5 デジタルネイティブとウェブ2.0

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5 デジタルネイティブとWeb2.0
 2008年11月11日、NHK総合テレビは『NHKスペシャル デジタルネイティブ~次代を変える若者たち~』を放映している。今のティーンエージャーは、子供の頃から、インターネットを始めとするデジタル・テクノロジーに囲まれて育ち、言ってみれば「デジタルネイティブ」である。彼らは「自ら情報を発信し共有することで成立するネット・コミュニティ」を自由自在に使いこなし、多くの匿名の人々と瞬時にコネクトして、新たな「価値」を創出している。既存の限界をブレーク・スルーし、世界を変える可能性があるのではないかとさえ思われている。最近、彼らに関する各種の研究が進み始めている。

 デジタルネイティブの時代が真の意味で「Web2.0」と言えるだろう。2004年、アイルランド出身のティム・ライリーがこの概念を提唱する。ただ、彼の定義は明確ではない。その後の展開を踏まえて、それを要約するならば、インターネットが社会を変えた時代から脱却して、それが双方向になったということである。社会の方がウェブに影響を及ぼしているというわけだ。「ソーシャル・グラフ」をオンラインに形成しようとするFacebookがその典型である。この「グラフ」はグラフ理論の場合と同様の意味である。ウェブ2.0は、現実社会に見られるコミュニケーションの多様性をネット上でも発展的に実現させようとする。残念ながら、日本の文学や映画、テレビは依然としてこのウェブ2.0の意味について理解しておらず、依然として古めかしいネットの社会に及ぼす影響という認識の作品が発表され続けている。

 ネイティブは、暗黙知によって、自分で直感的に適不適を判断できる。しかし、往々にして、それを説明するための言語化、すなわち明示化することができない。一方、ノンネイティブは明示知を通じてそれを理解し、習得しているので、その理屈を語れる。前者が言語を体得するのに対し、後者は習得する。

 日本語のネイティブ・スピーカーは「こそあど言葉」を巧みに使い分けるが、それがどのような場面にふさわしいかについて論理的に説明することは難しい。ところが、日本語を外国語として習得した場合、「これ」が話者のテリトリー内にあるものを指し、「それ」が相手の領域、「あれ」がいずれにも属していないものに用いると理解している。人生の先輩とも言える老夫婦が「これ」や「それ」でなく、「あれ」で会話をしているのも、こうした理由による。ただ、ノンネイティブは理解が習得した範囲に限定されてしまう。

 ネイティブは暗黙のうちにできる。そうして行っていることの中に明示化されていない何ものかが見つかるかもしれない。デジタルネイティブに期待されるのはそういった点だろう。反面、ネイティブはリテラシーから認識することが不得手である。コミュニケーションは、いかなるものであっても、リテラシー、すなわち共通理解に基づいている。ネイティブは、しばしばノンネイティブからの問いかけによって、暗黙知を明示化すべく意識化しようとする。ノンネイティブは、ネイティブにとって、他者である。人は他者として接するとき、普段はどんなに情緒的であったり、一貫性がなかったりしていても、論理的になる。他者はたんなる懐疑主義者ではない。論理主義者である。

 ネイティブ・スピーカーであっても、実際には、ノンネイティブの感覚をよく体験している。それは敬語表現である。敬語にネイティブは存在しない。誰もが体得ではなく、習得しなければならない。口にした後で、「これでいいんだっけ?」と心の中で自問することも少なくない。

 1990年代半ば、秋本治虫は、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』において、デジタル機器を使いこなす「+(プラス)」という名前の小学生を登場させている。このサイバー・ボーイはインターネットを駆使して、グローバル規模で交友し、ビジネスを始めるなどまさにデジタルネイティブである。デジタルネイティブの出現は、当時でさえ、すでに時間の問題である。しかし、そのデジタルネイティブの親たちも、かつてはビデオの録画予約もできない先行世代を「機械音痴」と馬鹿にしていたものである。

 最新テクノロジーを使いこなせること自体は、必ずしも、将来性を期待させるものではない。最新のものは、流行語が教えてくれるように、概して、すぐに陳腐化する。基本原理を十分に踏まえ、本質的な理解を目指す方が有望である。デジタルネイティブに見るべきはその行動力と社交力であろう。

 デジタルネイティブであったとしても、新たなソフトウェアやウェブ上のサービスを創出しようとしたら、画期的なプログラムを書く必要がある。けれども、プログラム言語にネイティブ・スピーカーは存在しない。その用法の適不適は入門者や解説書の類で確認しなければならない。エスペラントにおけるラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフに相当する開発者と習得者がいるだけである。言語習得のみがあり、言語体得はない。ソフトウェアを見ると、ついついプログラミングから考えてしまうプログラマもいることだろう。プログラム言語はすべての人にとって外国語であり、あくまで明示知の世界である。暗黙知だけではなく、この明示知とどのように向き合っていくかは依然としてデジタル技術の課題である。

 プログラムというのはおかしい世界でして、ミスがいっぱいあるのです。特に大型のプログラムになると、ミスがありながらも、なんとなくつじつまがあえばいいという。前にコンピューター屋さんと話していまして、いいプログラムはどういうものかというと、ミスのないプログラムではない、と。プログラムのミスのことを虫(バグ)と言うが、虫がウロウロ動き回らないようにおとなしくすみ分けしていて、虫が異常発生すると、それにすぐに気がつくようなプログラムだ、と言うのです。
(森毅『数学と人間の風景』)
〈了〉
参照文献
朝日新聞社編、『100人の20世紀下』、朝日新聞社、2000年
梅田望夫、『ウェブ進化論』、ちくま新書、2006年
奥村晴彦他、『Javaによるアルゴリズム辞典』、技術評論社、2003年
木下淳二、『夕鶴・彦市ばなし』、新潮文庫、1954年
金田一秀穂、『「汚い」日本語講座』、伸張新書、2008年
寺坂英孝編、『現代数学小事典』、講談社ブルーバックス、1977年
道家達将=赤木昭夫、『科学と技術の歴史』、放送大学教育振興会、1999年
長岡亮介=岡本久、『新訂数学とコンピュータ』、放送大学教育振興会、2006年
本間之英、『社名の由来』、講談社、2002年
森毅、『数学的思考』、講談社学術文庫、1991年
同、『数学と人間の風景』、NHKライブラリー、1995年
同、『時代の寸法』、文藝春秋、1998年
E・W・ダイクストラ、『構造化プログラミング』、野下浩平訳、サイエンス社、一九七五年
アラン・C・ケイ、『アラン・ケイ』、鶴岡雄二訳、アスキー、1992年
DVD『エンカルタ総合大百科2008』、マイクロソフト社、2008年

O'Reilly. ‘What Is Web 2.0’. ”O'Reilly.com”
http://www.oreillynet.com/pub/a/oreilly/tim/news/2005/09/30/what-is-web-20.html
Miliband, David. ’”War on Terror” was wrong’. “The Guardian” 15, Jan, 2009
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2009/jan/15/david-miliband-war-terror
株式会社豊田自動織機
http://www.toyota-shokki.co.jp/
トヨタ自動車株式会社
http://www.toyota.co.jp/
W3C Semantic Web
http://www.w3.org/2001/sw/
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