第1話 マシントラブルは突然に

文字数 11,402文字

       「それ行け! アディオス アディパパの推理

            マシントラブルは突然に

 父がセッティングした見合いの日、「アディオス」こと真田あぢおは、父とともに出発の準備をしていた。異性がからむことに関しては、行動が迅速だ。
 見合いの時刻は正午、移動時間は30分。差し引いても午前9時の出発は早い。
「あぢお、今から出ても9時半だぞ。あとの3時間半はどうすごすんだ」
アディオスの父、通称アディパパが助手席で眉をひそめてたずねた。
「いいかい父さん。世の中には不測の事態というのがある。事故、病気、天変地異。それらに遭遇しても間に合うようにだよ」
「そうか、さすがわが息子。行動は慎重にいかないとな」
アディパパは満足そうに笑んだ。
 出発の時刻になり、アディパパを乗せたキャロライン3号は、一路、見合いの席である「寿朗亭」へと向かった。
「新たな出会いにふさわしいすがすがしい朝だな」
アディパパがフロントガラスから差しこむ朝日にまぶしそうな目をして、ちらとアディオスを見た。アディオスは「そうだね」といいつつ鼻を膨らませ車内の空気を吸い込む。とたんに刺激臭が鼻をついた。
「なんか車の中、うんこ臭くない?」
アディオスはうんこが落ちてないかあちこちをのぞき見た。
「ああ、車に乗る直前に犬の糞を踏んだからな」
アディパパは悪びれもせず左の人差し指で靴底を指した。見ると茶色い固形物が底のみぞにびっしりついて靴底からはみ出ていた。
「ちゃんと拭いてきてよ」
アディオスは秋の風を取り入れるべく運転席の窓を開けた。ぬめっとした養豚場からの糞臭が入り込んでくる。アディオスは深呼吸の息をとめる。ただ、木々が発する新鮮な空気が混じっているだけ車内の糞臭よりましだ。アディオスは鼻の吸引機能を抑制し、代わりに耳を澄ます。鳥のさえずりが聞こえてくる。鳥のさえずりといっても頭上を旋回するカラスの泣き声ばかりで不吉だ。アディオスはすぐさま窓を閉じる方へリバースし、5センチばかりのところで止めた。
 香りも鳥の音も楽しめなかったアディオスは、運転席から景色をのぞき込む。朝の日差しで気づかなかったが、西の空はどんよりと曇っていた。
 アディオスは腕時計を見た。まだあと2時間以上はある。マシントラブルで歩く羽目になっても、ゲリラに襲われてほふく前進で進まないといけない状況になっても大丈夫そうな時間的余裕だ。
「パパ、大学生で見合いとかあんまり聞いたことがないけど。収入ないわけだけど大丈夫なの」
「いいか。世の中、出世しそうな人間には早く唾をつけておきたいと考える人は多いのだ」
「俺、出世とかあんまり興味ないけどなぁ」
「だから出世するためにケツを叩いてもらうんじゃ。いわば経済的自立のためのカンフル剤ともいえる見合いじゃ」
「パパ、本性あらわしたね。まあいいよ、人生には刺激が必要だからね」
「それより、ちゃんと自己紹介の言葉は考えたのか」
「趣味とか特技とか言えばいいんだよね。特技は武道とか言っとけばいいかな?」
「うぅむ。格闘ものはDVをイメージされる可能性もある。もっと家庭的な特技がいいぞ。例えばラマーズ法が趣味で得意とか」アディパパは真顔で助言する。
「何かひとりで練習してるの想像したら変に思われるよ。ところで相手の人はどんな人?」アディオスがたずねた。
「現状からいえば、失恋中でどん底にいるらしい」アディパパがほくそ笑む。
「落ちこんでるときを狙う……かなりずるいシチュエーションだね」
アディオスは頬を引きつらせた。
「美人女優の花形美知子の写真にそっくりらしい」
「ええっ、国民的アイドルじゃないの。えっ、ほんとに?」アディオスは天使を見るような目でアディパパを見る。
「間違いない。プロフィールにレントゲン写真がそっくりだったとある」
アディパパはお見合い相手のデータファイルを無造作にアディオスへ放った。アディオスは「レントゲン?」とつぶやきながらプロフィールを見る。本来顔写真が載る場所にレントゲン写真が貼り付けられていた。
「顔写真はないんだね……というか花形美知子とレントゲン写真はそっくりって言うけど、臓器のつくりは人間ほぼいっしょじゃ?」
「ばか、人は内面が大事だ。外見にとらわれすぎてはいけない」
「パパのいう内面って写真でいう臓器の写真だよね……。ふつう性格的なこと言うんじゃないの?」
「一般常識は疑ってかかれ。健康第一って言葉もある。写真を見ろ。肺にも胃にも怪しい影はないだろ」
「まあないけどさ。レントゲン写真をプロフィールにのせるのって健康アピールだったってこと?」アディオスが訝しげにアディパパを見る。「健康なのはわかったけど、何をしている女性なの?」アディオスは仕事などを知りたくてアディパパにたずねた。
「仕事は家事手伝いだそうだ。家では一日に寝て食べて寝てを十回ほど繰り返すらしい」
「家畜の豚みたいな生活だね……家事ほんとに手伝ってるの?」
「ベッドに寝たまま洗濯物をたたんだり、食べ歩きながら掃除したり、寝言で食べたい料理のレシピを親に伝えたりしているそうだ。ちゃんと家事はしている。決して豚ではない」
「『ちゃんと家事』のレベルが低すぎる気がするけど……」
「この女性はまるで安楽椅子探偵のようにすごいんだぞ。一日の万歩計の数値32歩という記録を持っている」
「それってトイレとベッドの往復だけで達成できるよね……」
「まあ、人間完璧な者などいない。長所に目を向けないと。普段の生活にばかり難癖つけずに外見上のプロフィールを見てみろ。文句なしじゃろ」
「たしかに数値は文句ないよ。ただ体重の欄は括弧書きで小学3年生時って書いてあるし、スリーサイズは美容整形後の予定見積もり数値って書いてあるよ」
「未完の大器って言葉があるじゃろ。気にするな」
「まあ事前情報の信頼性がないとミステリアスに見えるのはいいけどね」
つぶやくように言うとアディオスは助手席シートの背もたれを倒し腕枕をした。前方に自転車を必死に漕いでいるおじさんが見えた。キャロライン3号は、車道の路側帯を行くおじさんの自転車を追い越そうとした。アディオスは通り過ぎざまにおじさんに目を向ける。おじさんがライバル視するかのような鋭い視線を向けてきた。アディオスは余裕の会釈をして見せる。おじさんの視線が気になりドアミラーごしにおじさんの姿を見守った。追い越されたおじさんは前傾姿勢をとりキャロライン3号を追跡している。ギアのない自転車のペダルは競輪選手顔負けのスピードで回転している。そのときだった。キャロライン3号のエンジン音が突然鳴り止んだ。みるみるうちにスピードを緩めていく。スピードメーターに目をやると50キロから30キロ、10キロとみるみる速度を落としていく。ついにはおじさんの自転車に抜きかえされた。おじさんの優越感あふれる顔が助手席の窓から前方へと流れ去った。
「いくらなんでもスピードゆるめすぎだよ父さん」
アディオスは苦笑いでアディパパを見た。アディパパは首をひねりながらアクセルを何度も強く踏み込んでいる。
「おい、マシントラブルだぞ」
アディパパが声をあげた。アクセルを何度も踏み込んでいるが、反応していない。
キャロライン3号はしばらく惰性で走っていたが、道が上り坂にさしかかるとみるみるスピードを落とし、ついに止まってしまった。二人は顔を見合わせて互いに頬を引きつらせた。
「あぢお、エンジンを見てみろ!」アディパパが息子に指令する。
「ラジャー」パブロフの犬よろしく素早く身体が反応したアディオスは助手席を飛び出し、車のフロント部分へと走った。かがみ込みアディパパに「ボンネット開けて」のサインを送る。勢いよく開いたボンネットはアディオスの顎を直撃した。
「自動でボンネット開くんだね。この車、無駄に自動で動くところ多いな」アディオスは顎をさすりながら、開いたボンネットの下に頭を入れエンジンをのぞき込む。
「へえ、エンジンってこうなっているのか」
アディオスはながめながらうなった。
「エンジンはどうだ、あぢお」
運転席からアディパパの声がする。
「いや、エンジンはちゃんとあるよ」
アディオスが返答する。
「バカタレ! エンジンは在席してるに決まっとるだろ。さっきまで動いてたんだから。わしが言っとるのはエンジンに異常がないかということだ。オイルがなくなっているとか、どっかから煙が出ているとか」アディパパは腹立たしげにエンジンルームの方を指した。
「それをはやく言ってよパパ。のみつぶしに調べるよ」
「それ言うならしらみつぶしじゃ。ああっ! あぢお、来てみろ」
いきなり運転席のアディパパが叫ぶ声。さっきまでエンジンへ行け指令を出していた指が手招きシグナルに変わっている。アディオスは急いで父のもとにかけつけた。アディパパが計器をさして言う。アディオスは運転席の窓から頭を入れ燃料計をのぞき込む。
「ほら見ろ、ガソリンの残量表示がEになっている。ということは……」
アディパパの推理を察してアディオスが後に続く。
「E! Eといえばエクスタシー。つまりエンジンがエクスタシーを感じたということだね」
アディオスは真顔で同意を求めた。
「ちがう。Eだから、え、え、エンドランだ」
なぜか野球用語。真田家の英和辞書にエンプティーという文字はない。
「パパ絶対違うよ。俺、野球したことあるから。あっ、エンドだよエンド。燃料がエンド。つまり終わりってことだよ」
Eが示す意味は異なるが似た意味にたどりついた。アディパパがうなずく。 
「そうか。つまり燃料がカラということか。カラって英語でなんとかティーって言わなかったか? ほらミルクティーとかレモンティーとか」
アディパパの思考回路は永遠にエンプティーにつながりそうにない。
「Eの意味はわかったからどうでもいいよ。パパ、遠出する前はちゃんとガソリン入れとかないと」アディオスがたしなめる。
「ガソリンの入れ忘れか、いやはや納得納得……せんぞぉっ!」
アディパパがいきなり声を荒げた。アディオスは突然の大音量に大電流を感じたようにシートから飛び上がり天井に頭をしこたま打った。
「な、なにを興奮してるの」アディオスが頭頂部をさすりながら諭す。
「燃料が空なわけない。なぜなら昨日ガソリン入れたばっかりだから」
「えっ、入れたばかり?」
「そうだ。ちゃんと5リットル入れておる」アディパパは右手を開いて五を示した。
「5リットル? 少なくね?」
ちなみにキャロライン3号の燃料タンクには満タンで50リットルのガソリンが入る。
「エコを考えてのことだ。満タンに入れれば40キロちかいおもりを載せているのと一緒になる。当然燃費は悪いじゃろ」
「なるほど、重いほど燃費は悪くなるからね、でも5リットルはあっという間になくなるよね」アディオスは腕組みをしてつぶやいた。
「ばかもの。この車は一リットルで20キロは走れるのじゃ。だったら五リットルでどれだけ走れる?」
「20×5……1000キロ!」
アディオスは桁を間違えた。5リットルのガソリンで九州から東京近くまでいけたらガソリンスタンドはすべてつぶれる。
「いや、それは無理じゃろ。でも5リットルで100キロは走れるはずじゃ。なお運良く急な下り坂が5キロ続けばあと5キロ、なおなお車を後ろから人力で押せばさらにあと1キロ走れる」
アディパパは唸った。
「運も重なれば106キロは走れていた。ということは考えられるのは……」アディオスが腕組みをして天を見上げる。
「ガソリン漏れか、ガソリンと別物の混入か、ガソリンをエサにする新種の生物が燃料タンクに潜んでいたか……」アディパパは独自の発想で推理する。
「とにかくガソリンを入れないことには見合いに間に合わないよ。一番近いのは市原スタンドだよ」
アディオスはせかすと、ネットで市原スタンドの電話番号を調べ電話をかけた。
「ダメだ。まだ開いてない」
「だったら市原スタンドの向かいにある山浦スタンドはどうじゃ」
「ああ、昔からあるほうね。でもあそこ割高じゃない?」
「セルフじゃないぶん高いが、とやかく言っていられんじゃろ」
アディパパの指摘にアディオスは「そりゃそうだ」と答え山浦スタンドを検索し電話をかけた。
「はいもしもし、山浦石油です」
「あっ、すみません。ガス欠になって。今、角町の交差点なんですけど来ていただけます?」
「わかりました。すぐうかがいます」
 電話を終えると、アディオスはアディパパにOKサインを送り助手席で待つことにした。
 ガソリンを積載した軽トラックが間もなくやってきた。キャロライン号は最低限のガソリンを入れた後、山浦スタンドへと誘導された。
 山浦石油と掲げられた赤色の看板は色がさめ、創業以来あまりリペアが施されていないように見える。給油機も狭いスペースに3基程度しかなく、車の乗り入れにも苦労しそうな広さだ。待機できるようなスペースもほとんどなく、万が一渋滞すれば、道まではみ出てしまいそうだ。一方で向かいにある市原スタンドは広々とした給油スペースに八基が設置されている。給油の待機スペースも充分に3台分は確保されている。
 アディパパは車を山浦石油の給油機の横へ滑り込ませるとブレーキをかけエンジンを止めた。
店頭で暇そうにしていた青年がぎこちない笑みを浮かべて車に近づいてきた。
「いらっしゃいませ。ガス欠とは災難でしたね」
運転席の窓からアディパパに声をかける。名札を見ると山浦伸吾と書いてある。おそらくここの息子なのだろう。
「ガソリンは満タンでいいですか?」
「いや、とりあえず10リットル」
アディパパは財布の中身を確かめながら小さい答えた。
「えっ、10ですか? たった10リットル?」
伸吾は目を丸くして声を大にした。その目がちらと通りを歩いている若い女性に向く。視線につられたアディパパが女性を見て目を剥き「安美ちゃん」と漏らした。知っている美女らしい。
「待て、満タンと言っとるじゃろ。あふれるくらい入れろ!」
アディパパは目は店員の息子、口は美女の方へよじって野太い声を出した。
「見栄っ張りなんだから……」
アディオスは額に手をやった。伸吾は美女が通りすぎれば訂正があると予見したのか、すぐに「わかりました」と笑顔をつくり給油口へとダッシュで走り出そうとする。
「ちょっと待って」
アディパパが呼び止めた。伸吾は足を止める。
「靴にウンチがついてるぞ。靴底から茶色いのがはみ出てる」アディパパが伸吾の右足を指して言った。
「ええっ、あっほんとだ。気づかなかった。いや、今朝近くを散歩したんですよ。たぶんそのときです」
伸吾は右足の裏を見て苦笑いを浮かべた。
「奇遇ですな。実はわしもこの車に乗る前に犬の糞を踏んじゃってな、ははは」
アディパパは笑顔を見せた。伸吾はティッシュで糞を拭き取ると、会釈して給油口へと走った。入れかわるようにして給油用の軽トラを駐車し終えた店長が窓拭き用の雑巾をもって近づいてきた。名札には山浦権蔵とある。
「お客さん、災難でしたね。ガス欠なんて」
「うぅん、昨日入れたばかりなんですけどね」
アディパパが財布の札束の枚数を数えながら渋い顔をして答える。
「入れたばかり?」
権蔵が首をかしげる。 
「そう。実は昨日給油したばかりだったんじゃよ。変なんですよね。車にどこか悪いところがないか診てもらえますかね」
アディパパがたずねる。
「いいですよ。ところでガソリンは前回どこで入れられました?」権蔵は窓の隅まで丁寧に拭きながらたずねてきた。
「えぇと市原スタンドですけど」アディパパは向かいのスタンドを指さした。アディパパの答えを聞くと店長はとたんに顔をしかめ、アディパパの耳元でささやくように話す。
「ああ、ここだけの話ですけど、あそこは粗悪品のガソリンを売っているんですよ。だから極端に燃費が悪くなる。あそこのガソリンを入れるのは灯油を入れるのと同じですよ」
「ええっ、そうなのか」アディパパは腕組みをした。
「ご愁傷様でした。やられましたね。給油量をごまかすなんてこともしょっちゅうらしいですよ。ほら、20リットルに設定して給油しても15リットルしか入らないとか。そういう細工をすることはできますからね。見舞い品としてガソリン1リットルをサービスで入れときますよ」
権蔵は笑顔で言うと給油中の息子へサービス内容を声をあげて伝えた。
「親切な人だよね。新規参入店舗に客をとられても笑顔で対応。店員の鏡だね」
アディオスはつぶやくように言うと、アディパパに目を向けた。
「表面上の笑顔に騙されるな」
「えっ、どういうこと?」
「もし、超粗悪品のガソリンを入れられていたのであれば、燃料計がEまでなくなることはないじゃろ。そもそも燃料として使えないんだから。出力が落ちるとかほかの形で影響が出るはず」
「たしかに、出てすぐの加速はよかったもんね」
「たとえ前回入れた優良なガソリンと分離されていたとしても、優良ガソリンを使い切ってエンジンが止まったのであれば給油計はゼロにはならない」
「そりゃそうだ。使えないガソリンもどきが燃料タンクにたんまり……というか5リットル残るわけだからね。じゃあ、給油量が少なかった説はどう思うの?」
「昨日給油したのはたった5リットルだぞ。給油したときの感覚で燃料は確かに入っていた。給油時間も妥当だった。たとえ給油量が少なめだったとしてもこんなに早くガス欠になるわけはない」
アディパパは腕組みをして渋い声で見解を述べた。ガソリンスタンドの店舗一帯をじろじろとねめ回しだす。しばらくしてアディパパの視線がある一点で止まる。
「おいあぢお、あの監視カメラおかしいと思わんか」
アディパパがスタンドの屋根にとりつけられたカメラを指す。
「普通の監視カメラだよね」
アディオスはきょとんとして答えた。 
「ほら、監視カメラの向きじゃよ。監視カメラが向かいのスタンドを向いているじゃろ。自店舗の犯罪を防ぐためならこっちのスタンド近辺を向いてないとおかしい」
「ああ、そういえば不自然だよね。あの向きじゃここでの給油風景は映らない」
「ううむ。向かいのライバル店を録画してメリットはあるかどうかじゃ……」
アディパパは腕組みをしてルームミラーをちらと見た。権蔵は後部の窓を拭きだしている。
「向かいの店舗の悪行を暴こうとしているとか。ほら、自分のスタンドにカメラ向けてても客こなけりゃ意味がないでしょ。有効活用するためにライバル店に向けて悪さを監視してたんだよ」
「ガソリンスタンドがやましいことをするとすれば、客への声かけじゃろ。ほら、オイルがまだキレイなのに汚れているとか、タイヤが擦り減っていまにもバーストしそうだとか。音声が取れなきゃ証拠にならん」
アディパパは変な向きの監視カメラを見つめながら否定した。
「たしかにそうだ。じゃあ、どんな客が来ているのかを分析したのかな」
アディオスは浮かんだ案をぶつけた。
「カメラの角度からしてライバル店の給油機に向いとる。セルフ給油なんじゃから店員が映るわけでもない。ということは客を撮っているというのが妥当な線じゃな」アディパパはうなずいた。
「でも何のために?」
「うぅん……気になるのはあの監視カメラが新しいということじゃ。性能もいいのじゃろ。高画質なものをわざわざライバル店のために使う。うぅん」
アディパパは腕組みをし首をひねった。
「ということは、パパも昨日給油したところを高画質で映されたってことかな」
アディオスの言葉にアディパパは眉をぴくりと上げた。
「そうじゃ、わしが給油する姿も映っていたということじゃ。車種も色もナンバーも含めてな」
「でも、そんなの録画して見返しても、自分とこから取られた客を見るわけで悔しい気持ちしかわかないんじゃないかな」
「ねたましい気持ちを晴らせる何かがあるわけじゃろ。何かの仕返しとか」
「仕返しってたとえば?」
「……ガソリンを盗みとるってことじゃよ」アディパパは口元をゆるめ推論を告げた。
「ライバル店で入れたガソリンを盗むってこと? この車のガソリンも盗まれたってこと?」
「そうじゃ。録画記録を見てわしが満タン給油したと勘違いしてやってきたわけじゃ」
「え? 五リットルを満タンと勘違いする?」
「わしは昨日、給油に手間取ったのじゃ。隣の給油所に美女が来て見とれていたからな。満タン給油の見栄をはるためでもある」
アディパパはシリアスな顔で回想する。言っていることは息子として恥ずかしい。
「そうか、この車には燃料がたんまり入っていると勘違いしたわけか」
「さらに支払いは一万円札を美女に見られるように大げさに振りかざしながら投入している。ちなみにおつり支払機からは九千円ほど出てきて見られないように抜き取った」
「そっか、大金はたいてガソリンをたんまり買ったという状況に見える。しかも、車種とナンバーから元はこの店の客ということもわかる」
アディオスの指摘にアディパパはうなずいた。 
「映像を解析すれば、車種、ナンバーなどから給油した人物、住所などもわかるわけじゃ」
「整備を一度でもしたらしつこくハガキ来てたもんね。ということは、ここのガソリンスタンドの誰かがうちに来てガソリンを抜き取った?」
「そうじゃな。映像解析したとすれば、給油体勢の時間、投入した金額の状況からすればわしが満タン給油したと勘違いするじゃろう。ガソリン入れたばっかり、しかも走行距離は自宅まで確定というなかで、まさか中にたった5リットルしか入ってないとは思わなかったはずじゃ」
シリアスな表情で述べるアディパパだが、燃費数百メートル節約のため5リットルしか入れないドケチぶりは息子として恥ずかしい。
「でも、ライバル店で給油した数ある車の中で、満タン給油した車はほかにもあるはずだよね。なんでパパの車を狙ったのかな」
「車種じゃよ。この手の車は車内から給油口を開くタイプではない。車外からでも蓋を押せばパカッと開くタイプだ。つまり車の鍵も必要なければこじ開ける必要もない」
「なるほど、燃料を盗みやすいタイプの車だったわけだね」
アディオスの声にアディパパはうなずいた。
「おそらくうち以外にも何件か盗難被害にあっとるはずじゃ。想像するに被害に遭った車はかつて山浦石油でガソリンを入れていたが向かいの市原石油に寝返った顧客たち。防犯ビデオの映像に山浦石油の会員登録を照らし合わせれば住所もわかるわけだからな」
アディオスは顎をなでながらパパの推理を受けつぐ。
「限られた時間で物色できるわけだ。それだと盗まれたタイミングも納得するよね」
「ガソリン入れた当日に燃料盗難はありえない偶然じゃからな。燃料を盗みやすい車を持つわしがガソリンを満タンに入れたと勘違いした山浦はさっそく夜にうちへやってきたわけじゃ。抜き取る道具を持ってな。何らかの方法で姿を隠しつつ、外から蓋を開け、特殊なチューブを使ってガソリンを抜いた」
アディパパは目を細め、つぶやくように言った。
「ところが、思ったより早くガソリンがなくなった」アディオスはうかがうような目でアディパパを見る。アディパパはうなずくと「さすがにカラはまずい。ただ全部もどすのももったいない。だから少しガソリンをもどしたのじゃろ」アディパパはうなずいた。
「それが自分とこのガソリンスタンドまで走れる量ではなく途中でガス欠となった」
「まっ、そんなところじゃろうな。ただ、ここまでのことはすべて状況証拠じゃ。物的証拠があればいいんじゃがのう」
「うちの防犯ビデオの映像見てみよっか? うちは野ざらし駐車で車も映ってるはずだから何か映っているかも」
アディオスの家には今年の正月以来、防犯ビデオが設置されていた。二夜連続で車のボンネットに飾っていた鏡餅の隣に犬の糞も鏡餅風に供えるいたずらがあったためだ。
「それじゃ。あぢお、スマコで録画映像は見られるか」
「ああスマホね。できるよ、ちょっと待って」
アディオスはスマホを操作し昨夜の映像を早送りして確かめた。深夜2時頃、黒い影が入ってくるのが見えた。
「あっ、何か入ってきた」
アディオスはアディパパに画面を向けた。そこには開いた黒い傘が映り込んでおり、車の給油口へと向かって動いていた。
「センサーライトがつかなかったね」
「センサーは玄関と縁側を中心に向けているからな。おそらく事前に調査もしていたのじゃろ」
「暗いままならあわてず作業されちゃうよね。しかも黒傘で姿を見られる心配ないし」
アディオスは渋面を浮かべて見せた。アディパパは画面を見つめたままうなずく。
「止めろ。これじゃな。給油口で傘が止まっとる。おそらく傘の下に隠れて燃料を抜き取ったんじゃ」
アディオスは映像を止めると画像を拡大してみた。ただ画像が粗くなった傘が映っているだけで何ら手がかりはつかめない。
「犯人がまったく映ってないからね」
「手がかりは傘だけじゃな」
そういうアディパパがスタンドの待合室に目を留めた。
「よし、あの待合室に手がかりがあるかもしれん。せんにょうするぞ」
「ああ、せんにゅうね。わかった」
アディオスは通訳後に同意した。アディオスは後部の窓を拭く権蔵に「トイレ行きます」と告げ、アディパパとともに待合室へと歩いた。待合室に入るとそこにはつなぎを着た年配の女性がレジのところでパソコンに向かっていた。アディオスが先にトイレへと入る。アディパパはレジで仕事をする女性に何やら話しかけながらカウンターの向こう側の様子を探るように見ていた。
 アディオスがトイレを出て水道で手を洗っているとアディパパが背後から近づいてきて「カウンターの向こう側に黒い傘があった」と耳元でささやいた。
「疑わしいね。でも、黒い傘なんてどこの家庭にもあるから決定的証拠にはならないよね」
アディオスも小声で指摘し返す。アディパパは渋い顔でうなずいた。アディオスは待合室へもどると店員女性に背を向け目玉だけを動かし室内の隅々に目を配った。ほかには怪しい物は置いていないようだ。あるとすれば車の整備などをする作業場だろうが、車の不具合をみてもらうとか理由がなければ勝手には入り込めない。トイレの時間が長すぎれば権蔵らに不審に思われる可能性もある。アディオスはアディパパが戻ってくると女性に軽く会釈して待合室を出た。
「ガソリンを抜き取る道具とか見つかればよかったけどね」
「まあ整備場へ行って工具箱を開いて見るわけにはいかんかならな」アディパパはちらと整備場へ目を向けた。
「昨夜、どこにいたのか店長に訊いてみる?」
「いや、証拠がなさすぎる。言いつくろわれるだけじゃ。わしに考えがある。任せておけ」
アディパパの言葉は小声ながら腹式発声のためか力強さがあった。
 二人は車に戻る。待ちかねていたかのように伸吾が金額を告げた。アディパパが財布を取り出しお金をわたす。伸吾は釣り銭を取り出し運転席のアディパパに「またお願いします」と告げ手渡した。
「今日はガス欠のピンチを救ってくれてありがとうな。ついでに向こうの店舗の情報までくれて助かった。次回からこちらでガソリンを入れると言いたいところじゃが、次回は向こうのガソリンスタンドの粗悪燃料の証拠をつかむため、罠をしかける」
「罠ですか?」
伸吾がアディパパに小首をかしげて見せた。
「ここだけの話だが、粗悪ガソリンの実態を暴くんだよ。作戦はこうだ。給油警告ランプがついてたら向かいのガソリンスタンで満タン給油し走行距離計を写真に撮っておく。そして、また給油ランプがつくまで運転しつづける。再び給油ランプがついたら走行距離計を再び確認。走行距離と消費燃料から燃費を計算する。もちろんこの車のカタログ燃費とはほど遠い値が出るはずじゃ。もちろん渋滞する場所を走るわけでもアイドリングを長くしているわけでもない普段通りの使い方に努める。それで異常な値が出たら訴えてやるんじゃ」
アディパパはまくし立てるように伸吾に言った。伸吾は一瞬頬を引きつらせたが、すぐに「そうですね。是非やってみてくださいよ。ほんっと粗悪品ですから。驚くほど低い燃費になるはずです。そうなったらSNSで拡散してくださいよ。悪事は暴かないと」
伸吾は笑顔で力強く言い放った。
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登場人物紹介

真田あぢお  通称アディオス。大学3年生。わけあって5回生。大学内では天然ボケぶりを遺憾なく発揮するが、さらに上を行く父親の天然ボケを前にすると、比較的まともにツッコミを入れる。自称好青年。

アディパパ  本名は真田幸昌というらしい。真田あぢおの父。自らのお金にまつわる事件になると頭の回転がめまぐるしく速くなる。自称イケオジ。

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