第2話
文字数 10,594文字
あの後、考え事をしながら昼飯をノロノロ食べていた。そして気がつくと午後の授業開始十分前になっていた。
「やば、急がないと」
俺はダッシュで体育館へ向かった。急いだおかけですぐに到着する。初回から運動しやすい服を持ってこいと指示されたので、コートへ行く前に着替えないといけない。
俺はすぐさま男子更衣室に入り、素早く着替えを済ませる。その次はバッシュを取り出す。
「このバッシュを履くのも久しぶりだな…」
過去の記憶がフラッシュバックしそうになるが、バッシュを履くことに専念する。最後に靴ひもを固く結び、いよいよコートへ向かう。
「まあ、ほどほどに頑張るか」
俺は早歩きでコートへ向かう。コートに着くと授業開始一分前だった。
「遅いよ。逃げたかと思った」
先に着いていた河田がにやけ顔で軽口を叩く。
「ふっ、この俺が逃げるわけないだろ」
河田と喋っていたら、すぐに授業開始のチャイムが鳴る。
「はい、みなさんこんにちは。それでは本授業の流れと目的、評価基準について説明します」
先生は手短に説明を済ませる。
「以上で説明を終わります。じゃあ早速チーム決めをしましょう。中学高校でバスケ部に所属していた人は前に出てください」
下手だから出たくないが、俺は一応バスケ経験者なので仕方なく前に出る。
生徒の総人数が三十人ほどなのに対し、出てきた経験者は十人ほどだった。意外と未経験者が多いようだ。
「経験者は十二人ですか。じゃあ戦力が均等になるよう、経験者を二人ずつに分けましょう。全部で六チーム作るので、それで均等に分かれるはずです」
バスケ経験者たちは先生の指示に従って、二人ずつに分かれていく。俺は小さくて可愛らしい女子と同じチームになった。
「じゃあ、残りの人は自由に入るチームを決めてください。ただし人数が偏らないようにしてくださいね」
先生がそう言うと、残った生徒たちはぞろぞろ動き出す。その中には友達とどのチームに入るか相談している人達もいる。
もう少しチーム決めに時間がかかりそうだと思っていたら、隣から視線を感じた。
「君が私のチームメイトか~。私、藤田加奈(かな)。よろしくね!」
視線の正体はついさっきチームメイトになったばかりの女子だった。
藤田加奈という小柄な少女は、茶髪のポニーテールに愛嬌のある可愛らしい顔をしていた。
俺は不意に飛んできた彼女の笑顔に動揺する。
「あ、ど、どうも……。お、大野慶(けい)吾(ご)です。よ、よろしくお願いしますうー……」
めっちゃキモい反応してしまったーーーー!消えたいーーーー!
「大野慶吾くんか~。じゃあ、けーくんだね!よろしく、けーくん!」
「よ、よろしく……」
あれ、きょどったのに引かれてない?てか、けーくんってなに。あだ名か?
「あの、けーくんって何?」
「あだ名だよ。あ、もしかして気に入らなかった?じゃあ、けいごっち、はどう?」
「何その、たまごっち、みたいなあだ名。いや気に入らないわけじゃないよ」
ただ、あだ名で呼ばれたことに驚いただけだ。
「よかった。私のことは加奈って呼んでね、けーくん」
加奈さんはほっと胸をなでおろした後、俺のあだ名を呼びながらウインクする。
「う、うん……。わかったよ、加奈さん」
「さんはいらないって、同学年なんだから!」
「……わかったよ。か、加奈……」
俺は彼女の無邪気な笑顔に負けて、ぎこちなく加奈と呼ぶ。笑顔が眩しすぎて浄化されちゃうよ~。
ところで、ちゃんとしたあだ名で呼ばれるというのは気分がいいな。空気が読めないせいでKY君と呼ばれていた頃に比べたら随分出世したものだ。
俺たちが自己紹介している間に、チーム決めが終わっていた。どうやら河田は違うチームに入ったらしい。別にいいけどね……。
「チームが決まったところで、次は練習に入ります。まずは準備運動を行ってください」
生徒たちは指示通りに準備運動を行なう。その後は軽いドリブル練習とシュート練習をした。そして最後にパス練習を行うことになる。
「最後にパス練習をします。これが終わったら試合です。まずチーム内で二人組を作ってください」
でたよ、体育特有の二人組を作るイベント。自分から話しかけるの苦手だから、嫌いなんだよな……。
例のごとく俺がもたもたしている間に、続々とペアが成立する。
俺は周囲を見渡して残っている人を探す。すると、加奈と目が合った。
「あ、けーくんも残ったんだ。経験者同士頑張ろうね!」
加奈はそう言って、手のひらをこちらに向けてくる。ハイタッチを要求しているのだろうか。
「おう……。頑張ろう」
俺は恐る恐る加奈の手に触れる。触っちゃったけど大丈夫かな……。キモいと思われないよな?
「いえい!レッツゴー!」
加奈は俺の不安をかき消すような笑顔で応える。
ごめん、河田。俺が間違ってた。オタクに優しいギャルは存在するッ‼
ただ、厳密に言うと加奈はギャルじゃない。しかし、ギャルと同じ陽キャなので似たようなものだろう。
ペア決めが終わるとすぐにパス練習が始まる。最初は両手を使ったオーソドックスなパスであるチェストパスからだ。
「けーくん、いくよ。はいっ」
「オッケー。おお、ナイスパス」
加奈からよく回転のかかった強いパスが飛んできた。しかもちょうど取りやすい高さに。
「えへへ、ありがとう。パス得意なんだ」
「本当にいいパスだったよ。ほい」
俺は加奈にボールを投げ返す。先ほどの練習中にも思ったが、加奈はバスケが上手い(うまい)。中でもパスは格別に上手だ。
一体いつからバスケをしているんだろう。ちょっと気になるな。
その後、十分間ほどパス練習を行い、ちょうど疲れてきたタイミングで休憩時間になった。
「それでは五分間休憩を取ります。休憩が明けたらすぐ試合を始めるので、休憩中に交代する順番を決めておいてください」
バスケは一チーム五人で試合を行う。各チーム六人ずつなので、一試合ごとに一人交代することになるだろう。
俺たちのチームはじゃんけんで交代する順番を決めた。
「おーい、けーくんってポイントガード?」
順番が決まったところで、水分補給をしに行こうとしたら加奈に呼び止められた。
「まぁ、一応……」
「私もガードなんだけど、どっちがやる?」
俺はどう返答すればいいか迷う。ポイントガードというポジションはチームの司令塔だ。ポイントガードが下手だったらチームは瓦解する。
失敗したら嫌だから、やめておこう。
「ブランクあるしやめとくよ」
俺は笑顔を取り繕う。
「ふーん……。わかった」
加奈は何か引っかかっているようだったが、俺の選択を受け入れる。
俺は踵を返し、今度こそ水分補給をしに行くが、
「ねえ、けーくんっていつからバスケやってるの?」
「俺?中学生の時からだよ。そこそこ頑張ったけどあんまり上達しなかった」
「そうかな。私けーくんのプレー見たけど、基礎がしっかり身についてて上手だと思った」
「いやー、全然上手くないよ。はは……」
俺は称賛を素直に受け止められず笑って誤魔化す。確かに基礎はできているが、それだけじゃ自分を肯定できなかった。
俺は気まずい空気を変えるために、加奈に気になっていたことを尋ねる。
「逆に加奈はいつからバスケ始めたの?」
「私は小三の時に始めた。初めて親に連れてってもらった試合でバスケの虜になったんだ。あの時見たプレーは今でも鮮明に覚えてるよ……」
加奈はうっとりとした顔で昔話を語る。小学生の時からバスケをやっているのか。どうりで上手なわけだ。
「あの時のプレーってどんなだったの?」
俺がそう言った瞬間、加奈の目の色が変わる。
「接戦でのノールックパスだったんけどそれがもう凄くてさ!試合終盤にボールを持ってた選手が味方のことを全く見てないのに正確なパスを放ったの!もちろんディフェンスは全く反応できず味方はフリーでシュートを決めてそれが決勝点に!いや~あのプレーは本当に神がかってた!もう一目惚れのような衝撃だったよ!あの瞬間にバスケに恋したと言っても過言じゃない!」
加奈はめっちゃ早口で思い出のプレーについて語る。
「お、おう……。確かにそれは恋に落ちちゃうな」
「でしょー!あっ、ごめんね!悪い癖が出っちゃった……。バスケオタクだからついバスケのことになると熱くなるの……」
加奈は顔を真っ赤にして恥ずかしがる。
「いや、いいよ。俺もアニメオタクだから気持ちはわかる」
オタクという生き物は好きなことを語ると早口になる習性があるからな。しょうがないね。
「……ありがとう。じゃあさ、けーくんはどういうプレーが好き?」
「好きなプレーか。やっぱりファールされながらレイアップシュートを決めるプレーが好きかな。あの闘志溢(あふ)れるプレーがマジで盛り上がるんだよな……。ディフェンスにぶつかられながらも執念でシュートを決める姿が人の心を魅了するっていうか……!心を強く揺さぶられるような魅力があのプレーにはあるんだよ!」
俺は力強く言い切った。
あれ、もしかして今めっちゃ早口で喋ってしまった?
「あっ、早口で喋ってごめん!キモかったよね?」
俺は恐る恐る加奈の顔色を窺う。加奈は最初目を丸くしていたが、徐々に表情を変え、最終的に微笑んだ。
「……なんだ。けーくんもバスケのこと大好きじゃん」
俺は加奈の言葉にハッとする。
俺ってまだバスケが好きだったのか……?
いや、そんなはずはない。だってあれだけバスケで嫌な想いをしたんだ。さっきのだって、つい加奈につられて熱く語ってしまったに過ぎない。
「どうしたの……?」
いきなり黙った俺を加奈が怪訝そうに見つめてくる。
「な、何でもない!いやー、そうでもないよ。俺はバスケのこと……あんまり好きじゃない」
俺は加奈の視線から逃れるように顔を横に向ける。
しかし、なおも加奈の視線を感じて、居心地が悪くなる。
「そ、そういえば水飲みたかったんだ!じゃ、俺水飲みに行くからまた後で」
「ちょ、待って……」
俺は加奈の制止を振り切り、素早くその場を去る。
ずっとその場にいたら気持ちが揺らぎそうだった。
やっぱり、バスケは嫌いなままでいいよ。
水分補給を済ませると休憩中時間が終わりかけていた。
「では、最初にAチーム対Bチーム、Cチーム対Dチームの試合を行います。出場選手たちはコートの真ん中に整列し、挨拶をしてから試合を始めてくだい」
俺たちBチームの選手たちはすぐさま整列し、よろしくお願いします、と挨拶する。
「AチームとCチームのボールから始めます。よーい、スタート!」
先生の合図を皮切りに試合が始まる。試合時間は七分だ。
「とりあえず、自分と同じくらいの身長の人につこう。みんなそれでいい?」
俺たちは加奈の提案をすんなり受け入れ、各々(おのおの)自分と同じくらいの高さの人をマークする。
マークするというのは簡単に言うと、自分がディフェンスする人を決めることだ。
俺は167㎝なので自分より少し低い、165㎝くらいの人をマークする。
背伸びして、自分より背の高い人をマークしても良かったが、痛い目にあいたくないのでやめておこう。身長も意識も低いのが俺という男だからな。
そんな低レベルなことを考えていると、いきなり俺のマークしている人にパスが渡る。
「けーくん、そっちパスいったよ!」
「早速か……」
俺は一抹の不安を感じながら、腰を落とし、ディフェンスの構えをする。
相手は一度右にドライブするフリをした後、左に鋭くカットインしてくる。
「やばっ」
俺はフェイントに釣られて反応が遅れる。
そのまま相手に突発され、先制のレイアップシュートを許してしまう。
「しまった……」
俺はゴール下で呆然と立ち尽くす。
「ドンマイ、ドンマイ!次止めればいいよ!」
加奈が励ましの言葉をかけるが、俺は失敗を引きずる。
「あっさりと抜かれてしまった……。一応バスケ経験者なのに……。いや、俺は経験者じゃない、ただのチームのお荷物だ……」
「お荷物じゃないよ!これから役に立てばいい!」
「それか粗大ごみ……」
「どんどん悪くなってる⁉大丈夫!すぐ私が点を取り返すから。ね?」
加奈は俺の目を見ながらサムズアップする。
「……わかった。ごめん取り乱して」
「謝らなくていいって。気を取り直して頑張ろう」
俺は加奈の微笑みにドキッとする。
「う、うん……。あ、俺ボール取ってくる」
俺は照れ臭くなり、逃げるようにボールを取りに行く。
今度はこちらが攻める番だ。
加奈はボールをフロントコート『相手のゴールがある方』まで運び、チームの士気を上げる。
「先制されたけどすぐ取り返すよ!みんな気合いを入れていこうー!」
俺たちはおう……と、覇気のない返事をする。まだみんな加奈のテンションに付いていけてないようだ。俺もだけど、もっと声を出せやお前ら!
「いくよ―」
攻める素振りを見せていなかった加奈が、突如ドリブルで中に切り込んでいく。不意をつかれたディフェンスは加奈についていけてない。
「させねぇ!」
加奈がそのままレイアップシュートを決めると思いきや、他のディフェンスが加奈の前に飛び出して行く手を遮る。
相手は加奈よりかなり大きい男子だ。このまま突っ込めば、簡単にブロックされてしまうだろう。
けれど、加奈は構わず突っ込む。
さすがに無茶だと俺が思った瞬間。加奈は正面を向いたまま、左側にいる味方にパスをした。綺麗なノールックパスだった。
「なに⁉」
パスを貰った味方はフリー『ディフェンスがついていない状態』で難なくシュートを決める。
「自分のマークマンががら空きだよ」
加奈は得意げにニヤリと笑う。
「すげぇ……」
俺は思わず感嘆の声を漏らす。
あんなにうまいノールックパスを目の前で見たのは初めだ。俺も加奈のようなプレーをしてみたい。
アシストを決めた加奈がこちらに近寄ってくる。
「ナイスパス!」
「ありがとう。次はけーくんがいいところを見せる番だよ」
加奈はそう言って俺を指さす。
「ま、任せろ!」
「うん」
俺は若干つまりながらも、できるだけ力強く返事をする。
とは言ったものの、俺がスーパープレーを披露(ひろう)できるわけないが。まあ、自分なりに頑張ってみるか。
俺は自陣まで戻り、気合いを入れ直す。
「……今度こそ止めるぞ」
そして早速リベンジの機会が到来する。自分がマークしている相手に再びボールが渡った。
俺は身構え、注意深く相手の動きを観察する。
相手は一度右にドライブするフリをした後、左に鋭くカットインしてくる。
さっきと一緒だ!
俺は相手の動きを読み切り、進行方向に飛び出してコースをふさぐ。
「ちっ」
俺は相手の動きが止まった隙を見逃さず、素早くボールを奪い取る。
「あ」
「よしっ」
俺はそのまま速攻を仕掛ける。そして一気に相手のゴールまで駆け抜け、見事にレイアップを決めた。
「やった……」
自分のせいで失った点を、自分で取り返したぞ……。ようやくこれで一安心できる。
俺は味方がいる方へ戻る。すると加奈が笑顔で駆け寄ってくる。
「けーくん、グッディ‼やっぱりバスケ上手じゃん!」
そう言って加奈は練習中の時のように、俺にハイタッチを要求してくる。
俺は前回より少しだけ自信を持ってタッチする。
「いやー、そんなことないよ。たまたま、相手が連続で同じ動きをしたから反応できただけで」
「それでもすぐに対応できてる時点で凄いから。……だからもっと自分を褒めてあげて」
加奈はとても優しい顔をしていた。
「自分を褒める、か……。どうにも苦手なんだよな」
「もー、しょうがないなぁ。けーくんが褒めないなら私が褒めよう。けーくんは凄い!ちょーうまい!」
加奈は満面の笑みで俺を絶賛する。その言葉は俺の心を優しく包み込んだ。
「……ありがとう。俺も少しそう思えてきたかも」
俺は頬を緩ませながら、お礼の言葉を口にする。
加奈のおかけで少しだが、バスケに対する自信を取り戻せた。そんな気がする。
それから、試合の中盤まで自チームの優勢が続いた。俺自身も調子が良く、あらから更にジャンプシュートを一本決めた。
気持ちよくプレイできているせいか、何だか気分が高揚してきた。
あれ、バスケちょっと面白かも。
そう思った矢先、嫌な出来事が起きる。
「いって……ッ!」
リバウンド『シュートが外れた時にボールをキャッチする行為』を取ろうとした相手に思いっきりぶつかられたのだ。
俺は10㎝近く大きい相手にぶつかられ、倒れてしまう。
「速攻‼」
ぶつかってきた相手は俺のことなんてお構いなしに味方にパスをする。
「大丈夫、けーくん⁉」
加奈が慌てて駆け寄ってくる。
「一応……。ちょっと痛むけど」
俺は肩を手で押さえながら、弱弱しい声で返事をする。いや、本当はかなり痛てぇよ!加奈の前だから強がってしまった。
「あ、ごめんー。小さくて見えなかったわ」
ぶつかってきた相手は俺の方を一瞥(いちべつ)すると、全く誠意のこもっていない謝罪をする。
「司(つかさ)、なにその言い方。ちゃんと謝ってよ」
加奈が司という男に文句を言う。名前を知っているということは知り合いなのだろうか。
司は茶髪のショートパーマにピアスをつけている、少しつり目のイケメンだった。身長は175㎝くらいありそうだ。
「えー、やだ。てか、あれぐらい普通でしょ。いちいち気にするよ」
「確かに珍しくないことだけど、けーくんが痛がってるんだから謝ってよ」
何だか険悪な雰囲気になってきた。正直、俺も文句を言いたいが面倒だし譲歩しよう。
「別にいいよ。そんなに痛くないし。はは……」
俺は愛想笑いを浮かべ、事態を収めようとする。
「そうか、じゃあ謝らなくていいね。怪我したくなかったらコートの隅にいろよ、初心者くん」
「そうするよ……」
このまま揉め事が終わるかと思いきや、加奈が反論する。
「けーくんは初心者じゃない!バスケ凄く上手だから!負けてるからって八つ当たりしないでくれる?」
「あ?八つ当たりなんてしてねぇよ」
司は語気を強めて言い返す。
「噓だ。この前の試合に負けてからずっとイライラしてるでしょ。うちのけーくんより活躍してないくせに、初心者呼ばわりしないでよ」
「嫌だね。こんなの、ただのラッキーが続いてるだけだろ。すぐに俺の方が活躍してやるよ」
「未だ無得点の人に言われてもねw」
「クソムカつく女だな……」
司は加奈を鋭く睨みける。なんかどんどん悪い方向に向かってないか?
「よし、わかった。今からこいつと直接対決する。それで俺が負けたら発言を撤回して、ちゃんと謝罪しよう」
司は俺を指差して、勝負を提案する。
えーーーー⁉
「わかった。じゃあ司が勝った時はどうする?」
「俺が勝った時は謝罪と発言の撤回はなしだ。あと加奈、お前は俺のことを一生さん付けで呼べ。もちろん敬語も使えよ」
「いいよ、それでいこう」
加奈は余裕そうな表情で即答する。
「え⁉いいの⁉」
俺はすぐさま加奈に聞く。
「司のことをさん付けで呼ぶのは嫌だけど、いいよ。それに私はけーくんが勝つと信じてるから」
加奈はそう言って穏やかに笑う。
「か、買い被りすぎだよ……」
俺がこんな大きい相手に敵うわけがない。しかも先ほどの話から推察するに、司はバスケ経験者のようだ。だから尚更勝てる気がしない。
「よし、話がまとまったところで試合を再開しよう。絶対加奈に敬語使わせてやるぞ~」
司は随分と張り切っているようだ。よっぽど加奈の煽りが効いたんだな……。
こちらボールから試合が再開する。
加奈がフロントコートまでボールを運び、俺にパスを寄こす。
「いけー!けーくん!」
加奈からエールが送られるが、緊張のあまり反応を返す余裕がない。
もちろん俺をマークするのは司だ。身長差がある分、半端ない圧を感じる。
「こいよ」
「やるしかないか……」
俺は意を決して、ドリブルで突っ込む。と見せかけて急停止し、後ろにジャンプして相手との距離を空ける。
これならいける!
「なっ……‼」
「甘い甘い♪」
確かに距離を空けたのにも関わらず、俺のシュートは司の長い腕によってブロックされた。
「ちくしょう……。決まったと思ったのに」
あの距離でもブロックされるのか……。背高すぎだし、腕長すぎるだろ。
今度はこちらがディフェンスの番だ。相手ガードによって運ばれてきたボールが、司の手に渡る。
「さあ、俺のドリブルを止められるかな」
司はこれ見よがしにレッグスルーやバックチェンジなどのスキルを実演し、ハンドリング力『ドリブルの上手さ』を見せつけてくる。
とにかく、司をゴールに近づけないようにしなければ。五㎝以上の身長差だ。ゴール下まで行かれれば、確実にシュートを決められるだろう。
俺がカットインを警戒していると、司の動きが一瞬止まった。そして一瞬の静止後、司は一気に加速する。
俺はがむしゃらに司のドライブについていく。
司は俺を振りほどくべく、右回りにターンしながら横にスライドする。そのまま司はボールを持ち上げ、ジャンプシュートのモーションへ移行する。
「届けッ」
俺は必死に手を伸ばす。それが司の罠だとも知らずに。
司はシュートフォームを構えただけで、シュートを打たずにボールを下げた。それにより、俺の手は空を切る。
俺は満々と司のフェイントに引っかかったのである。
そして司は俺のブロックをかわした後、悠々とジャンプシュートを決めた。
「まずは一本」
「っ……!」
こいつ体格だけじゃなく、技術も優れているのか……。一体、俺がこいつに勝っている部分はあるのだろうか。
その後も俺のオフェンスは司に封じ込められた。さらに、わずか二分足らずで三本もシュートを決められてしまった。
「ハァハァ……。クソ……。どうすればいいんだ」
俺は肩で息をしながら愚痴をこぼす。
「けーくん、一度落ち着こう。冷静に相手を分析して突破口を――」
隣にいる加奈がアドバイスをくれる。けれど、その声は焦りと疲労のせいで俺の耳に届かない。
そして試合終了まで残り一分を切ろうかというタイミングで、俺の体に異変が起きた。
「フリーだ!ヘイパス!」
「しまった……」
司とのマッチアップに疲弊した俺は、ちょこまか動き回る司を追えず、フリーにしてしまう。その結果、簡単に司にシュートを決められる。
「ドンマイ、けーくん!切り替えていこう!」
「……悪い、俺が弱いせいで迷惑かけて」
俺は元気のない声で謝る。
「けーくん……」
完全に息があがっている俺は連続で似たようなミスを重ねる。
「速攻だ!」
こちらがシュートを外すし、リバウンドを取った司が味方ゴールめがけて走っていく。もちろん俺が追いかけられるわけもなく、易々とレイアップを許す。
「マジでごめん……。俺が勝てる相手じゃなかった」
遅れてゴールまでやって来た俺は、先に来ていた加奈に謝罪する。
俺は何を浮かれていたのだろう。所詮(しょせん)、俺の実力なんてこんなものだ。結局どうあがいても失敗する、それが俺の運命だ。
「……まだ完全に負けたわけじゃない。最後に一矢報いよう」
「いや、俺の負けだよ。完全に」
俺は目を伏せたまま、ボソッと呟く。
加奈はそんな俺に何も言葉をかけられず、心配そうな目で見つめているだけだった。
そして最後のオフェンスが始まる。加奈は俺にパスするのをためらったのか、他のチームメイトにボールを回す。
それでいい。もう俺はダメだ。
パスを貰ったチームメイトがジャンプシュートを放つ。だが、無情にもシュートは外れ、リバウンド争いになる。
結局その争いを制したのは味方だった。そして予想外の出来事が起きる。
「えっ」
完全に集中力を切らしていた俺にパスが飛んできたのだ。
「しまった……ッ!」
俺は当然のようにボールはキャッチし損ねる。更に不運が重なり、そのボールは司の方へ転がっていく。
「ラッキー!」
司は先ほどと同様に走り出す。
「ま、待て……!」
嫌だ……。最後まで足を引っ張りたくない。
俺は最後の力を振り絞って追いかける。しかし司との距離は開いていく一方だった。
まて……。待ってくれ………ッ‼
結局、俺の願いが届くことはなかった。
俺は完膚なきまでに叩きのめされた。
授業終了を知らせるチャイムが鳴り、俺はさっさと帰ろうとする。
「待って‼」
コートを出て更衣室へ向かう途中、誰かに呼び止められる。いや、誰なのかは明白だった。
「ごめん……。私のせいであんなことになっちゃって」
加奈は頭を下げて謝罪する。
「気にしなくていいよ……。俺が弱いのが悪い」
「けーくんは弱くないよ……。ただ相手が強かっただけで……」
「いいや、俺が弱かったから負けたんだ」
そう、俺は実力も才能もない弱者だ。だから負けたのだ。
「そんなことないよ……。仮に今は弱かったとしても、いつか司にだって勝てるくらい強く――」
「ならないよッ!俺はいつまで経ってもあいつに勝てない!今日それを痛いほど実感した!」
俺はつい興奮して大きい声を出してしまう。
どうせ、凡人が頑張ったところで何も果たすことはできない。ちょっと難しい目標や夢でさえ叶えられないのだ。
ならば、これ以上傷つかないように、さっさと諦めてしまった方がいい。
だから、俺に夢や目標はいらない。
俺に怒鳴られた加奈はずっと俯いていた。
そして次に顔を上げた時、加奈は驚きの表情をしていた。
「どうして……。どうしてすぐ諦めちゃうの……?」
加奈が泣いていたのだ。
「バスケのこと凄く好きなのに、何ですぐ諦められるの。何で簡単に負けを認められるの。ねぇ、どうして……?」
加奈は溢れ出る涙を手で拭い、俺を見つめてくる。
「本当は……諦めたくないんだよね……?」
「いや……俺は……」
本当はどうしたいんだ。正直、負けたまま終わるのは悔しい。だけど、だけど……。
「……俺は諦める。これ以上バスケで辛い想いをしたくない。もう、バスケで劣等感を感じるのは嫌だ」
「けーくん……」
「……じゃ、そういう事だから。俺のことを気にかけてくれて、ありがとな」
俺は軽くお辞儀すると、踵を返して足早に去る。
やっぱりバスケは嫌いだ。最後には必ず嫌な気持ちになるから。
「やば、急がないと」
俺はダッシュで体育館へ向かった。急いだおかけですぐに到着する。初回から運動しやすい服を持ってこいと指示されたので、コートへ行く前に着替えないといけない。
俺はすぐさま男子更衣室に入り、素早く着替えを済ませる。その次はバッシュを取り出す。
「このバッシュを履くのも久しぶりだな…」
過去の記憶がフラッシュバックしそうになるが、バッシュを履くことに専念する。最後に靴ひもを固く結び、いよいよコートへ向かう。
「まあ、ほどほどに頑張るか」
俺は早歩きでコートへ向かう。コートに着くと授業開始一分前だった。
「遅いよ。逃げたかと思った」
先に着いていた河田がにやけ顔で軽口を叩く。
「ふっ、この俺が逃げるわけないだろ」
河田と喋っていたら、すぐに授業開始のチャイムが鳴る。
「はい、みなさんこんにちは。それでは本授業の流れと目的、評価基準について説明します」
先生は手短に説明を済ませる。
「以上で説明を終わります。じゃあ早速チーム決めをしましょう。中学高校でバスケ部に所属していた人は前に出てください」
下手だから出たくないが、俺は一応バスケ経験者なので仕方なく前に出る。
生徒の総人数が三十人ほどなのに対し、出てきた経験者は十人ほどだった。意外と未経験者が多いようだ。
「経験者は十二人ですか。じゃあ戦力が均等になるよう、経験者を二人ずつに分けましょう。全部で六チーム作るので、それで均等に分かれるはずです」
バスケ経験者たちは先生の指示に従って、二人ずつに分かれていく。俺は小さくて可愛らしい女子と同じチームになった。
「じゃあ、残りの人は自由に入るチームを決めてください。ただし人数が偏らないようにしてくださいね」
先生がそう言うと、残った生徒たちはぞろぞろ動き出す。その中には友達とどのチームに入るか相談している人達もいる。
もう少しチーム決めに時間がかかりそうだと思っていたら、隣から視線を感じた。
「君が私のチームメイトか~。私、藤田加奈(かな)。よろしくね!」
視線の正体はついさっきチームメイトになったばかりの女子だった。
藤田加奈という小柄な少女は、茶髪のポニーテールに愛嬌のある可愛らしい顔をしていた。
俺は不意に飛んできた彼女の笑顔に動揺する。
「あ、ど、どうも……。お、大野慶(けい)吾(ご)です。よ、よろしくお願いしますうー……」
めっちゃキモい反応してしまったーーーー!消えたいーーーー!
「大野慶吾くんか~。じゃあ、けーくんだね!よろしく、けーくん!」
「よ、よろしく……」
あれ、きょどったのに引かれてない?てか、けーくんってなに。あだ名か?
「あの、けーくんって何?」
「あだ名だよ。あ、もしかして気に入らなかった?じゃあ、けいごっち、はどう?」
「何その、たまごっち、みたいなあだ名。いや気に入らないわけじゃないよ」
ただ、あだ名で呼ばれたことに驚いただけだ。
「よかった。私のことは加奈って呼んでね、けーくん」
加奈さんはほっと胸をなでおろした後、俺のあだ名を呼びながらウインクする。
「う、うん……。わかったよ、加奈さん」
「さんはいらないって、同学年なんだから!」
「……わかったよ。か、加奈……」
俺は彼女の無邪気な笑顔に負けて、ぎこちなく加奈と呼ぶ。笑顔が眩しすぎて浄化されちゃうよ~。
ところで、ちゃんとしたあだ名で呼ばれるというのは気分がいいな。空気が読めないせいでKY君と呼ばれていた頃に比べたら随分出世したものだ。
俺たちが自己紹介している間に、チーム決めが終わっていた。どうやら河田は違うチームに入ったらしい。別にいいけどね……。
「チームが決まったところで、次は練習に入ります。まずは準備運動を行ってください」
生徒たちは指示通りに準備運動を行なう。その後は軽いドリブル練習とシュート練習をした。そして最後にパス練習を行うことになる。
「最後にパス練習をします。これが終わったら試合です。まずチーム内で二人組を作ってください」
でたよ、体育特有の二人組を作るイベント。自分から話しかけるの苦手だから、嫌いなんだよな……。
例のごとく俺がもたもたしている間に、続々とペアが成立する。
俺は周囲を見渡して残っている人を探す。すると、加奈と目が合った。
「あ、けーくんも残ったんだ。経験者同士頑張ろうね!」
加奈はそう言って、手のひらをこちらに向けてくる。ハイタッチを要求しているのだろうか。
「おう……。頑張ろう」
俺は恐る恐る加奈の手に触れる。触っちゃったけど大丈夫かな……。キモいと思われないよな?
「いえい!レッツゴー!」
加奈は俺の不安をかき消すような笑顔で応える。
ごめん、河田。俺が間違ってた。オタクに優しいギャルは存在するッ‼
ただ、厳密に言うと加奈はギャルじゃない。しかし、ギャルと同じ陽キャなので似たようなものだろう。
ペア決めが終わるとすぐにパス練習が始まる。最初は両手を使ったオーソドックスなパスであるチェストパスからだ。
「けーくん、いくよ。はいっ」
「オッケー。おお、ナイスパス」
加奈からよく回転のかかった強いパスが飛んできた。しかもちょうど取りやすい高さに。
「えへへ、ありがとう。パス得意なんだ」
「本当にいいパスだったよ。ほい」
俺は加奈にボールを投げ返す。先ほどの練習中にも思ったが、加奈はバスケが上手い(うまい)。中でもパスは格別に上手だ。
一体いつからバスケをしているんだろう。ちょっと気になるな。
その後、十分間ほどパス練習を行い、ちょうど疲れてきたタイミングで休憩時間になった。
「それでは五分間休憩を取ります。休憩が明けたらすぐ試合を始めるので、休憩中に交代する順番を決めておいてください」
バスケは一チーム五人で試合を行う。各チーム六人ずつなので、一試合ごとに一人交代することになるだろう。
俺たちのチームはじゃんけんで交代する順番を決めた。
「おーい、けーくんってポイントガード?」
順番が決まったところで、水分補給をしに行こうとしたら加奈に呼び止められた。
「まぁ、一応……」
「私もガードなんだけど、どっちがやる?」
俺はどう返答すればいいか迷う。ポイントガードというポジションはチームの司令塔だ。ポイントガードが下手だったらチームは瓦解する。
失敗したら嫌だから、やめておこう。
「ブランクあるしやめとくよ」
俺は笑顔を取り繕う。
「ふーん……。わかった」
加奈は何か引っかかっているようだったが、俺の選択を受け入れる。
俺は踵を返し、今度こそ水分補給をしに行くが、
「ねえ、けーくんっていつからバスケやってるの?」
「俺?中学生の時からだよ。そこそこ頑張ったけどあんまり上達しなかった」
「そうかな。私けーくんのプレー見たけど、基礎がしっかり身についてて上手だと思った」
「いやー、全然上手くないよ。はは……」
俺は称賛を素直に受け止められず笑って誤魔化す。確かに基礎はできているが、それだけじゃ自分を肯定できなかった。
俺は気まずい空気を変えるために、加奈に気になっていたことを尋ねる。
「逆に加奈はいつからバスケ始めたの?」
「私は小三の時に始めた。初めて親に連れてってもらった試合でバスケの虜になったんだ。あの時見たプレーは今でも鮮明に覚えてるよ……」
加奈はうっとりとした顔で昔話を語る。小学生の時からバスケをやっているのか。どうりで上手なわけだ。
「あの時のプレーってどんなだったの?」
俺がそう言った瞬間、加奈の目の色が変わる。
「接戦でのノールックパスだったんけどそれがもう凄くてさ!試合終盤にボールを持ってた選手が味方のことを全く見てないのに正確なパスを放ったの!もちろんディフェンスは全く反応できず味方はフリーでシュートを決めてそれが決勝点に!いや~あのプレーは本当に神がかってた!もう一目惚れのような衝撃だったよ!あの瞬間にバスケに恋したと言っても過言じゃない!」
加奈はめっちゃ早口で思い出のプレーについて語る。
「お、おう……。確かにそれは恋に落ちちゃうな」
「でしょー!あっ、ごめんね!悪い癖が出っちゃった……。バスケオタクだからついバスケのことになると熱くなるの……」
加奈は顔を真っ赤にして恥ずかしがる。
「いや、いいよ。俺もアニメオタクだから気持ちはわかる」
オタクという生き物は好きなことを語ると早口になる習性があるからな。しょうがないね。
「……ありがとう。じゃあさ、けーくんはどういうプレーが好き?」
「好きなプレーか。やっぱりファールされながらレイアップシュートを決めるプレーが好きかな。あの闘志溢(あふ)れるプレーがマジで盛り上がるんだよな……。ディフェンスにぶつかられながらも執念でシュートを決める姿が人の心を魅了するっていうか……!心を強く揺さぶられるような魅力があのプレーにはあるんだよ!」
俺は力強く言い切った。
あれ、もしかして今めっちゃ早口で喋ってしまった?
「あっ、早口で喋ってごめん!キモかったよね?」
俺は恐る恐る加奈の顔色を窺う。加奈は最初目を丸くしていたが、徐々に表情を変え、最終的に微笑んだ。
「……なんだ。けーくんもバスケのこと大好きじゃん」
俺は加奈の言葉にハッとする。
俺ってまだバスケが好きだったのか……?
いや、そんなはずはない。だってあれだけバスケで嫌な想いをしたんだ。さっきのだって、つい加奈につられて熱く語ってしまったに過ぎない。
「どうしたの……?」
いきなり黙った俺を加奈が怪訝そうに見つめてくる。
「な、何でもない!いやー、そうでもないよ。俺はバスケのこと……あんまり好きじゃない」
俺は加奈の視線から逃れるように顔を横に向ける。
しかし、なおも加奈の視線を感じて、居心地が悪くなる。
「そ、そういえば水飲みたかったんだ!じゃ、俺水飲みに行くからまた後で」
「ちょ、待って……」
俺は加奈の制止を振り切り、素早くその場を去る。
ずっとその場にいたら気持ちが揺らぎそうだった。
やっぱり、バスケは嫌いなままでいいよ。
水分補給を済ませると休憩中時間が終わりかけていた。
「では、最初にAチーム対Bチーム、Cチーム対Dチームの試合を行います。出場選手たちはコートの真ん中に整列し、挨拶をしてから試合を始めてくだい」
俺たちBチームの選手たちはすぐさま整列し、よろしくお願いします、と挨拶する。
「AチームとCチームのボールから始めます。よーい、スタート!」
先生の合図を皮切りに試合が始まる。試合時間は七分だ。
「とりあえず、自分と同じくらいの身長の人につこう。みんなそれでいい?」
俺たちは加奈の提案をすんなり受け入れ、各々(おのおの)自分と同じくらいの高さの人をマークする。
マークするというのは簡単に言うと、自分がディフェンスする人を決めることだ。
俺は167㎝なので自分より少し低い、165㎝くらいの人をマークする。
背伸びして、自分より背の高い人をマークしても良かったが、痛い目にあいたくないのでやめておこう。身長も意識も低いのが俺という男だからな。
そんな低レベルなことを考えていると、いきなり俺のマークしている人にパスが渡る。
「けーくん、そっちパスいったよ!」
「早速か……」
俺は一抹の不安を感じながら、腰を落とし、ディフェンスの構えをする。
相手は一度右にドライブするフリをした後、左に鋭くカットインしてくる。
「やばっ」
俺はフェイントに釣られて反応が遅れる。
そのまま相手に突発され、先制のレイアップシュートを許してしまう。
「しまった……」
俺はゴール下で呆然と立ち尽くす。
「ドンマイ、ドンマイ!次止めればいいよ!」
加奈が励ましの言葉をかけるが、俺は失敗を引きずる。
「あっさりと抜かれてしまった……。一応バスケ経験者なのに……。いや、俺は経験者じゃない、ただのチームのお荷物だ……」
「お荷物じゃないよ!これから役に立てばいい!」
「それか粗大ごみ……」
「どんどん悪くなってる⁉大丈夫!すぐ私が点を取り返すから。ね?」
加奈は俺の目を見ながらサムズアップする。
「……わかった。ごめん取り乱して」
「謝らなくていいって。気を取り直して頑張ろう」
俺は加奈の微笑みにドキッとする。
「う、うん……。あ、俺ボール取ってくる」
俺は照れ臭くなり、逃げるようにボールを取りに行く。
今度はこちらが攻める番だ。
加奈はボールをフロントコート『相手のゴールがある方』まで運び、チームの士気を上げる。
「先制されたけどすぐ取り返すよ!みんな気合いを入れていこうー!」
俺たちはおう……と、覇気のない返事をする。まだみんな加奈のテンションに付いていけてないようだ。俺もだけど、もっと声を出せやお前ら!
「いくよ―」
攻める素振りを見せていなかった加奈が、突如ドリブルで中に切り込んでいく。不意をつかれたディフェンスは加奈についていけてない。
「させねぇ!」
加奈がそのままレイアップシュートを決めると思いきや、他のディフェンスが加奈の前に飛び出して行く手を遮る。
相手は加奈よりかなり大きい男子だ。このまま突っ込めば、簡単にブロックされてしまうだろう。
けれど、加奈は構わず突っ込む。
さすがに無茶だと俺が思った瞬間。加奈は正面を向いたまま、左側にいる味方にパスをした。綺麗なノールックパスだった。
「なに⁉」
パスを貰った味方はフリー『ディフェンスがついていない状態』で難なくシュートを決める。
「自分のマークマンががら空きだよ」
加奈は得意げにニヤリと笑う。
「すげぇ……」
俺は思わず感嘆の声を漏らす。
あんなにうまいノールックパスを目の前で見たのは初めだ。俺も加奈のようなプレーをしてみたい。
アシストを決めた加奈がこちらに近寄ってくる。
「ナイスパス!」
「ありがとう。次はけーくんがいいところを見せる番だよ」
加奈はそう言って俺を指さす。
「ま、任せろ!」
「うん」
俺は若干つまりながらも、できるだけ力強く返事をする。
とは言ったものの、俺がスーパープレーを披露(ひろう)できるわけないが。まあ、自分なりに頑張ってみるか。
俺は自陣まで戻り、気合いを入れ直す。
「……今度こそ止めるぞ」
そして早速リベンジの機会が到来する。自分がマークしている相手に再びボールが渡った。
俺は身構え、注意深く相手の動きを観察する。
相手は一度右にドライブするフリをした後、左に鋭くカットインしてくる。
さっきと一緒だ!
俺は相手の動きを読み切り、進行方向に飛び出してコースをふさぐ。
「ちっ」
俺は相手の動きが止まった隙を見逃さず、素早くボールを奪い取る。
「あ」
「よしっ」
俺はそのまま速攻を仕掛ける。そして一気に相手のゴールまで駆け抜け、見事にレイアップを決めた。
「やった……」
自分のせいで失った点を、自分で取り返したぞ……。ようやくこれで一安心できる。
俺は味方がいる方へ戻る。すると加奈が笑顔で駆け寄ってくる。
「けーくん、グッディ‼やっぱりバスケ上手じゃん!」
そう言って加奈は練習中の時のように、俺にハイタッチを要求してくる。
俺は前回より少しだけ自信を持ってタッチする。
「いやー、そんなことないよ。たまたま、相手が連続で同じ動きをしたから反応できただけで」
「それでもすぐに対応できてる時点で凄いから。……だからもっと自分を褒めてあげて」
加奈はとても優しい顔をしていた。
「自分を褒める、か……。どうにも苦手なんだよな」
「もー、しょうがないなぁ。けーくんが褒めないなら私が褒めよう。けーくんは凄い!ちょーうまい!」
加奈は満面の笑みで俺を絶賛する。その言葉は俺の心を優しく包み込んだ。
「……ありがとう。俺も少しそう思えてきたかも」
俺は頬を緩ませながら、お礼の言葉を口にする。
加奈のおかけで少しだが、バスケに対する自信を取り戻せた。そんな気がする。
それから、試合の中盤まで自チームの優勢が続いた。俺自身も調子が良く、あらから更にジャンプシュートを一本決めた。
気持ちよくプレイできているせいか、何だか気分が高揚してきた。
あれ、バスケちょっと面白かも。
そう思った矢先、嫌な出来事が起きる。
「いって……ッ!」
リバウンド『シュートが外れた時にボールをキャッチする行為』を取ろうとした相手に思いっきりぶつかられたのだ。
俺は10㎝近く大きい相手にぶつかられ、倒れてしまう。
「速攻‼」
ぶつかってきた相手は俺のことなんてお構いなしに味方にパスをする。
「大丈夫、けーくん⁉」
加奈が慌てて駆け寄ってくる。
「一応……。ちょっと痛むけど」
俺は肩を手で押さえながら、弱弱しい声で返事をする。いや、本当はかなり痛てぇよ!加奈の前だから強がってしまった。
「あ、ごめんー。小さくて見えなかったわ」
ぶつかってきた相手は俺の方を一瞥(いちべつ)すると、全く誠意のこもっていない謝罪をする。
「司(つかさ)、なにその言い方。ちゃんと謝ってよ」
加奈が司という男に文句を言う。名前を知っているということは知り合いなのだろうか。
司は茶髪のショートパーマにピアスをつけている、少しつり目のイケメンだった。身長は175㎝くらいありそうだ。
「えー、やだ。てか、あれぐらい普通でしょ。いちいち気にするよ」
「確かに珍しくないことだけど、けーくんが痛がってるんだから謝ってよ」
何だか険悪な雰囲気になってきた。正直、俺も文句を言いたいが面倒だし譲歩しよう。
「別にいいよ。そんなに痛くないし。はは……」
俺は愛想笑いを浮かべ、事態を収めようとする。
「そうか、じゃあ謝らなくていいね。怪我したくなかったらコートの隅にいろよ、初心者くん」
「そうするよ……」
このまま揉め事が終わるかと思いきや、加奈が反論する。
「けーくんは初心者じゃない!バスケ凄く上手だから!負けてるからって八つ当たりしないでくれる?」
「あ?八つ当たりなんてしてねぇよ」
司は語気を強めて言い返す。
「噓だ。この前の試合に負けてからずっとイライラしてるでしょ。うちのけーくんより活躍してないくせに、初心者呼ばわりしないでよ」
「嫌だね。こんなの、ただのラッキーが続いてるだけだろ。すぐに俺の方が活躍してやるよ」
「未だ無得点の人に言われてもねw」
「クソムカつく女だな……」
司は加奈を鋭く睨みける。なんかどんどん悪い方向に向かってないか?
「よし、わかった。今からこいつと直接対決する。それで俺が負けたら発言を撤回して、ちゃんと謝罪しよう」
司は俺を指差して、勝負を提案する。
えーーーー⁉
「わかった。じゃあ司が勝った時はどうする?」
「俺が勝った時は謝罪と発言の撤回はなしだ。あと加奈、お前は俺のことを一生さん付けで呼べ。もちろん敬語も使えよ」
「いいよ、それでいこう」
加奈は余裕そうな表情で即答する。
「え⁉いいの⁉」
俺はすぐさま加奈に聞く。
「司のことをさん付けで呼ぶのは嫌だけど、いいよ。それに私はけーくんが勝つと信じてるから」
加奈はそう言って穏やかに笑う。
「か、買い被りすぎだよ……」
俺がこんな大きい相手に敵うわけがない。しかも先ほどの話から推察するに、司はバスケ経験者のようだ。だから尚更勝てる気がしない。
「よし、話がまとまったところで試合を再開しよう。絶対加奈に敬語使わせてやるぞ~」
司は随分と張り切っているようだ。よっぽど加奈の煽りが効いたんだな……。
こちらボールから試合が再開する。
加奈がフロントコートまでボールを運び、俺にパスを寄こす。
「いけー!けーくん!」
加奈からエールが送られるが、緊張のあまり反応を返す余裕がない。
もちろん俺をマークするのは司だ。身長差がある分、半端ない圧を感じる。
「こいよ」
「やるしかないか……」
俺は意を決して、ドリブルで突っ込む。と見せかけて急停止し、後ろにジャンプして相手との距離を空ける。
これならいける!
「なっ……‼」
「甘い甘い♪」
確かに距離を空けたのにも関わらず、俺のシュートは司の長い腕によってブロックされた。
「ちくしょう……。決まったと思ったのに」
あの距離でもブロックされるのか……。背高すぎだし、腕長すぎるだろ。
今度はこちらがディフェンスの番だ。相手ガードによって運ばれてきたボールが、司の手に渡る。
「さあ、俺のドリブルを止められるかな」
司はこれ見よがしにレッグスルーやバックチェンジなどのスキルを実演し、ハンドリング力『ドリブルの上手さ』を見せつけてくる。
とにかく、司をゴールに近づけないようにしなければ。五㎝以上の身長差だ。ゴール下まで行かれれば、確実にシュートを決められるだろう。
俺がカットインを警戒していると、司の動きが一瞬止まった。そして一瞬の静止後、司は一気に加速する。
俺はがむしゃらに司のドライブについていく。
司は俺を振りほどくべく、右回りにターンしながら横にスライドする。そのまま司はボールを持ち上げ、ジャンプシュートのモーションへ移行する。
「届けッ」
俺は必死に手を伸ばす。それが司の罠だとも知らずに。
司はシュートフォームを構えただけで、シュートを打たずにボールを下げた。それにより、俺の手は空を切る。
俺は満々と司のフェイントに引っかかったのである。
そして司は俺のブロックをかわした後、悠々とジャンプシュートを決めた。
「まずは一本」
「っ……!」
こいつ体格だけじゃなく、技術も優れているのか……。一体、俺がこいつに勝っている部分はあるのだろうか。
その後も俺のオフェンスは司に封じ込められた。さらに、わずか二分足らずで三本もシュートを決められてしまった。
「ハァハァ……。クソ……。どうすればいいんだ」
俺は肩で息をしながら愚痴をこぼす。
「けーくん、一度落ち着こう。冷静に相手を分析して突破口を――」
隣にいる加奈がアドバイスをくれる。けれど、その声は焦りと疲労のせいで俺の耳に届かない。
そして試合終了まで残り一分を切ろうかというタイミングで、俺の体に異変が起きた。
「フリーだ!ヘイパス!」
「しまった……」
司とのマッチアップに疲弊した俺は、ちょこまか動き回る司を追えず、フリーにしてしまう。その結果、簡単に司にシュートを決められる。
「ドンマイ、けーくん!切り替えていこう!」
「……悪い、俺が弱いせいで迷惑かけて」
俺は元気のない声で謝る。
「けーくん……」
完全に息があがっている俺は連続で似たようなミスを重ねる。
「速攻だ!」
こちらがシュートを外すし、リバウンドを取った司が味方ゴールめがけて走っていく。もちろん俺が追いかけられるわけもなく、易々とレイアップを許す。
「マジでごめん……。俺が勝てる相手じゃなかった」
遅れてゴールまでやって来た俺は、先に来ていた加奈に謝罪する。
俺は何を浮かれていたのだろう。所詮(しょせん)、俺の実力なんてこんなものだ。結局どうあがいても失敗する、それが俺の運命だ。
「……まだ完全に負けたわけじゃない。最後に一矢報いよう」
「いや、俺の負けだよ。完全に」
俺は目を伏せたまま、ボソッと呟く。
加奈はそんな俺に何も言葉をかけられず、心配そうな目で見つめているだけだった。
そして最後のオフェンスが始まる。加奈は俺にパスするのをためらったのか、他のチームメイトにボールを回す。
それでいい。もう俺はダメだ。
パスを貰ったチームメイトがジャンプシュートを放つ。だが、無情にもシュートは外れ、リバウンド争いになる。
結局その争いを制したのは味方だった。そして予想外の出来事が起きる。
「えっ」
完全に集中力を切らしていた俺にパスが飛んできたのだ。
「しまった……ッ!」
俺は当然のようにボールはキャッチし損ねる。更に不運が重なり、そのボールは司の方へ転がっていく。
「ラッキー!」
司は先ほどと同様に走り出す。
「ま、待て……!」
嫌だ……。最後まで足を引っ張りたくない。
俺は最後の力を振り絞って追いかける。しかし司との距離は開いていく一方だった。
まて……。待ってくれ………ッ‼
結局、俺の願いが届くことはなかった。
俺は完膚なきまでに叩きのめされた。
授業終了を知らせるチャイムが鳴り、俺はさっさと帰ろうとする。
「待って‼」
コートを出て更衣室へ向かう途中、誰かに呼び止められる。いや、誰なのかは明白だった。
「ごめん……。私のせいであんなことになっちゃって」
加奈は頭を下げて謝罪する。
「気にしなくていいよ……。俺が弱いのが悪い」
「けーくんは弱くないよ……。ただ相手が強かっただけで……」
「いいや、俺が弱かったから負けたんだ」
そう、俺は実力も才能もない弱者だ。だから負けたのだ。
「そんなことないよ……。仮に今は弱かったとしても、いつか司にだって勝てるくらい強く――」
「ならないよッ!俺はいつまで経ってもあいつに勝てない!今日それを痛いほど実感した!」
俺はつい興奮して大きい声を出してしまう。
どうせ、凡人が頑張ったところで何も果たすことはできない。ちょっと難しい目標や夢でさえ叶えられないのだ。
ならば、これ以上傷つかないように、さっさと諦めてしまった方がいい。
だから、俺に夢や目標はいらない。
俺に怒鳴られた加奈はずっと俯いていた。
そして次に顔を上げた時、加奈は驚きの表情をしていた。
「どうして……。どうしてすぐ諦めちゃうの……?」
加奈が泣いていたのだ。
「バスケのこと凄く好きなのに、何ですぐ諦められるの。何で簡単に負けを認められるの。ねぇ、どうして……?」
加奈は溢れ出る涙を手で拭い、俺を見つめてくる。
「本当は……諦めたくないんだよね……?」
「いや……俺は……」
本当はどうしたいんだ。正直、負けたまま終わるのは悔しい。だけど、だけど……。
「……俺は諦める。これ以上バスケで辛い想いをしたくない。もう、バスケで劣等感を感じるのは嫌だ」
「けーくん……」
「……じゃ、そういう事だから。俺のことを気にかけてくれて、ありがとな」
俺は軽くお辞儀すると、踵を返して足早に去る。
やっぱりバスケは嫌いだ。最後には必ず嫌な気持ちになるから。