必要なんだ」

「僕に何をさせようって言うんです!」

「こころ、お前は良いだろう?」


僕を無視し、七瀬は阿藤に問いかける。


「わ、私、会長にお会いして『お遊戯』をするのが、なによりの悦びなんです。お父さんが会長になった後も、『お遊戯』をさせてくださいますよね・・・?」

「勿論だ。お前は顔は駄目だが頭は抜群にいい。普段、内気なのが『お遊戯』になると開放的になるのも魅力的だ。俺はお前を愛しているよ」

「・・・エヘヘ、私は、いいですよ」

「優。お前には会長のペットになってもらう」


僕は唖然とした。


「なぁに、あのクソ爺、ずっと咳をしているから精力剤なんてものは打てないし、枯れて勃たないから本番はないだろうよ。まあしゃぶらされたりはするだろうけど」

「ふざけんな!! 殺すぞお前!!」


透が掴みかかろうとしたのを、後ろの席に座っている二人が抑える。それでも透は暴れていた。


「君には感謝しているよ、原田透。優を調教する手間が省けたんだからな。男の穴は手間暇がかかる。知ってるだろう?」

「クソッタレ!! それでも父親か!!」

「生憎、俺の親は『まとも』じゃなかったんでね。世間一般で言う『父親らしさ』なんて分からないのさ」

「このぉッ!! 鬼畜外道が!!」


七瀬の肩を透が掴み、引っ張る。作務衣の一人が透の首に腕を回し、締め上げた。


「ちょっと!! やめてよ!!」


透を掴んでいる作務衣の顔に、裕美子が拳を打つ。男は怯んだが透を放さない。それどころか、もう一人の作務衣が裕美子の右腕を両手で掴み、折ろうとしていた。


「や、やめろ!!」

「おい、やめろ」


作務衣の二人は透と裕美子を解放する。透はゲホゲホとせき込み、裕美子は腕を擦った。


「俺は『永遠に』ペットになれって言ってるんじゃない。長くて一年だ。透君と裕美子君も付属品として献上しよう。きっと喜ばれるよ」

「そうか、僕を呼び出したのは、会長の身体が移動に耐えられないからか・・・」

「ご名答。賢い子は好きだよ、優」


七瀬はにっこり笑った。


「透さん、裕美子。隙を見て脱出しましょう」


しかし僕の言葉ですぐに表情を曇らせた。


「・・・前言撤回するべきかな?」

「クソ野郎が!」

「あー、あーあー、そういうこと言っちゃうのか。俺、縛るのも縛られるのも嫌いなんだけどな。大人しく縛られないと、裕美子君の腕を折るよ。腕を後ろに回してね」


僕は大人しく腕を後ろに回した。結束バンドで腕を縛られる。透と裕美子も大人しく従った。


「優、大丈夫だよ」


裕美子はウィンクをした。付き合いが長いから分かる。単なる気休めではない。何か策があるのだ。


「もうすぐ着くよ」


太陽が白から橙に変わっている。山道を少し登ったところで車は停まった。僕達が宿泊しているホテルなんて比べ物にならないほど大きな屋敷があった。広い駐車場に全ての車を停め、作務衣の人に囲まれながら僕達は屋敷に入る。

屋敷の中は豪勢だった。なんと中にエレベーターがある。二階建てのようだ。エレベーターのドアが開いた、車椅子に乗っているのは和装の老人。骨と皮だけの骸骨のような見た目だ。小さく咳をし、ヒューヒューと喉を鳴らしながら、手元にあるコントローラーで車椅子を操作してこちらに近付いて来る。作務衣の人達が整列して道を作り、七瀬と阿藤が頭を下げる。


「ほお・・・」


老人は僕を見て、そう息を吐いた。


「歳は幾つだ」

「・・・三十四歳です」

「なんや、あんまり若くないな。蓮、お前、歳は幾つだ」

「五十二になります」

「ちゅうことは、お前が十八の時の子供か」


老人はケホケホと咳をする。


「『初物』か?」

「いえ、こちらの男が恋人のようですから」


七瀬は透を手で示した。老人の眉が寄る。


「そっちが『ネコ』かもしれんだろ。で、どうなんだ。お前、ええと」

「優です。原田優」

「優か。優。お前は『タチ』なのか『ネコ』なのか」


僕は羞恥で顔が真っ赤になる。


「『ネコ』です・・・」

「なんや、『初物』やないんか。ガッカリやわ」


七瀬の笑顔が固まる。


「お前そっくりの若い男やと聞いて、期待しとったのに」

「申し訳ありません」

「で、なんやその『オマケ』は」

「恋人の原田透と、義理の姉の市川裕美子です」

「透と裕美子ね。透は好みやないわ。『ショー』に使おうかな。女の方は興味ないわ。ああ、でも、こころちゃんとの『レズショー』に使えるかな。とりあえず二人共、当分生かしといたるわ」


老人はパンと膝を叩いた。


「蓮、お前、コレで儂が満足したと思うなよ」

「はい」

「お前ら、今日はもう下がれ。蓮、お前も下がれ。儂はこれから『ショー』を楽しむ。誰も邪魔するな。誰も屋敷に入るな。ええな?」

「かしこまりました。失礼します」


七瀬は阿藤を残し、作務衣の人達を連れて屋敷を出て行った。車が遠のく音がする。


「・・・こぉこぉろぉちゃぁん!」

「おじいさまー!」


老人は先程までの態度が打って変わって、孫を甘やかす好々爺のような声色を出した。


「じぃじ、こころちゃんに会いとうて会いとうて! 今夜はたぁっぷり楽しませてくれるんやろぉ?」

「はい! こちらの新入り三名に『ショー』を見学させようと思うんです」

「なんや、参加させるんやないんか?」

「『奴隷』が一匹残っているでしょう? あれ、潰しちゃおうと思うんです。今日を含めて三日かけて潰しますから、今夜は過激な『ショー』にします。自分達が最後、どんな死にざまを迎えるのか、何も知らないで怖がっているより、知ってて怖がっている方が観察していて楽しいと思うんです。いい考えでしょ?」


阿藤はウィンクをした。


「分かった! こころちゃんに任せる! こういうのは、こころちゃんに頼むのが一番や!」

「ウフフ、興奮しすぎて死なないでくださいよ!」

「ハハハ、そりゃ無理な相談! こころちゃんは魅力的やからな!」


二人は笑い合った。
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