小梅(~掌編集・今月のイラスト~)

エピソード文字数 5,077文字

 


彼女と出会ったのは去年の暮れのことだった。
 俺は去年の四月に大学を卒業して建材メーカーの営業マンとなった。
 まずは顔を覚えてもらうことが大事と、俺はあちこちの工務店や設計事務所を廻って顔を売り、暮れにはいくつもの忘年会に顔を出した。
 そしてある地域の建設業組合の忘年会、お得意様の社長に誘われて俺は二次会にも顔を出すことにした……本当は酒席続きで疲れていたので早く帰って寝たかったのだが……。
 もちろん、そんな事は顔に出さずに出席したパブでの二次会、そこで俺は彼女に出会ったのだ。

「お、ママ、新しい娘がいるじゃないか」
「ええ、先週入ったばかりの小梅ちゃん、どうぞご贔屓に」

 得意先の社長はこのパブに足繁く通っているらしくママとは昵懇な様子だが、一週間目ではその娘を知らなかったのも無理はない。

「おお、小梅ちゃんだったな、座れ座れ」

 ママの言いつけだったのだろう、小梅はほどなく俺達のボックスにやって来た。
 
「こりゃ大胆な衣装だな、腰が見えてるぞ」
 
 社長の無遠慮な言葉に小梅は微笑を返し、露出した腰に触られるとやんわりと手を退けるだけ……豪快な社長はほどなく大人しすぎる小梅に興味を失った様子で、嬌声を上げながらはしゃいで見せる別の女の娘にかかりきりになった。
 
「お飲み物、おつくりしましょうか?」
「あ、うん、ありがとう」
 それが小梅との最初の会話だった。
 社長の手前それまでは控えていたが、その実俺は小梅に興味津々だった。
 華のある顔立ちとおっとりした静かな物腰、時折見せる笑顔が輝いて見えた……どストライクだったのだ。
 サラリーマン一年目とあっては、こういう女の子が相手をしてくれるパブにそれほど馴染みがあるわけではなかったが、少しエッチな話題でも上手く盛り上げ、触られたら触られたでそれをネタに話題を盛り上げることができる娘がこういう店では売れっ子になれるということくらいはわかっている。
 その意味では向いているようには見えない……入店一週間だと言うのだから、忘年会シーズンに向けた募集に応じて来た娘なのだろう。

「若いね、学生さん?」
 小梅は軽く頷いて微笑んだ。
「俺も今年の春までは学生だったんだ、一応大学と名のつく程度の学校だけどね」
 小梅はやはり微笑むだけ……。
 しかし、その笑顔にも魅せられて、俺は小梅を独占して話し込んだ……新人営業マンとしてはあまり褒められたことではないが、社長に割り込まれたくなかったから。
 
 でも、彼女がボーイに声を掛けられて席を立ってしまうまでの二十分位の間に聞き出せたことといえば、彼女も学生で、こういうアルバイトは初めてであること、知らない世界だったのでちょっと興味があったから、求人誌を見て応募したこと、それくらいだった。
 そして、二次会もお開きとなるまで、小梅が俺達のボックスに戻る事はなかった。
 
 俺がそのパブを個人的に訪れたのは、年が明けて、新年会の予定も一通りこなしてからだった、正直、そこまでの余裕はなかったのだ。

「いらっしゃいませ……あら……」
 ドアを開けるとそこに小梅はいた、そして俺を覚えてくれていたようだ。

 それから何回か通って、その都度小梅を指名したが、話したことと言えば最近見た映画のこと、好きな音楽のこと、好きな本のこと、そんな程度だった。
 もっと小梅のことを深く知りたかったのだが、出身や通っている大学、そういった個人情報的な事を訊くと小梅は微笑みながら小さく顔を横に振るだけ……。
 それでも小梅にぞっこんだった俺は、駄目もとでデートに誘ってみた。

「いつ?」
「え? いいの? そうだな、今度の日曜……はごめん、新製品の展示会が入っちゃってる、その次の日曜は?」
「いいわ」
「やった! どこ行きたい?」
「どこでも……」
「そう言わずにさ、行きたいところ言ってよ、どこでも連れて行くから」
「じゃぁ……梅まつり」
「梅まつりって……この街の?」
「そう」
「ふ~ん……あ、もちろん良いよ、小梅ちゃんが行きたいなら」
「意外?」
「まぁね……ディズニーランドとかじゃないかって思ってたから、でも小梅ちゃんと梅まつり、それも良いね」
 そんな約束をした。

 そして待ちに待ったデートの当日。
「お待たせ……」
「え? その格好……」
「変?」
「そ、そんなことないよ、初めて会った時、その服だったね」
「覚えててくれたんだ……」
「もちろんさ、その格好の小梅ちゃんに惚れたんだからね」
「ちょっと勇気が要ったけど、これを着て来て良かった……」
 小梅の服装は梅の柄がついたアオザイ、腰まで切れ上がったサイドスリットは相当に人目を引く。
 とは言っても、単なる客の一人に過ぎない俺と初めて会った時の服を、街中では大胆すぎることも承知の上で勇気を出して着て来てくれた……その心根にグッと来ないようでは男ではない。

 小梅と歩く梅まつり……まつりそのものは規模も小さく、ぼんぼりが揺れて露店が並ぶ程度の催しだが、梅が咲き誇る中、楽しそうに笑う小梅はまるで梅の妖精……。
 俺は心底ここで良かったと思った。

 とは言え、一時間も居れば全部見切れてしまう程度の梅まつり、それでも二時間ほどをそこで過ごし、俺と小梅は人ごみを抜けて会場の外れのベンチに腰掛けた。

「ここはもういいだろう? 次はどこに行く?」
「あなたにお任せするわ」
「そう?」
「でも、その前に少し喉が渇いちゃった、さっき甘酒を売ってたでしょう?」
「好きなの?」
「うん」
「そうだね、梅まつりには甘酒だよな、よし、買ってくるよ」
「……」
 自分で言い出したくせに、俺がベンチを立とうとすると袖を引っ張る、小梅をみると上目遣いで俺の眼を見ている……これが何を意味するのかわからないようでは野暮の骨頂だ。
 俺は小梅の肩を抱き寄せて、その唇に唇を重ねた。
 そんなに軽いキスではなかったと思う、それでも唇を離すと、小梅はまだ俺を見つめている……。
 もう一度唇を重ねた……今度はもっと長く、もっと濃く、思いを込めて……。
 離れた後も少しの間見詰め合っていたが、会場の外れとは言っても人目のあるベンチだ、その先までと言うわけには行かない。

「待ってて、甘酒買ったらすぐ戻るから」
 そう言い残して俺はベンチを立った。

「お待た……」
 ベンチに戻った俺は呆然とした。
 小梅の姿はそこになかった……。
 ひょっとしたら近くに隠れて驚かそうとしているのかも……そう思い直して辺りを見回しても隠れられそうな場所などない、それでも甘酒のカップ二つを手にしたまま辺りをうろうろと探し廻ったが、やはり小梅の姿はなかった……。
 俺は会場の梅に目をやった……小梅は本当に梅の妖精で梅の花に戻ったのかな……ふとそんなことを思った。


「あら、いらっしゃい」
 数日後、諦め切れない俺はあのパブを訪れた。
「小梅ちゃん、居る?」
「あら、知らなかった? 辞めたのよ」
「いつ?」
「先週の土曜日だったわね」
 デートの前日だ……と言う事はデートしたのは店を辞めた後と言うことになる、『お客さん』としてデートに応じてくれたわけじゃなかった。
「あの子、あなたとのデートを楽しみにしていたわよ、梅のアオザイ着てた?」
「うん、確かに」
「あれが欲しいって……売って欲しいって言われたわ、結婚祝い代わりにあげたけどね」
「結婚祝い?」
「詳しい話、聞きたい? 軽くで良いから飲んで言ってくれたら教えてあげる」
 聴かない訳には行かないじゃないか……。

 俺はカウンターに陣取ったが、『お~い、ママ』と声がかかるたびにママはカウンターを離れてしまうので、結局二時間ほども居るはめになったが……。

 途切れ途切れだったママの話を繋ぎ合わせるとこういうことだった。

 彼女は俺が唯一知っていた通りに、この近くの大学に通う学生で、年齢は二十歳、と言う事はまだ二年生か三年生だったわけだが、結婚と言うのは本当の話だった、大学も中退して結婚のために郷里に戻ったのだという。
 実は彼女、郷里ではちょっとは知られた旧家の出だったのだそうだ、どこの何家とまでは教えてもらえなかったが……元は豪農の家で、今でも地域の農業の発展のために尽くしている旧家、そして結婚相手と言うのは隣村の元豪農の家の長男で、六歳年上の二十六歳、彼の家は彼女の家と協力してやはり地域の農業の発展のために尽くしている、彼女と彼の関係は、彼女も彼もまだ幼い内に親同士がいずれは夫婦に……と勝手に決めていたものらしい。
 もちろん、今の世の中、それがまかり通るわけではないが、二人は小さいうちからお互いを許婚と認識して育った。
 そして彼は地元の国立大で農学の修士まで取り、村の土壌に合うある作物……これも言うとわかっちゃうかも知れないからと教えてくれなかったが……を特産品に育て上げて地域の農業にブランド力をつけようと、この数年間試行していて、あと一歩の所まで来ているのだと言う。
 ところが去年の夏、彼の父親が急病で亡くなり、彼は若くして家督を相続した、そして家を継いだからには早く嫁を取れと親戚一同にうるさく言われたらしい……。

「小梅ちゃんもね、その人の事は嫌いじゃない、尊敬できる立派な人で、自分にはもったいないくらいの人だって言ってたよ、でもねぇ……やっぱり女としてはね、親が敷いたレールの上をただ走るだけじゃねぇ……自分の人生はそれでいいの? って結構悩んでたみたいで、ウチにアルバイトに来たのもそんな宿命みたいなものにちょっと反抗したかったみたいね……あなたの事は本当に好きだったわよ、あたしには打ち明けてくれたもん、でもね、あなたを好きになって逆に腹が決まったみたい」
「それって、どういうことなのかな」
「彼女、小さい頃から許婚が決められてたから、恋に落ちたってことはなかったみたい、ちょっと好きになった人がいたり告られたりすれば少しは気持ちが動くけど、どこかで自分自身にブレーキかけちゃう、みたいな……そんな自分を歯がゆく思うみたいな気持ちはあったんだと思うよ、でもね、あなたを好きになって、自分の宿命を見つめ直すことができたって言ってた……お嫁にもらって欲しいと思うくらい誰かを好きになるって、女の子として最低一度は経験してみたいものよ、その夢が叶って、自分の気持ちを見つめ直すことができて、結果として宿命を受け入れる決心が着いたってことなんでしょうね」
「それでお終いなのかな、彼女はそれで良かったのかな……」
「どうなのかな……でも彼女、言ってたわ、二つの村……今は合併して町になってるらしいけど……の発展のために彼を支えて行く、それが自分がすべきことなんだって……ね。
 そう……あなたとデートしてそういうことがあったの……お別れのキスだったわけね、
あなたに対してもだけど、自分のこれまでの人生に対してもお別れするつもりだったんだろうね……」

 俺はそれ以上何も訊けなかった……あのキスは本当に気持ちのこもったキスで、小梅はそれを思い出として胸にしまってくれているのだろう……それで充分……いや、本心を言えば未練はたっぷりある、しかし、そんな宿命みたいなものに身を任せる決心をしたというのなら納得するほかないじゃないか……。

「ごめんね、水商売なんで、働いてくれてた女の娘の事はあまり教えてあげられないのよ、あなたがこの話を他所でペラペラ喋るとは思ってないけどさ……だからあとひとつだけ教えてあげるね」
「何を?」
「小梅……源氏名みたいだけど、本名だったのよ」
「ありがとう、ママ、教えてくれて……短い間だけど本当に好きだった娘の名前だから」
「どういたしまして、あの子もあなたが本当に好きみたいだったからさ、それくらいは良いわよね」

 
 梅の花は二月に咲き始め、桜と入れ替わるように散って行く。
 俺にとっての桜にはいつ出会えるのかわからない。
 それ以前に、梅は今でも俺の中に強く香っているのだから。
 だけどいつかは忘れなくちゃならない、彼女がそうした以上、俺がいつまでも引きずっていてはいけないってことはわかってるから……。

(終)
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