鉤十字の男たち

文字数 4,404文字

 アルデンヌの森を北東から抜けると最初に出会う中規模の町がランスである。
 リアンナが義母と住むこの町は、昔から戦争のたびに翻弄されてきた。
 それは遠く、フランツ王の時代から。
 先の大戦でもここは戦場となった。
 今回も、機械化部隊を要するドイツ軍は、驚くほどの速さでこの町に到達し、フランスと英連合軍はあっさり後退を余儀なくされた。

 この町に最初に入城したドイツ軍部隊は、国防軍の第7機甲師団であった。
 戦車を中心に編まれた部隊は、アルデンヌの森をまっすぐに駆け抜け国境地帯に設けられていた要塞陣地マジノ線を迂回突破してしまったのだ。
 機械化部隊は、同時に多方面で国境を突破、パリを目指し、文字通り電撃的に進撃を続けた。
 こうなってしまうと、ランスの町はフランスと英連合軍から見ればもはや後方兵站地であり、まともな戦術的陣地は存在しない。前線が崩壊したのだから、その後方には戦力などないも同然なのだ。
 当然のようにこのランスでの防衛戦は無意味であり、連合軍はあっさり町を見限り戦闘の容易な地域に移動した。
 この結果、ドイツ軍の戦車部隊はあっさりと町に入城し、この地の占領を宣言したのだった。見かけ的には無血入城である。

 町の中はドイツ軍の制服で埋め尽くされたが、思ったほどの混乱はなく、町に残った住人たちは黙って家にこもり、補給のために町中に居座るドイツ兵たちを窓から見つめていた。
 ドイツ軍は、組織的に町中に警戒線を敷き、要所要所に小規模の部隊を集結させ、歩哨を立てていた。
 そんな部隊の動きとは全く切り離されて動く一台の軍用オープンカーがあった。
「何故こんな最前線にまであいつらが来ているんだ」
 町の中央にあるノートルダム大聖堂の前には、数輌の戦車が停まり燃料の積み込みをしていた。
 戦車の周囲にはドイツ国防軍の兵士が油断なく立哨していたが、その兵士たちの前を件の一台のオープンカーがゆっくり通りかかった。
 フロントフェンダーの横には、武装親衛隊のシンボルマークが描かれた旗がたなびいていた。
 通常彼らは前線までやってこない。文字通りヒトラーの親衛隊として国内に居る。
 戦闘部隊も抱えてはいるが、今回の侵攻作戦でこの方面には投入されたという話を誰も聞いていなかった。
 ドイツ国防軍の兵士たちが訝しむのも当然なのだった。
 町のシンボルであるドームにはわき目も触れず、車は広場を過ぎていく。 
「ただの武装親衛隊ではないみたいですね。高級将校ばかりだ。何をしに来たのでしょう」
 国防軍の兵士たちは興味深そうに車を見送った。

 問題のオープンカーには黒い制服を纏った3人の将校と運転の為の下士官が乗っていた。
「ゲシュタポの仕事は早いな。もう奴の尻尾を掴んだとは」
 車の中で一番上級の士官が町の様子を見つめながら言った。
 襟には大佐の階級章が縫い付けられていた。
「ですが、もうこの町からは逃げ出した後でした。侵攻部隊に先んじて、すでにパリの南のオルレアンまで捜索の範囲を広げていますが、まだ手掛かりは見つかっておりません。協力者についても同様です」
 少佐の階級章をつけた男が答えた。
「まあいい、ここに居たことが判っただけでも上出来だ。開戦前は、アルザスにばかり目が行っていて内陸の方は気が回っていなかったからな、ここをよくぞ見つけてくれたものだ」
「バイス大佐の部隊は、事前情報を過信してストラスブールに直行してしまったのでしたね」
 少佐が大佐に問い返す。大佐は大きく頷いた。
「ポーランドで殆ど収穫が無かったから、フランスに攻め込んだら、なんとしても手柄が欲しかったのだろう」
「早計もいい所です。ヒムラー長官に大見得を切っていましたからね、それで余計に焦ったのでしょう。二年以上も前の目撃情報にすがるなど拙速以外の何物でもない」
 少佐がふんと鼻で笑いながら言った。
「まあ、劣等民族に(くみ)するような奴は急いで見つけ出したいと思う気持ちは我々も同じだ、とにかく砂漠で針を探すようなこの作業に、国境を超えることが出来た今、我らは全力で当たれるようになった事を感謝せねばな」
 大佐は通り過ぎた大聖堂を一瞬振り返って言った。なぜか、そこには軽い感謝の色が見えた。
 まるで神の助力がそこにあったかのような…
「その困難な作業で、実際に痕跡を見つけ出したのですから、秘密警察(ゲシュタポ)の捜査力も大したものです。これならもっと早くから協力体制を取るべきでしたね」
「我々の反キリスト勢力狩りと、彼らゲシュタポのオカルト運動家摘発が連動すると気付かされたのが遅すぎたな。結局行き着く先が、あいつを筆頭とする地に落とされ帰れぬ奴らに集約されるのは必然であったのに」
「秘術をめぐる探索に関して、どちらも口をつぐんでいたわけですから、接点を見つけるのは難しかったでしょう」
 大佐がうむと頷いた。
「あの技術は我ら親衛隊が使う事にこそ意味がある。出来たらゲシュタポにも渡したくはないくらいだ。とにかく非アーリア人や劣等人種には過ぎたるものなのは間違いないのだ、早急に封じなければならん、あの男を見つけ地獄に追い落とすか神の檻に封じるかしなければ安心は出来ん」
 大佐は手袋をはめたままの手をぎゅっと握った。
「その通りですな。なんとしても見つけねば。あれが生身から離れられぬ今だからこそ」
「ですが、相手が相手です、常に警戒は怠らぬ事ですぞ」
 それまで黙っていた助手席の士官が振り返りながら言った。彼だけは、制帽ではなく略帽を被っていた。だが、階級は中佐である。
 左官クラスの士官が、三人も一台の車に乗るなど、最前線では異例もいいところだ。
「たしかに、単純に銃や剣を突きつけて屈する相手ではないからな、どんな反撃を食らうかは未知数だ」
 大佐が言った。
「何はともあれ、相手を探す手がかりを見つけるのが先です。隠れ家にしてたと思われる家はこの先です。どんな小さなものも見逃さず調べ上げましょう」
 中佐はそう言うと前を向き直った。

 車は狭い小路に入って行った。
 一軒のかなり古びた家の前で車は停まる。
 家の前に、背の高い背広姿の男が立っていた。
「お待ちしておりましたクライフ親衛隊大佐」
 背広の男は、親衛隊将校の姿を見るとナチス式の敬礼をして挨拶をした。
「ここが隠れ家か」
 車を降りた三人の将校は、背広の男に導かれ家の中に入った。
 玄関の先に木の階段があり、背広の男は三人を先導して階段を上がり始めた。
「まだ町の中に協力者が残っている可能性があります。室内を探し、その手掛かりを見つけ拘束しましょう。尋問は自分が受け持ちます」
 背広の男が取っ付きの部屋の扉を開けながらそう言った。

 部屋に入ってみると、そこには異様な光景が広がっていた。
 床は床板も見えぬほどに書物と書類が散らばっていた。
 だがそれ以上に目を引くのは、壁に所狭しと貼りつけられた古文書らしき紙片、そして何より目立つのが逆向きの十字架が右手の壁の中央掛けられていることだった。
「まさに背徳の証か。しかし、こう堂々と逆十字を掲げているとは驚きだ」
「確かに、人の目に触れてはならぬ物でしょうに」
 将校たちが呆れた顔で言った。
「いえ、これはおそらく部屋を出ていく前に急いで飾ったものだと思いますよ」
 背広の男はそう言うと、床の書籍と紙きれを足でどけた。
 すると、そこに真っ赤な塗料で描かれた図形が現れた。
「最後に何かを仕掛けていったか。この図形の意味は解けるか」
 大佐が隣の少佐に訊いた。
「少し時間がかかります。私の専門は、あくまで異端の判別であって、魔術の解析ではないので」
「バチカン図書館に詰めてため込んだ知識はかなりのものと聞いているが」
「行使する側ではないので、自由に読み解けるわけじゃありません。ご容赦ください」
 大佐が拳で口を押さえながら言った。
「ふむ、こうなると逆にトゥーレ協会に居たバイスの方が役立ちそうだ。あいつは、自分が魔術師だと影でうそぶいている」
「親衛隊員でなければ粛清されている立場ですね。それで余計にこの職務に励んでいるのでしょう。長官のお眼鏡にかないたいと意識しているようですし」
 中佐が言った。
「そのヒムラー長官の上に居る総統閣下の意思を無視して親衛隊は存続できん。我々の任務の第一義は、占領地での反キリスト勢力の一掃であり、その取り込みなのではない。トゥーレ協会を潰したのは総統閣下の意思だ。私なら自らが反バチカンに陥ってまで国家に尽くそうとは思わんな」
「大佐は、教皇のピウス十三世に気にいられておりますしね」
 少佐が言うと、大佐の表情は明らかに険しくなった。
「余分な話はしないでいい」
 大佐がびしっと言った。
「私は書類を片端から調べます」
 背広の男がそう宣言し、床の上の書類から目ぼしい物を探し始めた。
 その直後だった。少佐が図形を凝視したまま叫んだ。
「これはまずい、すぐに部屋を出てください。これは魔方陣です!」
 床の図形の一部を隠していた紙片をどけたことで、どうやら何かが動き始めたらしい。
 妙な音が部屋に響き出した。
「どうした?」
 大佐が少佐の肩に手をかけた直後だった。
 いきなりそれは起きた。
 床に落ちていた書類を拾い上げた背広の男の足元から、大きな火柱が上がったのだ。
「発火装置か!」
 背広の男が飛びのきながら叫んだ。
「逃げろ、急げ」
 大佐が叫び、全員が一斉に扉から外に飛び出した。
 すると、巻き上がった火はそのまま部屋から溢れ廊下までその舌先を伸ばして来た。
 一同は転げるように階段を駆け下り、表へと飛び出した。
 この時にはもう二階の窓からもの凄い黒煙と共に炎が噴き出し始めていた。

 すさまじい黒煙を見つめ茫然とした一同だったが、大佐が大きな舌打ちと共に言った。
「ただの発火薬ではないぞ、この煙は……」
 本来なら上に行くはずの煙が、壁に沿って地面に降り注いできた。
 たちまち煙は一同を包み込み、慌てて走り逃げようとしていた将校たちは、立て続けにバタバタと倒れて行った。
 倒れた男たちは、そのままぴくぴくと痙攣をし意識を失っていった。
「毒か……、この魔族めが……」
 霞んでいく視界の中で黒い煙の正体を見切った大佐が呟く。
 やがて、彼の瞳はすべての光を奪われ、意識はアケロンの川へと誘われていった。

 彼らから少し離れた小路の外れで、一匹の黒い犬がじっと座ったままこの様子を眺めていた。
 建物が紅蓮の炎に包まれたころ、犬はゆっくり立ち上がりどこかに去って行った。
 武装親衛隊の男たちは全員二度と動けなくなっていた。
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