閑話 黄美香

文字数 2,977文字

 初等学校(チョドゥンハッキョ)に入学する前から漫画やアニメが大好きで、お父さん(アボジ)お兄ちゃん(オッパ)達と一緒にTVを観ていました。
 お母さん(オモニ)はアニメが好きじゃ無いみたいで一緒に観る事は殆ど無くて、私が興味を持つものに対しても全部ってくらいに興味を持ってくれなかったのです。
 嫌悪している感じもあったので、初等学校に入学してからは、母さん(オモニ)にあれ好きこれ好きと言えなくなっていました。
 そして私が興味を持った物の大半が日本(イルボン)の物だと分かった時は「こんな面白いアニメや音楽を作るって凄い」といつかは日本に行きたいと思っていたのです。
 そう、お母さんが私の趣味を毛嫌いするのは、それがmade in Japan だったからだと中学校(チュンハッキョ)になって理解したしました。

 そう、私の母さんは日本が大嫌いな「反日家」だったのです。

 それが分かってしまった時、私は凄く悲しくなりました。
 だってお隣同志仲良くしたいと思うのは当たり前で、昔戦争で占領されたとか、酷い目に遭わされた人達が沢山いたとか中学校の授業や先生が言っていたので知識としては持っていましたが、「今の日本は皆が言うほど酷い国じゃなくて仲良くなれる国」だと私は感じていました。

 いつの時代も戦争はとても悲しい事が多くて、未だに不幸な人が沢山いるのも知っていますが、だからと云って隣国を嫌悪して責任取ってと言ってばかりじゃお互いに幸せには成れません。良い所は褒め合って、悪い所は注意し合っていけば隣国同士幸せになれる筈だと今でも思っています。
 国同士で領土問題とかで揉めるのは国際社会をみても沢山あります。だから余計にお互いが歩み寄って良好な関係を築いていかなければならないし、そこには信頼関係が大事だと言いたいのです。
 そんな私だから、日本の高校への交換留学制度があると聞いたときは、お父さんを説得して7学年の時に東京の高等学校へ留学が叶った時は生まれてきて3番目くらいに嬉しい出来事でした。

 日本の高等学校に通う日々は色々楽しかったし、勉強も面白かった。ただ、私が韓国人だと知った瞬間に態度が急変する人も少なくはなかったから私の人生の中で5番目くらいに悲しい事でした。
 でも、反対に私が韓国人だと分かってK-POP好きな友達も沢山増えたのは、8番目くらいに楽しい思い出です。

 そして日本の高等学校の卒業式では、沢山、沢山泣きました。2年と少しの間だった日本での生活は、私の人生の中で大切な経験をさせてくれました。今まで生きてきて1番泣きました。
 韓国へ帰国しても学校のクラスメイトや友達との絆は消える事は絶対にないと胸に大事に秘めて、母国韓国へ帰ってきました。

 韓国では大学に進学するのが普通だったのですが、家族の為にアメリカでの仕事を見つけて帰国後直ぐに向かう筈でした。


 そう、帰国した私に待ち受けていたのは非情とも言えるものでした。


 ◇


 暗い船室で閉じ込められている私を助けてくれたのは、日本人の真瀬輝代(ませてるよ)という大学生のお姉さんでした。

 お父さんに売られて、ガラの悪い人達に『前々からお前はフィリピンで売春をする事になっていたのだ』と言われた時は私の人生設計が儚く消えていくのを感じて船に連れ込まれてから毎日、毎日泣いて過ごしました。
 男達に乱暴され、この身も汚されて生きていくことに絶望していた私を助けてくれて、手を差し伸べてくれたのが輝代さんです。

 そして、彼女のお陰で私の復讐は為されました。漁師の娘だった私は、小さな頃からお父さんの漁船で操舵を教えて貰っていたのが幸いして、船を奪って奴らの仲間からも逃げきったのですが、運悪く私達の進行方向に台風が直撃した時は、天の神様が与えたもうた試練に心が折れてしましそうになりましたが、無人島らしき島影を見つけた時は、光明に照らされた道が見えた気がしました。
 そして島に辿り着くのですが、荒れ狂う海から島の湾をめざした操舵は非常に困難でした。島に近づいてから気が付いたのです。
 そこは思った以上に浅瀬だったみたいで船底に穴が開いてしまい、航行不能なってしまったのです。私達は救助されるその日まで、この島でのサバイバル生活を余儀なくされたのです。


 ◇


 輝代さんは、お嬢様みないに世間知らずで少ししつこい所があるのですが、お姉さんってこんな感じなのかなと思うと彼女の態度や口調は高等学校の友人達を思い出し、胸がポカポカとしてくる感覚を思い出します。
 驚いたのですが、彼女は辛い物が苦手みたいで、私の料理の味付けに文句を言ってきます。だけど、輝代さんもお返しとばかりに“まいう~”を強要してくるので、お互い様としておきました。
 私の“まいう~”と輝代さんの“まいう~”は違っていて。表情が一番大事なんだと力説していましたが、輝代さんの“まいう~”は少し恥ずかしいし、私には何が違うのか良く分かりませんでした。


 ◇


 船にはまだ降ろしたい物資が沢山残っているのですが、輝代さんは力も体力も無いので、彼女が寝静まった後に私一人で運び出しています。
 密輸船の中の物資は、島での生活を考えると宝庫と思えるくらいに便利な物で溢れかえっていて、衣服やインスタント食品、飲料が多かったのですけれど、他にも色々な物がありました。
 農機具や工具、食器に洗剤。その中でも一番嬉しかったのが「薬」の類で、解熱剤や鎮痛剤、風邪薬に抗生物質の薬も沢山あったので、今の私の『体の異変』に対処出来る薬の発見は、この先の希望を持てました。
 薬品は小屋が完成するまで船に保管しておく事にしました。出来れば手元に置いておきたかったのですが、保管の仕方がしっかりしてないと駄目になってしまいますから、今のところは船の医療室に置いておきましょう。


 ◇


 私の体調は日に日に悪くなっています。
 毎日男達に汚されて所為で少量ではあるのけれど、出血が止まらなくなってしまって、偶に発熱で意識が朦朧とする時もあります。
 私は、輝代さんに悟られない様に少しずつ薬を服用しているのですが、痛みは薄らいだものの出血は止まってくれません。
 物資の中に日本製の“下り物シート”が役に立っていて各種の生理用品は数も沢山あるので、輝代さんと二人で使っても5年以上持ちます。

 ただ私の体調が良くならず、徐々に悪くなっているのは不安が残ります。でも今は、輝代さんが一緒に居れて、私は凄く嬉しくて、楽しくて、とても幸せな気分を味わっています。

 出血が止まります様に、熱が引きます様に。どうか、どうか私の願いが神様に届きます様に、ハレルヤ、ハレルヤ。お願い致します。


 ◇


 島に居住スペースを作り、なるべく快適に生活出来る環境を確保する毎日を過ごしています。そんな生活を続けていますが私の身には病気があるので、万が一の事を想定して輝代さんに私が知っているサバイバル生活技術を覚えてもらい、もし私が死んで輝代さん一人になったとしても助けが来るまで生き残れる様に、ちょっとだけ厳しく教えていこうと思っています。

 もし、もしも、早い内に救助が来て、二人して助かったら……私は輝代さんと一緒に日本で暮らしたいです。

 「良し、日記は書いたし寝る事にしましょう」

 アパ…筋肉痛早く治らないかなぁ………照代さんって寝顔がとても可愛いから、つい見入ってしまいます。

 「안녕히 주무세요(おやすみなさい)언니(おねえちゃん)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

真瀬 輝代 ませてるよ 21歳女子大生


黄 美香 ファン ミヒャン 18歳

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み