『時空犯』書評

文字数 1,997文字

 アニメチックな表紙は正直、苦手なアラフィフである。が、この企画の為に潮谷験『時空犯』を購入した。馴染みのないものに挑戦するのも、人生の楽しみではある。
 書き出しが詩的だが、理系的な用語を使っている。そこから場面を変え、ストーリーが始まっていく。よし、戦闘開始。謎解きという闘いである。初めて読む作家の場合は特に、負けないぞ、と妙な対抗心を持ちながら読んでいく。これが楽しい。

 不可解な依頼と集まるメンバー。ある意味お約束的な展開で安心感を得つつも、読者としては気を引き締めながら各人のキャラクターを味わうところだ。主人公は姫崎智弘という私立探偵。少なくとも彼がこれから始まるミステリーを解く主体となるはずだ。その人物を中心に、どんな事件が起こるのか、そしてもちろん、犯人は誰になるのか、を考え始める。姫崎が犯人であるはずはなく、そこはさすがに覆えらないだろう。が、冒頭の詩的な独白の主体である依頼人、北神伊織博士も含め、油断はならない。読者である僕は感性を研ぎ澄ます。
 集められたメンバーに、どうやら姫崎と旧知の芸能人がいるらしい。姫崎も含めなぜこのメンバーなのかを考えながら、各人物が紹介されていく。ヒントがどこかにあるはずだが、流石にボロは出さないらしい。それよりも、依頼内容が怪しい。実は「時間遡行」、つまり時間の「巻き戻し」が千回近く既に起きている。依頼内容はその事実の確認と、原因究明に協力することだという。その原因究明ももちろん、読者にとっての謎解きの対象となりうるが、これはむしろ種明かしを待つ方が賢明かもしれない。きっと面白い「理論」が出てきて、それを使わないと犯人には至らないのかも、と覚悟した。そして本当に、時間が本当に巻き戻った。
 第二章に進み、依頼人である北神伊織博士が殺害されてしまう。ここまでは帯で紹介されており、ネタバレではなく読前から知っている情報ということになる。ということは、ここから更に、読者もギアを上げていく訳だ。僕はここで、パラパラと前ページまでを見直してみる。きっとこのメンバーから犯人が出てくるのだろうな、という予想はできるが、やはり特段怪しい奴はいない。まだ明かされていない情報があるということであり、深く、慎重に読んでいく。

 ここからは、各メンバーと北神伊織との関係性を調べ、殺害当時のアリバイを確認するなど推理小説の王道を走っていく。そこに「時間遡行」が入るが故の独自の展開が待っている。だからこそ起こる次の事件。なるほど、これはややこしいぞ。僕は頭を冷やすために一旦本を閉じる。が、気になってまた開く。先を飛ばして読みたくなる衝動とも闘い始める。ああ、これで僕もメンバー入りしたぞ、犯人ではないけれど、と同時にほくそ笑む。こうなると読者は、実のところ作者との勝負に半分以上負けているのだろう。徐々にメンバーの素顔が明らかになっていくが、犯行と結びつかない。上手いな、そろそろ明かしたくなるだろう、作者? とも思うがまだのようだ。そして「時間遡行」の秘密も徐々に解きほぐされる。この辺りの理論については、読者としては素直に受け入れる必要がある。そして姫崎が経験する出来事。時間と意識とを絡めて構成する世界は、馴染みがたい。もっとも庵野秀明『新世紀エヴァンゲリオン』以降、こうした独自の架空理論を受け入れる土壌が、日本の読者にはしっかり形成されていったような気もする。おじさん読者にはちょっと苦しいが、ここが推理の肝でないことを祈りながら読み進める。気持ちが安らぐのは、姫崎を始めとするメンバーたちの人間的なドラマも徐々に描かれていくこと。架空理論だけでは、途中を飛ばしてしまいそうになる。
 そこを経て、ついに真犯人に到達する。犯人明かしは、青山剛昌『名探偵コナン』でも踏襲されている、関係者を集めて本人を追い込んでいくスタイル。やはりこれだ。もしかすると、賢明な読者なら、ここまでで怪しい人物としてなら真犯人を挙げることは可能かもしれない。僕も賢明とは言えない読者だが、なんとなくは思い浮かんだ。でも、それでは作者との戦いには勝てていない。なぜそうなのか。考えてみろ。嗚呼でも、ページをめくる速度が上がってしまう。思考と、読解のせめぎあい。ううっ、たどりついちゃったか――。

 こうして作者によって真犯人が明らかにされた。敗北である。しかも、これは古典的なトリックともいうべきで、ヒントもあったなあと思った。だから余計に悔しい。その思いを引きずりながら、人間ドラマは更に進んでいく。ちょっと甘酸っぱい気分で読み終えることになり、その悔しさが和らいだ。『時空犯』作者との戦いは終わった。今から書店に出かけ、メフィスト賞受賞という前作を手にしてこよう。次は勝って見せる。まんまと術中にはまった。僕にとっての、どんでんがえしを喰らってしまった訳だ。
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