第2話

文字数 3,764文字

「人成君、バンド組んでくれない?」
「え?」
 僕は目の前に立つ白いワンピースの美人、青井空からそう言われ、思考がフリーズしてしまった。
「人成君バンド組んでたでしょう?高校生の時に」
「いや、まあそうだけど…」
 僕はまだ、彼女が何を言わんとしているのか理解できずにいた。
「私の言いたいこと、分かる?」
 ここまで言われて僕はようやく気付いた。つまり、
「高校の時組んでたバンドをもう一度組みなおす、ってこと?」
「その通り」
 彼女はやっと気づいたという風に腰に手を当てた。その所作が一々可愛かったので、僕は思わず目を逸らしてしまった。僕は目を逸らしたまま彼女に尋ねた。
「…でも、なんで今更そんなことを?引退ライブとかもとっくにしてるし、同窓会関連とか?」
 僕は廊下の奥を眺めながら聞いた。
「……」
 返事はなかった。僕は疑問に思い逸らしていた目をまた彼女に向けた。彼女は下を向いていた。いや、俯いていたという方が正しい。そして、腰から手を離し、その手を強く握りしめていた。その様子は、何か辛い記憶を思い出しては必死に耐えているようで、そしてそれには微かな違和感があった。
「実は…、川瀬先生が危篤なの」
 僕は何の脈絡もなく飛び出してきたその名前に驚いた。
「川瀬先生って、あの川瀬先生か?」
 川瀬先生は僕の高校時代の恩師だった。川瀬先生がいなければ、僕は今とは比較にならないひどい生活を送っていただろう。人生の恩人と言ってもいい。そんな川瀬先生は今まで一度も病気になったことが無いというのが自慢だった。だから僕は彼女の発言に大きく動揺した。
「あの人、病気にはかからないなんていつも言ってたのに…」
「私も最初に知ったときはショックだった。私、あの人にはすごく助けてもらったから」
 彼女は『すごく』に力を込めてそう言った。
「そうなんだ、でも、高校時代のバンドとなんの関係があるんだ?」
「それは…」
 彼女がそう言いかけたところでその背後から足音がした。誰かが階段を上ってきているらしい。僕たちはその音の主を確かめるべく、階段の踊り場に目線を向けた。上がってきたのは、
「あ、人成君…、と誰?」
 上がってきたのは僕の彼女、府海幸だった。本当の意味での(彼女)だ。幸は怪訝な表情でこちらを見ている。僕と空はそのままじっくりと観察され、その挙句に幸は一つの結論にたどり着いたらしい。
「もしかして、元カノ?」
「違います」
 真っ先に否定したのは空だった。僕はその迅速な対応に少々ダメージを食らってしまった。初恋の人に自分との関係を食い気味に否定されるのは心にくるものがある。
「私と辺野君はただの同級生ですよ」
 空は愛想よくそう言った。気づけば名前呼びから名字呼びまで関係性がランクダウンしている。
「同級生って言っても、大学の、しかも部室まで来ることあります?ただの同級生なのに」
 幸はまだ納得がいっていないようである。
「それは、辺野君に大事な用事があって」
「用事って?」
 幸はすっかり尋問口調である。ここは僕が丸く収めなければ
「まあ二人とも、ここで話してるとここを通る人の邪魔になるし、ちょうど目の前に部室があるんだから一旦中に入って一息つこうよ」
「確かに邪魔かも」
「辺野君がそういうなら、中で話しましょう」
 二人は渋々僕の言うことに従ってくれた。我ながら完璧な采配だ。頭脳派と言われる日もそう遠くないだろう。
 部室に戻ると、男連中は早速空にたかっていた。相変わらず節操がない。だから彼女できないんだよ。
「あ、おいヒトナリ。この人お前と同じ高校だったって本当かよ。こんな綺麗な人いるんだったら俺に言ってくれれば良かったのに。」
「そうだぞ辺野、俺もう…」
「おい」
 幸の突き刺すようなその一言に、二人は完全に沈黙した。幸は今の一連の流れにすっかり気を悪くしたようで、不機嫌そうな顔で腕を組み、仁王立ちで二人を睨みつけている。これはあとの機嫌取りが大変だ。
「あんま調子こいてると一寸釘飲ませるぞ」
 最近やくざ系のゲームにハマっていた影響か脅しの語彙が増えている。にしてもなぜ一寸釘。
「あの」
 目の前で押し黙る二人を尻目に空が口を開いた。
「一旦自己紹介しませんか?私、辺野君以外名字も分からなくて」
「私は府海幸、そこに突っ立ってる辺野君の彼女です」
 まず幸が自己紹介した。心なしか辺野君の彼女、と言う時の語感が強い気がした。
「青井空です。辺野君とは高校の同級生です。」
 空が続けて自己紹介した。その間幸がこちらのことを横目で見てきたが気づかないふりをした。
「俺は加賀良人です。辺野とは友達です」
「多田岡志です。同じく辺野の友達です」
 最後に二人が自己紹介した。幸にキレられたのでさっきと比べて内容がごく控えめだ。多田も下ネタ言ってない。
「じゃあえっと、自己紹介も済んだし、辺野君。さっきの話の続きなんだけど」
「待った、その話、最初から聞かせてもらおう」
 幸はそう言ってちょうど僕と空を遮る位置に椅子を引いてきてそこにどかっと座った。
「彼女として、内容は把握したいので」
 空は何か言おうとしたが、その頑なな雰囲気を感じ取ったのか断念し、僕に話したことを幸や二人にも話し始めた。
「なるほど。それで、その川瀬先生の病気による危篤と人成君の高校時代のバンドとどんな関係があるの?」
 それまで押し黙って聞いていた幸が僕に代わってその質問を投げかけた。空は言いにくそうにしていたが、意を決したように言った。
「…遺言なの」
「遺言?先生はまだ亡くなってないんじゃ」
 僕は思わず聞いた。
「そうなんだけど、先生の病状がかなり深刻で、もう時間があまり残されていないらしいの。それで…」
「その遺言が人成君たちのバンドの復活だと」
 幸が言葉をついだ。更に続けて、
「でもそれじゃあ何で遺言にそれを選んだのかが分からないわね」
「そこは俺も気になってた所だ。空、何か知ってるか?」
「それは…、ごめんなさい。今はまだ言えないの」
「言えないって、そこが分からないとどうにもできないんだけど」
 幸が納得のいかない様子で言った。
「多分言っても信用されないから。でもいずれは言うつもりなの。そのタイミングになったらアレが何なのかも分かっていると思うし」
「アレって、なんのこと?」
「それが言えないの」
「はー、結局肝心なところがまるでわかんないじゃない」
 幸がため息をついて椅子の背もたれに寄りかかる。
「ごめんなさい、でも絶対に実現させたいの。これだけは…」
 空はまた辛そうな表情をして俯いた。僕はまだ空のこの話を承諾しかねている。幸の言う通り、有り体に言ってしまうと、信用できないのだ。空が嘘をつくような人だとは思わないが、心のどこかで信じきれない。僕としては彼女の苦しむ姿は見たくないし、できるだけ力になりたいのだが。
「どうするの、人成君。あなたが決めるのよ」
 幸はこちらを向いてそう言った。とても心苦しいが、ここは一旦話を先伸ばしにするしか。
「20万…」
「え?」
「バンドをまた集めることができたら20万、あげるから。だから、お願い、人成君」
 幸は今にも泣きそうな顔になりながらそう言った。
「20万って…」
 僕や幸たちは、突然の好条件に驚きを隠せずにいた。20万、それは決して少ない額ではない。いや、僕たち大学生にとっては十分に大金だ。
「お願いします」
 空は重ねて深々と僕に頭を下げた。それは反則だろ。僕はもう後に引けなくなっていた。初恋の人が泣きそうになりながら僕に頭を下げ、さらにお金まで渡すと言っているのだ。ここで断れば、僕は恐らく一生後悔する羽目になるだろう。言うしかないのか、あの言葉を。川瀬先生への恩返し、かつての仲間との再会、僕は必死に何か自分の納得できる答えを探した。そして、遂に僕は目をきつく閉じると覚悟を決めた。夏休みは返上することになるだろうな。そう思いながら口を開いた。
「よろしくお願いします」
 空はその言葉を聞くと勢いよく頭を上げてほっと安堵した表情で
「ありがとう、人成君」
 と言った。目には微かに涙が滲んでいるように見えた。幸たちはと言うと
「え、やるの?」
 と三人全く同時に僕に言った。特に、幸は不服そうに僕に何か言ってきたが、最終的に観念したのか
「もう勝手にして」
 と投げやりな感じになっていた。
「人成君、なんで話を受けてくれたの?」
 空にそう聞かれたが、流石に本音は言いたくなかったので、
「いや、金欠で…」
 と答えておいた。今思うとちょっとナンセンスだったかなと思う。とにかく、僕は高校時代に組んでいたバンド、思い出のバンド『バンドリバース』を復活させることになった、いや、なってしまったのだった。僕は空達と話し合い、とりあえず今日は解散して、また明日話し合おうということになった。
「あいつら、元気にしてるかな」
 帰り道の途中で幸と別れた後、僕は昔を思い出してちょっと笑った。
 今思えば、僕は当時思っていたよりも楽観的だったんだなと思う。僕はあの日の青春ばかりに目が行っていて、最悪の想定を全く、微塵もしていなかったのだ。僕は過去を清算するべきだった。見て見ぬふりをするべきではなかった。
 この日から、僕の人生における最も最悪な、そして少しだけ感動的な呪われた夏休みが始まったのだ。
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