第1話 朝のルーチン

文字数 7,776文字

 六時になると目が覚めてしまう。
 会社員時代に身についてしまった習慣だ。
 朝早く起きる必要なんて、今や全くないのに。
 でも起きてしまう。
 ようやく秋風が吹いてきて、ぐっすり眠れるようになったのに。
 俺は少しの間布団の中で何もせずに、もぞもぞしていた。
 もぞもぞしていたが、もぞもぞにも限界がある。
 遂に俺は決断し、布団から出てトイレに行くことにする。
 まだ六時八分。
 カーテンを開ける。
 外は晴れている。

 テレビをつけるとニュースをやっている。
 どこかの国がどこかの国を弾圧し、どこかの会社が不祥事のせいで大幅に株価を下げたと言っている。
 そういうのも、疎くなった。必要が無くなったからだ。結局俺は社会情勢にも経済情勢にもあまり興味が無いということらしい。こういうニュースを見ていたのは、会社で誰か他人と便所や喫煙所で話を合わせるためだったということか。そして今やその必要も無くなったということか。だからそういった話題を追う義務も無くなったということか。
 ニュースがスポーツに変わった。プロ野球のクライマックスシリーズで、シーズン中は調子が悪かった球団が勝ち進みそうだと言っている。だいたいがして、と俺は思った。クライマックスシリーズって何だ。シーズン中調子が悪くても最後に優勝できるとか、どういう仕組みになっているのか訳がわからない。だいちそんなことだったらシーズンとか不要ではないか。クライマックスシリーズだけやればいいじゃないか。そう思った。そう思ったが、それは違う。プロ野球は球場に客が入ればいいのだ。どこの球団が優勝しようが、どこの球団が逆転しようが、何回も試合をやってその都度客が沢山入れば、それでいいのだ。と、そこまで考えた。そして思う。どうでもいい。まったくもって本当に、どうでもいいことだ。

 やれやれ。
 俺はそのアメリカのSF作家カート・ボネガット・ジュニアの主人公の口癖をつぶやき、ようやくテレビの前のベッドから重い腰を上げた。
 コーヒーでも飲むか。
 この三月で会社を辞めた。六十歳になったからだ。三月二十日で満六十歳。我ながら長く生きてきたもんだ。感心する。
 思えば人生の大半を会社員として過ごした。工学部の大学院を出て、カメラの会社に就職した。カメラが好きだったからだ。そしてそこからずっと会社員だった。最初は八王子の寮だったが、そこを追い出されて西葛西に引っ越した。それから三十年。途中海外に赴任したりもしたが、基本は西葛西だ。朝六時半に西葛西のアパートを出て七時半に新宿本社に着く。帰りは大抵十時過ぎだ。そんな生活を三十年間やってきた。昭和のサラリーマンだ。

 若い頃は二十四時間闘えますかなんていうフレーズが流行って、皆一生懸命仕事をした。あの頃は夢を持っていた。野望を持っていた。そして時代は平成となり、それが終わって令和となった。気付くと、会社はコンプライアンスとミッションという二大横文字が支配していた。何か言おうものならすぐさまセクハラだのパワハラだのと訴えられる。女の子のことを女の子と言うだけでセクハラだ。女性? そんな気取った言い方できるか。そう思ったが、それは昭和のオヤジの言い草なのだそうだ。
 期の初めにはミッションシートとやらが回ってきて、自分のミッションを上司がチェックする。自分は部下のミッションをチェックする。ミッションで給料が出る。ミッション以外は仕事じゃない。そんなこと誰が決めたんだ。わからない。でもいつの間にかそうなっていた。俺は新しいカメラを作る筈だった。新しいカメラを。新しいカメラの概念を。新しいカメラの価値を。それが俺の夢だったし、野望だった。しかしそんなものはどのミッションシートにも書かれていなかった。俺は最初設計部門にいたのだが、その後転身して技術営業をやり、営業部長にまでなった。しかし設計部門にも営業部門にも、平社員にも課長にも部長にも、「新しいカメラの価値を生み出す」というミッションは無かった。当初設計部門にいた頃はまだミッションシートなど無かった。自由に意見を交換し、闊達にアイディアを出し合い、深夜まで会社で議論を闘わすことができたものだ。その後俺は野望の実現のために営業マーケティング部門へ転身し、その頃丁度カメラがフィルムからデジタルへと転換した。と、そこまではよかった。しかしその頃からだ。ミッションがどうのと言い出した。営業部門のミッションは売上を上げることだ。カメラの売上を上げること。カメラを一台でも多く売ること。それはそうだ。そうに違いない。だから俺はがんばった。必死でカメラを売った。あの手この手を使った。それもこれも野望の実現のためであり、出世して部長まで行けば、ミッションシートとやらに自分の意志でミッションを書き込めるのではないかと思ったからだ。俺の野望を。「新しいカメラの価値を作る」という野望を。自分自身の意志で。俺のミッションシートに。

 しかしそうではなかった。
 俺は国内営業部の営業部長になった。しかし部長になっても、ミッションシートは「カメラの売上を上げる」としか書き込めない。どういうことだ、と俺は思った。部長でも駄目なのか。では本部長か。営業本部長か。あと何年かかるんだ。そう思っていた矢先だった。新しい営業本部長が就任した。それは創業家の子息で、俺より五歳も年下だった。
 それはつまり、ミッションシートに書き込めないということだった。俺は俺の野望を、俺のミッションシートに書き込めない。今も書き込めないし、将来に渡っても書き込めない。つまり、それは誰のせいということでもなく、言ってみれば運命とでもいうような、この若手営業本部長の就任という事態をもってして、三十三年間に渡って持ち続けてきた俺の夢と野望は潰えた、という訳だ。これをもって。未来永劫、永遠に。

 そうこうしているうちにコンパクト・デジタル・カメラという商品群の市場に転換期がやってきた。うちの会社のコンパクトデジカメは格好が良かった。性能も良かった。ラインナップも良かった。営業力も宣伝力も、ライバルメーカーに負けていなかった。だから他社に比べてシェアが大きかったし、投資も大きかった。故に価格も安くできた。それは多少なりとも俺の仕事の成果の反映でもあった。しかしながら、今回の市場の転換はそういう単純で無邪気な問題ではなかった。どんなに格好が良かろうが、どんなに性能が良かろうが、どんなに安かろうが、駄目だった。俺や俺の部下たちがどんなに英知を結集して匠の技を積み上げようが駄目だった。そういう問題ではなかった。コンパクトデジカメというカテゴリ自体が駄目だったのだ。コンデジが死んでゆく。この世から消えてゆく。それが必然だった。スマートホンという全く別の商品カテゴリからライバルが現れたからだ。このライバルは強力で、客に対する訴求力が半端なく、営業規模も生産規模も開発規模も、カメラメーカーは足元にも及ばなかった。まさに撃破されたというかんじだった。あっという間に撤退戦に入っていた。それこそ半期毎に書かれるミッションシートの目標の下方修正が間に合わなかった位の早さだった。一旦スタートした新商品の開発と生産は、簡単には止まらない。だからどんどん新しいコンデジが工場で生産され、しかし店舗からは発注が来ず、古い商品どころか新商品まで大半が在庫になった。在庫の山。倉庫が足りない。この在庫をどこへ運んだらいいんですか。と、工場の物流担当者から営業部に対して連日悲鳴のような電話が掛かってくるのだ。

 「なにをやっているんですか」と、ある日営業本部長が言った。なにをやっているも何も、コンデジが売れないのだ。どの店もコンデジを売ってくれないのだ。「あなたのミッションシートを見てください」と、営業本部長が言った。そこにはコンデジの商品戦略が書かれている。本年度は十パーセントの売上増、と書かれている。「あなたの企画に基づいて、あなたの企画のコンデジを生産し、あなたの販売計画に基づいて売っているのですよね」と、その俺より五歳年下の創業家の子息の営業本部長は言った。それはそのとおりだった。このミッションシートを書いたのは俺だし、俺がコンデジの売上増戦略を企画していた。もともとはその売上増が会社からの要請だったにしろ、ミッションシートを書いたのはこの俺だ。そしてスマートホンという強烈な外乱要素が黒船のようにやってきて、未開のデジカメ業界市場はこれまで遭遇したことのない新型兵器で爆撃をされた。それまで無敵を誇っていた武田騎馬隊がいきなり登場した小田軍の新型兵器の鉄砲によってあっけなく撃破されたように。または、無敵の筈だった地球連邦軍がガミラスから突然襲来した異星人の新型兵器によって即座に駆逐されてしまったように。

 俺は役職定年の五十五歳を待たずに、営業部長から降りた。在庫処分の評価損に対する顛末書を何枚か書き、敗戦処理をし、後輩の営業部長をやり易い状態にしてから。どうせ誰かが背負う撤退戦だ。それならば俺が背負う。代表して背負う。コンデジと心中する。俺が企画したコンデジ達と。そう思った。
 その後の五年間はむしろ気楽だった。肩の荷が下りた。背負うものが無くなった。主幹という肩書になった俺は、人事部へ回された。人事部で技術者と営業の教育をやって欲しい、と、途中入社で外部の商社からやって来たカメラのことを知らない外様の人事本部長は言った。まあいい。何でもやってやる。どうせ夢と野望は潰えた。俺がこの会社でやらなければならないことは無くなった。

 やれやれ。
 コーヒーが入ったようだ。よい香りがしている。コーヒーはエスプレッソだ。
 三月二十日。会社員最後の日。後輩が送別会を催してくれた。俺の後目を継いだ営業部長が幹事だった。酔っぱらったそいつはカメラ業界の行く末を嘆いた。その嘆きには共感する。しかし申し訳ないが、俺にはもう関係が無い。がんばってくれ。そうとしか言えない。スナックへ行きましょうよ、と、そいつが言った。スナックへ行ってクダを巻きたいのだろう。しかし俺は断った。二次会へは行かなかった。誰かの悪口を言ってその場限りの満足を得るような、そんな絵に描いたような昭和のサラリーマンとしてカメラ業界を去るのは、自分のなけなしのプライドが許さなかった。
 このコーヒーメーカーは送別会の折に有志の後輩たちが俺に贈ってくれたものだ。定年後にシニアとして会社に残ることを選ばなかった俺に対して。コーヒーでも飲んでゆっくり過ごして下さいよ、と言いたかったのだろう。勿論そこに悪意は無い。俺は後輩たちの望み通りに、それからほぼ毎日このコーヒーメーカーを使ってコーヒーを淹れて飲んでいる。パッケージされた豆を機械に嵌め込んで一杯ずつ抽出するタイプのコーヒーメーカーだ。いちいち豆を挽く必要が無い。なるほど。妻も子供もいない独り者の俺にとっては適切な仕様だ。さすが俺の後輩の見立てだと言わざるを得ない。

 やれやれ。
 という訳で俺はコーヒーを飲んだ。美味しかった。香り高いエスプレッソ。ちょっとしか量がないけれど、濃くて美味い。この美味さはこのコーヒーメーカー独自の豆のパッケージの代金と引き換えだ。それが高い。一杯百円以上する。庶民感覚が抜けない俺はそれに少しだけ抵抗がある。その抵抗と共に毎日コーヒーを飲み込むのだ。朝飯はパン食。買っておいた食パンにバターを塗って、一枚食べた。

 七時半。
 今日は何をしようか。何もすることがない。テレビではニュースをやっているのだが、女性のレポーターが何やら騒々しく商品を紹介している。健康のために良く、しかも痩せるらしい。これはバラエティ番組なのか情報番組なのかテレビショッピングなのか。こういうのは苦手だ。作り手の意図が見え見え。面白くない。
 俺はテレビを消した。それでなくてもテレビの音が嫌いだ。ワイワイガヤガヤ騒々しいではないか。しかし一人でいると無音だ。無音は寂しい。だから当初は音楽をかけていた。我が家には約十年前に見栄で投資した七チャンネルのホームシアターがある。これでズージャーをシックにアーバンに再生するのだ。会社を退職して暫くの間、朝起きてすぐにステレオのスイッチを入れ、ネットサービスの音源でズージャーを聴いて過ごしていた。ズージャー。嫌な言い方だ。昭和のオッサンの言い方。イケイケだった頃の。まだ日本の経済が成長していた頃の。何故わざわざ言葉を反転させるんだ。略語にもなっていない。悪名高い成り上がりの大手広告代理店の連中が当時流行らせたんだ。それを未だに使っている俺も俺だ。自己嫌悪。だからという訳ではないが、数日でJAZZを聴くのをやめた。JAZZだけではない。ステレオ装置のスイッチを入れるのをやめた。音楽を聴くのをやめた。何故か。そうしてみれば俺は、それほど音楽が好きという訳ではないのだ。音楽を聴きたいとは、それほど思わないのだ。音楽はただ気を紛らわすために聴くだけだ。一人寂しい無音の状態を解消するために流すだけだ。だから毒にも薬にもならないJAZZを聴いていた。それだけだ。

 という訳で。無音。テレビを消して無音。騒々しい音が聴こえなくなった。ほっとした。そしてまたやることが無くなった。やることが無い。今日はどうして過ごそうか。
 それを考えるために、パソコンをつけてみることにする。というか、既にそれが日課になっている。退職する前に最新型のノートパソコンを買った。ウィンドウズの新しいやつを入れた。迷ったが、オフィスも入れた。使うことはないだろうとも思ったが、パワーポイントも付いている高い方のエディションを入れた。俺は経済的に苦しいという訳ではないのだ。余裕はある。余裕といってもある程度の余裕に過ぎないが。俺はここでこうして一人であと二十年かそこら生き、身体が動かなくなったら老人ホームにお世話になり、そこで人生の最期を迎えるだろう。「大過なく過ごせば、原田さんはこの先経済的に困窮はしない筈です」と、退職を前に面談した保険屋はシミュレーションの結果を言った。ちなみに、原田というのは俺の苗字だ。名前は道也という。原田道也。
 で。保険屋は続ける。「健康面での大過、例えば癌や脳卒中になったとしても疾病保険がありますから大丈夫です。カバーできてますよ」と。俺もそう思う。では何だろう。大過とは何だろう。病気以外の。大過。詐欺に引っかかるとか、そういうことか。詐欺。例えば、オレオレ詐欺。あり得るかも知れない。しかし申し訳ないが、俺に対してオレオレと言ってくる筈の息子や近親者はいない。一人もいない。否。一人いるのは母親だ。故郷の蒲郡に残してきた。妹夫婦と暮らしている。その老婆を装って電話を掛けてくる詐欺師がいるかも知れない。それに対しては注意が必要だ。しかし、大過といって思いつくのはそのくらいだった。つまりこの先の俺の未来には、俺が路頭に迷うような大過は起こりえない。死ぬまで起こりえない。死ぬまで安泰だ。死ぬまで安心だ。

 そんなことを思っているとパソコンが立ち上がった。ブラウザはクロームを愛用している。それを立ち上げる。ホーム画面はグーグルのニュースだ。隣国とのいざこざがトップニュースになっている。隣国は確かに気難しい。いつまでもいつまでも被害妄想を持っている。そう言うと、いやこれは妄想じゃない。被害なんだ。被害そのものなんだ。と、その筋の方々は言い募るだろう。それも含めて、俺にとってはどうでもいいことだ。少なくとも俺のミッションシートには、隣国との関係性改善などと一言も書かれていない。「ミッションシートに書いてあることをきちんと実行してください。それが正しいPDCAであります」と、ご子息の営業本部長なら澄ました顔で言うだろう。誰のミッションシートに書いてあるのか。ミッションシートに書いてある人がその仕事をしたらいい。その他の人はガタガタ騒がなくていい。

 そう思いながら次に開けるのはツイッターだ。世の中はガタガタで溢れている。一億総評論家か。評論の上に評論を重ねる。文句の上に文句を言う。ガタガタの上に更にガタガタを言う。皆そういうのが好きなんだろう。自分のミッションシートに書いてないことをあれこれ並べ立てて言い合うことが。そういうのが好きな人がいっぱいいるんだろう。一億総評論家として一億全員がガタガタ言い、一億全員が相手をやり込めて自分の我を通し、溜飲を下げたいのだ。その昔ローマ帝国の時代に、なんとかいう詩人が言った有名な言葉がある。「民衆はパンとサーカスを求めている」 それは民衆が政治に無関心になってサーカスにうつつをぬかしている状態を揶揄した言葉だった。俺はこのツイッターという自我垂れ流し装置を見るにつけ、その言葉を思い出す。今の日本の民衆は「パン」には困らない。そして次に求めた「サーカス」がツイッターだ。最近のツイッターには年寄りが多いという。我々と同年代の輩が暇を持て余して投稿しているに相違ない。そういう輩に限って、少しでも社会が良くなるためにツイッターで自分の考えを公表している、とか、真顔で言い出すのだろう。勘違いも甚だしい。社会を良くする? 違うだろう。単におせっかいなだけの自己顕示だ。民主主義2.0? 直接民主主義化? そんな上等なもんじゃない。サーカスだ。娯楽に過ぎない。投稿している側がその自覚が無く、これを娯楽じゃないと思ってる分だけタチが悪い。タチの悪い娯楽が悪質なポピュリズムを生み出し、政治を捻じ曲げて民衆を不幸にする。技術発展が人を不幸にする典型例だ。その点から言えば、ツイッターを制限し事実上の言論統制を敷いている、隣の大陸の国は正しいのかも知れない。ううむ。では、ここ日本においてこの辺のミッションを背負っているのは、一体誰だ? この辺は誰のミッションシートに書いてあるのだ? 首相か? 安倍首相か? ううむ。難しい。例え日本で一番偉い地位にある安倍首相であっても、この流れを止めるのは無理なのではないか。この一億総自己主張合戦。おせっかいの掃き溜め。で。だとするとこの先はどうなる? 崩壊か? 民主主義の崩壊か? これが民主主義の限界なのか? などなどを思う。

 くだらない。実にくだらない。それこそ俺のミッションシートには書いてないことだ。って待てよ。俺のミッションシート? 俺は会社を卒業し、サンデー毎日の一般小市民となった。会社のミッションからは卒業し、一般小市民のミッションとなった。地域の役割やマンションの管理人もやっていない。防災担当でもない。NPO法人もボランティアもやっていない。まったくもって完全に一小市民でしかない俺だ。その俺のミッションは。ミッションシートは。そこに何が書いてあるんだ???
 やれやれ。
 詮無いことだ。こういうことはいつも考える。朝のルーチンワーク。詮無いこと。
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