そういう二人
文字数 2,000文字
富士山を臨む病院で私がオギャアと産声を上げていた時、私の父は大阪の雑踏で途方に暮れていた。
出産のため里帰りをしていた母から「陣痛が始まった」という電話をもらったのはお昼を過ぎた頃だった。父はその後も予定通りに仕事をこなし、しかし予定外に残業をせず品川から急いで新幹線に飛び乗った。
先に答えを言ってしまうなら、そこで父は寝過ごしたのだ。特に劇的な何かがあったわけではない。寝過ごした、普通に。
そして思うに私と父は、その時からずっとすれ違っている。
入園、卒園、入学、卒業、運動会、父兄参観。父がいたためしがない。
誕生日、クリスマス。言わずもがな。
親戚知人からはよく、「遅くにようやく授かった子って溺愛されるもんじゃないの?」と笑われる。
そういえば、大学進学を機に家を出るというその日も父は仕事で不在だった。愛情なら部下を名乗る若手社員をわざわざ派遣してきたことで充分だ。パワハラなこの事案は、母が作る渾身の手料理で手打ちになった。
「美味しい、美味しい」と小さなどんぶりサイズの茶碗に三杯のごはんを山盛りにした光景に、「よく食べる人だ」と素直に感心したのもまだ記憶に新しい。だから今でも不思議な気持ちなのだ。婚姻届にその人の名前がある、というこの状態は。
一目惚れだった、私の。気が付くと猛アタックしていた。
そして「年齢的にも離れすぎていますし」とか、「私には両親もいなくて施設で育ってまして」とか、どうでもいい理由で何度も身を引いた相手を、「仕方ないじゃないですか。惚れてしまったんだから」と説き落とし、ここまで来た。五年かかった。正直、私は自分が誇らしい。
「まあ、こんなこったろうと思ったのよ」
私の横で母が、苦笑いを浮かべた自分の容姿を鏡に映して呟いた。「あんたと父さんはすれ違う星の下にあるんだわ」
「まさか、結婚式の日もこうなるとは……」
私の嘆きを豪快に笑い飛ばして母は言う。「幹事引き受けてしまった以上、欠席するわけにもね?」
「でも日付を重ねるのはマズすぎる」
「父さんらしいじゃない」
「いや、ホントに信じられない。結婚式の前日に間違って、予定する?」
昨夜、父は高校の同窓会に参加した。自ら幹事を引き受け、私の結婚式の前日に率先してセッティングし、そのミスに気付いたのが一週間前だったとか。にっちもさっちもいかないとはこのことをいうのだろうか。そして青春の地である札幌に飛び、帰りの飛行機がまさかのトラブルで大阪に行ってしまうこの不運。終電もないとは、笑うしかない。
夜行バスで戻ると言い張る父に、「ばか言ってんじゃないわよ。歳を考えなさいよ。疲れた顔して晴れの舞台にいられても困るのよ」と叱り飛ばしたのは、母だ。そんなこんなで大阪で一泊し、朝早く東京行きの電車に飛び乗ったはずの父はしかしながら、まだ来ない。
「大事な日だから、余計に頭の中にあったんだと思うのよ。日付決めるのに思わず釣られたんでしょう」
「釣られても前日ってところが、当日じゃなく」
「ぼんやりしてる人だもの」
そう言う母は嬉しそうだった。「人生で一度くらい、これを着てみたかったの」
「そんなのを?」
呆れて応えた私に、母は「いいじゃない、このモーニング!」と、満足そうだった。サイズは驚くほどぴったりだ。
やせっぽちの父と小太りの母。どう見ても父の用意を急ぎ着た、わけではない。父が間に合わないことくらい母にはお見通しというわけか。
一体いつから想定して準備していたのかと野暮なことを訊きそうになって、しかしやめた。
子供の頃は、両親のことをどこにでもいる平凡で仲のいい夫婦だと思っていた。しかし彼らにも
夫婦でありつづけることができるのはすごいと、今さらそう思う。
生まれも育ちも価値観も違う他人が、こうして一つ屋根の下に何十年も一緒に寄り添う奇跡。そこで生まれる軋轢や不満や葛藤を、喜びと笑いと忍耐と諦めで乗り切ってきた結果がこれだ。私たちもなれるだろうか、そういう二人に。
「お父さんには悪いけど、私がヴァージンロードを歩かせてもらう」
やってみたかったのよ、花嫁のエスコート。
「
「父さんは悔し泣きだ」
「
「ばかだよねえ」と私は笑った。
「悔しくても嬉しくてもどうせ泣くんだから、同 じよ」
母の言葉に「そうか」と頷き、私は時刻を確認した。
「そろそろ時間?」と、母が尋ねる。
グローブを掴みながら私はにやりと口角を上げた。「しっかりエスコートしてきてよ、うちの花嫁さん」
出産のため里帰りをしていた母から「陣痛が始まった」という電話をもらったのはお昼を過ぎた頃だった。父はその後も予定通りに仕事をこなし、しかし予定外に残業をせず品川から急いで新幹線に飛び乗った。
先に答えを言ってしまうなら、そこで父は寝過ごしたのだ。特に劇的な何かがあったわけではない。寝過ごした、普通に。
そして思うに私と父は、その時からずっとすれ違っている。
入園、卒園、入学、卒業、運動会、父兄参観。父がいたためしがない。
誕生日、クリスマス。言わずもがな。
親戚知人からはよく、「遅くにようやく授かった子って溺愛されるもんじゃないの?」と笑われる。
そういえば、大学進学を機に家を出るというその日も父は仕事で不在だった。愛情なら部下を名乗る若手社員をわざわざ派遣してきたことで充分だ。パワハラなこの事案は、母が作る渾身の手料理で手打ちになった。
「美味しい、美味しい」と小さなどんぶりサイズの茶碗に三杯のごはんを山盛りにした光景に、「よく食べる人だ」と素直に感心したのもまだ記憶に新しい。だから今でも不思議な気持ちなのだ。婚姻届にその人の名前がある、というこの状態は。
一目惚れだった、私の。気が付くと猛アタックしていた。
そして「年齢的にも離れすぎていますし」とか、「私には両親もいなくて施設で育ってまして」とか、どうでもいい理由で何度も身を引いた相手を、「仕方ないじゃないですか。惚れてしまったんだから」と説き落とし、ここまで来た。五年かかった。正直、私は自分が誇らしい。
「まあ、こんなこったろうと思ったのよ」
私の横で母が、苦笑いを浮かべた自分の容姿を鏡に映して呟いた。「あんたと父さんはすれ違う星の下にあるんだわ」
「まさか、結婚式の日もこうなるとは……」
私の嘆きを豪快に笑い飛ばして母は言う。「幹事引き受けてしまった以上、欠席するわけにもね?」
「でも日付を重ねるのはマズすぎる」
「父さんらしいじゃない」
「いや、ホントに信じられない。結婚式の前日に間違って、予定する?」
昨夜、父は高校の同窓会に参加した。自ら幹事を引き受け、私の結婚式の前日に率先してセッティングし、そのミスに気付いたのが一週間前だったとか。にっちもさっちもいかないとはこのことをいうのだろうか。そして青春の地である札幌に飛び、帰りの飛行機がまさかのトラブルで大阪に行ってしまうこの不運。終電もないとは、笑うしかない。
夜行バスで戻ると言い張る父に、「ばか言ってんじゃないわよ。歳を考えなさいよ。疲れた顔して晴れの舞台にいられても困るのよ」と叱り飛ばしたのは、母だ。そんなこんなで大阪で一泊し、朝早く東京行きの電車に飛び乗ったはずの父はしかしながら、まだ来ない。
「大事な日だから、余計に頭の中にあったんだと思うのよ。日付決めるのに思わず釣られたんでしょう」
「釣られても前日ってところが、当日じゃなく」
「ぼんやりしてる人だもの」
そう言う母は嬉しそうだった。「人生で一度くらい、これを着てみたかったの」
「そんなのを?」
呆れて応えた私に、母は「いいじゃない、このモーニング!」と、満足そうだった。サイズは驚くほどぴったりだ。
やせっぽちの父と小太りの母。どう見ても父の用意を急ぎ着た、わけではない。父が間に合わないことくらい母にはお見通しというわけか。
一体いつから想定して準備していたのかと野暮なことを訊きそうになって、しかしやめた。
子供の頃は、両親のことをどこにでもいる平凡で仲のいい夫婦だと思っていた。しかし彼らにも
色々
はあったのだ。それは時間が経つにつれ、霞を晴らすように少しずつ私の目にも明らかになった。おそらく私には見せまいとしてきたろうに、今では不思議なくらいよく見えるから面映ゆい。それは私が成長したことの証で、同時に両親が老いたことを証明する。夫婦でありつづけることができるのはすごいと、今さらそう思う。
生まれも育ちも価値観も違う他人が、こうして一つ屋根の下に何十年も一緒に寄り添う奇跡。そこで生まれる軋轢や不満や葛藤を、喜びと笑いと忍耐と諦めで乗り切ってきた結果がこれだ。私たちもなれるだろうか、そういう二人に。
「お父さんには悪いけど、私がヴァージンロードを歩かせてもらう」
やってみたかったのよ、花嫁のエスコート。
「
どっちにしたってできるわけないと思ってたから
、嬉しい」「父さんは悔し泣きだ」
「
思いがけないチャンス
をみすみす逃すんだものねえ」「ばかだよねえ」と私は笑った。
「悔しくても嬉しくてもどうせ泣くんだから、
母の言葉に「そうか」と頷き、私は時刻を確認した。
「そろそろ時間?」と、母が尋ねる。
グローブを掴みながら私はにやりと口角を上げた。「しっかりエスコートしてきてよ、うちの花嫁さん」
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