第1話

文字数 2,500文字

『毎日辛い!苦しい!もうこんな世の中じゃ生きていけない!でも自分で命を絶つにも勇気が出ないし、葬儀代で家族に面倒もかけたくない!そもそもどこで死んでも誰かしらに迷惑がかかる!いっそ消えて無くなれないだろうか…?と、お悩みのそこのあなた!この世には最後の希望【桜の国】があるのです!そこでは死体も残らず楽にこの世を去ることが出来ます!冥土の土産に美しい桜吹雪もお楽しみ頂けますよ!入国はとっても簡単!【桜の国】に行きたいなぁ、と望めば、誰だって辿り着くことが出来るのです!
 いらっしゃいませ~♪
 さくらの~く~に~♪』

 深夜零時すぎ。ぐだぐだと現実逃避にYouTubeを漁っているにすぎなかった。
 くだらない動画、馬鹿の動画、炎上した動画、ネタ動画。夜は必ず不安に押しつぶされそうになるから、要らないことを考える前に脳に情報をぶち込み続ける。適当に時間を潰し続けていればいずれ眠気がやってきて、泥沼に沈むようして気が付けば朝が来る。それでも眠れずに目が疲れてくれば、今流行りのやたらと短い音符の連鎖を鼓膜に流し込む。そうして最後、空が明るみ始めたころにどす黒いクマを作った一人のゾンビが、薄汚れた毛布に包まり死んだように気絶している。
 その日も適当にオススメに上がって来た動画を流していた。たしか生配信中に顔バレした配信者のまとめ、みたいなものが流れていた気がする。キラキラの金髪ツインテールの美少女アニメキャラの画像から、「衝撃の素顔‼」とかテロップが入って、疲れた土色の肌にぼつぼつとニキビとそばかすの浮いた、ごく普遍的な若い女の画像に切り替わった時、その背景の部屋の様子にぎゅっと胸を締め付けられる思いだった。
 私と同じだ。
 女の部屋は物が散乱し、至る所に飲み終わったペットボトルやビニール袋が投げ捨てられ、プラスチックのごみ溜めに華を添えるように脱いだままの服がカラフルに散らばっていた。テーブルは大量の酒の空き缶が占領しており、画面の向こうから今にもアルコールと人の脂が混ざった腐臭が漂ってきそうだった。そして画面の端にちょこんと映り込んだ、私のよく知る洗剤たち。洗面器に入れて小さくまとめられた、カビ取り剤と、お風呂用洗剤………。
 どちらも混ぜると危険な有毒ガスが発生することで有名な洗剤だ。以前私も、この女と同じ理由で手に取ったことがある。だからこそ分かった。
(詰めが甘い…。ガムテープ忘れんなよ。扉をしっかり塞がないとガスが漏れて死ねないぞ)
 私みたいに。
(……あーーッ、やった、もう今日眠れない)
 考えてから後悔した。自嘲と自己嫌悪が夜の勢いに乗って加速する。まずい、止めなければと思えば思うほど、心の内に住み着いた化物じみた不安が頭をもたげ、心臓を真綿で絞めていく。
 こんな動画見なければ良かった。人の不幸なんて自分の分で十分だ。
 一刻も早く動画を閉じ、何も視界に入れたくなかった。憎しみを孕んだ指先でアプリを閉じようとした瞬間、画面から舞い散る花弁を思わすような、軽やかなピアノの音色が鳴り響いた。動画の広告が入ったようだ。さっさとアプリごと落としてしまおうとも思ったが、画面の中央に映った喪服を思わせる黒スーツの男の背景、小川の流れる満開の桜の森の美しさに心惹かれた。男性の斜め右後ろから流れる小川を挟むようにして咲き乱れる桜の花の隙間から、透き通るような青色が覗いている。その空色が桜とのコントラストを生み出し、花びらの一枚一枚がやけにくっきりと脳に焼き付いた気がした。そして画面中央の男は小川にかかる橋の上に立っているらしく、舞い散る花弁に囲まれながら人の好い笑みを浮かべている。ただそれだけなら「桜が綺麗だな」と思うだけで明日には忘れていたはずだが、にこやかに微笑む男の口から出て来たのは、耳を疑う言葉の連鎖だった。

『毎日辛い!苦しい!もうこんな世の中じゃ生きていけない!でも自分で命を絶つにも勇気が出ないし、葬儀代で家族に面倒もかけたくない!そもそもどこで死んでも誰かしらに迷惑がかかる!いっそ消えて無くなれないだろうか…?と、お悩みのそこのあなた!この世には最後の希望【桜の国】があるのです!そこでは死体も残らず楽にこの世を去ることが出来ます!冥土の土産に美しい桜吹雪もお楽しみ頂けますよ!』

 親にも見せた事のない希死念慮を見ず知らずの画面の人間にピタリと言い当てられ、驚きと動揺で「ヴェ」っと動物みたいな声が漏れた。スマホを持つ手は小刻みに震えている。そして何より『そこでは死体も残らず楽にこの世を去ることが出来ます!』という文言には、心臓を直接握り潰されたような心地がした。
 私の願望の全てを言語化した広告を、藁にもすがる思いで見続けた。人生でこれほどまで神経を集中させて画面を見たことは初めてだった。

『入国はとっても簡単!【桜の国】に行きたいなぁ、と望めば、誰だって辿り着くことが出来るのです!
 いらっしゃいませ~♪
さくらの~く~に~♪』

 最後は『いらっしゃいませ さくらのくに』という言葉をメロディーに乗せて、少しでも人の耳に残るような工夫の透けて見える終わり方で幕を閉じた。全体の雰囲気といい、いかにも素人が手作りしたような広告だったが、それゆえ背景の桜は合成でなく実際にその場に立って撮影していたことがよく分かった。あの幻想的な桜の森が実際にあると思うと、『死体も残らず楽にこの 世を去ることが出来ます!』などと謳う胡散臭さ漂う広告にも、現実味が増してくるように思える。
 広告が終わり、画面には元の動画が再生されていた。合成音声たちがアニメキャラクターの顔を被り『ゆっくりしていってね!』とゆっくり喋っている。再び女の顔が映し出される前にすばやくアプリごと閉じた。
 気が付けば息苦しい死の足音は聞こえなくなり、代わりにあの軽やかなピアノの音色が耳に残っている。
 毛布を被ると意識が次第に崩れ、気が付けば朝になっていた。昨日は久々によく眠れたようだ。
 汚部屋に差し込む陽光は仄かに温かく、春の訪れを告げている。
 ふと、昨日、桜の夢を見ていたことを思い出した。
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