順子

文字数 1,692文字

 僕の忘れたい友人は、中学時代の同級生だった市川順子という女子生徒だ。
 彼女と何時知り合い、僕と仲良くなったのはよく覚えていない。記憶として残っているのは彼女とは同じクラスの同じ班で、色々と会話を交わす関係に過ぎなかった。
 順子は面長で体つきが他の女子よりがっしりしていて、声が少し野太かった。部活動はバレーボール部に所属しており、部活等でジャージ姿の彼女を見た時などは、他の女子生徒よりも厚みのある肉体に目を奪われたりもしたが、それ以上の興味を惹くような異性では無かった。

 中学三年生に進級すると、僕と順子は再び同じクラス、同じ班になった。別に同じ人間とまた一緒になるならば不思議な事ではない。と僕は軽く考えていた。
「また同じ班になったね」
「ああ、よろしく」
 同じ班になった時、僕は定例文のような返事を返した。また席替え等で離れるのだから、親密に付き合う必要はないと考えていたのだ。
 だが一学期の中間テストが終わって間もない時、順子が僕に声を掛けてきたのだ。丁度体育祭が近付いている時期で練習に忙しく、お互いにジャージ姿だった。
「ねえ、雪室くんはこれから予定ある?」
 異性に今後の予定を訊ねられるのは初めての事だったが、その相手が順子だった事、そして彼女の腹の中から吐き出されるのは、全く予想していなかった。
「無いけれど。市川さんは部活じゃないの?」
「今日は無いの」
 普段なら何気なくスルーしていた言葉だったが、当時の僕は何かがあるように捉えてしまった。体育祭の練習や準備で部活動が減らされているのは知っていたが、その事実に気付いた訳ではなかった。
「良かったら一緒に帰らない?」
 僕は困惑にも似た感情を抱いた。彼女の提案を受け入れても良い結果にはならないような気がしたが、断ろうとする理由も無かった。
「いいよ。途中までなら」
 僕は順子の提案を受け入れた。
 校門を潜り学校を出ると、僕と順子は同じ方向を並んで歩いた。僕と順子が一緒に歩けるのは、学校から四五〇メートルほど離れた丁字路まで。その隣には家主が居なくなった廃墟が一件。その廃墟が視界に入り、次第に大きくなってくると、順子が声を掛けた。
「ねえ、雪室くんは好きな人とか居るの?」
「何だよ、急に」
 僕は驚いて順子の事を見た。その反応はラブコメ作品にあるような微笑ましい物ではなく、嫌な物の断片を見てしまった時の反応と同じだった。
「好きな人とか、彼女とかは居ないの?」
「いないよ」
 矢継ぎ早に聞かれそうなので、振りはらうように僕は答えた。
「私がなってあげようか?」
「何でなのさ」
「私がジャージ姿の時、雪室くん目つきが変わるじゃん」
 野太い声で順子は続けた。その事は事実だったので、反論する事が出来なかった。
 やがて丁字路近くの廃墟まで来ると、順子は続けてこう言った。
「ねえ、この廃墟に入らない?」
「また急に何だよ」
 僕は自分の情けない動揺を押し殺しながら答えると、順子は「こっち」と小さく呟いて廃墟の中に連れ込んだ。完全に順子のコントロールに入ってしまった僕は、抵抗する事が出来なかった。
 順子は熱くなって木偶の棒のようになっている僕の真正面に立った。そしてジャージの前を開けて白い体操着をめくり、他の女子生徒よりも厚みのあるその肉体を見せようとした。
「ほら、好きにしていいよ」
 順子が体操着の下にある下着に手を掛けようとした瞬間、僕は逃げ出した。


 それから僕は一度も学校に通う事は無かった。引きこもって五年の歳月が経つが、いまだに家族以外の女を見るのが怖い。テレビに映る様々な役職の女性でさえ恐ろしい存在のように思えてしまう。
 あの時に順子に手を出して、肉欲に落ちた生活を送っていれば、僕の生活はもっと活動的で華やかな物になっていただろう。だが順子と言う女の姿があまりにも恐ろしく残っていて、僕からすべての意欲を奪ってしまう。
 順子と言う人間の存在を記憶から完全に消し去る事が出来れば、僕は煩悩を払った聖人君子に近づけるのかもしれない。しかし順子と言う存在があまりにも恐ろしく、忘れる事が出来ないから、僕は笑いもののままだ。

(了)
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