始点1

文字数 4,169文字

「……あら、今日は早かったんじゃない?」
「いつも通りだよ。日が長くなっただけ」
「そう? まあ確かにそうかもねぇ。一週間ぶりだからそう思ったのかもしれないわ。学校はどう?」
「もう春休みだよ」
「そっか、高校三年生って、二月は学校行かないものよね。成実はもう進路が決まっているんだものね。流石だわ」
「別に、面接官との相性が良かっただけだよ」
「あ、あなた方、一体何をされているんです?!」
 その頓狂な声は、鳥居の下に立ち竦んでいる男のもので、僕は母親と顔を見合わせた。母親はいつもと変わらず、血塗れのままであった。
「じゃあ私はもう行くわね」
 母は僕を残して社の奥に広がる松の木々に紛れて消えていった。第三者の介入から逃れるのは無責任に思うが、母を呼び出したのは僕であるから責めることは出来ない。
「き、君、一体何をしていたんだ! 今の血塗れの人は?! というかさっきの人地面に足が付いていなかったよな?!」
「そうだったかもしれないですね」
 鳥居の下にいた男の人が言い迫りながら僕の目の前に立ち塞がる。声がでかい割に小柄である。恐らく一六五センチに満たない。その男が右手に手帳を持って僕に突きつけるようにして見せてきた。
「一応僕も警察の者だから聞くがね、君はさっきの女性とどういう関係なんだね?!」
「あれは、自分の母親です。五年前に死んだ母です」
「それは本気で言ってんの?」
 男が絵に描いたようなアホ面を浮かべる。そうなるのも無理はないだろう。可笑しいのは僕なのだ。
「そうなんですよ。五年前の殺傷事件で死んだんです。報道でも取り上げられていたので、当時は僕が迷惑するくらいでしたよ」
「五年前っていうのは……まさか、あの撲殺魔事件か?」
「それです」
 男は少し黙り込んだと思ったら、胸ポケットから黒色の手記を取り出した。
「取り敢えずさっきの女性の、君の母親の名前を聞いても良いか?」
「西木田瑞穂です」
「なるほどね」
 男は片仮名で母の名前を書き記した後、目を細くして僕を見た。
「これが嘘だったら、君には時間を頂くことになるからね」
 そう思われても仕方がなかった。僕がハイと短く返事をすると、男は僕に背を向けて鳥居を潜って何処かへと立ち去って行った。

 春休みで暇を持て余した僕は、翌日は昼の十二時まで就寝に充てた。その後図書館へと足を運び、日没前になって昨日と同様の神社に立ち寄った。
以前はこの神社の付近に住んでいた。だが母の事件を機に、僕はそこから少し離れたところに引っ越して今現在もそこで暮らしている。
今日の目的は母と話すことではなかった。頃合いだろうと思い、境内から鳥居付近に移動すると昨日と同じ姿の人影があった。
「こんにちは」
「どうも。昨日の彼女は、本当に君の母親なんだな?」
「そうですよ」

 南崎(なんさき)と名乗ったその男の提案で、神社から近場にある珈琲店に入った。平日の夕飯時の店内は疎らで、席に通されてからの注文も料理も滞りなく済んだ。その間に話された内容は勿論、母親のことである。
「これだけは聞いておきたいんだが」
 僕は南崎さんが言葉を続けるのを待ちながら、ホットコーヒーを二口含んだ。
「君のその……霊を視る能力をみたボクが、君によって消されるなんてことは無いよな?」
 思わず失笑しそうになったのを堪えたが顔には出ていたらしく、南崎さんは少し眉を潜めた。
「僕を何だと思っているんです。高校卒業控えている人間が、そんなことするわけないじゃないですか。漫画の読みすぎですよ」
「いやいや、高校云々の話じゃないからね? なんなら君とそう年齢変わらない筈なんだけど」
「おいくつなんですか」
「二十だよ」
 南崎さんが徐に携帯を弄る。言われてみれば、二十歳に見える。
「そういえば南崎さんって警視庁の人ですよね? この時間にこんなところに居て、大丈夫なんですか?」
 不用意な外出など出来ないのではないかと思った。まさしく、今の状況のような。
「いや、それはそうなんだけど、それは大丈夫なんだよ」
「と、いいますと」
「これは不用意な外出じゃないから」
 南崎さんは真剣な口調を醸し出しながら、瞳にはなにかしらの期待と好奇心を含ませていた。
「君に捜査協力依頼したいんだ」
 そういうことかと僕は息を付いた。
 別日に再び南崎さんと会うことになった。今度は二十三区内にあるファミレスに入った。値段が高めに設定されている為か日中でも混雑してはおらず、以前と同じように入店後すぐに席に案内された。
 注文をして暫くすると自分の前にはステーキ、南崎さんの前にはグラタンが置かれた。
「それで、僕は何をすれば良いんですか」
 僕は南崎さんからの誘いを断らないにしようと決めた。焼けた肉が、香りの良いソースと混ざり鼻を抜けていく心地良さを味わえるからだ。
 己の財布を気にしなくても良いのなら、いくらでもこの人の誘いに乗ることにしたい。だが、毎回ついていくとそのうち紐を解かなければいけなくなるだろうから、時々に誘いを断れば良いだろうか。
 一口、頬張った。
「単刀直入にいうと、この事件の被害者を呼び出して欲しい」
「……なるほど」
 フォークに二切れの肉を刺した。前に友達と食べに行った店のものより肉が多いように感じるが、多い量で注文してしまったのだろうか。
「でも、なにも知らない状態で呼び出すのは多分無理です」
「む、そうなのか」
「多分ですけど、僕は自分の母という特定の人物を知っているからこそ母を呼び出せるんです。実は母でない人を呼ぼうとしたことがあるんです。無理でしたけど」
 テレビで知った、死んだ人の名前をしたモノを連れてこようとしたことがあったが、それは叶わなかった。
「その対象を詳しく知っていれば呼び出せたりするかもしれないですけど」
「じゃあ、これに目を通してくれれば、確率が上がるかもしれないってことか?」
 南崎さんが鞄からA4サイズのアクリルケースを取り出す。その中には何十もの紙束を認めた。
「それは……どうですかね。やっぱりわかんないです」
「奢ってもらいたいんじゃないのかよ」
「あ、読みます読みます」
 バレていたかと苦笑いしながら、南崎さんからケースの中身を受け取る。今までに無い真剣な顔つきで僕を見据えていた。一番最初に手にした、ホッチキス止めされている資料を一枚捲った。
 青山事件と題されたその事件は、負傷者三名と死者一名を出した巷では有名な事件であったらしい。事件発生は白昼、並木の銀杏が鮮やかに色付く時分であった。当時は通り魔事件として取り扱われていた。
 だが、犯人は捕まっていない。そうして月日が流れて十九年が経とうとしている。大体の検討がついてくるのだが、傷害致死の事件は時効が二十年である。僕が死んだ母を呼び出して会話をしているというような情景をみれば、是非調査協力を、となるだろう。実際に被害者から情報を得られるのだから。僕がその立場だったら、そんなことはしないが。
 そもそも障害致死などで死人が出ているにも関わらず時効が設けられているのは、時が立つことで証拠が集めにくくなり、目撃者の証言の確証性が持てなくなっていくところにも理由がある。
「……読みました」
「そうか」
 僕が読み終えた資料が回収される。南崎さんのグラタンも、僕のステーキ皿もそこにはなかった。
「じゃあ出よう」
 南崎さんに続いて、僕も席を立つ。次に向かうところは大方予想がつく。表参道駅に向かってのびる通りを進み、信号の手前で立ち止まった 。
「ここだよ」
 資料に書かれていた殺傷現場だった。視界に入る信号機が今は赤く灯されている。
「ちょっと、こっち」
 通行の邪魔になると思ったのか、直ぐのところにある路地に入る。先ほどの信号機が青く光った。
「いまここで、呼び出せるか?」
「今ですか」
 突然だと思ったが、南崎さんは端からそのつもりであったに違いないのだ。でなければ僕をもう帰路に就かせているはずなのだから。
 だが、一つ問題があった。
「分からないんですよね、呼び方」
「は?」
 絶句、という言葉が似合う表情をしている。それが面白いと思う反面、そこからどう言葉を続けるべきかと頭を悩ませる。
「じゃあいつもはどうなんだ。いつもは」
「いつもは、あの神社で待っているだけで来るので……」
「まぁーじかよ」
 南崎さんがしゃがみこむ。僕に過剰な期待をし過ぎではないかと感じる。
「じゃあ、あの神社に行って試してみたりとかしたいんだけど」
「でもまだ現場に来て五分とかですよ。もう少し待ってみても良いんじゃないですか」
「逆に言えば五分経っても出てこないんだよね?」
 そういう考え方もある。ただ、死んだ母を呼び出せるだけであって、死んだ人間をホイホイ呼び出せるわけではないとも思える。
 これは能力ではなく、現象に過ぎないのだと。
 その後、神社に向かおうとしたのだが、上司からの連絡により南崎さんは急遽持ち場に戻ることになった。次に会えるときにまた行くからと言い残して。
 僕は一人でいつもの神社に足を運んだ。実は南崎さんが居なくとも、端から行く気ではいた。
「あら」
 乾いた風が吹いたかと思えば、すぐそこに母がいた。
「来たよ」
「見てたわよ。面倒事に手を貸しているのね」
「良いんだ。春休み中は暇だから」
 母はいつもと同じように空中浮遊を続ける。その後ろに広がる空は既に薄暗くなっていた。
「聞きたいことがあるんだけど、母さんはどうして此処に来れるの?」
「どうしてって、ねぇ」
 母は考える素振りをしながら空を見上げたかと思うと、あぁと声を洩らして僕に向き直った。
「目印があったのよ」
「目印?」
「そう。それで、その近くに成実がいたから偶然なのかしらね。でも死人が成実とか、この間いた知らない人に認知されるっていうのは、そういう条件みたいなのがあるのかしらねぇ」
「そうなのかな」
「まあ、春休みだからって、学業を怠らないことよ。足元掬われちゃうからねぇ」
 母は松林の奥へと消えていった。僕は周囲を一瞥してから、携帯を取り出した。
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