柿ピーと薄いコーヒー

文字数 1,985文字

 高校に入学してすぐ私は四人のクラスメイトと仲良くなった。好きなマンガや本の貸し借りをしたり、誰かの十六歳の誕生日にはランチの時間にケーキを持ち寄って祝ったり。四人とも絵を描くのが好きだったので美術・音楽・書道の選択科目も自然、美術となった。四人のなかでも後藤智美はべらぼうに絵がうまかった。智美が点描で描く薔薇の花も噴水も、西洋の有名な画家の絵を彷彿とさせた。
 そのうち他の三人も点描で描きはじめた。だが私は自分の描き方をとおした。智美の才能のすばらしさはもちろん認めるが、智美をまねるのは違うと思ったのだ。すると徐々に、皆が私と距離をとり出した。美術室へ移動するのに私を誘わなかったり、ランチの時間に私が発言すると微妙な間があいたり。智美は、みんな私のまねして点描で描かなくていいよ、と言ったが、智美自身も私への態度にぎこちなさを表すようになった。
 だんだん四人といるのがおっくうになり、私は教室でも美術室でも彼女たちと離れて過ごしはじめた。秋生まれの私はケーキで祝ってもらい損ねたが、別によかった。自分の好きなように描いて何が悪いの。一方、己の自意識の強さに辟易ともしていた。かといって自分を変える術は持っていなかった。ほかの生徒といるのも疲れる気がした。ひとりは楽でいいと思った。
 私たちはみな美術部に所属していたが、気まずさから私は部活からも遠ざかっていた。二学期になった。コンクールの締切が迫っている。出品する油絵を仕上げなきゃ……。
 重い足取りで放課後、美術室に入った。絵を持ち帰り、家で描こうと思ったのだ。他に生徒はいない。四人と顔をあわせずにすんでよかった。キャンバスを新聞紙で包み布袋に入れたとき、準備室の扉がひらいた。美術の緒方先生が出てきた。彼は美術部の顧問も兼ねている。
「おや、紺野さん。久しぶりやね。最近全然こないけど、どうしたん」
「すみません。間に合いそうにないので、家で仕上げます」
「ちょうどよかったわ。明日の授業で使う石膏像、買ったやつが意外と重くてな。運ぶの手伝ってくれへんか」
 先生と一緒に三体の石膏像を所定位置に運んだ。確かに重くて、軽く汗が出た。
「お礼にコーヒーごちそうするわ」
 先生が準備室に消えた。四十代なかばで奥さんも子供もいないらしい。常に眠そうな垂れ目に眼鏡をかけ髪を背中まで長く伸ばし、輪ゴムでひとつにまとめている。眼鏡の左側のつるが外れかけており針金で補強していた。着ているカラーシャツも変な柄がたくさん入っている。前任者の吉田先生が五月に急逝したので急遽、赴任した人だ。いでたちが教師に似つかわしくないと苦情を言う親御さんがいるらしいが、急なことなのですぐ来れる人が他にいなかったのだと噂で聞いた。
 先生が一人の生徒だけに飲食をふるまうのって、いいのかな。それに、男の人と二人きりになるのはまずくないだろうか。緒方先生って変人だし。どうしよう。迷ったが、断ると失礼かと思い、準備室に入った。机のスマホからジャズが低音で流れていた。
 サイフォンで沸したコーヒーを白いマグカップに注いでくれた。先生の前の丸椅子に座り、向かい合うかっこうとなった。先生はスティックの砂糖とミルクのポーションもすすめてくれたが、なぜか背伸びをしたくなり、ブラックで飲めますと言った。カップに口をつけ、コーヒーを啜る。今まで飲んだことのないすごく薄いコーヒー。扉は開けたままだった。
「家で描くのもいいけどさ、顧問やのに俺、見れへんやん」
 と言うが、そう熱心に指導しているのを見たことがない。
「すみません。何となく部活に行きたくなくて……」
 先生の眉があがった。
「ごめんなさい、先生に会いたくないからとか、そういうんじゃないんです」
 変な言い方になり、つぎの言葉を探していると、
「あのなあ、俺、点描描きってきらいやねん」
 びっくりして顔をあげた。
「なんかさ、下手をごまかしてる気がするんや。点描で描いたらこう、ぼうっとして、デッサン狂っててもそれなりにうまく見えるやん」
「でも、後藤さんはうまいと思いますけど」
「あの子はまあまあうまいよ。でも俺は点描描きは好きじゃない。ちまちまして、見てるだけで肩凝るわ」
 美術の先生がそんなことを言っていいのだろうか。私がカップを抱えたまま呆然としていると、
「好きなように描きや。それでいい」
 点描描きを否定したさっきの言葉と矛盾していると思い、少し笑った。先生は机の引き出しから柿ピーの袋を出して、私にすすめた。
 二年になってクラスが変わり、四人と再び仲良くなることはなく、あいかわらず私はぼっちの生徒のままで卒業した。部活のない日たまに美術室に行くと、だれにも言うなよと緒方先生は薄いコーヒーと柿ピーをごちそうしてくれた。していたのは昨日何を食べたとか、好きなマンガは何とか、ほんとうに他愛もない話。


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