莉莉は墓の中
文字数 1,998文字
冷気と埃っぽさ、すえた匂いで目が覚めた。
耳の中に水が入ったような感じがする。喉と胃が熱い。
手を伸ばすと硬い感触があり、新しい木の匂いがして、思い出した。
私の名は莉莉 という。家の裏で賊にさらわれ、豪商に妾として売られた。だが豪商は私に会う前に死に、私は殉葬されることになった。つまり、道連れで死ぬことになった。覚えているのは、押さえつけられて甘くて苦い杯を煽ったところまで。
先ほどからのすえた匂いは薬をはき戻して息を吹き返したからだろう。喉の奥がヒリヒリと痛む。
目覚めなければよかったのに。
意識を失う直前の覚悟を返せ。墓の中で生き返っても死を待つばかり。踏んだり蹴ったりだ。副葬された刀剣でも探して、喉を貫き墓を汚してやろうか。そんなことを考えたせいか、少し離れたところから声がした。
「おはよう、いい夜だ」
低く透き通った男の声。
「……あなたは旦那様? 誰?」
私は後退り、背中はすぐに冷たい壁にたどり着く。
人は死ぬと魂と魄に分かれると聞く。魂は神となり宙を漂い、魄は鬼となり地へ帰る。鬼は現世を漂い、人に仇をなすことがある。
とすれば、この声は鬼となった旦那様? しかし私を買った男は老人と聞いた。声の感じはもう少し若い。
「旦那様ではないよ、見る目がないね」
ならば盗掘だろうか。ただ、空気の流れを感じない。出入口があるなら空気が流れているはずだ。あるいは鬼が死に誘われ現れたのか。
「私は目が見えないわ」
生まれつきだ。だから、真っ暗でも怖くはなかった。
「それは失礼した。まあ、どうせ真っ暗で何も見えないだろうが」
「あなたはここで何をしているの?」
「さて、なにをしようかね?」
男は面白がるような声でいう。
「ここから出してほしいか?」
ここから出る。だが、出てどうなる。旦那様の家人にみつかってここに戻されるか殺されるのがオチだ。
何日もかけてこの町に来た。家の場所もわからないし帰れない。最後に家族に会いたかった。突然訪れた別れ。優しい父と母、まだ小さい妹の私を呼ぶ声が耳に残る。
「……家まで送ってくれるとでもいうの?」
「まさか。それに対価はもらう」
鼻で笑うような声がした後、突然、左手首が冷たいものに捕まる。息が詰まり、喉の奥でヒュッという音が出る。
「外に出るのに腕一本、とか」
私の左腕を丁寧に持ち上げながら、からかっているのか本気なのかわからない声音が耳元でささやく。
「結構よ。どうせ出ても捕まって殺されるわ」
気を張って答えると、左手は急に支えを失い、すとんと地面に落ちる。
「ふん、そうか」
興味を失ったような声が遠ざかる。
遠ざかる声に、急に、心細さを感じた。
見えないのはいつもだから気づかなかったけど、現れては消える風の音、ざわめきや雑踏、土や木や食べ物などの賑やかな匂い。ここにはそれもない。
男と自分の声しかなく、匂いも地面に落ちて動かない。ここでは私以外の全てが死んでいる。急に恐ろしさがこみ上げた。
それを見透かしたように、男は言う。
「ここで見知らぬ老人と二人で朽ちて、おしまい」
「……なにが言いたいの? 腕なら好きに持っていけばいいわ」
「いらないものをもらっても仕方ない」
つまらなそうに言う。
「死ぬならさ、君の皮、俺にくれないか?」
「……皮?」
「そう、奇麗に伸ばして俺が着る。気持ち悪いだろ?」
くくっと笑う声がする。何をいう。嫌に決まっている。
「その代わり、君の魂を一度だけ望むところに連れて行こう」
「勝手に持っていけばいい」
「だめだ。わかってないな。俺は君の望みを一つかなえ、君は自ら対価を差し出す。これで対等。君の魂は漂いながら、君の皮と名前で装った俺が、君が嫌がることをたくさんするのを見て苦しむがいい」
結果が分かって自分で差し出すんだから、仕方ないとか知らないなんて言わせない。事前説明する分、良心的だろ、と歌うように言う。
だけど私は、望むものなんてない。
「最後に家族に会いたいんじゃないか? 家族には何もしないと誓う。選べ」
見えない目を見開く。父さん、母さん、小さな鈴鈴。とても会いたい。でも。私の皮? 私のふりをして何をするの?
「どうせ死ぬんだろう? 勝手に持っていけといったじゃないか」
私は死ぬ。ここを出ても殺される。どうせ持っていかれるなら最後に。
「家に帰りたい」
思わず言葉が零れた。
「君の名前は?」
「莉莉。あなたは?」
「俺は……グウェイとでも呼べ。選んだのは莉莉だ。たくさん後悔するといい」
優しそうな声が聞こえた直後、喉が圧迫され、私の意識は途切れた。
志怪小説では、災厄でこの町が焼失した時、屋根の上に目のない少女の姿が見られたと記録されている。
耳の中に水が入ったような感じがする。喉と胃が熱い。
手を伸ばすと硬い感触があり、新しい木の匂いがして、思い出した。
私の名は
先ほどからのすえた匂いは薬をはき戻して息を吹き返したからだろう。喉の奥がヒリヒリと痛む。
目覚めなければよかったのに。
意識を失う直前の覚悟を返せ。墓の中で生き返っても死を待つばかり。踏んだり蹴ったりだ。副葬された刀剣でも探して、喉を貫き墓を汚してやろうか。そんなことを考えたせいか、少し離れたところから声がした。
「おはよう、いい夜だ」
低く透き通った男の声。
「……あなたは旦那様? 誰?」
私は後退り、背中はすぐに冷たい壁にたどり着く。
人は死ぬと魂と魄に分かれると聞く。魂は神となり宙を漂い、魄は鬼となり地へ帰る。鬼は現世を漂い、人に仇をなすことがある。
とすれば、この声は鬼となった旦那様? しかし私を買った男は老人と聞いた。声の感じはもう少し若い。
「旦那様ではないよ、見る目がないね」
ならば盗掘だろうか。ただ、空気の流れを感じない。出入口があるなら空気が流れているはずだ。あるいは鬼が死に誘われ現れたのか。
「私は目が見えないわ」
生まれつきだ。だから、真っ暗でも怖くはなかった。
「それは失礼した。まあ、どうせ真っ暗で何も見えないだろうが」
「あなたはここで何をしているの?」
「さて、なにをしようかね?」
男は面白がるような声でいう。
「ここから出してほしいか?」
ここから出る。だが、出てどうなる。旦那様の家人にみつかってここに戻されるか殺されるのがオチだ。
何日もかけてこの町に来た。家の場所もわからないし帰れない。最後に家族に会いたかった。突然訪れた別れ。優しい父と母、まだ小さい妹の私を呼ぶ声が耳に残る。
「……家まで送ってくれるとでもいうの?」
「まさか。それに対価はもらう」
鼻で笑うような声がした後、突然、左手首が冷たいものに捕まる。息が詰まり、喉の奥でヒュッという音が出る。
「外に出るのに腕一本、とか」
私の左腕を丁寧に持ち上げながら、からかっているのか本気なのかわからない声音が耳元でささやく。
「結構よ。どうせ出ても捕まって殺されるわ」
気を張って答えると、左手は急に支えを失い、すとんと地面に落ちる。
「ふん、そうか」
興味を失ったような声が遠ざかる。
遠ざかる声に、急に、心細さを感じた。
見えないのはいつもだから気づかなかったけど、現れては消える風の音、ざわめきや雑踏、土や木や食べ物などの賑やかな匂い。ここにはそれもない。
男と自分の声しかなく、匂いも地面に落ちて動かない。ここでは私以外の全てが死んでいる。急に恐ろしさがこみ上げた。
それを見透かしたように、男は言う。
「ここで見知らぬ老人と二人で朽ちて、おしまい」
「……なにが言いたいの? 腕なら好きに持っていけばいいわ」
「いらないものをもらっても仕方ない」
つまらなそうに言う。
「死ぬならさ、君の皮、俺にくれないか?」
「……皮?」
「そう、奇麗に伸ばして俺が着る。気持ち悪いだろ?」
くくっと笑う声がする。何をいう。嫌に決まっている。
「その代わり、君の魂を一度だけ望むところに連れて行こう」
「勝手に持っていけばいい」
「だめだ。わかってないな。俺は君の望みを一つかなえ、君は自ら対価を差し出す。これで対等。君の魂は漂いながら、君の皮と名前で装った俺が、君が嫌がることをたくさんするのを見て苦しむがいい」
結果が分かって自分で差し出すんだから、仕方ないとか知らないなんて言わせない。事前説明する分、良心的だろ、と歌うように言う。
だけど私は、望むものなんてない。
「最後に家族に会いたいんじゃないか? 家族には何もしないと誓う。選べ」
見えない目を見開く。父さん、母さん、小さな鈴鈴。とても会いたい。でも。私の皮? 私のふりをして何をするの?
「どうせ死ぬんだろう? 勝手に持っていけといったじゃないか」
私は死ぬ。ここを出ても殺される。どうせ持っていかれるなら最後に。
「家に帰りたい」
思わず言葉が零れた。
「君の名前は?」
「莉莉。あなたは?」
「俺は……グウェイとでも呼べ。選んだのは莉莉だ。たくさん後悔するといい」
優しそうな声が聞こえた直後、喉が圧迫され、私の意識は途切れた。
志怪小説では、災厄でこの町が焼失した時、屋根の上に目のない少女の姿が見られたと記録されている。