コンビニエンス・ブラインドネス

文字数 1,893文字

「コーヒーには漆黒の夜が溶け込んでいる…」
先輩は、コーヒーカップを見つめながら物憂げな表情をしていた。そして、
「ブハッ」
とコーヒーを吐いた。あたしは、またかよ…と呆れた。
冬休み、先輩は明らかに自己陶酔モードに突入していた。馬鹿みたいだよね。コーヒーのブラック、飲めないのに。先輩の吐いたコーヒーは、ファミレスのテーブルの上に飛び散って、あたしは心底うんざりした。前後左右を確認する。誰も見ていない。あたしは、テーブルの上の紙ナプキンで机をささっと拭いた。あたしの目の前のガラスの皿は、あたしの食べ終わったプリンのカラメルだけが薄く茶色く、残っていた。
「アサコちゃん、ありがとうね。…なんか胃が痛いよう。」
「先輩、コーヒー飲めないくせにかっこつけて!なんなんですか、もう!!」
此処は国道沿いのファミレスで、あたしたちの住む田舎町では唯一の憩いの場所だった。
あたしたちの住む田舎町には行くところがない。だから、ファミレスの薄いコーヒーくらいしか飲めないし、漆黒の夜が溶け込んでいるような丁寧なコーヒーにはなかなかありつけないのだ。しかし、先輩はその自己陶酔能力で、コーヒーを、自分を、プロデュースしようとしていた。
「それで、先輩、小説書き終わったんですか?」
「うん、読んでみて!」
先輩がPCから出力してきた、原稿を読む。
先輩の小説は、はっきり言って全然面白くない。やれ転生だの勇者だのどっかで見たような話の焼き増し。だいたい、人間は転生なんかしないのだ。先輩は、現実が冴えないから異世界転生を書いているんじゃないか?とさえ思う。
しかし、先輩は、小説家を夢見て、大学四年生だというのに就職活動もしていなかった。
今日だって。三年のあたしはスーツ姿で、黒髪のボブ。午前中に、吐きそうなほど緊張して、企業の最終圧迫面接を受けてきた。対して、先輩は上下赤のジャージに、髪型はアフロ。大学にも行かず、卒論も適当で、それなのにくだらない小説を一生懸命書いていた。
「先輩って…」
「ん?なあに?」
「いや、いいです。」
ほんと、バカですよね。なんて言えないよ。まるでさ、コーヒーを吸って汚れた、丸めた紙ナプキンの山みたいな、そんな日々をおくってる。
くしゃくしゃでべとべと。

ファミレスでだべり終わって、二人でチャリに乗って、近くのコンビニへ行った。国道沿いは大型トラックや乗用車が多く、通るたびに冬の風が肌に突き刺さる。
寒い。
凍てついた風はメンタルにも突き刺さる。目の前を走る先輩の後ろ姿を見る。アフロが風に揺れて、ふわふわしている。あたしは少し元気になる。
先輩のアフロを初めて見たのは三年前の春。
先輩とは同じ文芸サークルで、手持ち無沙汰な時、コンビニによく買い出しに行った。周りに溶け込めないあたしたちは、よく暗い私小説の話をした。しかし、先輩はライトノベルを書き、あたしはついに小説を一作品も書き上げられなかった。才能がなかった。仕方がない。
先輩は大学を卒業したら、仕送りも止まるし無職になる。これから、どーすんだろう。

コンビニに着いて、二人で白い息を吐く。ぜえぜえしながらコンビニ前でたむろする。
「タバコ、吸っていい?」
「どうぞ。」
先輩は今度は、ジャージのポケットから取り出した、タバコをくゆらせて遠くを見ながら言った。
「こういう何気ない日々が、忘れられなくなるのかな。」
ひどくセンチメンタルな横顔を見ていたら、
「ブホッ」
とタバコに咽せた。あたしは、またかよ…と呆れた。先輩はかっこつけても、かっこつかない。
ダッサ。
背伸びしている先輩は…あまりに滑稽だった。憧れだと言う小説家の影響なのだろうか。
先輩が小説家になれるとは、あたしは微塵にも思えない。
馬鹿だよ。無理だよ。現実見なよ。
なんでアフロなんだよ。
就活しなよ。仕送り止まっちゃうよ。
奨学金どーすんだよ。
これからどーすんだよ。
どーなっちゃうんだよ。

でも、あたしはそんな先輩が愛おしいよ。

大人になんかなりたくないよ。
先輩、大人になんかならないで。
あたしも大人になんかなりたくない。

「先輩、貸して、タバコ。」
「ん。」
先輩のタバコ。間接キスになるのかな。ああ、バカがうつるかも。
でも、うつったら嬉しい。先輩のいつも着ているジャージはタバコ臭くて、不快で、でも何故か懐かしい。タバコに咽せて涙目の先輩が、あたしを見て言う。
「アサコちゃん、タバコ吸うのうまいじゃん。」
真新しいスーツがタバコの煙にまみれる。クリーニングに出すの、だるいな。
もっともっと汚れればいいな。モラトリアムに拘泥していたいな。
「うまい?先輩が下手過ぎるんですよ。」
先輩、大人になんかならないで。
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