前編

文字数 4,171文字

「そんなとこで迷ってたら実るものも実らないだろ。」

それは、あなただから言える言葉だ。

卒業を間近に控えた放課後の教室。いつものメンバー。自販機のジュースを片手に談笑。

「好きな子に告白したいけど勇気が出ない。」

一人のクラスメイトが呟いた一言に返ってきた言葉。想いを伝えたいけれど自信がなく勇気が出ないクラスメイトの気持ち。そんなこと言ってないで男らしく当たって砕けろと励ますあなたの気持ち。どっちもわかる。友人の一人として背中を押す励ましの意味で言ったのだろう。でも。

「それは言い訳だ、そんなんじゃ実るものも実らない。」

本気を出せば彼女候補なんて湧くほど出てくるであろう彼だからこそ言えることだと思ってしまった。そして結局私も例外なく、湧くほど出てくる彼女候補の一人。紛れもなく、彼に恋をしていた。



 春の始まりというより冬の終わり。肌寒い気候はもうしばらく続きそうで、マフラーはまだ手放せそうにないこの頃。今日のホームルームは、いつもよりちょっと長引いた。そしてちょっと盛り上がった。高校生活最後の席替え。くじ引き。盛り上がるクラスメイトを横目に、それほど盛り上がれない私は順番がくるまでおとなしく席で座って待つ。一番前とかじゃなければどこでもいいや。でも、窓際は寒いから避けたいな。

きっとこのまま波風たたないいつも通りの日々が過ぎて、気づけば無事卒業を迎えているのだろう。呆れるほど退屈だったわけではないけれど、大人になってから懐かしめるほどの思い出はない。友達がいないわけではないけれど、このクラスにそれほど思い入れはない。良い意味でも悪い意味でも、何もなかった。大きなトラブルや問題なく過ごせたのはまあ良しとしよう。なんだか燃えきれないままだけれど、今更何か行動を起こそうという気にもならず、青春のど真ん中にいながら高校生活謳歌は諦めていた。そもそもあと一ヶ月しかない。

実に私らしい三年間だった。平均、平凡、無害等々。私、綾乃を言い表すなら、この辺が適切だろう。特別目立った欠点もなければ、特別際立った魅力もない。どこにでもいる女子。量産型。一緒に汗水流せる仲間がいて、夢中になって打ち込めることがあって、将来の目標があって、席替えひとつでここまで盛り上がれるみんなが本当は少し羨ましい。何も持っていない自分が少し恥ずかしい。大嫌いというほどのコンプレックスはないけれど、昔からどうも自分を好きになれない。自分に自信がない。

「大滝~、どこになった?」

友達に囲まれ、輪の中心にいる彼。大滝くん。背が高いから集団の中にいても目立つ。高身長細マッチョ。元サッカー部。顔良し、性格良し、スタイル良しの三拍子。天は二物を与える。与え過ぎ。言わずもがな、モテる。きっと私とは正反対の高校生活を送ってきたのだろう。このクラスで一年間過ごしたけれど、思い返せば一度も話したことのない人も数人いる。大滝くんとも一言二言会話を交わしただけで、仲良くはなれなかった。せめて最後に近い席になれたらいいな。欲張るとろくなことがないから、隣なんて贅沢は言わないから、斜め後ろのさらに後ろくらいでいい。淡い期待を込めてくじを引く。

全員が引き終わってから、紙に書かれた番号の席へ一斉に移動開始。ラッキーなことに、一番後ろの席ゲット。ご機嫌で席につくと、広い背中が視界に入り込む。そのまま私の前の席に腰を下ろした。左右の友達と軽く挨拶を交わす彼。落ち着こう。高鳴る胸を静めたい。ちょっと待って。私、くじ運良すぎない?ラッキーどころではない。最後の席替えで、大滝くんの後ろの席ゲット。なんということだ。神様仏様、ありがとう。何の変哲もない私の高校生活が、ここに来てようやくちょっと楽しくなるかもしれない。滑り込みセーフ。遅すぎるチャンス。ワクワクを誤魔化せない。これほど学校が楽しみになったのは初めてだった。


 大滝くんは背が高い。故に黒板が見にくい。隠れて居眠りするにはちょうどいい。ちょっと猫背。机も椅子もサイズが合っていないからだと思う。長い足を折りたたんで、左手で頬杖をつきながら、よくペン回しをしている。

そして、一番後ろの席になった人の宿命。プリントの回収。回収しに席を立つとき、提出して戻って来るとき、いつも少し緊張する。大滝くんの横を通るから。こんなふうに思っているのは私だけだとわかっていながら、それでもやっぱり意識してしまう。授業中どうしたって視界に入る目の前の広い背中に、想いを馳せる。前から回ってきたプリントを渡す厚みのある大きな手に、恋心を募らせる。プリント回収をきっかけに新たに知ったこと。大滝くんは、字がきれい。男の子が書く文字って筆圧の濃い雑なイメージだったけれど、大滝くんの書く字には少し癖があって、でも丁寧で読みやすい。一体どこまで完璧なのかとため息が漏れてしまうほど、そんなところも魅力的に映った。彼を知れば知るほど好きになっていった。恋は盲目というが、まさにそんな感じだ。良いところしか見つけられなかった。

席替えから三日後。近い席の六人で班をつくって行うグループ学習の授業。私を含めた女子三人と、大滝くんを含めた男子三人。この授業をきっかけに、六人の仲が急速に縮まった。なぜ今まであまり関わらずにいたのか、このタイミングでようやく打ち解けられたことが不思議なくらい、仲良くなった。グループ学習の授業中、先生にうるさいぞと注意されるほど。それ以来、放課後教室に残って六人でおしゃべりをしてから帰るのが常になった。この席になってから良いことしかない。授業中堂々と大滝くんを眺められるし、クラスメイトと仲良くなれたし、毎日が楽しい。卒業を先延ばしにしたくなってしまう。

「あーちゃんって呼んでいい?」

悪気は一切ない二重まぶたの大きな瞳に見つめられ、戸惑った。同じ班員である美羽ちゃんもまた、この席にならなければ関わることはなかった人。どう考えてもあーちゃんってキャラではないよな、私。自覚があるから余計にむずがゆい。そんなかわいらしいあだ名で呼ばれたこと一度もない。でも、嫌だとは言えず、うんと頷くしかなかった。

美羽ちゃんは、大滝くんが好き。本人から直接聞いたわけではないけれど、ほぼ間違いない。割と早い段階で気づいた。気づいてしまった。大滝くんと話しているときの彼女はいつも眩しい。キラキラ目を輝かせ、笑顔を弾けさせ、とても楽しそう。まさに、恋する乙女。ナチュラルメイクに器用に巻いた髪。短いスカートはスタイルの良さを際立たせる。同じ人に恋をしていること以外に彼女との共通点はなし。片やクラスのアイドル的存在で、もう片方は特に取り柄のない量産型。私じゃライバルになりきれない。たぶん、私が大滝くんを好きなことには気づかれていない。


 その日もいつも通り、自販機でジュースを買い、教室に戻って来てからたわいもないおしゃべりに花を咲かせていた。一人の男の子の好きな子がいる発言から、話は一気に恋バナへ急転換。どうやら隣のクラスの女の子に去年から恋をしているらしい。卒業を前に、気持ちを伝えるかどうしようか悩んでいる。本音は、伝えてスッキリさせたいけれど、振られた後を思うと怖気づく。真剣な表情でそう漏らす彼に、私は少し感心してしまっていた。そもそも告白を選択肢に入れていることがすごい。自分に置き換えて考えたら、告白なんてとてもじゃないけどできない。席替えで席が前後にならなければ、好きな人とまともに会話を交わすこともないまま卒業していたはず。気持ちを伝えようという勇気があるだけですごいと思っていたけれど、大滝くんは違ったようだ。

「そんなとこで迷ってたら実るものも実らないだろ。」

そうだよ!いけいけ!他三人が共感して口々に声援を飛ばす中、私は一人その言葉に圧倒されていた。自分から告白するなんて考えたこともなかった私には、力強すぎる発言だった。女の子につれない態度を取られたことないんだろうな。大滝くんはきっと、私では知り得ない景色をいくつも見てきたのだろう。去年の大会でサッカー部が入賞し、全校集会で表彰されたとき。檀上に立つ大滝くんを見て、そういえばあの時も似たような気持ちになったなと、ぼんやり思い出した。羨ましさと憧れと、少しの嫉妬。同時に自分への辟易。そう言い切れる強さは、大滝くんだからこそなのだろう。

私と大滝くんは自転車通学。他の四人とはいつも下駄箱で別れ、校門を出たら私たちもそれぞれ反対方向へ別れる。下駄箱から駐輪場までの短い距離が、唯一二人きりになれる時間。たった数分のこの時間は、少し前までまともに話すこともできなかった私にとって贅沢過ぎる贅沢。横顔をチラチラ見上げながら、大滝くんの半歩後ろをついて行く。寒いね、雪が降りそうだね、なんて会話になんでもない顔をして受け答える。平常心と言い聞かせても心臓の鼓動は収まらない。緩んだ顔をあまり見られたくなくて、マフラーで隠す。校門の手前で、じゃあまた明日と手を振っていつも通り別れるはずだった。何を思ったのか、制服の裾をつまんで彼を引き止めていた。頭で考えるより先に、体が動いていた。彼が振り向くのと同時に、言葉が口をついて出た。

「好き。」

ぽろっと、まさにぽろっとこぼれ出た。滑り落ちた言葉の意味と状況を理解できた頃には、時すでに遅し。少し目を見開き驚いた表情で私を見つめる大滝くんと目が合う。きっと私も同じ様な顔をしていただろう。いや、たぶんもっとまぬけな顔だった。数秒前の私、どうか落ち着いて。自分で言ったくせに、自分で驚く。そんなこと言うつもり全くなかったのに。ついさっきまで恋バナで盛り上がり、告白をしようと勇気を振り絞るクラスメイトの姿に触発されてしまったのか。魔が差した、とでも言うべきか。きっとここ最近、青春らしいことを出来ているような気がして浮かれていたせいだ。後悔しても、過去はなかったことにはできない。たった数秒前だって、紛れもなく立派な過去だ。高校生活謳歌はものの見事にあっけなく散り去った。やはり私には最初から無理だったんだ。終わった。そう思った。


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