第1話

文字数 2,000文字

朝一番に扉を開けて驚いた。

まっくら……。

なぜ……まさか?

そう、そのまさか。
20年苦楽を共にしてきた愛する白い箱は静かに永眠していた。
勿論、寿命であることは明白だ。普通はそんなに持たない。

他の家電は次々に壊れ、掃除機は3回、電子レンジなんぞは4回も入れ替わっている。
唯一、結婚当初から連れ添った可愛い冷凍冷蔵庫だった。

喫緊の課題は中の食品たちの寿命も差し迫っていることだ。
今朝の室温は17度。日中は晴れで、もっと気温が上がるだろう。

仕事は休みだから今すぐ買いに行こう。
今月も苦しいが、沢山の食材の命が掛かっているのだ。
まだ寝ている夫を放っておいて、里佳子は財布を持って家電屋へ直行する。


陳列された冷蔵庫たちはピンキリだった。
6ドアの大型は28万。昔は憧れの的だった観音開きの冷蔵庫は今では当たり前。
最新式は買い物しながら中身の写真がスマホで見れるらしい。

いや、要らないって……。
パワフル冷凍やスピード冷蔵のボタンもどうせ使わない。

シンプルなのを買おう。
家族も五人から二人となり大きな物は必要ない。
型落ちした在庫処分4万円のを買うことにした。
冷やして凍らせてくれたら十分だ。


「今すぐ届けてください」
「ああ、今日は配達が一杯でして、明日の午後になります」

困ったことになった。


温度が上がらないように、なるべく開けない方が良いだろう。
念のため冷凍室の保冷剤を冷蔵室へ入れる。
これで冷気が保たれるだろう。

しかし、甘かった。
凍っていた時間と関係なく保冷材は簡単に溶けてしまった。
ジュースはもう冷たくない。
11月とは言え夏日を繰り返す毎日だ。
今日、明日とどうやって食品たちを守り抜こうか?
いや、明日まで持たない……全て今日中に始末しなくては……。

特売で買った卵2パックをどうする?
鶏肉が危ない。牛乳はもっと危ない。
豆腐は?バターは?朝食のパンは?
食パンを凍らせてから焼くと外はカリっと中はふんわり美味しいと聞き、買ったら直ぐ冷凍庫に入れている。このままではベチョベチョになってしまう。


帰って来たらお昼前だったので、ブランチに親子丼を作った。
「また丼か……」
そう言えば昨日の昼も丼だったっけ……?
二人きりになってから、何を作っても反応が無い夫に張り合いを無くし、つい手抜き料理になってはいたが、美味しいとは言わずに文句だけ言う冷たい夫にカチンと来た。

「じゃあ、今から夕飯の御馳走を作るから、うんとお腹へらしておいてね」
髪を縛って鍋とフライパンを握りしめ、夫に宣戦布告する。

「ええっ、どうしたんだい?わ……分かった、7時までに帰る」
夫は車で出掛けて行った。

太陽が昇り、気温も上がって来た。大丈夫だろうか?
冷凍室を開けるとアイス最中が溶けていた。
ほんのり冷たいが、ふにゃふにゃベトベトで、ちっとも美味しくなかった。

その他の冷凍物も殆ど溶けていた。
こんなに早く‥‥…保冷剤を抜いたせいで寿命が早まったのだ。
いや、あの時まだ凍っていたかどうかさえ怪しい。
実際、冷蔵庫が壊れたのは夕べだったのかもしれない……。

何年もの眠りから覚めたような記憶にない物たちは全てゴミ箱へ。
新しい肉や魚、ナッツ類、カット野菜も油揚げも乳製品たちも今日限りの命だ。

上の子が好きだった海鮮グラタン、おからと豆腐のチヂミ。
次男が好きだった酢豚、鶏の唐揚げ、栗きんとん。

二人とも一人暮らしでちゃんと食べてるのかしら……。

高校で寮生活をしている千佳が好きなピザ、ミートローフ、パエリア。
夫の好きな肉じゃがに筑前煮、野菜の袋煮。
べちゃべちゃの食パンはフレンチトーストに。

懐かしい料理を作りながら楽しかった昔を思い出した。
脇目も振らずキッチンに立ち続け、玄関の音にも気付かなかった。


「お待たせ―」
夫と一緒にドカドカとやって来たのは……。

「え……どうしたの?」
里佳子は目を見張った。

「母さん、ご馳走食べに帰ったよ」
「父さんが急に迎えに来てびっくりしたよ」

驚いたのはこっちだ。
一人暮らしで働いている息子たちが突然、帰って来たのだから。

「浩司、T県からわざわざ?雅人まで……千佳も……部活はいいの?」

「明日、練習休みなの。どうせ暇だったしぃ」
「……てかスゲェな、誰かの誕生日?……ン、美味い!」
雅人が唐揚げをつまみ食い。

「あー私も……うん、美味しい!」
「やった、海老とホタテのグラタンだ。頂きますー」
浩司が素早く自分の席に着く。
「ほら、手ぇ拭いて」
千佳がカウンターから濡れティッシュを取って来て皆に配る。
「やっぱ、母さんの料理はいいなあ、父さんが言う通りだ」
「そうそう、母さんみたいな人を嫁に貰えって言ってたもんな」
「こら、余計なことを……」
白髪頭の下の広いおでこが赤くなったのを里佳子は見た。
「あなた……」

「あれ?母さん、なに泣いてんだよ。俺、話したい事いっぱいあるんだ」
「俺も」
「私も。聞いて聞いてー」

山ほどの御馳走を囲んで賑やかなご飯の時間が夜遅くまで続いた。






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