第二十七話 天上騎士

文字数 6,925文字

石畳が異なる二つの足音を鳴らす。両方どちらも、ややその音が鈍いのは、柔らかな鹿革を使用した靴であるからで、長旅をする上で少しでも疲れを得ないようにとの考慮を踏まえてのものであった。
片方の足音がその律動を速めた。
「リアムさん!凄くいい匂いがしますよ!」
足音の主は、栗毛の青年と金糸髪の少女によるものであった。二人は、今晩のものを含めた今後の食料を得る為に、このオルドの町でそれを調達している最中である。長旅をしているにも関わらず、余分な食料を持ち合わせていなかったのは、重量を増すことによって、乗る白馬の速度を遅めない為と、その荷物を運ぶ少女が困難を極めない為であった。
が故に、今朝の食事は普段より取れてはいなかった。今までの疲れは何処へやら。匂いに誘われ、導かれる少女の様は、実に単純で滑稽である。
オルドの町は、帝国中枢より離れた辺境の地。まして造られた目的が鉱山であり、元より人口は著しく少ない。衣類や食料。生活に必需な店もそれぞれ町内に一ずつしかなく、他の田舎町と比べて珍しいものと言えば、地中より湧き出る温泉と、帝国側が不要とみなした天然石、鉱石が手に入るくらいであろう。あとはこの地に生息する生物や植物などがあるが、そんなもの一般人はまず欲しがらない。だからこそ魔女も、少女がこの町に憧れを抱くこともないと踏み、訪れることを許したのであった。
いや、目ぼしい物が一つあった。特に小腹を空かした少女にとっては、たまらないものであろう。木の机に並べられた、この地方特産のエルムベリーのジャムを使用したパンを、オリビアは渇望の目で見つめ、指刺す。それにリアムは笑顔で答える。
「良いですよ。ただ、沢山食べて動けないようでは困りますよ。まだまだ仕事があるのですから」
青年は笑顔で店主に銀貨を渡した。顔見知りなのか、少し負けてくれたことすら少女は気づかない。手渡された紙袋に視線は釘付けで、涎が垂れないよう、口を閉じるのがやっとである。
パン屋を出て、それから購入した物の中にも、旅に相応しくない日持ちしない物が多く含まれていたが、それもすぐさま少女の口元へと運ばれていった。
しかし何も甘やかしている訳ではない。これは少女にとって最後の長旅になるかもしれない。配慮が深く含まれており、出来うる限り、彼女の望みを叶えてあげたいところなのだが、流石に後に響いては困る。そう。少女にはまだ訪れなければならぬ場所があるのだ。
魔女が好みそうな干し肉を手に入れ、そろそろ帰宅を考えた時である。栗毛の青年の背後を鋭い悪寒が捉えたのは、少女が過去も未来も忘れ、再び目の前にある紙袋の中から発する誘惑に手を伸ばそうとする瞬間であった。
「騎士様が来るぞ!」
何処からか響いたその声は、蛇のように纏わりつき、青年に呼吸をさせることを忘れさせた。
「ま、まさか。何故この町に寄っているんだ!」
アヌーダの郷を出る際、ルドラが懸念していたのはこの帝国の騎士の動きであった。どうも数月ほど前から、エルビス山脈西南の地で帝国の騎士たちが集結しているようなのである。国境沿いのエラーン海を目指しているようなのだが、地理的にこのラウラ聖堂院に向かう際に出くわす危険がある為、今回の魔女の旅路も直進させず、森を介して進むよう促したのであった。
ラウラ聖堂院での神事は毎年決まって春である。今年も無事に終わりを迎えたことは聞いている。本来ならば、このオルドの町に帝国上層の人間が訪れるはずがない。
西南で騎士の動きが活発に成りつつある事。そしてそれに伴う危険の予知。その情報を族長に提供したのはリアムであり、報が外れた事に対して、本人も驚きを隠せない。
だが悩んでいる暇はない。すぐさま、最適解を導く姿勢が、彼の手練れぶりを思わせる。
「オリビアさん、今から帝国の天上騎士がここを通ります。地に頭をつけたまま動かないように!」
肩を掴み、少女を促すその青年に、冗談は一切通じそうにはない。
(天上騎士……)
天上に住む神の使いが、この地に舞い降りたことでアリエは生まれた。そしてその"天使"の子孫が国王アリエリエであるという事。それはこの国に住む者であれば、誰もが周知の事であろう。
そしてそのアリエリエを中心とした、王族貴族らを守護する騎士たちの存在も、この国では知らぬ者はいない。
まず騎士団の最上層である一人の大将軍(バルダム)を筆頭に、四人からなる中将軍(ウィズリーダム)、その下に八人の小将軍(バラフリーダム)、そしてその下に一六人の将軍(リーダム)がいる。この四種の将軍、計二十九人は総して天上騎士(ラクナス)と呼ばれ、アリエリエを初めとする天上人を守護する者として多大な権力を持つ。
将軍リーダムの下にも様々な部隊が組まれているのだが、あくまでそれは将軍の命によって指名されただけであり、立場は階級順の一般兵、平民にすぎない。天上騎士に成るには様々な道があるが、結局のところは天上人アリエリエの勅命によって選ばれし者である。リーダムと、その下につく一般兵との権力の壁は想像以上に高い。
この国に住む貴族たちは、天上に住む者の血を受けているとされている。天上に住む者は眩い光を纏い、平民がその瞳を直視してしまうと、絶命してしまうとも言われている。が故か,貴族らは滅多な事がない限り、外へ赴くことはなく、高い城壁の中で平民の目に触れることなく生活している。やむえず祭事の際に外へ赴く際は、金糸を編んだ布を縁に垂らした帽子を被り、その肌の色すら確認することができない程である。
まぁ勿論、平民はその姿を目に収めることなど出来る訳もなく、彼らの馬が通り過ぎるまで、ひたすらに地面に頭を擦り付け、視界より去るのを待つほかにない。それには勿論、天上人に対しての敬意が込められているのだが、それを守護する天上騎士らの目を恐れてでもあった。仮にも顔を上げてみたらどうなるだろうか。無礼と称して容赦なく切り捨られるであろう。
天上騎士は王族貴族の守護が主だった役割であるが、命を受け、国防や戦に赴く事が近年では目立つ。騎士らのみで各地を渡り歩くことも多く、物資調達という名目の元、町々を訪れることも珍しくはない。その際にけして命が奪われる訳でもないのに、平民たちが彼らを直視できないでいるのは、大半の天上騎士がその権力に溺れ、傲慢の限りを尽くしている者が多いからであろう。いつの頃からか、彼らが道を行く際は王族貴族にするのと同様に、地面に額を付けるのが通例となりつつあった。
オリビアも帝国の貴族、そして騎士達の存在は母より聞いていた。帝国の話をする際に、いつもどこか物憂げな表情をしていたのは、リアムのこの焦りに通じているものなのだろうか。
オリビアがどこまで把握できているかは解らないが、リアムの聴覚には確かに馬の足音が届いている。時間はない。
少女の頭を押さえ、地面へ促す青年の姿は、見る者によっては冷酷だろうが、これは身を守る最善なのである。夏が近いとはいえ、雪山の麓。敷かれた石畳は、こうにも冷たいのか。そして、膝と掌と額の三点にあたる、硬く痛い感触。かくして、これを知るとは二人は想いもしないのであった。
近づく複数の馬の闊歩。視線の先は黒色、茶斑の石板のみ。見上げようにもそれは許されない。馬の蹄が一つ鳴るたびに、同調して心臓が張り裂けそうである。それは少女だけが得た感覚ではない。栗毛の青年にとっても、久しく感ずる不気味な旋律であった。
失われた視覚を補うために、他の感覚、特に聴覚が鋭く尖るのは自然の事であろう。少女の耳も、刻まれる蹄の打音に混じる、大きな罵声を逃さなかった。
「糞どもがよ。この町には良い女の一人もいねぇのか!」
(……先頭はリーダム!よりによってセジュールとは)
少し鼻にかかる、特徴的な高さをもつ声。緊迫の中でも、情報収集は欠かしてはいけない。それは勿論、これまでの経験によるものである。リアムは確実に対象を把握し、声の主を突き止めた。
セジュールは、齢二十二歳。十八の頃に、歴代最年少にして将軍リーダムとなった男である。
肩まで伸びる金の髪。無骨な筋肉に、中程度に端正な顔立ち。背中に斜めに掛けられた、分厚い大剣。非情でかつ傲慢でなければ、誰からも英雄として称されているであろうが、単純、幼子さながらの身勝手な性格から、冷徹な帝国騎士の中でも嫌煙されている存在である。
気分一つで、これまでに何人が殺されたか。誰もこのような男に従う者はいないのだが、彼には天性の武才があった。戦でも先陣を務める事が多いが、それはまるで中身がない彼だからこそ、相応しく勤まる役割でもあった。
リアムの感覚も耳だけに偏ってはいない。まして、少女のそれより鋭く尖っている。故に、得られる情報の量は多い。
(……血の匂いがするな。誰か切られたか)
その予想は、これまでの経験から導かれた不の思考の行く末であった。帝国貴族が通る際に通う血生臭さは、まず民間人から発せられるものばかりであった。その大半の理由が『なんとなく気に食わなかったから』という傲慢からである。
しかし、今回は幸いにもリアムの予想は外れた。セジュールが切った相手は、道中出くわした【ルシール】と呼ばれる獅子の一種であった。
ルシールは、うねる大きな角を持つ、狩れば英雄とも謳われる猛獣である。年に一度催される、狩猟祭と称した騎士たちの”憂さ晴らし”では、最上級の標的とされ、天上騎士達は自身の腕を見せつけるべく刃を向ける。しかし最上級と謳われるだけあって、並みの騎士では逆に命を奪われてしまう。それを刈り取り、鼻に縄を括った生首を肩から下げるセジュールの様は、腑に落ちないが武神を思わせる。
セジュールが来た、となればまず何か起こるぞ。栗毛の青年の頬に、冷や汗が滴ったのも束の間。想像通りに、彼は喧騒を巻き起こした。やはり引き金は女であった。
「おぉ。良さそうなのがいるな。お前、面を上げろ」
指摘されても動作がないのは当然であろう。視点は石畳しか捉えていないのだから。この町にいる女たちは皆揃って願っていた。『どうか自分ではありませんように』と。
「お前だ。茶の髪で黄色の花の髪飾りをしている……」 
私なのか……。声を掛けられ、面を上げた娘の表情は険しく、酷く怯えていたことは、セジュールにしかわからない。
「やはり、勘は正しかったようだ!実に美しい」
この表情がなければ、まだ人に慕われるやもしれないのに。セジュールの目は猛獣の如くぎらつき、口角は不気味に上を向いた。
「良い。お前、我が屋敷に来るがよい。何番目かの妻にしてやるぞ」
「そ、そんな……私には」
セジュールの強要に答えたのは、隣で地面を見つめていた老人であった。流石の天上騎士の要求にも耐えられない事情があったようだ。俯いていた視線も上がり、セジュールの顔をしっかりと捉えているようである。
「騎士様ご無礼を。む、娘を連れていかないでくだされ。先月婚約したばかりなのです。どうかご慈悲を……」
言葉はセジュールの耳にしっかりと届き、そして勿論、彼の逆鱗に触れた。老人を睨む、血走る眼は、自身の縄張りに侵入した猛獣のそれを想わせる。奥歯に加わった大きな力が鳴らす軋音は、雷が落ちたかのように、空気を割いた。
鉄靴が石畳を数度鳴らす。馬のものに比べると微かなはずなのだが、それは確実に辺りの人間の耳にも届けられていた。彼は無言で老人に寄ると、そのまま強烈な蹴りを顔面に浴びせた。
「……がはぁ!!」
ぐしゃりと奇怪な音を鳴らし、老人は後ろに大きく飛ばされた。倒れた老人の周囲に、じわじわ大きな血だまりが生まれてゆく。
「い、いやっ、お父さん!」
俯いていても、何が起きたかはわかる。娘の声は、オリビアの幼い心に何かを灯し、思わず起立を促した。しかし、背中を何かに押さえつけられ動けない。少女の動きを封じたのは、栗毛の青年リアムの片腕であった。
彼は見逃してなかったのだ。隣で頭を垂れる少女の指先が、石畳を強く引っ掻き、拳を生み出した事を。リアムの腕は筋走り、全力で少女を押さえつけている。『動いては駄目だ。未来の為に耐えなければならない』。青年の腕は、無言で少女を諭し続けている。
「なぁ。誰に口を聞いてるんだ、糞じじい。俺を誰だと思っている」
飛ばされた老人の元に近づく鉄靴。その娘は、恐怖のあまり声を出せない。口元を震わせ、必死にエルビスの神々に願うばかりである。
セジュールは、片手に担いでいたルシールの頭部を投げ出した。石畳が鈍い音を奏でたのも束の間。次は甲高い、金属が擦れる音が響いた。
「天上騎士様を何だと思っている。塵屑に用はねぇんだよ。地獄で過ちを恥じろ」
興味がない物は迷いなく切り捨てる。天上騎士の中でも、秀でてその傲慢さが謳われるセジュール。背後で娘が微かな喘ぎを含み、地面にへたり込んだ事も知らず、彼は不気味な笑みを浮かべながら、迷いなく引き抜かれた大剣の切っ先を老人に向けた。
思えば、その大剣が大きな見栄を含んでおり、大層な重さのある物であったが故に救われた命であったかもしれない。振り下ろされる寸前、セジュールの背後を怒声が貫いた。
「セジュール!止さんか!」
声はセジュールの両腕に巻き付いたかの如く、彼の動きを抑え込んだ。
そして早々に近づく馬の走音。その音は実に軽やかで、優秀な馬であることをリアムは即座に見抜いた。そして、すぐさまその主の声に耳を澄ませる。これまでのやり取りからも、明らかにセジュールを止めた者が、優れた上級騎士であることが推測できるからである。
「止さぬかセジュール。せっかく手に入れたヴィナーが不味くなるぞ」
「ベリル……。何故止める」
(ベリル……!バラフリーも来ているのか!)
ベリル・ローズマン。名家の出で、幼少より鍛えられた細剣を武器に、セジュールと同じく十代より騎士として生きている者である。三年ほど前にその実績が認められ、小将軍バラフリーダムに任命された。名前故に"薔薇将軍"と謳われており、耳を隠す程度の黒髪、髭一つ伸ばしていない様は品も持ち合わせている。彼を育てた騎士が実に優秀であったのであろう。天上騎士の中でも珍しく人徳が厚く、民衆の支持も高い。まさにセジュールとは正反対の男である。
先頭に、恐れを知らないセジュールを置くことで、事態を処理しやすい。しかしこのセジュールである。西南に向かう際に、揉め事があっては……と懸念した"ある者"に相談を受けて、自ら中尾に配属するよう大将軍ガルーダムに懇願したのであった。
余程警戒されていたのかが解る。『セジュール様が動きを見せた』との連絡を、彼の近くにいた騎士より口伝で連絡を受けて、こうして駆け付けたのであった。彼は今年で三十二になる。年齢も、騎士としての位もセジュールより上である。言わば"御守り"としても、自らの役割を果たさんとする想いであった。
「何故止めるか、か。決まっておろう。人の恨みの恐ろしさを知っているからだ」
軽やかな口調でそう告げると、彼は腰の短剣をさらりと抜いた。馬から見下ろされる形で向けられた切っ先は、一線、セジュールに向けられ、ぴたりと動かない。
「アリエリエ様への手土産を得る為だけに、聖堂院に寄ったのだ。ここでこれ以上の無駄な時間を割くわけにもいかぬ」
さぁ来るなら来い。と言わんばかりの気迫である。流石のセジュールも薔薇将軍を相手にしては怪我などでは済まされない。負けを認める訳ではないが、身を引くしかない。それくらいは彼にも理解できたようである。大きな舌打ちと共に、両手に握られた大剣は背中の鞘に納められ、がつりと何度も大きな足音を鳴らしながら、セジュールは自身の馬に戻って行った。
この差が、格の違いというものだ。セジュール、お前もこの姿勢を見て何か学べ、と言いたいくらいである。細剣がするりと音無く収められると、ベリルは馬から降り、真っ先に老人に寄り、声を掛けた。
「すまなかったご老人。心より詫びを申し上げる」
彼は腫れあがった老人の顔に手を当て、患部を確かめると、背中に彼を担ぎ、項垂れる娘の元へと届けた。
「同じくすまないことをした。歯や鼻は折れているようだが、安静にしていれば次期に治る。都市に連れていき、看病したいところだが、そうにもいかぬ。詰まらぬものだが、どうかこれで許して欲しい」
ベリルは懐から巾着を取り出すと、娘に差し出した。どうやらこの町で稼ぐには、一年はかかるであろう大金が入っている。よほどの恐怖に駆られていたのかが解る。娘は声も出せずに狼狽えていると、ベリルは無理やり娘の手にその巾着を握らせた。
薔薇将軍は頷き、跪いて撓んでいた甲冑を大きく鳴らした。そして数度、鉄靴を鳴らし一言。
「行くぞ皆。都市に戻るのだ」
一連の様を、脇目に見ていたセジュールが大きく鼻を鳴らしたのも露知らず。ベリルが馬に跨り声を上げたのも束の間、再び馬の闊歩する音が続いた。
少女と栗毛の青年は、ひたすらに石畳を見つめ、それが去るのを待つばかりであった。
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