文字数 2,264文字

 メイコは学校の帰り道、田畑に囲まれた畦道をひとり歩いている。のどかと言えば聞こえはいいが、ただ何もなく退屈な変わり映えしないへんぴな風景。学校も田舎町の宿命のようにひとクラスしかなく、好きな人間も嫌いな人間も小学校から中学校まではずっと同じ教室で学ぶ。毎日通学に歩くこの道もいい加減飽き飽きしてしまう。
「メイちゃん」
 同じ道を前から歩いてきた女性が通りすがりに声をかけてくる。メイコは不安そうな面持ちで肩掛けの鞄のベルトを掴んだ。
「どこいくの? ひとりで大丈夫?」
 ひとりきりで歩いているといつもこれだとうんざりする。
「家に」
 メイコは顔を引き攣らせながらなんとか笑顔を作り、手短に返した。
「そう、気をつけて」
 メイコは女性の言葉を無視して足を早める。
 メイコは町の人の自分に対する扱いがたまらなく嫌だった。十年前、当時四歳だったメイコは迷子になり、町の人たちは総出で幼いメイコを探した。それからというもの、町の人は今だにメイコのことを「迷子のメイ」と笑う。笑われるなら無視すればいいだけまだましだが、真剣に心配されるとことさら疲れる。中学ももう少しすれば卒業だというのに。
 メイコが小学四年生の頃、ある中年の男性ふたりがそんな風にメイコをからかってきたときがあった。ずっと我慢していたが、その日はたまたま学校で嫌なことがあり、メイコの虫の居所は悪かった。
 我慢できずに言い返すと、ふたりは生意気だと怒りだした。こっちは時間を割いてお前を探してやったのにと。
 ふたりはさらに、その場にメイコの両親がいなかったことにも触れた。父親は自分の子供が迷子になっているのも知らず、呑気に母親の見舞い行っていたとメイコに言い放った。
 もちろん父親は次の日に町の一軒一軒を回り、深々と頭を下げた。元々、東京から越してきた地の人間ではない上に、大学で人に教える仕事に就いている父親を好ましく思わない人間も少なくはなかった。農業で土に汚れることにコンプレックスを抱いていた者は、その父親の姿に胸がすいた。
 メイコは自分のせいで両親が悪く言われることに耐えきれず、ついにはその場で泣きだしてしまう。
「この馬鹿たれ!」
 そこにたまたま通りがかった大垣のお婆さんがそのふたりに向かって怒鳴り散らした。
「大人が迷子を探すのは当たり前だべ!」
 そう言ってお婆さんは足元の石を拾い、そのふたり目掛けて投げつけた。石は届かなかったが、子供を泣かせたバツの悪さも手伝って、ふたりは「このクソババア!」と捨て台詞を吐いて退散した。
 お婆さんは息を切らしながら大きな目を見開いてふたりの背中を睨みつけた。
 男たちが立ち去るのを見送ると、お婆さんは泣きじゃくるメイコをそっと抱きしめた。メイコはその温かさに声を上げて泣いた。
「メイちゃんはなあんも悪くね。ばあちゃんが悪かったんだあ。ごめんなあ。ごめんなあ」
 お婆さんは優しい声でそう言うと、メイコをあやすように手でぽんぽんと頭を優しく叩いた。
「おばあちゃんのおはぎ食べたいなあ……」
 自然とメイコはつぶやいていた。
「メイ」
 背後からの男性の声に一瞬、身体を強張らせるが、声でその人物がすぐにわかった。メイコはひと安心すると、今度は面倒臭そうに肩を落として振り返る。そこには畑仕事から帰る大垣家の長男大垣カンタが荷車を引いてメイコに近づいてきていた。
 サツキと同じ歳のカンタとは家が近所で、サツキについて回っていた頃に一緒に過ごすことが多く、メイコにとっては親戚のような存在であった。
「カンちゃん」
 メイコは声の主がカンタであることを確認すると、ふたたび歩きだす。
「そこまで送ってく」
「ひとりで帰れるってば。わたし、もう子供じゃないんだから」
 カンタの申し出が疎ましく、メイコは苛立つように肩を怒らせ歩く速度を上げる。
「子供じゃないから、心配なんじゃねえか」
 カンタはそれについていくように少し歩幅の大きくする。
「ついてこないで!」
 メイコに追いつき横に並ぶカンタの鼻に、染みるような焦げ臭さがまとわりつく。それが煙草の匂いであることはカンタには容易にわかった。
「お前なあ」
 カンタが嫌そうに切りだすと、メイコは煙草を吸っていたことがバレたと察して、鞄から素早くドロップの缶を取り出し、その中のひとつを口に放った。
 メイコは学校で面白くないことがあると、帰りしなに、ひとり森の中に隠れて父親から拝借した煙草をふかすことがあった。
「あんまりサツキに心配かけんじゃねえぞ」
 カンタが言うと、メイコはあからさまに苛立ちを見せる。この頃ではサツキの名前を聞くだけで、なぜだか無性に腹が立った。
「サツキ、サツキって、本当にカンちゃんはお姉ちゃんのこと好きだよね」
 メイコに悪戯心が芽生え、仕返しとばかりにカンタを嘲笑った。
「あいつはきょうだいみたいなもんだ。だから、お前も俺にとっては妹だ」
 前を見たまま、突き放すように言うカンタの横でメイコは目を細めた。
「どうだか」
 その様子にカンタは眉をしかめると、メイコの頭にゲンコツを落とす。
「痛ぁ! なにすんのよ!」
 メイコはカンタの拳の硬さに頭を抑える。
「お前、生意気だぞ」
 カンタはなおも拳を握り、もう一発喰らわしてやろうかと脅かすように見せた。
「大きなお世話!」
 メイコは小走りでカンタの拳が届かない位置まで距離を取る。
「おい、送ってくって」
「ほっといて!」
 メイコはそう言い残し、カンタを置き去りにするように走り去っていく。カンタはメイコの背中を見送ると小さくため息をついた。
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