第1話

文字数 2,598文字

 「嫌だって⾔いたいです」私はそう、確かに⾔った。2019年9⽉26⽇。NHK「クローズアップ現代+」⽣出演の現場で、きっぱりと⾔い放った。

 あれから早1年が経った。新型コロナウイルスの台頭によって、世の中はすっかり様変わりしたともいえるし、何も変わらず⻑く隠されていたものがただあらわになった、それだけのようにも思える。

 去年の夏、私は「気候正義」に夢中になっていた。就職活動で理不尽な発⾔をする⼤⼈に憤りを抱いていた折、スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥンベリに出会った。

 「あなたたちは、誰よりも⾃分の⼦供が⼤切だと⾔いながら、⼦供たちの⽬の前で彼らの未来を奪おうとしている」。彼⼥の発⾔は、私が「⼤⼈」に抱いていた憤りを⾒事に代弁していた。「⼤⼈は、⽩⿊はっきりつけられるものなどないと⾔います。しかし、それはうそです。とても危険なうそです。私たちは、1.5度以上の温暖化を防⽌するか、しないか、どちらかです」

 16歳の少⼥の⾔葉を聞いて、世の中を知らないのはむしろ、経済成⻑しか頭にない⼤⼈の⽅だと思った。そして、これからの時代を⽣きる私たちの世代こそ、彼⼥のように⾃らの未来が脅かされていることを認識し、ためらわずはっきりと⼤⼈へ向けて物申す権利があるのだと実感した。

 当時は、同じ⼤学に通う友⼈や、電⾞で⾒かける若者が皆、⼀様に⿊いスーツを着て、⿊く染めた髪で歩いているのを⾒かけると、居ても⽴っても居られなかった。

 どうして︖ 理不尽な⼤⼈の発⾔に⾏儀良く従うことができるのか。なぜ︖ きれいなうたい⽂句を疑うことなく、いとも簡単に「Yes」と⾔えるのか。たまらない気持ちになった。
 
 そして私は、グレタに倣った。思考停⽌の固定化されたレールを外れてみたくて、学校ストライキムーブメント、Fridays For Future Tokyoに⼊った。以降、⾃らもあっけにとられるようなスピードで、世論や社会に対して声を上げる「活動家」に近づいていった。

 2019年9⽉20⽇。⽣まれて初めてのデモにして、運営側の⼀員としても、潔く⾝を投じる覚悟をもって「グローバル気候マーチ」に臨んだ。胸を⾼ぶらせながら⾃宅を出発し、開催地の渋⾕に向かう電⾞の中で、⼠気を⾼めるべくiPhoneのプレーリストから選んだ曲は、⽇本のアイドルグループ、欅坂46の『サイレントマジョリティー』だった。

君は君らしく⽣きて⾏く⾃由があるんだ
⼤⼈たちに⽀配されるな(中略)
Yesでいいのか︖
サイレントマジョリティー

 就活の苦い思い出を振り返りながら、今にも私の反⾻⼼は爆発⼨前のところにまで達していた。ようやく、この⾏き場のないフラストレーションを⼀つのまっとうな形にかえることができるのだと。

 17時。スタッフ間での本番前打ち合わせを終え、控室から参加者集合場所の国連⼤学前広場へ出ると、想像をはるかに上回る⼤勢の⼈々で現場はあふれかえっていた。

 思い思いのフライヤーをもった参加者は、幼い⼦どもからご年配の⽅まで、にぎやかに集っていて、そこには外国の⽅も散⾒され、メディアの記者やカメラマンは、これでもか、と取材や撮影に意気込み、この歴史的な瞬間をフィルムにおさめようと⾛り回っていた。

 17時半。マーチ隊出発。私は隊列の先頭に⽴ち、気候マーチの⼤きなフライヤーを左⼿に、「ボーッと⽣きてんじゃねーよ︕」と書いた⼿製のプラカードを右⼿に握りしめ、「What do youwant?」「Climate Justice!」「When do you want it?」「Now!」と、盛⼤につばを⾶ばしながら、声の限り叫んだ。今ならコロナ的にNG⾏為だ。

 渋⾕の街を練り歩くこと30分ほど。ついにスクランブル交差点に差し掛かった。あの瞬間の景⾊は、いつまでも脳裏に焼き付いている。デモ隊があの⼤きな交差点を突っ切ることができるように、⼤量のサイレントマジョリティーが、向かいのストリートへの⾏く⼿を阻まれ、信号前で⾜⽌めをくらっていた。

⼈があふれた交差点を
どこへ⾏く︖(押し流され)
似たような服を着て
似たような表情で…

 クレージーな集団が、何かわけのわからないことを⼤声で叫んでいる。そんなあわれみと驚きが⼊り交じったような、数え切れないいくつもの⽬がこちらに向けられていた。私はその視線を浴びながら、でも、「その⽬は死んでいる」よと、伝えたかった。あの曲の世界が、今まさに⽬の前に広がっていると、⽬がくらむような思いで⾏進した。

 「How dare you!(よくもそんなことがいえますね︕)」

 グレタの⾔葉が全世界に響き渡ったのは、その3⽇後のことだった。
 嚙み付かんばかりの、鮮烈なスピーチに⿃肌が⽴った。それは、個性が⼤事だと⾔いながら協調を強い、情緒を引き出しながらその実、感情的になることを戒める、私たちのよく知る作法からは、⼤きく外れていた。けれど、その訴えは私の⽬からしたら、全くもって正しかった。なんにも間違っていなかった。顔をしかめ怒りをむき出しにして訴えるグレタの⾔葉は、正義のかたまりだった。

 だから私も、恐れたりしないと⼼に決めた。テレビだろうがなんだろうが、⾃らのNoをつきつけることに対して、ためらうことなどないと。

 「How dare you!」を聴いた3⽇後、私は「クローズアップ現代+」の現場に⽴っていた。

 あらかじめ取材を受けたVTRが流されたのちに、カメラはスタジオに切り替わり、ほんの数分、発⾔するチャンスが回ってくる。どうにかして⽖痕を残したい。本当に⾃分が憤りを抱いていて、その熱量を、温度感を、そのままテレビの向こうのサイレントマジョリティーに伝えたい。

 カメラが回るつかの間、覚悟を決めた。そして、私は「嫌だって⾔いたいです」と⾔い放った。その⼀⾔は、あの『サイレントマジョリティー』よりも、もっと強烈な、社会への抵抗と⾃由を歌った、センセーショナルな曲の歌詞からきていた。

 『不協和⾳』。「僕はYesと⾔わない」から始まり、「僕は嫌だ」で沸点に達するあの曲。
 欅坂46の元センター、平⼿友梨奈が⾒る者を射抜くような⽬で、声で、その刹那(せつな)にありったけの不服従をつぎ込む、⼀⾔。感覚的に反射的に、私の⼝から出た⾔葉も、そんな短いけれど強烈な⼀⾔だった。

 
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