第3話 賭けてみませんか、私たち――快走印刷株式会社に

文字数 2,986文字

戸叶絢理は、やらかした!

「やっちまいましたたあああああああああああああああッ!」

怒髪天を衝く叫びとともに、遥か頭上を見上げた。
崖上には慣れ親しんだ工場が鎮座している。

続いて周囲の状況を改めて検分する。
板橋とは似ても似つかない荒野。鎧と剣を携えた盗賊。馬車。魔法書士やエックホーフといった謎の固有名詞。

確信する――戸叶絢理は、仕事=印刷工場とともに異世界に転生した。

「馬鹿か! 馬鹿ですか私は! 言うに事欠いて仕事!?
「な、何だこの女……」

突然叫びだした絢理に、盗賊側も当惑した視線を送ってくる。

いわゆる異世界転生モノ。
ライトノベルは嗜んでいない絢理だが、仕事柄、流行りのジャンルの情報は入ってくる。
異世界転生系の主人公と言えば、生前の知識や体得した能力によって敵を圧倒する存在だ。
その功績により周囲から持て囃され、人生を存分に謳歌する、そういう存在だ。
現実世界では冴えなかったが、一転、英雄へと昇華できる、そういう存在だ!

そして天の采配により、絢理はそのチートライフを手に入れる機会を得た。
にもかかわらず、女神の忠言さえ聞かず、彼女は仕事が終わらないと告げた。
その結果、オフセット印刷工場が頭上には鎮座ましましている。

「何の役に立つのかッ!」

頭を抱えて天に叫ぶが、願いを勘違いした女神の姿は当然、そこにはない。

「ごちゃごちゃと――うるせえんだよ!」

自虐する絢理に、盗賊が我を取り戻して叫ぶ。本物の刃が、本物の脅威となって迫りくる。
その動きに呼応するように、青年が懐から一枚の紙片を取り出した。

「仕方ないか……」と嘆息し、青年は横目で絢理を見やる。「――荷物は諦めよう」

彼は盗賊を迎え撃つように紙片を掲げ、早口に唱えた。

「躍り出ろ、ダクテュロス!」

刹那、紙片が輝きだす。よく見れば紙片そのものというより、そこに描かれた幾何学模様が発光しているようだった。
光の指揮に応じるように、青年と絢理を囲う空気がざわめく。大気のざわめきは風となり、突風となり、紙片の光を纏う。

舌打ちの音。盗賊が慌てて剣を突き立ててくる。
が、凶刃は空を切った。一瞬前まで青年と絢理のいた空間に、二人はいない。

悔しそうに地団太を踏む盗賊を眼下に見ていることに、絢理は驚く。

「な、え、飛んでる……?」

手足をばたつかせてバランスを取ろうとするが、自由が利かない。
重力が反転したかのように、風に乗った絢理は崖に沿って上昇していった。

「魔法陣の効果だよ。このまま上まで行こう」

隣で同じように空を飛ぶ青年は、直立姿勢のまま上を見上げていた。
落ち着き払った声音に、何だか自分がバタバタしていることが惨めに思えてくる。
絢理は頬を膨らませて慌てるのをやめた。姿勢は逆さだったが、とにかく落ち着いた。

崖上に戻ってきた二人は、ふわりと着地した。
風のクッションに導かれるようにして降ろされたため、痛みはない。
ただ青年が足から着地したのに対して、絢理は頭からだった。
何食わぬ顔で身を起こして、頭についた土を払う。

「いまのは、いわゆる魔法ですか?」

小説や漫画、ゲームに至るまで、あらゆる物語に頻出する超常の力――魔法。
青年の行動は、そうとしか表現できないものだった。
当然の疑問に、しかし青年は怪訝な表情を浮かべる。

「そうだけど、そんなことも知らないのか?」
「うわ腹立つ」
「いやだって、どんな辺境の出身でも魔法くらいは……」
「まあ良いです。とにかく助かりました。ありがとうございます」

崖下への落下と、盗賊からの襲撃と。青年はこの短期間に二度も絢理の命を救ってくれた。
しかし感謝の言葉にも、彼は眉根を寄せていた。

「君、いつもそんな不愛想な顔してるのかい?」
「うるせえ放っとけです」

この絢理という女性、柔らかく微笑みでも浮かべていれば小柄な美少女なのだが、への字口をトレードマークに、表情には愛想らしきものが欠如していた。
その上、思ったことをすぐに口に出してしまうものだから、敵を作ることも多かった。

頬を膨らませる絢理に、青年は苦笑した。

「まあでも、無事で良かったよ」

良かったと言いつつ、荷物は盗られたけどね、と肩を落とす。
絢理は半眼で問うた。

「この世界では盗賊行為が横行してるんですか?」
「まさか。僕も悪かったんだ。急いでたからさ、街道を外れて近道をしようとした」
「大事なものだったのですか?」
「魔法陣だよ。言ったろ、僕は魔法書士なんだ」

そう言われても、魔法書士が何だか分からない。察するに、この世界特有の職業だろうか。

「その魔法陣というのは、先程の紙に描かれた模様ですか」
「そう。本当に知らないの?」
「いちいち癪に障りますがここは素直に聞きましょう教えてください」
「素直とは……」

青年は何か言いたげだったが、諦めて懐から数枚の紙片を取り出した。それぞれに幾何学模様が書いてあるが、注視するとそれは、文字の羅列のようだった。
そしてどれも、書いてある内容が違うようだ。

「一応こういう時のために、自衛用に忍ばせてあったんだ。これを掲げて呪文を唱えれば効果が表れる。さっき飛んだようにね。但し基本的には使い切りだ」

一度消費してしまえばもう使えない。チケットみたいだなと絢理は思った。

「そしてそれを書くのが、貴方の仕事ということですか?」
「そういうこと。お得意様に納品するための魔法陣が何百枚も積んであったんだ。あれだけ書くのに何週間かかったか……」

その日々を思い出してか、青年は慨嘆する。
ふと、絢理の脳裏に、職業柄、当然の疑問が浮かんだ。

「印刷しないんですか?」
「インサツ? って何だい?」

青年がオウム返しに尋ねる。彼は印刷という概念を理解していないようだった。
まさか、という思いが絢理の胸中に芽生える。だが、慎重に見極めなければならない。結論を急ぎたい思いを自制しながら、絢理は問いを重ねた。

「それは貴方が田舎者で印刷を知らないとか、そういうことではなく?」
「まさか君に田舎者呼ばわりされるとはね。これでも一応、ビルケナウ州では一番の都会に住んでるんだけど」

知らない地名だが、彼の自負を汲み取れば、この世界にはまだ印刷技術がないらしい。
魔法陣は一枚ずつ手書きで生産されている。
つまり、大量生産はできない。

それならば、まさか――

「……荷物、取り戻したいですか?」

絢理は工場を振り返りながら、ぽつりと尋ねる。
背後からの応答は、希望と諦念とが入り混じった声。

「それはまあ、そうだね。納品できないなんて報告したらどうなるか……。取引停止で済めば、まだいい方だ」
「取り戻しましょう」

彼には命を救ってもらった借りがある。
そして急浮上してきた『とある仮説』が正しければ、絢理はその恩に報いるだけの、技術の塊を持っている。
この世界においては未だ誰も持っていない、唯一無二にして、
最強にして最速にして最多の、圧倒的な技術力を。

好奇心に高鳴る小さな胸を押さえて、絢理は相棒――オフセット印刷工場を指し示す。

「賭けてみませんか、私たち――快走印刷株式会社に」


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