第1話
文字数 4,980文字
1つ違いの姉と私は、小さな頃から二人でひとつの物しか与えられなかった。
とは言っても、姉は新品で、妹の私はお下がりということだ。
何だってそうだった。
お揃いではない。
二人でひとつ。
分けられるものは半分こ。
それに不満があったわけじゃない。
お姉ちゃんのことは大好きだったから。
小学生になると私たちは二人でひとつの作品を作るようになった。
姉が考えた物語を私がマンガにして見せたのが始まりだ。
「里子 、面白いよ!」
姉が考えたストーリーなのだから面白くて当然なのだが、めったに大きな声を出さない姉がそんな風に声を弾ませたことがとても嬉しくて、それから一緒に1つのマンガを完成させることが私たちの共通の楽しみになった。
プロを目指そうなんて考えを持ったことはなく趣味の域だったけれど、その時間は楽しくて、姉が高校生になるまで続いた。
姉は母に似た綺麗な顔をしていた。
名前は母が女の子なら絶対つけたかったという「まりあ」。
私は父に似た平凡な和風の顔。
私の名前は父がつけると決めていたものの、男の子を期待していた父は「里子」という、姉とは姉妹感のない名前を私につけた。
姉は勉強もよくできたし、運動もできる人気者。
私は大人しく引っ込み思案で目立たない存在だった。
私が姉より少しだけ上手くできたのは絵を描くということだけだった。
それ以外は何の取り柄もない私だったけれど、姉がそばにいた頃まで私の人生は確かに上手くいっていた。
小学生の頃は「まりあちゃんの妹」というだけでかわいがってもらえた。
中学生の頃も「まりあちゃんの妹」と呼ばれ、同級生からはいいなぁ、と羨ましがられた。
名前よりも「まりあちゃんの妹」と呼ばれることが多かった。
お姉ちゃんのことはずっと変わらず大好きだった。
妹だというだけでこんなに綺麗で素敵な人に優しくしてもらえることが嬉しかった。
高校は姉と別になり「まりあちゃんの妹」という称号がなくなると、私の人生は緩やかに下降していった。
友達を作るというところから苦労したのは初めてだった。それまでは姉と一緒に外に遊びに行けば、姉の友達や同級生が集まってきて自然と友達ができていたから。
姉がいなければ私は空気にとけてしまいそうなほど地味で存在感のない人間なのだと感じた。
それでも2年生までは家に帰れば姉がいたから、私には自分らしくいられる場所があった。
姉はよく私の悩みを聞いて励ましてくれた。
「もっと勉強してお姉ちゃんと同じ学校に行けば良かったわ。私、お姉ちゃんが一緒じゃないと何もできないんだから。それがよくわかったの。…私もお姉ちゃんみたいに生まれたかったな」
「なに言ってるの、私たちは姉妹じゃない。里子は私にはないものを持ってるし、第一、同じ親から生まれてきたんだもの、私たち同じようなものよ。きっと生まれる前から出会ってるわよ…ううん、もしかしたら二人で1人だったかもしれないわ。そう思わない?私も里子といたら1人よりずっと心強いわ。里子だって私の力になってくれてる。だからもっと自信を持ってよ」
…私がお姉ちゃんの力になっている?
その言葉がどれほど嬉しかったか。
小さな頃の私はお月様が欠けたり丸くなっているのは月自体が形を変えているんだと思っていた。
けれど大きくなり、そうではないと知った時から、私は時々私たち姉妹を月に置き換えて考えるようになっていた。
その日の夜に姉と見た月の光を、私は姉のようだと感じた。
自ら発する太陽のような強い光ではなく、幻想的な美しい光。
私が姉にないものを持っているというのは本当だろうか。
じゃあ、月の光っている部分を姉だとすれば、もしかしたら私は光の当たっていない部分の月なのではないか。
私たちはいつでも二人で1つなのだから、月が丸くなるためには、月が月でいるためには、光の当たっていない部分だって必要なのだ。
私の人生に姉が必要な存在であると同時に、姉にとっても私は必要な存在なのではないか。
いや、そうでありたいと願っていた。
姉が大学に進学し、家を出ると私は心の拠り所を失ってしまった。
それでもなんとか姉の側にいられる方法はないかと考え、姉の家から通える学校に進学するため、必死で勉強した。
高校生活なんてどうだっていい。
友達ができないのがなんだ。
お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃんに会いたい。
お姉ちゃんのそばにいたい。
その気持ちだけで1年間を乗り切り、望む学校に合格した。
姉もきっと喜んでくれるだろう。
よくがんばったね、って誉めてくれるかもしれない。
早速母が姉に連絡をした。
「里子と一緒に暮らして」と。
私は電話する母の横でワクワクしながらそれを聞いていた。
だけど、姉の答えは想像していたものではなかった。
姉の家から近い学校と思っていたけれど、1番近い所というわけではなかった。
「電車の乗り継ぎもあるし、ここからじゃけっこう複雑なのよ。里子が通うには大変なんじゃない?」
そう言ったそうだ。
それでもいいと私は母に言った。
すると「一人暮らし用のワンルームよ。そこに二人でというのはやっぱり狭すぎるし、自分の部屋がないなんて里子にとっても良くないんじゃない?」と姉は言ったそうだ。
私たちは今までも二人でひとつだったのだから、そんなこと気にしないのに。
姉はなぜ喜んでくれないのだろう。
いや、姉は私のためを思って言ってくれているのだ。
「里子にとって」という言葉が出ているのがその証拠じゃないか。
一晩考え、私の出した結論は「姉の住んでいるマンションの別の部屋に住む」というものだった。
電車を乗り継ぐことなんてなんでもない。毎日姉に会えることの方が何百倍も大切なのだ。
それには姉も反対はしなかった。
そして運良く、姉の部屋の隣が空いていたのだ。
お姉ちゃんとお隣さん。
なんて楽しそうなんだろう!
早々に荷造りをして引っ越しを指折り数えて待った。
卒業式を終えると早速引っ越しし、晴れて私たちは隣人となった。
引っ越しの日は姉も手伝いに来てくれた。
「これからは毎日会えるね!ごはんも一緒に食べられるし!あっ、時々、お互いの部屋に泊まりあっこするってどう!?楽しそうでしょ!」
はしゃぐ私に姉は浮かない表情で言った。
「里子ももう大人になるんだから自立しなきゃね、あまりべったりだと良くないわよ、ほら、きっと彼氏もできるし」
「彼氏?いらないよ、彼氏なんて、お姉ちゃんがいるのに」
私は笑って言ったけれど、姉は困ったように私から目線を逸らした。
「…お姉ちゃんは…いるの?彼氏」
「うん、いるよ」
私は息が止まるほど驚いた。
姉の隣に私以外の誰かがいる。
姉の隣は、私の指定席のはずなのに。
「今度の休みに来るから紹介するね」
そう言って姉は自分の部屋へ戻っていった。
寒くもないのに体がカタカタと小刻みに震えた。
まさか。
お姉ちゃんが私と一緒に暮らしたくなかったのは、彼氏がいるから?
…私のためじゃなかったの?
…私が、邪魔だったの?
何か黒くてモヤモヤとしたものが全身に広がっていくように感じた。
少しでも気を抜くと体が震えだす。
あんなに明るく見えていた未来が一気に見えなくなった。
週末、私は姉の部屋に呼ばれ、彼氏と初めて対面した。
「辻村 誠 です。里子ちゃん、まりあからよく話は聞いてたよ。すごく仲が良いって。会えてうれしいよ、よろしくね」
私は恐る恐る誠さんを見た。
背が高くて姉とお似合いの美男子だ。
私は姉と毎日一緒にいるという夢が叶わず、気力もなくなり、学校もろくに行かずに留年した。
心配した母に連れ戻されそうになったが、断固として拒否した。
毎日ではないけれど、お姉ちゃんと会える。
壁の向こうにはお姉ちゃんがいるのだ。
母は姉に私の様子を見るように伝えた。
前よりも姉が頻繁に会いに来てくれるようになった。
それだけで私は元気が出た。
お姉ちゃんが私を心配してくれている。
元気にならなきゃ。
お姉ちゃんのために。
お姉ちゃんのために。
私は少しずつ気力を取り戻し、次の年には無事進学し、姉は卒論の準備があるからとあまり顔を見せてくれなくなった。
そして姉の誕生日が近づいてきた。
私は姉の部屋から出てきた誠さんに、姉の誕生日にサプライズプレゼントをしようと持ちかけ、連絡先を交換した。
そして姉と約束のない休日に誠さんが私の部屋に来た。
「僕はまりあに指輪をプレゼントしようと思ってるんだ」
「…もしかして、プロポーズですか?」
「いや、まだ学生だからね…でも、そう遠くはないと思うよ」
誠さんは照れたように笑った。
「…浮気、してるのに?」
誠さんの顔からゆっくりと笑顔が消えた。
「お姉ちゃん、卒論の準備忙しいみたいですもんね。最近会ってないでしょう?誠さん、寂しいんじゃないかなと思って、私、しょっちゅう誠さんの学校へ様子見に行ってたの。でも平気そうだった。だって、いろんな女の子が誠さんのおうちまでついていってたから」
「…里子ちゃん、きみ…」
「安心して。お姉ちゃんには言ってないから。寂しかったのよね、わかるわ。お姉ちゃんに会えない寂しさ、本当に痛いほどわかる。ただ…私もお姉ちゃんに会えなくて寂しいから、誠さんと一緒に過ごしたいの。…もちろん、お姉ちゃんに内緒で」
「…本当に、まりあには言わないでくれるんだね」
「もちろんよ、私たち寂しい同士、仲良くしましょ」
そして姉の誕生日当日。
誠さんは姉に指輪をプレゼントした。
姉はそれを指にはめてもらい、嬉しそうに私にも見せてくれた。
ああ、この笑顔。
久しぶりに見た、私の大好きなお姉ちゃんの笑顔だ。
「私からは、これ」
私はピンク色の封筒を渡した。
「なにかしら?バースデーカード?」
中身を取り出し、姉は固まった。
「何?そんなに驚くもの?」
覗き込んだ誠さんも凍りつく。
「誠…どういうこと?」
姉は誠さんに向かって封筒の中身を投げつけた。
床に散らばった浮気の証拠写真を見て、誠さんは私に言った。
「里子ちゃん…どうして」
「私がお姉ちゃんに秘密なんか作るはずないでしょう、この浮気男!」
「…まりあ、ごめん、信じてくれ。1番愛しているのはきみだ」
「お姉ちゃん、騙されちゃダメよ!」
姉は私と誠さんを交互に見た。
「お姉ちゃん、私と誠さん、どっちを信じるの!?」
お姉ちゃんは深く息を吸ってから、涙を流しながら誠さんをにらみつけ、「出てって」と一言告げた。
…勝った。
勝った!
やっぱりお姉ちゃんにとって大切なのは誠さんじゃない、私だったのだ!
それを実感したくて、誠さんの尾行中の写真を準備した甲斐があった。
お姉ちゃんの役に立てたことも嬉しい。
うなだれながら部屋を出る誠さんは私に言った。
「…きみ、僕のことが好きだったんじゃないのか?」
「好きだなんて一言も言ってないわ。あんたみたいな浮気男がお姉ちゃんの隣にふさわさしいはずないじゃない」
「じゃあなんで…きみだって浮気相手みたいなもんじゃないか」
お姉ちゃんが驚いた顔でこっちを見た。
「ちょっと、お姉ちゃんを誤解させるようなこと言わないでよ!…お姉ちゃん、違うわ。私とお姉ちゃんは二人でひとつでしょ、何でも二人で分けてきたし、お姉ちゃんのお下がりをもらってきたじゃない?だからね、誠さんも二人で分けた方がいいと思ったのよ。それだけよ。…だけどね、誠さんじゃやっぱりダメだって気がついたの、だって私たち以外にもたくさん相手がいるんだもの。二人でひとつじゃなくなるわ。私はお姉ちゃんがいればそれでいいんだけど…どうしても彼氏が欲しいって言うのなら、仕方ないわ、二人占めできる人を探しましょ」
お姉ちゃんは震えながら言った。
「…出てって」
「ほら、早く行きなさいよ、浮気男!」
「…里子、あんたも出てって」
「お姉ちゃん?どうしたの?」
「出ていけぇぇ!!!!」
今まで見たことのない形相でテーブルの上の物を手当たり次第に投げるお姉ちゃんに驚いて私も部屋を出た。
自分の部屋に戻ると、満月が綺麗に見えた。
ああ、今日は満月なんだ。
やっぱり満月じゃダメなのね。
お姉ちゃんが不安定になるはずだわ。
欠けてる部分がないんだもの。
少し欠けていないと、私が入る隙がないんだわ。
私がいて、初めてお姉ちゃんはお姉ちゃんでいられるのよね。
お姉ちゃんには、私が必要。
邪魔者はいなくなった。
これでこれからもずっとずっと、
お姉ちゃんと私、
二人でひとつよ。
お姉ちゃんがそばにいれば、
私の人生、またきっと上向きになるわ。
とは言っても、姉は新品で、妹の私はお下がりということだ。
何だってそうだった。
お揃いではない。
二人でひとつ。
分けられるものは半分こ。
それに不満があったわけじゃない。
お姉ちゃんのことは大好きだったから。
小学生になると私たちは二人でひとつの作品を作るようになった。
姉が考えた物語を私がマンガにして見せたのが始まりだ。
「
姉が考えたストーリーなのだから面白くて当然なのだが、めったに大きな声を出さない姉がそんな風に声を弾ませたことがとても嬉しくて、それから一緒に1つのマンガを完成させることが私たちの共通の楽しみになった。
プロを目指そうなんて考えを持ったことはなく趣味の域だったけれど、その時間は楽しくて、姉が高校生になるまで続いた。
姉は母に似た綺麗な顔をしていた。
名前は母が女の子なら絶対つけたかったという「まりあ」。
私は父に似た平凡な和風の顔。
私の名前は父がつけると決めていたものの、男の子を期待していた父は「里子」という、姉とは姉妹感のない名前を私につけた。
姉は勉強もよくできたし、運動もできる人気者。
私は大人しく引っ込み思案で目立たない存在だった。
私が姉より少しだけ上手くできたのは絵を描くということだけだった。
それ以外は何の取り柄もない私だったけれど、姉がそばにいた頃まで私の人生は確かに上手くいっていた。
小学生の頃は「まりあちゃんの妹」というだけでかわいがってもらえた。
中学生の頃も「まりあちゃんの妹」と呼ばれ、同級生からはいいなぁ、と羨ましがられた。
名前よりも「まりあちゃんの妹」と呼ばれることが多かった。
お姉ちゃんのことはずっと変わらず大好きだった。
妹だというだけでこんなに綺麗で素敵な人に優しくしてもらえることが嬉しかった。
高校は姉と別になり「まりあちゃんの妹」という称号がなくなると、私の人生は緩やかに下降していった。
友達を作るというところから苦労したのは初めてだった。それまでは姉と一緒に外に遊びに行けば、姉の友達や同級生が集まってきて自然と友達ができていたから。
姉がいなければ私は空気にとけてしまいそうなほど地味で存在感のない人間なのだと感じた。
それでも2年生までは家に帰れば姉がいたから、私には自分らしくいられる場所があった。
姉はよく私の悩みを聞いて励ましてくれた。
「もっと勉強してお姉ちゃんと同じ学校に行けば良かったわ。私、お姉ちゃんが一緒じゃないと何もできないんだから。それがよくわかったの。…私もお姉ちゃんみたいに生まれたかったな」
「なに言ってるの、私たちは姉妹じゃない。里子は私にはないものを持ってるし、第一、同じ親から生まれてきたんだもの、私たち同じようなものよ。きっと生まれる前から出会ってるわよ…ううん、もしかしたら二人で1人だったかもしれないわ。そう思わない?私も里子といたら1人よりずっと心強いわ。里子だって私の力になってくれてる。だからもっと自信を持ってよ」
…私がお姉ちゃんの力になっている?
その言葉がどれほど嬉しかったか。
小さな頃の私はお月様が欠けたり丸くなっているのは月自体が形を変えているんだと思っていた。
けれど大きくなり、そうではないと知った時から、私は時々私たち姉妹を月に置き換えて考えるようになっていた。
その日の夜に姉と見た月の光を、私は姉のようだと感じた。
自ら発する太陽のような強い光ではなく、幻想的な美しい光。
私が姉にないものを持っているというのは本当だろうか。
じゃあ、月の光っている部分を姉だとすれば、もしかしたら私は光の当たっていない部分の月なのではないか。
私たちはいつでも二人で1つなのだから、月が丸くなるためには、月が月でいるためには、光の当たっていない部分だって必要なのだ。
私の人生に姉が必要な存在であると同時に、姉にとっても私は必要な存在なのではないか。
いや、そうでありたいと願っていた。
姉が大学に進学し、家を出ると私は心の拠り所を失ってしまった。
それでもなんとか姉の側にいられる方法はないかと考え、姉の家から通える学校に進学するため、必死で勉強した。
高校生活なんてどうだっていい。
友達ができないのがなんだ。
お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃんに会いたい。
お姉ちゃんのそばにいたい。
その気持ちだけで1年間を乗り切り、望む学校に合格した。
姉もきっと喜んでくれるだろう。
よくがんばったね、って誉めてくれるかもしれない。
早速母が姉に連絡をした。
「里子と一緒に暮らして」と。
私は電話する母の横でワクワクしながらそれを聞いていた。
だけど、姉の答えは想像していたものではなかった。
姉の家から近い学校と思っていたけれど、1番近い所というわけではなかった。
「電車の乗り継ぎもあるし、ここからじゃけっこう複雑なのよ。里子が通うには大変なんじゃない?」
そう言ったそうだ。
それでもいいと私は母に言った。
すると「一人暮らし用のワンルームよ。そこに二人でというのはやっぱり狭すぎるし、自分の部屋がないなんて里子にとっても良くないんじゃない?」と姉は言ったそうだ。
私たちは今までも二人でひとつだったのだから、そんなこと気にしないのに。
姉はなぜ喜んでくれないのだろう。
いや、姉は私のためを思って言ってくれているのだ。
「里子にとって」という言葉が出ているのがその証拠じゃないか。
一晩考え、私の出した結論は「姉の住んでいるマンションの別の部屋に住む」というものだった。
電車を乗り継ぐことなんてなんでもない。毎日姉に会えることの方が何百倍も大切なのだ。
それには姉も反対はしなかった。
そして運良く、姉の部屋の隣が空いていたのだ。
お姉ちゃんとお隣さん。
なんて楽しそうなんだろう!
早々に荷造りをして引っ越しを指折り数えて待った。
卒業式を終えると早速引っ越しし、晴れて私たちは隣人となった。
引っ越しの日は姉も手伝いに来てくれた。
「これからは毎日会えるね!ごはんも一緒に食べられるし!あっ、時々、お互いの部屋に泊まりあっこするってどう!?楽しそうでしょ!」
はしゃぐ私に姉は浮かない表情で言った。
「里子ももう大人になるんだから自立しなきゃね、あまりべったりだと良くないわよ、ほら、きっと彼氏もできるし」
「彼氏?いらないよ、彼氏なんて、お姉ちゃんがいるのに」
私は笑って言ったけれど、姉は困ったように私から目線を逸らした。
「…お姉ちゃんは…いるの?彼氏」
「うん、いるよ」
私は息が止まるほど驚いた。
姉の隣に私以外の誰かがいる。
姉の隣は、私の指定席のはずなのに。
「今度の休みに来るから紹介するね」
そう言って姉は自分の部屋へ戻っていった。
寒くもないのに体がカタカタと小刻みに震えた。
まさか。
お姉ちゃんが私と一緒に暮らしたくなかったのは、彼氏がいるから?
…私のためじゃなかったの?
…私が、邪魔だったの?
何か黒くてモヤモヤとしたものが全身に広がっていくように感じた。
少しでも気を抜くと体が震えだす。
あんなに明るく見えていた未来が一気に見えなくなった。
週末、私は姉の部屋に呼ばれ、彼氏と初めて対面した。
「
私は恐る恐る誠さんを見た。
背が高くて姉とお似合いの美男子だ。
私は姉と毎日一緒にいるという夢が叶わず、気力もなくなり、学校もろくに行かずに留年した。
心配した母に連れ戻されそうになったが、断固として拒否した。
毎日ではないけれど、お姉ちゃんと会える。
壁の向こうにはお姉ちゃんがいるのだ。
母は姉に私の様子を見るように伝えた。
前よりも姉が頻繁に会いに来てくれるようになった。
それだけで私は元気が出た。
お姉ちゃんが私を心配してくれている。
元気にならなきゃ。
お姉ちゃんのために。
お姉ちゃんのために。
私は少しずつ気力を取り戻し、次の年には無事進学し、姉は卒論の準備があるからとあまり顔を見せてくれなくなった。
そして姉の誕生日が近づいてきた。
私は姉の部屋から出てきた誠さんに、姉の誕生日にサプライズプレゼントをしようと持ちかけ、連絡先を交換した。
そして姉と約束のない休日に誠さんが私の部屋に来た。
「僕はまりあに指輪をプレゼントしようと思ってるんだ」
「…もしかして、プロポーズですか?」
「いや、まだ学生だからね…でも、そう遠くはないと思うよ」
誠さんは照れたように笑った。
「…浮気、してるのに?」
誠さんの顔からゆっくりと笑顔が消えた。
「お姉ちゃん、卒論の準備忙しいみたいですもんね。最近会ってないでしょう?誠さん、寂しいんじゃないかなと思って、私、しょっちゅう誠さんの学校へ様子見に行ってたの。でも平気そうだった。だって、いろんな女の子が誠さんのおうちまでついていってたから」
「…里子ちゃん、きみ…」
「安心して。お姉ちゃんには言ってないから。寂しかったのよね、わかるわ。お姉ちゃんに会えない寂しさ、本当に痛いほどわかる。ただ…私もお姉ちゃんに会えなくて寂しいから、誠さんと一緒に過ごしたいの。…もちろん、お姉ちゃんに内緒で」
「…本当に、まりあには言わないでくれるんだね」
「もちろんよ、私たち寂しい同士、仲良くしましょ」
そして姉の誕生日当日。
誠さんは姉に指輪をプレゼントした。
姉はそれを指にはめてもらい、嬉しそうに私にも見せてくれた。
ああ、この笑顔。
久しぶりに見た、私の大好きなお姉ちゃんの笑顔だ。
「私からは、これ」
私はピンク色の封筒を渡した。
「なにかしら?バースデーカード?」
中身を取り出し、姉は固まった。
「何?そんなに驚くもの?」
覗き込んだ誠さんも凍りつく。
「誠…どういうこと?」
姉は誠さんに向かって封筒の中身を投げつけた。
床に散らばった浮気の証拠写真を見て、誠さんは私に言った。
「里子ちゃん…どうして」
「私がお姉ちゃんに秘密なんか作るはずないでしょう、この浮気男!」
「…まりあ、ごめん、信じてくれ。1番愛しているのはきみだ」
「お姉ちゃん、騙されちゃダメよ!」
姉は私と誠さんを交互に見た。
「お姉ちゃん、私と誠さん、どっちを信じるの!?」
お姉ちゃんは深く息を吸ってから、涙を流しながら誠さんをにらみつけ、「出てって」と一言告げた。
…勝った。
勝った!
やっぱりお姉ちゃんにとって大切なのは誠さんじゃない、私だったのだ!
それを実感したくて、誠さんの尾行中の写真を準備した甲斐があった。
お姉ちゃんの役に立てたことも嬉しい。
うなだれながら部屋を出る誠さんは私に言った。
「…きみ、僕のことが好きだったんじゃないのか?」
「好きだなんて一言も言ってないわ。あんたみたいな浮気男がお姉ちゃんの隣にふさわさしいはずないじゃない」
「じゃあなんで…きみだって浮気相手みたいなもんじゃないか」
お姉ちゃんが驚いた顔でこっちを見た。
「ちょっと、お姉ちゃんを誤解させるようなこと言わないでよ!…お姉ちゃん、違うわ。私とお姉ちゃんは二人でひとつでしょ、何でも二人で分けてきたし、お姉ちゃんのお下がりをもらってきたじゃない?だからね、誠さんも二人で分けた方がいいと思ったのよ。それだけよ。…だけどね、誠さんじゃやっぱりダメだって気がついたの、だって私たち以外にもたくさん相手がいるんだもの。二人でひとつじゃなくなるわ。私はお姉ちゃんがいればそれでいいんだけど…どうしても彼氏が欲しいって言うのなら、仕方ないわ、二人占めできる人を探しましょ」
お姉ちゃんは震えながら言った。
「…出てって」
「ほら、早く行きなさいよ、浮気男!」
「…里子、あんたも出てって」
「お姉ちゃん?どうしたの?」
「出ていけぇぇ!!!!」
今まで見たことのない形相でテーブルの上の物を手当たり次第に投げるお姉ちゃんに驚いて私も部屋を出た。
自分の部屋に戻ると、満月が綺麗に見えた。
ああ、今日は満月なんだ。
やっぱり満月じゃダメなのね。
お姉ちゃんが不安定になるはずだわ。
欠けてる部分がないんだもの。
少し欠けていないと、私が入る隙がないんだわ。
私がいて、初めてお姉ちゃんはお姉ちゃんでいられるのよね。
お姉ちゃんには、私が必要。
邪魔者はいなくなった。
これでこれからもずっとずっと、
お姉ちゃんと私、
二人でひとつよ。
お姉ちゃんがそばにいれば、
私の人生、またきっと上向きになるわ。