第二十五話 ルドラの使い

文字数 4,735文字

空は浅葱。太陽は天頂より、やや手前。木の葉の隙間から覗く白々とした雲たちは、川を泳ぐ魚の如く、ゆっくりと東へと進んでゆく。地域故に肌寒さは捨てられないが、実に好天であるのは、結局は二人が運に恵まれていることを示しているのかもしれない。
森に一足踏み込んだ獣道である。オリビアとグリンデは、ルドラより伝えられていた道を辿り、目的の地であるオルドの町はずれの炭鉱跡を目指していた。
(……予想より早いな)
この恩恵は勿論、白馬シルキーによるものである。緩やかとはいえ斜面を進んでいる。普通の馬であれば、速度は衰え、もしかしたら休息を必要としているかもしれない。シルキーは単に速いだけではない。疲れを知らず、立ち止まる事なく二人を運んでくれている。
(……うむ。おそらくそろそろだの)
斜面を登るにつれ、少しずつ下がる気温。湿度。そして高山地特有の柔らかな木々の香りが、久しくチェルネツの森を出ていなかった魔女に古い記憶を呼び戻しつつあった。百年以上経っているとはいえ、そこまで地形まで変わることはないであろう。グリンデの脳内にある地図と、自身の感覚を照らし合わせた時、やはりその光景は訪れそうであった。
「小娘。馬を少し右に切れ」
「え?」
目印の赤い糸は少しずつ間隔を広げてはいるが、魔女が促す方向にそれはない。しかし、少女の両手が握る綱は素直にその言葉に従った。これまでの道中でもそうであった。いくら旅を共にしてきたとはいえ、幼い少女にとって、長年生きてきた魔女の言葉の圧は重いのだ。口下手な事も相まって、たまに放つ言葉が刺さるようである。
直ぐに、少女の瞼が強い日差しを受けた。数秒遅れて魔女にもそれが届く。
「はて。ここに道などあったかの?」
草こそ生えているが、樹木は生えてない。行手を裂くように、右から左へ直線の更地が姿を現した。グリンデの言うように、幾年か前まで道として使われていたと考えるのが、一般的であろう。
「まぁ良いわ。このまま目の前の森を行け。誤っても馬を駆けさせるなよ」
言葉を受け、再び瞳が影を知ったのも束の間。先程より強い日差しがオリビアを襲い、反射的に腕が瞼を覆った。吹ける風は強く、前髪をすべてさらっていく。
「相変わらず絶景よの」
「うわぁ!」
オリビアが絶句したのも無理はない。遮る腕の隙間から覗いた景色は、これまた実に絶景だったのだ。やけに強い日差しだと思ったが、この光景を見たら、納得せざるを得ない。足元から抉られたように地面が割れ、大きな崖が姿を現したのだ。
見渡す限りの緑。そしてそれを見下ろすように雪掛かる峰々。この景色は今までの道中の苦労を称えるかのようで、自然と喜びが湧き上がってくる。
「いつ見ても美しいものよ」
大半が自分の意志であったが、グリンデの気持ちを察したのもあり、オリビアは白馬に伏せを促した。それに応じてグリンデは白馬の背を降り、崖の際まで歩み寄った。次にグリンデが言葉を発したのは、オリビアがそれを真似てその姿の隣に寄った際である。
「……のう小娘。我らは実に愚かだと思わんか?」
「え?」
魔女が放つ言葉はいつも唐突だ。想像の壁を越えた場所から飛んでくる。
「次から次へと欲しがっておる。大昔からの」
左手を腰に当てがい、右手は酒を転がすかのようである。
「石だなんだを乞いて、この山にも穴ばかり空けおった。こうにも美しい"宝"が近くにあろうに、気づかないでの」
少女はあっけに取られた。自身はこの光景を見て"美しい"だの"綺麗"といった単純な感情が占めていて、そのようなことは想いもしなかったからである。目は文字通り丸くなり、返す言葉はない。
相変わらず棘を含んだ口調だが、毒があるというわけでもなさそうだ。不器用にも、もしかしたら長年生きてきた魔女なりの”経験”を説いているのかもしれない。言葉はまだ続く。
「帰りを待つ者がおって、その者を豊かにしたい気持ちもわかる。物を求めることによって我らは前に進んできた。だが、単純すぎるわい。過剰でもあろう。いつか罰が当たるぞい」
一つ、大きな溜め息が魔女の口から溢れ出た。
「金。宝石。名誉。地位。その欲望はいつまで続くものよ?本に一瞬ではないか?まぁ、そも素晴らしき意匠であれば、後世の心を掴むかもしれんがの。後に何が残ろう。我らが"巣"まで汚すとは何ぞよ。宝とは"もの"であって物ではない。きっと、ふとしたところにあるものよ。それに気づかぬ愚かさよ。我らは実に罪深いのう」
思えば、母にも同じような事を言われたことがあった。あれが欲しい、これがしたい。子供なりに駄々を捏ねた時期があったのだが、その度にこう言われたものだ。『欲張らないの。必要な物なら持っているじゃない。今あるものを大事にしなさい。貴方は十分に幸せ者よ』と。こう言った話の最後が、必ずと言って良いほど『輝かしい未来の為に、今を粗末にしてはならない』という言葉で締め括られたことも鮮明に覚えている。
「ただ……完全に諦めてはおらん。人の美しさを知らんでもない。未来を守るために、進まねばならんのだ」
(……案外、我は人の心を信じておるのかもな)
長く生きるとは、多くを忘れるということでもある。もしかしたら、潜在意識が自分自身を鼓舞するために、この話を口から出させたのかもしれない。何気なく放ったこの言葉の奥深いところにある想いに、グリンデ自身が意表を突かれていた。
大半の人間は利がなければ動くことはない。そういう生き物である。自身もそうであろう。人間だけではない。この世界に生きる全てがそうなのかもしれない。それに伴う汚いものも多く見てきた。だが一見、得がなく、大きな距離があろうと、ふとした所に繋がりがあり、循環しているのがこの世界の理である。性格上群れるのは好みではないが、微かな力が合わさる事によって成る、更なる大きな力を知らない訳でもない。
自身の強大な力を武器に、欲望のままに世界を支配することも可能なのかもしれない。しかし、過去に知った微かな輝き。散っていった人間らの残した光たちが教えるのだ。『私達の分まで、長く生きろ。そしてその力を良き循環の為に使え』と。
世界とは、実に深い闇の塊である。しかし、幸いにも魔女は、過去に光を知っていた。その微かな光が、魔女を長く生きさせているのであった。
(……人の本能に触れる善。それは今も未来も変わらぬはずだ)
魔女の呟きを受け、少女の拳が硬くなった。そう。確かに人は愚かな生き物なのかもしれない。ただ、それだけではないのだ。国の隅。辺境の地に住んでいたからこそわかる。人が助け合って生きてゆくことの美しさを。その美しさを、自身だけの欲に負けて奪おうものなら、それは実に罪深い。防がなければならない。それは未熟な少女にもわかる話であった。
「行くか。小娘。おんしにとって最後の旅を」
"若いから分からないかもしれないが、今という時は二度と訪れないのだ。しっかりと刻め"と、魔女なりに含みを持たしたのだが、果たして少女に何処まで伝わっているのだろうか。ただ"最後"という言葉が、確実に心に響いたのは間違いないようであった。オリビアの頬は強張りを増し、肩が少し上がる様を魔女は見逃さなかった。
勿論、納得などしていない。できれば多くの人々が病から救われた様を目にしたい。しかしやはり人生とは思うように行かないものである。この山の神は、少女を大人へ近づける為に、少し残酷な未来を用意したのかもしれない。自分にできること。自分にしかできないこと。ルドラが言うように、ここまで関われたことが奇跡なのかもしれない。族長が心に残した言葉が諭しを促し、それに一歩近づけさせているようであった。
「もう気づいておるやもしれんが、あれが目指すオルドの町よ」
勿論気付いている。天辺は雲を突き抜け、まるで綿の帽子でも被っているかのようだ。少女は既に、その白き大きな峰の中腹に意識を奪われている。
今自分らが見下ろす景色の左手。雪の足はすぐに近くまで来ており、その爪先の少し下方に家屋の屋根らしき物が連なり、町であろう姿が太陽に照らされている。
「おそらくあの道は鉱山跡に続いておるのだろうな」
このような山奥。用事があるとするならば、まず鉱石であろう。採掘場のすぐ近くまで来ていることは間違いないようであった。
(……進めばきっと答えは出る)
ここは神の住むとされる、山脈の麓。どこか無理をしたような、悲しげな表情が不思議ではあったが、母から事あるごとにその神々に祈りを捧げるよう、教えを学んできた。もしかしたら救いの手が差し伸べられ、旅の行く末が変わるかもしれない。そう信じるしかなかった。
再び白馬に伏せを促すと、少女は背に跨った。黒衣を靡かせ、魔女もそれに続いた。

元来た道を少し戻り、あの目印を白馬が追い始めて間もなくであった。おそらく先ほどの道跡に繋がっているのだろう。再び開けた空間に一同は出くわした。
道なりに数歩、歩む白馬。影に踏み入れて間もないのもあってか、目は光に順応している。オリビアとグリンデは、すぐに目の前の存在に気づくことができた。
「……グァナフ抗」
半ば朽ち果て、文字も掠れて読みづらい。馬から見下ろす形で、より難度を増している。目を細めてようやく読むことができたその看板が示す名は、二人が目指している炭鉱の坑道名であった。
思えば、あの崖に辿り着く前から目印に距離ができていた。この開けた空間に辿り着くまでは、それを探すのもやっとであった。無いとは思うが、人目に付かないよう間隔を広げているのだろう。終わりが近くまで迫っていることを、間接的に伝えていたのであった。
手綱を引き、看板が示す先に向かおうとした際、魔女が静寂を割いた。
「待て。おんしは誰だ」
少女は、何故魔女が茂みに掌を向けているのかすら解らない様子だ。
歴戦の魔女の神経を潜って、ここまで気配を消せていたことは、この茂みの先にいる者が優れた人間であることを示している。魔女の目線は細く、鋭く冷たい。
「……申し訳ございません。グリンデ様」
炎は放たれなかった。問いだけで隠者の姿が曝け出させれた。
両手を挙げて現れた者は、とりわけ武装もしていない。細身ながら筋肉質であるところ以外は、どこにでもいるような栗毛髪の青年であった。
その者は木々を抜け、背の低い草地に出るや否や、跪いた。
「リアム・イルヴェスと申します。郷の者です」
胸元で鈍く光る漆黒。少しの距離を置きながらも、その存在にはオリビアも気付くことができた。それは言葉よりも的確に信頼を示している。なにより彼が真実を話しているだろうことは、次の言葉が裏付けていた。
「……珍しく族長より鷹を受け取れました。話は伺っております。どうぞご案内致します」
ルドラが鷹を三匹飛ばしたことは、グリンデも聞いていた。郷の鷹は非常に優秀で、特定の人物にしか懐かないよう躾けられている。やはり届くかどうかは解らないが、もし仲間が受け取ることが出来たなら、オルドの町に近づいた際に協力してくれるであろうと伝えられていたのだ。
敬意の姿勢を解くや、青年は歩き出した。
オリビアは振り返り、グリンデの瞳を見つめた。彼女は警戒を解き、掌はとっくに地を向いている。
互いに無言のままに頷くと、少女は手綱をゆっくりと引いた。少しの間隔を開いて、白馬の足が青年の後を追い始めた。
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