その真実のいつわりを 3

文字数 4,345文字

 星の称号を持つ術士というのは、まるで悪い冗談のような力を保持しているようだ。
 馬で一晩かけた距離を三人合わせて一瞬で連れ戻された瞬間、つくづくシエラはそう思った。瞬きする間もない。すこし視界が歪んだかと思ったら、次にはもう見覚えのある部屋の中にいたのだから。術士ではない彼女には、何がどうなってそんな術が使われるのか全く理解できない。
 戻ってくるまでずっとこちらの手を握って離そうとしなかった後見人は、戻ってすぐにキールによって追い出された。
「今日は休む!」
「馬鹿っ!! 散々報告は受けてんだぞ? お前が仕事を溜め込んでるってな。仕事を済ませてから戻ってきやがれ!」
 渋るシーグに、苛立った声で怒鳴って彼を追い出す黒髪の男。
 意外だったのは、彼の言葉に大人しく後見人が従ったことだった。仲が良いらしいのはそれまでの様子で解ったけれど、あの面倒臭がりで怠慢な星の術士が誰かに大人しく従う姿は初めて見た。
 年齢の差はほとんど無いように見える。
 シーグが出て行ってしばらく、二人とも部屋のソファーに二人バラバラに寝そべっていた。自分も、そして彼もお互いに夜ほとんど眠っていないので仕方ない。それに、彼には不思議と安心感を感じていた。
 前の後見人である養父に、雰囲気が似ていたからかもしれない。
「なぁ」
 体は動かさないままで、彼が問いかけてくる。
「シエラは、何者なんだ? まさか今更、普通の子供ですなんて誤魔化したりはしないだろう? 嫌だぞ、術もなしに獣の群れを一人で相手できる普通の子供なんて」
 確かに。
 そんな子供が普通な場所があったら、嫌だ。
 でも自分の説明の前に知っておきたい事があった。
「そういうキールは何者なの? まさか今更、ただの術士ですなんて誤魔化したりはしないでしょう? 嫌よ、あいつに踵落としを平気で出来る普通の術士なんて」
「まぁ確かにな。そんな事あいつに出来るのは今の所俺とエリザ師くらいのもんだろうな」
 くすくす笑って寝返りをうつと、彼はこちらを見た。この辺ではほとんど見られない真紅の瞳。黒い髪にこの眼の組み合わせはとても珍しい。
「俺はアイツと同じ師の下でずっと学んでいた。一応、俺も星の称号があるけど、アイツとは違ってお飾りの称号だな。俺は術を使えるけど、生まれつき制御は出来ないんだ。術力のみでこんな称号貰ってんだよ。どっちかといえば格闘の方が得意だな」
 そういう感じはしていた。
 身のこなしなどを見ていると、術士というより格闘家のような雰囲気がある。術士特有の雰囲気を彼は持ち合わせていない。服装もそうだが、いざというときに術よりも手の方が早く出そうな、そういう風に見えた。
 体つきも、到底術士には見えないし。
「星、なの」
「まぁな。今は無限の谷の役員兼教師を務めてるんだ」
「それで、来たのね?」
「あぁ。普通はこういう役はもっと下っ端がするんだが、何せ相手はアイツだからな。下手な相手を送っても簡単に突っぱねられると考えたんだろ、上層部も。俺は昔からの付き合いだからなぁ」
 それに、彼はキールには一目置いている感じがあった。だから任せられたのか。
 おそらく戻ってくる前に彼が話していたことは半分くらい真実なのだろうと、そして残り半分はそうではないと気付いていた。彼は、さっき「説得を任せられて」と言っていたけれど本当はもっと強制的な処置を任されたんだろう。
 説得にしては彼が判断を急いでいるような感じがしたし、語る雰囲気が切迫していた。
「本当は、私の処理をしに来たのね?」
「悪い表現だが、そうなるかな。もうその気はないけど」
 元から、そういう事が出来るようには見えない。
 恐らく彼は上からの命令はどうあれ、「シーグが後見している子供」を悪いようにはしなかっただろう。新しい後見人を探すつもりでいたのだと思う。もしかしたらその為に自ら来たのかもしれない。憶測でしかないけれど。
 寝返りを、打つ。
 質のいいソファーに寝そべっていると、それだけで眠気がやってくる。
 下手なベッドよりも寝心地が良くてソファーにしておくには勿体無い。
「それで、俺の方の質問に答える気はあるのかい?」
 とろりと意識が溶けかけた瞬間、それを阻む彼の声。
 とはいえ彼の方も声からして眠そうで、まったく同じような状態にあるらしい。眠ってしまうのも時間の問題というくらい、居心地の良い部屋。
「私は」
 こんな場所は似合わない。
(だって、私は)
「私は、暗殺者。命を奪う事を生業とするもの。光を守る為の影。平穏を守る為の陰。誰かを守る為の闇。穏やかで迷い無い死を与える存在」
 受け継いだのは、意味と力。
 それを望んだのは、自分の意思。
 後悔なんて無い。
「私は、『静かなる闇』の後継者」
「何だとっ!?
 ぼんやりと告げた事実に、キールは体のバネだけで飛び起きた。
 世界でも屈指の暗殺者。その名は職業に不釣合いな知名度を持つ。恐らく、世界で最強の名を持つ存在の一人。最強の、暗殺者。今その名を持つ者は、本物から受け継いだのはシエラだけ。偽者は、たくさんいる。
 私欲や報酬で動かない高潔な殺人者。闇に身を置きながらもそこに溺れる事のなかった彼の働きは、結果的にその名を裏の世界以外にも広げる事になった。育てられた自分ですら、彼がどうしてそういう稼業に飛び込んで何を思って生きていたのかまったく分からないけれど、その生き方は誇らしかったから。
 彼が病気で倒れて以降、仕事をこなしていたのは自分、だ。
 もう何人も、殺した。
「私の前の後見人が、『静かなる闇』の名を持つ男だった。彼は私に生きていく為の力をくれて、数ヶ月前に死んでしまった。だから、私は後を継いで暗殺者になった。後見人の選定を忘れてて、役所の命令でシーグが後見人になったの」
「そうか。だから、そんなに強いのか」
「信じるの?」
 こんな子供が後継者だと、容易に信じられるはずは無い。
 そう思って、問いかけた。
 返ってきたのは、優しい声。
「信じるさ。あんな武器、普通の人間が使えるはず無いからな」
 それはあの時獣を倒す際に使っていた鋼鉄の糸のことだろう。確かにアレは暗殺に使用する武器の一つで、一般的なものではない。それだけを使うわけでは無いけれど、彼女はそれを使う機会が多かった。
 まだ腕力もない彼女にとってこの糸は使いやすい武器の一つだった。
 あそこで糸を使ったのは、偶然。一番最初に袋の中から見つけたというだけのことだったけれど、持ち合わせていたどの武器を使っても同じ評価をされていただろう。普通の武器など、一つも持っていなかったのだから。
「私が、怖くないの?」
 信じると言いながら掛けられた、優しい声にシエラは驚いた。
 嘘をついている様子は無い。
「俺が、シエラを?」
 聞き返した彼は、くすりと笑う。心底可笑しげに、彼の赤の瞳が輝いていた。それまでと同じように、ソファーの上に体を戻しながら言う。
「何を怖がらなきゃいけないんだ? 獣を何匹も短時間で殺せる所か? 『静かなる闇』の後継者っていう所か? 人間を殺せるという、所か?」
 分からない。
 だけど、忌まれない理由は無いとも思う。
 こちらの問いかけに問いかけで返してきた上で、キールは小さく息をつくと寝たまま天井を見上げた。真っ直ぐ上に両腕を伸ばして、手を広げる。まるで何かを掲げているようなその仕草。
「俺はさ、術士なんだよ」
 宣言するように彼は言う。
「俺たち術士は、自分以外のモノの力も借りて、普通の人間じゃ起こせないような現象を起こす。その中には奇跡と言われるようなモノもあれば、悪魔と言われそうな残酷なモノまで含まれるんだ。術力が大きいほど、その規模も大きくなっていく。それは、より大きな奇跡と、より大きな残酷を引き起こせるということだ」
 くいっと握り締められる、手。
 彼の目は、自分の手に釘付けになっている。
「俺やシーグ程になるとな、この街一つ焦土に変えるのは一度の術で済んでしまう。それだけで、この街にいる人間全てを殺す事が出来る。しかも俺は生まれつき術の制御が出来ない。誰を殺して誰を殺さないかなんて選べない。全部、巻き込むんだ」
 だからこそ術士は恐れられる。
 今でこそ共存の社会になりつつあるけれど、昔は迫害もよくあった。それは何よりも術士が力を持っている事に起因すると言われる。星の術士と呼ばれる存在はほとんどいないけれど、普通の人間の中には最も弱い術士ですら恐れる者もまだ多い。
 それは、知っている。
「俺が、怖いか?」
「いや、それほど問題では無いかな。どんなに強い術士であろうと、殺せる存在である事に変わりないから。静かなる闇は、義父は、そう言っていた。私も、そう思う」
 人である限り、同じ。
 それを殺せるかどうかで量るのはおかしいのかもしれない。だけど、シエラは今の所他に明確な判断基準を持たないから。星の術士であっても、彼女にとって殺す対象として見るなら普通の人間と同じだった。
「同じだ。俺にとっても、シエラがそういうものだろうがそうでなかろうが、俺の術の暴走に巻き込まれたらあっさり死んじまうモノの一つだ。怖いわけないだろう? 怖がる理由は何も無い。俺は、自分で決めたわけでも無いのに誰かを殺せる可能性が普通のヤツよりずっと高い人生を生きてきたんだぞ?」
 寝転がったままでそう言うキールの声が、寂しそうに聞こえたのは錯覚だろうか。
 ちらりと彼の横顔を覗き見てみたけれど、黒髪の奥の赤い瞳はその時は見ることが出来なかった。口元だけ見れば、笑っているようにも見えたけれど。
「だから、安心しろ。例え世界中の奴がお前を怖がったとしても、俺だけは怖がらない。きっとシーグだって同じだ。俺たちは、シエラを十三歳の女の子という風にしか、見ない。どんなに強くても、お前は守るべきモノだよ、俺たちにとっては」
 不思議な気分だった。
 誰かに守られるなど考えたことも無い。自分の手を汚して、自分の足で進んでいくものだと思っていたから。守ってくれる誰かの存在など夢に見たことも無い程、それは現実味の無いものだったから。
 それでもキールの言葉には真実味があって。
 彼の言うことは信用したい気がした。出会って数時間しか経ってないけれど、彼と話すのは楽しかったから。その感じは居心地がいい、と言うのかもしれない。彼のことを昔から知っているような気さえする。
「キールも、シーグも、変な人間だ」
 でも恥ずかしくて、そんな事は言えない。
 その代わりにそんな事を言って、少しだけ笑った。笑うなんて事は今までほとんど無かったから、上手く笑えたかどうかはわからなかったけど。
 こちらを見た彼は、首をすくめて寝返りを打った。
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