第12話 瞑想センターでの体験②

文字数 3,941文字

 いつの間にか眠りにつき、鐘の音で起こされた。いよいよ、コースの1日目が始まる。どんな体験ができるか、楽しみでならない。

 日次スケジュールは、下記のとおりだ。

午前4時:        起床
午前4時30分~6時30分:  ホールまたは自分の部屋で瞑想
午前6時30分~8時:    朝食と休憩
午前8時~9時:      ホールにてグループ瞑想
午前9時~11時:     ホールまたは自分の部屋で瞑想
午前11時~12時:    昼食
午後12時~1時:     休憩および指導者への質問
午後1時~2時30分:    ホールまたは自分の部屋で瞑想
午後2時30分~3時30分:  ホールにてグループ瞑想
午後3時30分~5時:    ホールまたは自分の部屋で瞑想
午後5時~6時:      ティータイム
午後6時~7時:      ホールにてグループ瞑想
午後7時~8時15分:    講話
午後8時15分~9時:    ホールまたは自分の部屋で瞑想
午後9時~9時30分:    ホールにて質問
午後9時30分:      就寝

《日本ヴィパッサナー協会》のウエブサイトからの引用だが、スケジュールは世界共通である。短い休憩時間や移動時間を挟むものの、1日に11時間近くを瞑想に費やす。

 洗面台で黙々と顔を洗って着替えを済ませ、瞑想ホールへ直行する。優等生たちは逸早(いちはや)くホールに来て、自主的に瞑想を始めている。逆に寝過ごして、なかなか来ない人も。ベッドの中にグズグズと残っていたら、見回りの奉仕者に叩き起こされる。(「なぜ知っているか」って? コース中に私も一度、やらかしたからだ)

 前方のスペースは、一段高いステージ状になっていて、3人の指導者が台座に胡坐(あぐら)()く。中央は、鼻筋の通った女性指導者。指導者といっても、言葉で教えはしない。ただ、私たちと一緒に座る。手本かつ雰囲気づくりの役割だ。

 説明はすべて、スピーカーから流れるゴエンカ師の声でなされる。ゴエンカ師の説明に一本化することで、全世界のセンターで同じ品質のコースが受けられるように配慮されている。合理的なシステムだ。

 コースの前半の数日を使って、アナパナの(ぎょう)に専念する。瞑想に入っていくための、呼吸の扱い方の訓練だ。

 鼻の付け根と上唇の横ラインを結んだ三角形に意識を集中する。鼻から空気が出入りし、上唇までの間の皮膚を(かす)めていく感覚に意識を向ける。朝から晩まで、ただ、それだけ。人生において、鼻の付け根と上唇を結ぶ三角形について、こんなに長く考えた経験はない。



 人間の悩みは、過去と未来に想いを馳せたときにのみ起こる。過去を悔いるか、未来を心配するか。今現在の瞬間に焦点を当て続ける限り、悩みは生じないはずだ、理屈では。

『バガヴァッドギーター』第6章・第34節
 चञ्चलं हि मन: कृष्ण प्रमाथि बलवद्दृढम् |
 तस्याहं निग्रहं मन्ये वायोरिव सुदुष्करम् ||३४||
 ああ、クリシュナ。心は絶えず動き回り、荒れ狂い、強烈で、手強(てごわ)い。
 風をコントロールするぐらいに困難だと、私には感じられるのですよ。

 人間の王子、アルジュナが、クリシュナ神に訴えた言葉である。クリシュナは「確かに難しい。鍛錬と、欲を棄てる意思を持ち続けなさい。何とかなる」と答える。

 神と(じか)に話せるアルジュナが(うらや)ましい。王子になる出世に興味はないが、神の話が直接に聞けるチャンスは欲しい。膝を突き合わせて尋ねたい事項が、山ほど。

 特に、輪廻転生や死後の世界の有無について教えを請いたい。ヒンドゥ教では「有る」とのジャッジだ。仏教では不明。お釈迦様は「有る」とも「無い」とも述べていない。

 私は「有るけど無い」と思っている。私の認識について、神のご意見をお伺いしたい。

「有るけど無い」とは?

 たとえば、御伽噺(おとぎばなし)。大人が子供に『兎と亀』を語るとする。話し手である大人は「実際に兎と亀が競走した」とは思っていない。子供に楽しく、わかりやすく語るために、()えて動物を登場させる。聞き手である子供は、事実考証には関心がない。兎と亀の駆けっこを想像でしながら、物語のエッセンス――「努力家は、最後に笑う」との教訓――を漠然と受け取る。物語をとおして、大人と子供のコミュニケーションが図れる。これが大事。

 別の例を挙げる。クリスマス・イブ。
 親は子供に促す。
「善い子でいたら、サンタがプレゼントをくれるよ。ベッドの(そば)に靴下を置いて」
 親の仕掛けるサンタごっこには、情操教育の目論見もあるだろう。が、何よりも子供を喜ばせる意図が大きい。サンタの実在を疑わず、嬉々として靴下を用意したり、手紙を書いたり。素直な子供のほうが、親は嬉しいだろう。子供自身の喜びも大きい。
 なのに、私のような屁理屈な子供は口答えをする。
「サンタなんて存在しない。道徳の啓蒙のための暗喩に過ぎない」

 サンタごっこを(くわだ)てる親のように、ヒンドゥ教の神々もまた、私たち人間に遊びを仕掛ける。輪廻転生だ。本来は「死んだら、生まれ変わる」単純な仕組みではなく、もっと複雑だろう。

 だから、「有るけど、無い」が私の持論だ。実際には、人知を超えたシステムが働いている。そのままでは、人間には理解できない。エッセンスを伝える目的で、輪廻転生が説かれる、と。要は、議論を棄てて、輪廻転生の御伽噺を楽しめば良いのだろう。

 そもそも、神についても「人間の姿である」と信じる必要はない。人間の姿で表現される理由は、人間にとって人間の姿が最も愛情を向けやすいからだ。

 ああ、また、やってしまった。瞑想中に、余計な妄想を広げてしまう。ぼんやりするのは得意だが、無心にはなれない。瞑想センターのような環境の整った場所でも、心のコントロールはすぐには達成できないようだ。

 スピーカーから流れるゴエンカ師の声は、〈アニッチャー〉を説く。〈アニッチャー〉の〈ア〉は、日本語の〈非〉とか〈不〉に当たる打消しの言葉だ。〈ニッチャー〉は〈永遠〉である。つまり〈アニッチャー〉とは、〈永遠に(あら)ず〉の意味だ。
 物事は、常に移り変わる。今日の私は昨日の私と別人だ。あらゆる細胞が、死んでは生まれ変わるプロセスを経験する。

 呼吸を意識して、ちょうど今、身体に生じている感覚を拾う。過去でも未来でもなく、今に意識を向ける作業だ。しかも、今、吸った息と同じ息は、二度と吸えない。吐く息も(しか)り。もう二度と同じ息を吸えないと思うと、なんだか吐くのが勿体(もったい)ないような。息を止めてみる。当然、苦しい。空気にさえ執着し始める我が想念の愚かさたるや。

 カーテンの閉まった薄暗いホール。

 心の表層に膠着(こびりつ)いていた記憶の断片が、浮かび上がってくる。夏の風鈴、アンディ・ウォーホルが作った世界一退屈な映画のワンシーン、フエルトがケバケバになった猿の縫包(ぬいぐるみ)。何の脈絡もなく、さまざまな映像が登場する。

 記憶の洪水が一通り過ぎ去ると、今度は周囲が気になってくる。薄目を開けて、他人が瞑想する様子を盗み見る。姿勢良く瞑想する者もいれば、眠気に勝てずに舟を漕ぐ者もいる。今、このホールにいる全員の目玉が、ドロンと床の上に落ちたら? 余計な想像で、気持ち悪くなってきた。

 実は私は、胡坐(あぐら)()けない。たぶん、股関節が硬いのだろう。膝が床に着かず、浮いた状態になる。脚の付け根の外側に負荷が掛かり、痛くて、痛くて。何度も脚を組み替えるが、しっくりくる座り方が見つからない。

 こんなに(つら)い思いが、10日間も続くなんて。参加を決めた自分を呪いたくなる。

 あーあ、早くご飯の時間にならないかなぁ。

 娯楽のない中、食事が一番の楽しみだ。

 私の目の前には、30代前後と思われる西洋人の女性が座っている。宿舎でのルームメイトでもあった。彼女のほうが、もっと辛そうだ。周囲を見回したり、髪を掻き毟ったり、溜息をついたり。風邪を引いたようで、酷く咳き込む。長時間は座っていられないらしく、ときどき席を立って、ホールの外に出ていく。(はな)をかんだティッシュ・ペーパーを床に放置したまま。

 夜、彼女は素っ裸で寝る。それで、冷えて風邪を引いたのでは? 

 彼女には困ったものだ。
 宿舎では、「リスが出た」と悲鳴を上げ、沈黙を破る。リスを捕まえて外へ出そうと追い掛け回す。手を噛まれて、また大騒ぎだ。
 手の傷が心配だ。野生のリスは、狂犬病に(かか)っている可能性がある。狂犬病とだけに犬が罹るものと思われがちだが、実はリスや猿にも伝染(うつ)る。

 他人に気を取られてはならない。自制しようとすればするほど、気になってくる。

 ご飯はまだかなぁ、しんどいなぁ、長いなぁ、前の人が気になるなぁ。
 いかん、いかん、瞑想、瞑想。鼻の穴から空気が出て、入って、出て、入って、出て。
 それにしても、ご飯はまだかなぁ、皆の目玉が落ちたら? ああ、長い。あああああ。

 そんなことを考えているうちに、ゴエンカ師のパーリ語の(うた)が流れてくる。詩が終わったら、休憩だ。が、詩がまた長い。まだぁー? 苛々、苛々。

 ゴエンカ師は詩の締め(くく)りに、「バヴァトゥ・サッバ・マンガラム(あらゆる者が幸せでありますように)」と声を張る。応じて、瞑想者は「サードゥ」と3回、唱える。

「サードゥ」とは、「良い」とか「素晴らしい」を意味する。ゴエンカ師の詩に同意を示す掛け声だ。

 サードゥ三唱が終わったら、やっと席を離れられる。痛い足を引き摺りながら、出口へ。

 高尚な体験なんて、できない。妄想の合間、ふと我に返り、「鼻の穴、鼻の穴」と。休憩中も、眠るときも、鼻の穴から出る空気の感覚を求め続ける。とにかく、鼻の穴である。

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登場人物紹介

リカルド

クラスメイト

メキシコ人

40代半ば(当時)

神話やインドの文学に興味があり、『ラーマーヤナ』(インドの代表的な文学作品。ラーマ王子の英雄譚)を原文で読みたい

きっちりした性格

ダニエル

クラスメイト

イスラエル人

30代半ば(当時)

アメリカでカメラマンをしていた際、ヨーガを学び始める。精神世界・瞑想に興味ありいずれはサンスクリットでヨーガ・スートラ(ヨーガの経典)を読みたい

大の甘党。ディスコでの夜遊びがやめられない

篠田さん

クラスメイト

日本人

65歳(当時)

ヨーガ、瞑想の(自称)エキスパート。日本の某私立大学の英語講師を25年に亘り勤め上げた。サンスクリットを学んで教本を出版したい

本人曰く、動物をも感動させる歌声を有し、森で鹿を泣かせたことがあるらしい

ディーパ

教師

ネパール人

25歳(当時)

幼少の頃から英才教育を受け、サンスクリットをマスターした才女

3児の母でもある

宏美(私)

日本人

27代半ば(当時)

大学1年生の時にインド旅行で衝撃を受け、インドの虜に

基本的にボーっとしてる

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