第2話

文字数 3,541文字

 あれから1 年。

 「拘束されているときに『不協和⾳』の歌詞がずっと頭の中で浮かんでいまし
た」という、⾹港の⺠主活動家、周庭( アグネス・チョウ) さんの⼀⾔を⽿に
した時、私の記憶は⼀瞬のうちに1 年前の夏に⾶んだ。

 「嫌だって⾔いたいです」。⾃らも、そう⼝にした瞬間をありありと思い起こした。

 抑圧への抵抗。搾取からの脱却。置かれた状況は異なれど、私たちは例外なく、本来享受し得るはずの⾃由や正義というものを侵されている。ただ、その不条理に、これ以上屈してたまるものかと、威勢よく⽴ち上がるか否かは、私たち⼀⼈ひとりに委ねられている。

 ⾃分はあのとき、⾃分⾃⾝でもまだよくわからない、でも何かとても強い感情に突き動かされていた。何を英雄気取って、狂ってるんじゃないか、頭おかしいんじゃないのかと⾺⿅にされても、私にとってはそれが真実だった。

「わたしたちは⾰命について歌ったのだから、⾰命を歌ったのだから、⾰命をしなければならない」( 松⽥⻘⼦著『持続可能な魂の利⽤』、中央公論新社)

 世の「おじさん」から⾃由になるためにあらがう、⼥性たちの物語のある⼀節だ。先⽇、たった⼀⽇で読み切るほど魅せられた本には、痛快なフレーズの数々が並んでいた。

 物語には、これまでのアイドル体系と異なり、反抗的な歌詞に難易度の⾼いダンスを披露する、異端のアイドルグループが登場する。物語の主⼈公は、アイドルグループのセンター、× × という圧倒的存在にどっぷりとはまっていく。そして物語の終盤、あろうことか、× × と× × のファンである主⼈公は、楽曲の意図をくみ、その歌の世界を現実に⽣き始め、ついには「反逆」を歌詞通り実⾏してしまうという、驚きの結末が待っている。

 ⽂中、形容の仕⽅を読めば、そのアイドルグループが実在の、欅坂4 6 をモデルにしているということは、すぐさま思い当たる。あくまでフィクションの世界として描かれつつも、その核に貫かれているのは、すがすがしく⽣々しいノンフィクションだった。

 ページをめくるたび、私は胸が⾼ぶった。キャラクターたちが⽂字通り、⾃らの⽣に体当たりで当たって砕けていたから。その潔さに⾝体が沸き⽴つのを感じた。変えると⾔ったら変える。倒すと歌ったのなら、倒す。その⼀点張り。他の選択肢も⼿段もありえない。

 他の国のアイドルグループの歌詞を拘束された状況に重ね合わせ、「最後の最後まで抵抗し続ける」道を⽣き抜く⼥の⼦がいるなら、私は、スウェーデンの⼥の⼦の⾔葉を額⾯通りに受け取り、「僕は嫌だ」と社会に反旗を翻す⼥の⼦だった。

 良く⾔えば「感受性が豊か」、悪く⾔えば「クレージー」なのかもしれない。ただ、「⾰命」をしなければいけないとき、その鐘を鳴らす、「異端者」となり得ることはできるかもしれない。

 ⽇本でもようやく認識されるようになってきた〝気候危機〝は、元々待ったなしだったはずなのだが、「社会の⼤転換」が必要だと訴えられてきながら、私たちの⽇常はそう簡単に変わることはなかった。

 2 0 2 0 年、世界はコロナ禍に直⾯し、⼀時的な⼤転換はもたらされたと⾔えるかもしれない。ただ、それはまだ「新しい⽣活様式」と⼀⾔にまとめてしまえるくらいの変化に過ぎないとも⾔えるかもしれない。⼆酸化炭素( C O ₂ ) は減ったが、これだけの削減量をたとえ毎年実⾏しても、パリ協定を達成できる可能性は低いと⾔われている。

 「社会の3 . 5 % の⼈が参加すると、ムーブメントは成功する」という調査結果があるそうだ。過去の⾰命や独裁政権崩壊の瞬間など、⼈類の歴史をひもとくと、「国⺠の3 . 5 % 以上が参加する⾮暴⼒の抗議運動が起きれば、必ず変化がもたらされてきた」ことが導き出されてきたという。果たしてここから「持続可能な未来」を作り出すという、「⾰命」を私たちは起こせるのだろうか。

 「⽇本では、国⺠のことを考えているとは思えない政治家が出現したり、国⺠のことを考えているとは思えない政策が進められそうになっても、⼈々は外に出てきません。通りは埋め尽くされません」( 『持続可能な魂の利⽤』)

 たとえ物語とはいえ、⽂中の鋭い指摘に思わず、うなずいてしまった。
 欅坂4 6 というアイドルは、⽇本のアイドルなのに、⽇本にはあんな⾵に反抗的な態度で声をあげる若者が、実際にはほとんどいない。みんな熱狂しているはずなのに、その現実を⽣きようとはしない。サイレントマジョリティーに嫌気がさしながら、結局、サイレントマジョリティーのままだ。

 去年、渋⾕の街を埋め尽くした⼈々は、私の体感⼈数と異なり、数にしてわずか2 8 0 0 ⼈であった。1 年が経った今は、その実態も変化があると⾔えるだろうが、他国と⽐較すると、アクティビストの数はまだ少ない。

 ただ、外に出て通りを埋め尽くすことはかなわなくとも、⼈々は〝異常〟に、にわかに⽬覚め始めているとも⾔える。たとえば、ネット上で反対運動が起こった検察庁法改正の問題は、著名⼈らを巻き込み肥⼤化し、「# 検察庁法改正案に抗議します」のツイートは、通常国会での成⽴断念に追い込むまでにいたった。

 この国、何かおかしい。この国、⼤丈夫か︖ コロナウイルスは、⼈々のそんな感覚を確実に加速させている。

 この変⾰の兆しがどう転んでいくかは誰にもわからない。コロナウイルスに世界が揺るがされる直前、昨年末のC O P 2 5 で、グレタはこう語っていた。

「3 週間後に、私たちは新しい1 0 年( 2 0 2 0 年代) に突⼊します。私たちが『未来』と定義する1 0 年です。今、私たちには希望の兆しさえ⾒えません。私は皆さんに⾔います。希望はあると。私はそれを⾒てきました。でも、それは政府や企業から来るものではありません。⼈々から⽣み出されるものです。今までは(危機に) 気づいていなかったけれど、今気づき始めた⼈たちのなかから⽣まれるのです。そして、⼀度気づけば、私たちは⾏動を変えられます。⼈々は変われ
ます。⼈々は⾏動を変える準備ができていて、それこそが希望です」

〝異常〟に気づいた者たちの中から、変化は⽣まれていく。

 C O ₂ を出さない世の中にするということは、疑念の余地なく、⾰命的な社会変
化が求められる。そこで鍵となるのが、3 . 5 % なのだ。彼らがシステムの変化を
もたらした暁には、それ以外の⼈々、つまり「N o 」と⾔わない、サイレントマ
ジョリティーがそのシステムに従うだけということになる。

 だけど問題は、誰がその「3 . 5 % 」を担うのかだ。⽇本では、その空き容量は、まだ埋まらない。

 もっと吐き出せばいい、カオスになればいい、Y e a h ! D i s c c o r d ( 不和) すればいい。せっかくパンデミックなんだから。そんな、ろくでもないことを、同い年の⾹港の活動家の訴えから考えた。

 と⾔っておきながら、⼀つ気がかりなことがあるので最後に付け加えておく。
 どうやら「魂は減る」らしい。先の物語に書いてあった。

 「魂は疲れるし、魂は減る。魂は永遠にチャージされているものじゃない。理不尽なことや、うまくいかないことがあるたびに、魂は減る。魂は⽣きていると減る。だから私たちは、魂を持続させて、⻑持ちさせて⽣きていかなくてはいけない」

 ⾹港の活動家に、⽇本の私に、反逆への気概をもたらした欅坂4 6 というアイドルは、もうまもなく消失する。絶対的センターと称された平⼿友梨奈は、楽曲にその魂を捧げ切り、今年1 ⽉、グループから脱退した。

「僕には僕の正義があるんだ」という叫びを思い出す。でもその正義は賞味期限つきか︖ そんなこと考えたくはないけれど。魂を持続させて、⻑持ちさせて⽣きていくには、やむを得ない選択なのだろうか︖

 1 年前、持続可能な未来を求めて、無鉄砲に闘っていた⾃分は今、持続可能な明⽇を考えるあまり、不条理に嚙み付くことをちゅうちょし、ブレーキをかけることを覚えつつある。それは、「学⽣」という特権を⼿放し、⾃らがもっとも嫌厭( けんえん) していた「社会⼈」になる道を選んだ、という変化が関係しているのかもしれない。

 会社に就職をしたというだけなのに、先程まで「⼦ども」「若者」として扱われていた⾃分が、途端に「⼤⼈」なんだからと諭されるのが不思議でならない。

君はYe s と⾔うのか
軍⾨に下るのか
理不尽なこととわかっているだろう

 ⽿を澄ますと聴こえてくる。どこからか、そんな歌詞が聴こえてくる。今はどうしようもなく、「僕は嫌だ」と⾔えない「僕が嫌だ」
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