後編

文字数 3,151文字

「少し、考えさせて。」

予想外の答えに俯いていた顔を勢い良く上げてしまった。きちんと正面から顔を見つめたのはこの時が初めてだったかもしれない。いつも横顔や後ろ姿ばかり見つめていたから。相変わらず整った顔立ち。なんて、呑気に見とれている場合ではなかった。え、考えるって、何を?クエスチョンマークが頭を駆け巡る。ぽかんと立ち尽くす。返事は今度するね。そう言い残し、大滝くんは帰っていった。てっきり振られると思っていたから、拍子抜け。大滝くんが私に好意など微塵も抱いていないことは、私が一番よくわかっている。故にその答えが理解できなくて、しばらく動けずにいた。一体何を考えるの。付き合うかどうかを?好きじゃないのに?恋愛経験値は無いに等しい私は、大滝くんのことも、好きということがどういうことなのかも、一気にわからなくなった。


 あれ?私、昨日告白したよね?夢だったのかと本気で疑いたくなるほど、次の日から大滝くんは以前と何も変わらず、いつも通りの態度で接してきた。告白され慣れているのか、大滝くんにとっては日常茶飯事なのか。執拗にかまえていた自分が恥ずかしくなる。夢なら夢で、むしろそっちのほうが助かる。いっそなかったことにしてくれ。しかし数日後、やはりあれは夢ではなかったと思い知らされた。大滝くんからの返事はまさかの、Yes。結局付き合うことになった。

学年の人気者トップスリーに入るであろう大滝くんの彼女になれる人は、きっと美人でスタイルが良くて、かわいい女の子だろうなと思っていた。鼻高々で自慢げに胸を張れるだろうなと。本来ならば、飛び跳ねて喜ぶべきところ。天にも昇る心地。願ったり叶ったりの展開。でもこのときの私は、むしろ逆だった。頭に浮かんだ言葉は、やったー!でも嬉しい!でもなく、どうしよう。だってどこからどう見ても、吊り合ってない。隣に並んで堂々と歩ける自信はない。私にその位置が務まる気がしない。自分から告白しておいてこんなこと思うのは失礼かもしれないけれど、不安でしかない。大滝くんに問題は一切なく、完全に私自身のせい。ここに来て自信の無さが仇となる。


 友達と恋人の境目は、どこにあるのだろう。付き合うって、どういうことなのだろう。例えば連絡はどのくらいの頻度でするものなのか。毎日学校で顔を合わせるのだから、連絡を取る必要はないと言われればないけれど。彼女って、具体的に何をすればいいのかな。そんなことを一日中ぐるぐる考えて、授業には全く集中できなかった。放課後のおしゃべりにも同様。みんなの話声は右から左へ抜けていく。会話が一段落し、そろそろ帰ろうかという空気になったとき。

「帰ろっか。」

明らかに私だけに向けられた言葉。なんで私?と危うく口走りそうになり、慌ててやめた。当たり前のようにそう言って帰り支度を始める大滝くんの横で、急いで身支度を整える。日々の言動の節々から彼の恋愛経験値の高さが伺える。きっと今までの彼女ともそうしてきたのだろう。みんなからの視線が注がれていることに気づいてハッとした。しまった。まだみんなには付き合い始めたことを伝えていない。大滝くんも視線に気づいたらしく、数秒不思議そうな顔をした後、あぁ!と納得したように口を開いた。

「俺ら付き合うことになったから。」

そのときの固まった美羽ちゃんの表情が忘れられない。それ以上見ていられなくて、目が合う前に急いで逸らした。怖くなって視線を床に落とした。

「え?」

信じられない。冗談でしょ。なんで。彼女の心の声が聞こえてくる。きっとその場にいる全員が思っただろう。お世辞にもお似合いとは言えない組み合わせ。意外すぎるカップルの誕生。気まずいことこの上ない。逃げたい。一刻も早く。この場から立ち去りたい。視線を上げることができなかった。


 それ以来、毎回無理やり理由を付けて放課後のおしゃべりには顔を出していない。あの空気の中、平気な顔でおしゃべりを楽しめる鋼のメンタルは持ち合わせていない。彼氏ができた代償に、友達を失った。そんな気分だった。せっかく仲良くなれたのに。朝教室に入るのをためらうくらい、緊張と気まずさで居心地の悪い空間になってしまった。楽しかった少し前の日々が恋しい。いつもならホームルームが終わると同時に教室を飛び出していたけれど、その日は今学期最後の委員会の集まりがあった。班員の半分が委員会に所属しているから、今日はそのまま帰ろうという意見にみんな賛同し、放課後のおしゃべりはなし。三年生にとっては高校生活最後の委員会。これからは何をするにも高校生活最後。この文句が付くのだろう。そう思うと急に寂しくなってくる。着々と日々卒業へ近づいている。

「なんで付き合ってるんだろうね、あの二人。」

委員会の集まりから戻ってきて、教室のドアに手を掛けたとき、ドアを引くその直前でやめた。聞こえてきたその言葉に、会話の内容が安易に予測できてしまったから。

「大滝くん優しいから断れなかったんじゃない?」
「てっきり美羽ちゃんとくっつくかと思ってた。」
「まさか綾乃ちゃんとはね。」

それ以上聞きたくないのに足が動かない。じっと息を潜めて聞き耳をたててしまう。今動いたら気づかれそうで、ファイルと筆箱を落とさないように必死に握りしめる。

「正直さ、吊り合ってないよね。」

うん、だよね。私もそう思う。自分でわかっていたはずなのに、他人に改めて言われると傷をさらに深くえぐられたような気持ちになる。言葉が刺さる。耳に残って反響する。来た道を戻って図書室に逃げ込んだ。自習をしている生徒に交じって、プリントに目を通すふりをしながら窓の外を伺う。三階の図書室の窓からは校門がちょうどよく見える。先ほど教室にいた女の子たちが校門を抜けたのを確認して、教室に戻る。

誰もいなくなった教室で一人、自分の席から見渡す景色。クラスメイトと先生がいないだけであとは何も変わらないのに、静まり返った教室は午前中に比べ少しよそよそしい。そこに本人はいなくても、見慣れた背中は簡単に想像できる。ひとつ前の席をしばらく眺めて、すとんと気持ちが落ち着いた自分に気づく。腑に落ちたのか何なのか、妙にすっきりした。明日、大滝くんと話をしよう。怖がらず、逃げないで。ちゃんと向き合って、話をしよう。


 きっと私は、歴代で最も冴えない地味な彼女だっただろう。そしてたぶん、付き合った期間も最短。あろうことか、その地味な彼女に最短で振られることになるとは、思いもしなかっただろう。ある意味記憶には残るかもしれない。それが良い印象で、良い思い出である可能性は低いだろうけれど。

今日までの短期間で色々なことがありすぎた。頭はキャパオーバー気味。私には少し難し過ぎたけれど、それでも、何もないよりかは確実に楽しかった。そして、変わりたい。強く、そう思った。誰かを好きになる前に、私は私を好きになりたい。今の私じゃきっと素敵な恋はできないから。自信がなくて俯いてばかりだった私は、今日で卒業しよう。大滝くんが好きだった私と一緒に、ここに置いていこう。いつかどこかの未来で次の恋の訪れがあったとき、自信を持って飛び込んでいけるように。もっと素敵な私になろう。少しずつでいい。変わろう。私らしく、変わっていこう。


 満開には程遠い、まだ咲ききっていない校庭の桜。その木々の隙間から見上げた青空は、気持ちいいほど澄んでいた。桜はこれから花開く。私たちも、まだこれから。ここからまた、大人へと続いていく。慣れ親しんだ校舎を背に、履き慣れたローファーで、決意新たに、一歩踏み出した春。卒業の日。


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