#2

文字数 4,275文字

 この国は戦争に加担していた。先人が航海と綿密な国交の末に同盟を結んだ国が隣国といがみ合い、それ協力したのだ。戦争の気配を市民が感じる前から、この国は工業地帯の開設に多大なる力を入れ、その成果は十数ヶ所の大規模な製鉄所と鉄工場の新設によって示された。そして戦争がはじまると同時に同盟国に大量の兵器を輸出した。それによってこの国が外貨を獲得できただけでなく、武器の生産に従事した労働者や特に工場の経営者が裕福になっていった。それに味をしめたのか、今度は庶民からの徴兵をはじめ、同盟国から協力金としてさらなる外貨を得たのだ。戦争は同盟国の勝利で幕を閉じ、この国には財政的な恩恵と工業の発展がもたらされた。その陰で生じた、ごく一部の国民の犠牲を理解している者はほとんどいない。今日も不平等に、戦前から変わらない日常が訪れている。

「おはようございます。」
 木製のベルと重なって、工房にまっすぐ向かってくる声がした。
「オズウェルさん、お待ちしておりました。」
 工房から顔を出したフォレナは言葉の主である男性に親しみを込めて返事をした。オズウェルと呼ばれた初老の男性は恰幅がよく、穏やかな顔立ちをしている。黒や茶色の革靴が並ぶ店舗の中で、皺ひとつないシャツの白から高貴さが伺える。実際に、国の中心地である街の繁華街からそれほど遠くない場所であり、裕福な住宅街からも通いやすい立地にあるこの工房には富裕層の常連客が何人かいる。
「この前の特注品、仕上がってますよ。」
 そう言いながらフォレナは会計の後ろにある棚から、「オズウェルさんへ」というメモがついた一足の革靴を取り出し、その靴の依頼者のほうへ向かった。すでに試着用に設けられた一角で待っているオズウェルは、フォレナが靴を持ってくるとすぐに履いていた靴を丁寧に脱いで、試着をした。
「やはり、ぴったりだ。デルフはいい仕事をする。」
 新しい靴をたいそう気に入った様子のオズウェルから素直な感想が漏れた。
「親父に伝えておきますよ。どうせ『そうか。』って一言言ってそっぽを向くだけでしょうけど。あれ、本当は口角があがってるのバレてるんですけど、気づかれてないと思ってるんですかね。」
 フォレナが冗談交じりに言うと、「ははははっ、あいつらしい。」とオズウェルはその佇まいから想像しづらい、豪快な笑い方で返答した。
 
 その日は工房を午前で閉めた。午後から新しい心療師との顔合わせがあるからだ。オズウェルを含め、その知らせを広場の掲示板で見たという客が多く来店したことで、フォレナだけでなくデルフもその対応にほとんどの時間を費やした。閉店間際まで来客に丁寧に対応し、昼食後はフォレナが店舗の掃除を、デルフが革靴の作成を進めていた。そして、玄関から扉を3回たたく音と、まっすぐで濁りのない、よく通る女性の声が聞こえた。
「こんにちは。公任心療師のものです。本日は顔合わせで伺いました。」
 店舗にいたフォレナが「はーい」と返事をして玄関の扉を開けた。そこには若い女性が立っていた。歳はフォレナとそう変わらないだろう。その女性は「フォレナ・トラハルトさんですね?」と本人確認を済まして軽い自己紹介をした。
「初めまして。セリア・ジーンエインと申します。本日から専属の心療師として就くことになりました。よろしくお願いします。」
 その輪郭がはっきりとした声の後に、セリアと名乗った女性はお辞儀から体勢を戻した。肩の長さまであり、後ろで結ばれた髪はフォレナやデルフと同じ金髪であった。少し小柄なこともあって幼さが残るが、若干のつり目であることから意志が強そうな印象のほうが強く感じられる。服装はシャツの白とスカートの黒があまり主張をせずに落ち着いており、両手で黒い革製の鞄を持っている。
「フォレナ・トラハルトです。こちらこそよろしくお願いします。」
 フォレナもセリアに倣って軽い自己紹介を済ませ、「どうぞ、入って下さい。」と家の中に招いた。セリアは「失礼します。」と律義に一礼し、フォレナの案内に従って2階の食事室へ招かれた。

 セリアがフォレナと机を挟んで向かい合うように座ると、遅れてデルフが入室した。デルフは白髪交じりの金髪を後ろに流し、フォレナと特に目元がそっくりであった。親子そろって温和そうな顔立ちから想像通りの物静かで落ち着きのある声でしゃべっている。「お待たせしました。」軽く陳謝したデルフがフォレナの隣に座り、顔合わせが始まった。
顔合わせは基本的な事項の確認となった。懲役の期間や戦闘経験、現在の職業、社会生活に支障はきたしていないが、大きな音に過剰に反応してしまうことなどだ。そして、1日に1度その日にあった出来事などを聞くためにセリアが訪問することを説明し、閉店後の夕方にその面会を行うことで調整した。
顔合わせの最後は家の案内となった。デルフは残りの作業があるからと足早に工房へ戻っていった。
「僕も父も返事がないかもしれないので、その時は工房か2階に呼びに来てください。」
 フォレナが少し申し訳なさそうな笑みを浮かべた。家の玄関にはベルがついていないのだ。食事室を出ると向かいに2つの扉があり、それぞれ右がフォレナ、左がデルフの寝室となっている。1階は店舗と靴工房となっており、玄関のすぐ横に店舗とつながる扉が、奥には工房とつながる扉がある。店舗は商品棚と会計だけという簡素なつくりであった。加えて隅々まで掃除がされておりとても清潔感がある。飾られている絵も一般庶民の住宅を描いたもので、主張が強くない。そこに革靴が、まるで軍隊の隊列のように規則正しく並んでいる光景は、セリアの目には凛々しく、好意的に映った。
 店舗と扉1枚でつながっている工房は、特に店舗の清潔さを味わったばかりだったため、より雑然としているという第一印象を受けた。しかしよく見ていると、それぞれの作業台の上にみたこともない道具が置いてあり、それらがセリアの興味をひくものとなった。奥で作業をしているデルフの後ろを通り過ぎ、フォレナとセリアは工房の裏口から外に出た。
「以上がうちの案内です。玄関で反応がなければ裏口から入ったほうがいいかもしれません。」
 フォレナは裏口から出てくるセリアを正面に捉えながら告げた。「ありがとうございました」とお礼を言ったセリアは、顔を挙げるとフォレナの後ろに建つ小屋に気が付いた。
「あれは何の小屋ですか?」
 セリアがフォレナの背後を指さして聞くと、フォレナは表情を変えずに答えた。
「あれは、僕のアトリエです。」
 セリアは資料に記載がなかった情報に関心を寄せた。
「絵を描くんですか?」
「いや、今は描いてません。だから、アトリエに呼びに来ることはないと思いますよ。」
 フォレナは懐かしむような目で返答した。そして、フォレナとセリアの声が重なった。
「よかったら覗いていきますか?」
「すこし中を見てもいいですか?」
 2人は一瞬だけ目が合って同時に笑い出した。
「まだ時間もあるので、案内します。」
 数秒間笑いあったあとフォレナがまだ笑みを浮かべながら、同じような表情をしたセリアをアトリエへ導いた。
 「どうぞ」というフォレナの言葉で扉があけられた小屋の中は、絵を描く場所だとわかる最低限のものしかなかった。布がかぶせられた絵、画材をまとめて仕舞っている棚、画布が載っていない受け台、仮眠用のベッドが自然な位置に置いてある。周囲を巡視しながら入ってきたセリアはまとめて床に置かれた絵を見つけるなり、興味津々といった様子だった。「見ていいですか」とセリアの問いかけにフォレナは「ええ、どうぞ」と返答した。布をめくって最初に見えた絵は、花畑に建つ風車の風景だった。連綿と咲く黄色い花の中に風車が2基建っており、その風景を小高い丘からとらえて描写したものだ。
「市の南部にある公園の風景画です。僕も好きな場所で小さいころ、よく行ってました。」
 フォレナの絵の説明も半分ほどしか聞かず、セリアは絵をどかすたびに次々と顔を出す新しい風景に心を奪われていた。そして、8枚目の絵を眺めたところでセリアはフォレナのほうに向きなおった。
「とても素敵な絵です。」
前のめりになりながらそう言ったセリアの表情は、幼子のように純真であった。だから次の質問もただ純粋な興味から生まれたものだった。
「フォレナさんはどうして絵を描こうと思ったんですか?」
 フォレナはいつもの温和な表情で答えた。
「小さいころ、母親に喜んでもらおうと思って。」
 そしてその表情を一切変えずに続けた。
「まぁ、僕が10歳のときに死んでしまったんですけど。」
 それを聞いた瞬間、セリアの表情に同情と、なにより自分の軽率さを悔いるような雲が一気にかかった。
「すいません、その…変なことを聞いてしまって…。」
 ばつが悪そうに謝るセリアに、「気にしてませんよ」とフォレナは微笑みを返した。結局セリアはすぐに絵を片付け、見せてくれたことにお礼を言い、荷物を持ってアトリエから退室した。
「では明日の夕方ごろに、また伺います。」
 アトリエの前でやや気丈にふるまいながら、セリアは一礼して工房へと向かった。デルフにも挨拶をするのだろう。その場にとどまったフォレナは後ろを振り返り、アトリエを見据えていた。足りていなかった何かをつかんだという、おぼろげな感覚を持って。

 橙色が空から消えてすぐに、その日の作業を終えたフォレナはアトリエに向かっていた。やや緊張の面持ちで入室して明かりを灯したフォレナは、ほこりをかぶった白い画布を静かに受け台に載せた。軽く深呼吸をして下書き用の鉛筆を画布に充てた。そしたらただ心に残った風景を思い出すだけだった。それだけで自然と手が美しい記憶を描くはずだった。
 しかし、最初に記憶を埋め尽くしたのは、土と血液で赤黒く染まった人々だった。その後ろから硝煙のにおいや、そこかしこから聞こえる爆発音、汗と血と土が混ざった味が、否が応なく押し寄せてきている。全身から冷汗があふれ出し、視界は黒で覆われ始めている。そして、画布に押し付けられていた鉛筆の芯が勢いよく折れた。かすかな衝撃ではあったが、今のフォレナを正気に戻すのには充分であった。息を整えるのに暫しの時間を要したフォレナは、右上の一点に黒がついた画布に布をかけてアトリエを後にした。夜風が汗をかいた身体に当たり涼しさへと変わっていく。母屋へと歩みを向けたフォレナに不甲斐なさと、もどかしさと、諦めを残しながら、夜は更けていく。
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