第1話

文字数 1,600文字

「お兄ちゃんがぶった!!」
「コウタが俺のおもちゃとるからだろ!!」
「もううるさい!静かにしてよ!」
 …うるさいのはお母さんも一緒でしょ。
 そんなこと、お母さんの前では口が裂けても言えないけど。そろそろ、お母さんが音を上げて私の部屋へ来る頃だろうな。
「お姉ちゃん!ちょっと下の子見ててくれる?」
「…うん、いいよ。」
 私だって、宿題やりたいんだけどな。高校入ったばかりで慣れない環境で…。お母さんに話したいことも色々あるけど、お母さんは下の子たちのお世話でいつも手一杯だから。お母さんの目に、私は映っているけど見えてない。それももう、慣れてしまったけれど。
「ほらコウタ、お兄ちゃんにごめんなさいしようね。シュンもすぐぶっちゃダメだよ。」
 うちは、この辺では一番と言っても過言じゃないほど、裕福な家庭だ。家は無駄に大きいし、小さいころ、欲しいといったものは全部手に入った。服も靴もカバンも、すべてブランド物だし、車なんて左ハンドルの車が何台も家にある。お父さんは出版会社の社長で、テレビ出演なんかもしていて、お母さんは家庭に入り、この広い家と無駄に多い子供の面倒を見ながらも人当たりのいい綺麗な人。
 …うちのことを知る誰もが羨望のまなざしを向ける、そんな家の長女として生まれたのが私。下には4人の弟と2人の妹がいる。
 広い家も、これだけの人数がいれば騒がしいものだ。しかも一番下のコウタはまだ3歳。その上のシュンは5歳。まだ手のかかる年齢。いつだって喧嘩ばかりで、その面倒を見てるのはほぼ私。
 お母さんは、外では子育てをしっかりしているように振舞っているけど、実際のところご飯は買ってきたものばかりだし、家の掃除は週に一度来るお手伝いさんがやってるだけ。お父さんに至っては夜遅くに帰ってきて朝早くに出ていくからしばらく顔見てないし。
 皆が憧れる佐原家は、玄関を開ければ一気に崩れる。
 お母さんもお父さんも、周りの目をとても気にする人だけど…人の目って、そんなに大事なものなのかな。
「…お母さん、私シャー芯なくなったからコンビニ行ってくるね。」
「あらそう、いってらっしゃい。」
 夜に私が出ていこうが、心配しないお母さん。キッチンに立ったまま、振り返ってすらくれない。確かにこんな田舎で、皆知り合いのような町で何か事件に巻き込まれることは無いだろうけどさ。
 大人なんて、皆そんなもんだ。学校の先生だって、お父さんだって…大人の目に私は見えてないんだから。
 春の夜はまだ少し肌寒い。私は部屋着に薄手の上着を羽織って、宿題を持ち玄関で靴を履く。
「お姉ちゃん、外行くの?」
「うん。どうしたのナナ。」
「ううん、気を付けてね。」
「ありがとう。行ってくるね。」
 2コ下の妹、ナナに笑顔で手を振り、私は外に出た。外はやはりまだ寒くて、はぁ、と息を吐いた。…うん、家の中よりちゃんと呼吸できる気がする。
 私は、人目に付かない公園などで学校の宿題をしようと歩き出した。田舎の夜、というと、ほぼ人なんて歩いていないから、どこでやっても人目に付かないとは思うけど。
 でももし、佐原の長女が外で宿題してるって話題にでもなったりしたら、またお父さんがうるさそうだし…。田舎はすぐ噂が回る。
「…こんな町、早く出たいなぁ。」
 空には、無数の星が輝く。天然のプラネタリウム?ってくらい。小さくぼやいたそんな言葉は、もちろん誰にも聞こえないものだと思ってた。
「…お嬢さん、この町は嫌いかい?」
 まさか、私のこと見てくれる人がいるなんて思ってもいなくて。私の心の声に耳を傾けてくれる大人がいるなんて、信じられなかった。
 プラプラ歩いていたら、いつの間にか町の外れのほうに来ていたみたい。
 周りを見渡すと、そこはずいぶん廃れた商店街。その角にあるさびれた「中華まん」の看板。
 その奥で、先ほど私に声をかけてくれたおじさんは、にこやかに笑っていた。
 
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登場人物紹介

佐原 凜子(さはら りこ)

15歳の女の子。町一番の進学校に通う高校一年生。

裕福な家庭で育ち、七人姉弟の長女。

松本 一平(まつもと いっぺい)

70歳のおじいさん。

廃れた商店街で以前は中華まんの店を営んでいたが、今は店をたたんでいる。

林田 翔太(はやしだ しょうた)

15歳の男の子。凜子とは保育園から中学まで同級生だったが、現在は町で一番偏差値の低い学校へ通う。

公務員で優秀な姉がいる。

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