大仏新十郎

文字数 1,524文字

 翌日から直ぐに、あっしはもう藁にでも縋る思いで、水野様が匿っていると噂されている浪人者の事を聞き回ったのでございやす。
 で、白毫様は「噂だけかも知れぬ」と謙遜されておりやしたが、水野様のお屋敷に出入りしている商人などに、例の人相書きを見せた処、この浪人ってのが、あっしに脅しを掛けた怪しい男だってことが明らかになったんでやすよ。
 そうなってくると、あっしも聞き込みに力が入って来やす。で、この浪人に関する情報であれば、何でも構わないので集めようと、出入り商人だけでなく、少し離れた茶屋や矢場の女まで、浪人者の出入りしそうな場所に行っては、片っ端から話を聞いて回ったんでございやす。それで、あっしは幾つか面白い話を聞くことが出来やした。

 浪人の名前は、大仏(おさらぎ)新十郎……。ま、布施小十郎の偽名でございやしょうが、新十郎ってのは、陽気で少し不真面目な物言いをする男だそうで、矢場の女はこんな風に奴のことを話して居りやした。
「新さんはね、直ぐあたしたちを口説くんですよ。それも下品なこと言ってね。でもね、結構良い男だろ? 中にゃ本気にする娘もいてさ、付いて行こうとすると、そん時になって『冗談だ。済まん、済まん」何て言い出すんだもの。本当、困っちまいますよ……」
 そう言えば、あの浪人者は随分と巫山戯(ふざけ)た物言いの男でやした。
「でもね、あれでも結構腕が立つらしくてね、水野様の処では指南役紛いのことを遣っているらしいですよ。それでね、御家来衆なんかからも、大仏様、大仏様なんて、結構慕われていますからねぇ」
「腕が立つ?」
「ええ。それに、本当かどうか知りませんけどね、何とかって云う暗殺剣の使い手でもあるって、新さんが自分で言ってましたよ」
「暗殺剣?」
「何やら、相手を切腹した様に見せかけて、殺しちまうんだって。本当にそんなこと出来るんでしょうかねぇ?」
「……」
 あっしがこれを聞いて、最初に思ったことは、あの殺されたご姉弟の弟、弦之介様のことでございやした。もし、布施小十郎が姉弟殺しの下手人だとしやすと、どうやって殺したかって云う答えが、これ何じゃねぇでしょうか?
 それから、別の女はこんなことも言って居りやした。
「新さん何だけどさ、先月の何日だったか、その頃から、妙に沈んじゃってさ、なんか在ったのかねぇ?」
 で、あっしが日付を確かめやすと、どうやら姉弟の仏が見つかった辺りからなんでやすよ。矢張り、あの日の前の夜、何かが在ったんじゃねぇかって、あっしは思ったんでございやす。
 あと、大仏新十郎についてではなかったんでやすが、もう一つ酷く面白い話しを聞くことが出来やした。
 出入りの商人の話なんでやすがね、それが別の旗本の御屋敷に物を納めた帰りに、こんな感じで、水野様の御家来衆が何かを運ぶのを見たって言うんですよ。
「それがね、見知った水野家の方々が、戸板に何かを乗せて運んで行くじゃありませんか。私はこんな夜分に何を運んでいるのだろうかと、声を掛けようとしたのですけどね、御家来衆は私に気付かれなかったらしく、急いで走り去ってしまったのでございますよ」
「何を運んでたんだい?」
「暗かったし、布が被されている様で、良くは分かりませんでしたねぇ」
「何処から、何処に運んだんだい?」
「さぁ?」
「御屋敷から、大川の河原じゃないかい?」
「そうかも知れませんねぇ。方角はそんな感じでございましたから……」
「で、そいつは何日のことだい?」
「確か鳥居様に仕立て物をお届けした日ですから、先月の……」
 これも、例の前日の夜の事だったのでございやす。
 で、これをあっしが、お清さん、清一郎様に伝えやすと、お二人とも腕を組んで、何も言わず、考え込んでしまったのでございやした。
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