第29話

文字数 2,029文字

その電話の相手は僕の母だった。

「うん久しぶり…」

「あんたどうしたの?全然連絡もくれないで。ちゃんとご飯は食べてるの?職場の人とはちゃんと上手くやれてる?」

「うん…上手くやってるよ…」

「どうしたの?全然元気ないじゃない。あんたは昔から一人で考え込んで勝手な思い込みでいじけたりして、何か悩んでるんだったらちゃんと誰かに聞いてもらわなきゃ…あんたは何でも悪い方へ悪い方へ考えて、結局取り越し苦労だったってことばかりじゃないの!覚えてる?幼なじみのあゆみちゃん。あんたあの娘のことが大好きだったのに、他の男の子があゆみちゃんに告白したって言って勝手に嫉妬して。それから意地張ってロクに口も利かずにいたから…そのまま転校しちゃって…」

あゆみ…ちゃん…そうか、思い出した。あの時僕は嫉妬して勝手に怒って無視したけど…結局…最後に何も言ってあげられなかったんだ…

「母さん…ありがとう…思い出したよ…大切なことを思い出した…僕にはまだやり残していたことがあったよ…ありがとう母さん…」

そう…まだ僕はちゃんと朋美さんから真実を何も聞き出せていない…全ては僕の勝手な思い込みに過ぎないかもしれないのに…もしかしたら何か理由があって僕から姿を消しただけなのかもしれないのに…なのに…諦めるのはまだ早いのかも…

あの時あゆみちゃんと、ちゃんと話が出来ていたら…あゆみちゃんと仲直りして話し合えていたら、あんなに淋しい別れ方はしなかったのに…
僕はあの時の教訓を何も生かせていなかった。
もうあんな後悔は二度としたくない…やるべきことはまだあるはずだ。

僕は車で朋美さんのアパートへ向かった。しかし、朋美さんのアパートの電気はついておらず、玄関の前でチャイムを鳴らしても中に居る気配もない…

いや…僕はそこである異変に気づいた。

それは、ベランダ側から見える窓にカーテンがかかっていないということ…

それはつまり…もうこのアパートには朋美さんは住んでいない可能性が高いことを意味している…
こんなことを考えたくは無いのだが、もしかしたら朋美さんはあの副店長の家に転がり込んだのか…それとも別の所へ引っ越して新たな生活を始めたのか…

僕は翌日、勇気を出して高橋副店長に自分から声をかけることにした。

僕は事務所に高橋副店長以外に誰も居ないことを確認して切り出した。

「あの…高橋副店長…ちょっと良いですか?」

副店長は僕の顔を見てすぐに目を逸らした。そして…

「北村君…俺からも君に話したいことがあるんだ…ここでは何だから今日仕事終わってからちょっと付き合ってくれないか?」

僕はいつになく神妙な副店長の態度に不安を覚えた。




時は過ぎ、あれから二十数年後…


僕はすっかり歳を取り、気付けばあの当時の朋美さんと同じ42才になっていた。僕は前職のスーパーを退職して文房具の卸売業の会社に勤めていた。
僕が倉庫で入荷した商品の片付け作業をしていると、今年新卒で入社した事務員の安西実花(あんざいみか)が僕の所へ来て、ニヤニヤ照れ笑いしながら声をかけてきた。

「主任…いつもお疲れ様です。あの…お昼ってどうされます?」

実花は誰にでも優しくいつも笑顔で誰からも評判が良かった。
色が白くやや細身で薄い唇が僕の中に眠らせている記憶を呼び起こす。

きっと朋美さんの若い頃ってこういう感じだったのかな…どことなく似てるんだよな…朋美さんに…

僕は年季の入った古い腕時計に目をやった。

「そうだな…あと30分か…」

「主任…あと15分でお昼ですよ」

「あっ…また時間が遅れてるのか…もうこの時計も20年以上も使ってるからな…今日もいつもの定食屋に行こうかな」

「主任はあそこがお気に入りですもんね。あの~…もしよかったらご一緒させて頂けませんか?実は~…私うっかりしてお弁当二つ作って来ちゃったんです」

そう言って恥ずかしそうに笑っている。
普通うっかりして朝から弁当を二つも作るなんてことはあり得ないだろう…
誰か他の人に作った分が無駄になって僕を誘ったのだろうか…もし僕が断ればまた別の人に声をかけるのかもしれないと思ったが、この日は断る気にはなれなかったので快く受けた。

「ありがとう、若い女の子の弁当なんて嬉しいねぇ。もう人の手作りなんて何十年も食べて無いからお言葉に甘えて頂こうかな」

実花は顔を赤くして嬉しそうに両手を握りしめガッツポーズをしていた。

「じゃあどこで食べます?食堂で良いですか?」

「僕はかまわないけど、君がこんなオジサンと一緒に食事してるところ見られたら、変な噂立てられて気まずいでしょう?」

「私は平気ですけど…でも…やっぱり二人きりになれるところがいいかな…」

僕は一瞬ドキッとした。なぜ二人きりになれるところが良いのか…

こんな親子ほど歳の離れたオジサン相手に食事なんかしたって楽しくも無いだろうに…

「二人きりって…僕なんかと二人で何か楽しい話が出来るかな?自信がないよ…」

「別に…一緒に居られるだけで楽しいですよ…主任は優しいから…」
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