あるよく晴れた日(昼〜夜)

文字数 3,983文字

 …ぱらり。

 ページをめくると、背の高い木がたくさん生えた場所を歩く、主人公の男性騎士のイラストが、見開きいっぱいに現れた。

 文章は…

 「えぇーっと…?」

 私は時間を掛けて、絵に添えられた文章を、少しずつ読み解いていく。

 この絵本は、少し前に貸本や古本を扱う、『古本車』から購入したものだ。

 お値段なんと、80グラス。安い!
 この国の人は子供の頃に一度は読む本らしく、とてもお安くなっていた。
 ので、文字の勉強に買った。
 そして、買った時一緒にいたスミーに、なんで絵本を買ったか聞かれ話すと、この国の言葉の五十音表の様なものを書いてくれた。
 どうもこの国の言葉、日本語のひらがなの様に、“音”に文字が当てられ、それを組み合わせて使っているらしい。

 手元の60音表と照らし合わせてこのページの文を読む。
 「も、り…についた、エレンヒ。…かれは、まも…のの、けはい…に、きをつけ、て、おく…へ、すす、み、まし、た…」

 この絵本は魔物に攫われた姫を助けに向かう騎士の話で、実はまだそんなに読み進められていなかったりする。…まあ、一ページ読むのも大変だし。
 左のページの文章を読み終わり、今度は右のページの文を読み解いていく。
 「こんなんでスラスラ読める様になるのかな…」


 「!」

 フッ…と、洗面室から魔力の気配が消えた。

 人間の魔力を込めて動かす魔導具は、魔力を込めた途端、小さな魔力の気配を纏い始める。電化製品が微かなモーター音をさせているのに似たそれは、その魔道具が使用中ということを表す。

 つまり、それが消えたということは…

 「…ん?洗濯終わった?」
 私は本から顔を上げ、洗面室の方へ首を巡らす。大分慣れた魔力の気配を読んで、洗濯機の魔力が消えていることを確認する。
 「…これでよし」
 60音表をページに挟んで絵本を閉じ、私は洗面室へと向かった。


 「よ、い…しょとっ!」
 洗い上がった洗濯物入りのカゴを草地の地面に置き、ぐううっと体を後ろへ反らす。
 「あー…腰痛い」
 小さい上に非力な私には、この作業が結構キツイ。
 「やっぱりカゴ小さいのに変えた方がいいかな…」
 いや、それだと何往復もする羽目になる。それはそれで嫌だ。
 「…まあ続けてれば力も付くかもしれないし」
 言って私は、細い二本の木柱の片側に結ばれたロープを解いた。

 この村で教わった洗濯物の干し方は、先ず細い木柱を二、三メートル間を空けて二本立てる。その柱の一方にロープを結び付けて、そのロープに衣類を通し、ぴんと張ってまた反対の木柱にロープに結び付ける、という方法だった。
 背の低い私には、この村の平均的な物干し場は少し高く、村の男性陣が、小さめのものを新しく拵えてくれた。

 解いたロープに、濡れて少し重い衣類を、ひとつひとつ通していく。
 全て通せたら、ロープのぴんと張り、その端を元の通り、木柱に結びつける。
 ロープに通された時のまま、ぐしゃっと偏っていた衣類を、間を空けて整え直す。
 動かない様、洗濯ばさみで留めれば、出来上がり。
 「ふう…」
 きちんと並び、風にはためく洗濯物達を見て、ひと息。
 「さて…」
 足元のカゴを見る。カゴには、まだ一枚、大物が残っている。
 それを持って、元からある物干し場の前に移動する。
 シーツは大きいので、私用に改良された物干し場では、少し引きずってしまう。
 その為、シーツ《これ》だけは、元の大きさのこちらで干さなければならない。木柱の枝に掛けてある踏み台を降ろし、シーツを持ってそれに乗る。
 「よっ…ほっ…」
 シーツやタオルはロープに通さず、掛けて干すので、身体をめ一杯使い、シーツをロープに引っ掛ける。シワを伸ばし、両側が同じ長さになる様整えて、大きめの洗濯ばさみで留めて終了。

 「はぁ…はぁ…はぁ…」

 …ああもう!もう少し伸びないかなぁ、身長。


 洗濯物も干し終わり、また絵本を読んでいると、あっという間にお昼になる。
 今日のお昼は、キノコのパスタ。麺をアルデンテに茹で、炒めておいたキノコや野菜と炒め合わせ、味を調える。
 あしらいに緑を添えて…
 「完成!」
 我ながら上手くできた。早速テーブルに運び、食べ始める。
 「ふ……っ、…美味しい」

 普段から料理しておいて、本当に良かった。


 片付けを済ませると、私は出掛ける用意を始める。
 今日は夕方に、車市が来る。『車市』というのは、文字通り、商品をわんさと乗せた数台の荷車を引いた、移動型の市場。午前に来る日と午後に来る日があり、今日は午後に来る日。
 「えーっと何買うんだっけ」
 午前と午後で、車市は扱う商品が違う。
 午前は青果、日用品、卵、パン、調味料など。
 午後は酒類、雑貨やアクセサリー、香辛料に肉や魚も。
 切れているのはシナモンと料理酒だったと思い出し、メモに書き留める。こうしないと、商品の多さに目移りし、すぐに買うものを忘れてしまう。
 「よし」
 メモをポケットに忍ばせ、バスケットを持って家を出る。

 少し早いけど、散歩をしてたら、多分あっという間だろう。


 「ふう、買った買った〜」
 家に帰ってテーブルの上にバスケットを載せる。結局、ついでにと、おしゃれなカップやソーセージ、干し魚など、予定になかったものまで、しっかり買ってしまった。
 「晩御飯はお魚かな〜」
 冷蔵ボックスに食材を片付け、テーブルでひと息つく。

 「ん…」

 昼間の洗濯で疲れたのか、うつらうつらと船を漕いでしまう。
 「だめだめ!しっかりしなきゃ!」
 ぱちっ!と両手で頰を張る。

 しかし眠気の方が、少し強かった。


 「んむ…」
 あのままうっかりテーブルで寝てしまい、起きたら夜の7時だった。慌てて晩御飯の用意をし、今に至る。
 「この魚…なんて魚だろ…?」
 売り場に書いてあったはずなのに、なかなか思い出せない。結構美味しいので、是非次回も買いたい。
 「んー…なんて買いてあったっけ…」


 片付けを終えると、今度はお風呂の準備をする。普段は水属性小魔法の、スモールレイン…小さな雨雲から雨が降り注ぐ…をシャワーがわりにして烏の行水だけど、今日は魔導具の蛇口を捻り、湯船に水を溜める。
 この蛇口は遥か遠くの水源に繋がっているらしく、捻ると綺麗な水が出てくる。この家を貸してくれた人は、『気にしないで使って』と言ってくれているけど、ちょっと水源が枯れそうで心配。なので、湯船に浸かるのは、こうして時々にしている。
 「お、溜まった溜まった」
 水が湯船の7〜8割くらいまで溜まったのを確認し、壁に掛けてあった、白い魔石入りの麻製ネットを取る。それを湯船の縁に引っ掛けて溜めた水の中に入れ、湯沸かし器に魔力を注ぎ込む。
 「ん〜〜……」
 魔力を込め始めて少しすると、ネットの中の石がほんのり赤みを帯びて、薄い桜色になる。むぅ〜〜…と、魔力を込め続けていくと、石はその身の色を、薄桃、ピンク、ローズピンクと、どんどんと変化させていく。
 「んん〜……お!」
 そして、湯船から温かな湯気が立つ頃になると、白かった魔石は、その身をすっかり、唐紅色へ染め上げていた。

 これは特殊魔石のひとつで、『識温魔石』と呼ばれるもの。識温魔石はいくつも種類があるが、これは30℃以上になると、だんだんと色が紅くなる種類。しかし30℃以下は何度になっても白いままなので、主に湯の温度を測るのに使われている。ちなみにもっと熱くすると、今度は色が濃くなり、ワインレッドなどの、暗赤色になっていく。

 「うん。湯気もしっかり立ってるし、もう込めなくても大丈夫かな」
 私は紅く染まった石を湯船から引き揚げた。
 石を元あった場所に掛け、掛け湯をして湯船に入る。

 「ほあぁ〜〜………」

 ゆるりと少し柔らかな湯が、身体を芯からほわんと解し、じんわりゆっくり温めてゆく。
 「ああ〜…」
 …温かい。…気持ちいい。
 「…これは早く上がらないとうっかり寝ちゃいそう…」

 私は名残惜しさを感じつつも、湯船から出て、身体を洗い始めた。


 「はふー…」
 ほこほこと温まった身体を、ふわっふわっのガーゼバスタオルで包む。髪の水気もしっかり切って、風属性の小魔法、『ウィンド』でドライヤーも掛ける。
 「はあ…」
 髪も乾かし寝間着も着た。後は水分を摂って寝るだけ。
 「ふあ…」
 眠気に抗って、さっき買ってきた小瓶入りのジュースを、冷蔵ボックスから取り出す。
 少し硬い小さめの蓋を回して開けたら、酸味強めの、甘酸っぱい香りが瓶から溢れ出る。
 ゴクリと喉を鳴らし、いざ…!

 「……アセロラ…。…いや、さくらんぼ?」

 黄色の、一見レモン味風のジュースは、小さい頃によく飲んだ、アセロラ入りの、さくらんぼジュースの味がした。
 瓶のラベルには、黄色くて丸い、葉付きの小さな果実数粒の絵と、この世界の文字が描かれていた。
 「えーっと…め…い、…ら。…メイラ?」
 このジュースの果物の名前かな。こんな見た目なんだ。
 「…そのまま齧ったらすっぱそう…」

 ジュースの残りを飲み干して、瓶を洗って網棚に逆さに置いた。花瓶とかに丁度いい。
 「ふあ…」

 そろそろ寝よう…。


 寝室に入ると、窓から月の光が入り、部屋を淡く、青く照らし出していた。
 「……。」
 もそもそと布団に潜り込み、窓と反対側を向く。

 そして誰にともなく『おやすみ〜』と呟いて、私は静かな夜の世界へ、意識を溶け込ませてた。



 − 終わり−

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