第1話子ども
文字数 2,319文字
ダンジョンに意志があるのかなんて知らない。
それなのになぜ、ダンジョンが私のような得体の知れない子どもを生かしているのか、疑問に思う。
わたしは気がついたらここにいて、ここでダンジョンコアに育てられていた。
コアルームに湧き出ている泉に体を映してみると、わたしは今、おそらく五歳か六歳くらいだろうと思う。
なぜわかるかというと、わたしには前世の記憶があった。シングルマザーとして二人の子を産んで育て、質素ながらもそこそこ満足して寿命を全うした。
子どもたちに見守られて、病院のベッドで静かに息を引き取ったはずだった。
ところが、気がつけばここにいて、ブリリアントカットにも似た、緻密な装飾の宝石のかたわらで目が覚めた。
四方を無機質な白い壁に囲まれた部屋の真ん中に、その巨大な赤い宝石、ダンジョンのコア があった。泉の湧き水がチョロチョロと音をたてているだけで、他には何も無かった。
ところが、わたしのお腹が空きすぎて、体を起こしていられず、コアにもたれて「ブリンが食べたいな」と考えたら、目の前にそれがあらわれた。
前世の子育て中よくおやつに作ったプリン。少し固めで卵の香りが懐かしい。あのプリンが出てきたのだった。
どうやら、望んだものが出てくるらしいとわかったわたしは、遠慮なくさまざまなものを思い浮かべた。
食物はもちろん、ソファやテーブル、絨毯、ふかふかのベッドに、クローゼット、着替え各種。子どもの頃欲しくても買ってもらえなかった大きなクマの縫いぐるみに、退屈しのぎのジグソーパズル。
冷蔵庫やパソコンなど電化製品はだめだった。わたしが内部構造を知らないから。それに、電気自体がないのかもしれない。外側の箱だけは出てきたのだが動かなかった。
それでも、魔核 を使ったランプやコンロは出て来た。魔核はダンジョンにいる魔物を倒すと手に入る小さな石のようなもの。エネルギー源として使われているらしい。
コアルームの一画をわたしの部屋にしてしまったのは図々しかったかもしれない。でもコアの方でも、わたしがイメージした物を、人を呼びこむための珍しいドロップ品として利用していたらしいから、そのあたりはお互い様だと思う。
コアルームの中には誰も入ってこなかった。どれほどの時間がたったのかわからないが、わたしはひとりだった。
それでも退屈しなかったのは、コアがわたしにさまざまなことを語りかけてくれていたからだった。
どういうしくみで、わたしがコアの意志を読み取れていたのかはわからない。少なくともわたしが知っている言葉ではなかったと思う。
コアを通じて直接脳のなかに流れ込んでくる膨大な量のデータが、わたしの脳を成長させてくれた。体は子供でも、人間としては収まらないほどこの世界の知識を得てしまったのだった。
そう、この世界。わたしがかつて生きていた地球とはまったく違う世界らしかった。ここに生きる上で知っておくべき常識はもちろんのこと、この世界の成り立ちから歴史、社会構成、文化、生活など、ありとあらゆる知識が、少しずつ、わたしの脳に刻み込まれた。
私は経験がなくて知識だけの、いわば「頭でっかち」な、アンバランスな子どもだったと言えよう。こうして冷静に自分を客観視しているなんて、わたしが知る限り五歳の幼子にできようはずもないからだ。
前世での記憶があるため思考は大人だったが、知識の量に比べて肉体の成長は遅かった。体は置いてけぼりになってしまい、体力はなかった。
そこでわたしはコアルームの中を歩きまわることにした。
最初は数十歩あるくだけで息が上がるほどだったが、すぐに部屋の端から端まで歩けるようになり、やがてはぐるぐると走り回れるようになった。
ある程度体力がついて来た頃、コアはわたしの前に小さな魔物を一体出現させた。
イタチのようなかわいらしい姿をしていたが、小さいとは言っても魔物は魔物。本能的に目の前の生き物を攻撃するようにできているらしい。
わたしは襲いかかってくる魔物を避けるために逃げ回った。
魔物は鋭い爪でわたしの皮膚を切り裂いた。白い床に赤い血がほとばしり、気が遠くなるような痛みに苦しんだ。
こんな痛みを感じたのは初めてだった、前世でけがをした時でも、皮膚が深くえぐられるような傷を負ったことはなかった。
誰も助けてくれる人はいなかった。当然のことながら、部屋に動けるものは、わたしとこの魔物しかいないのだから。
しばらく逃げ回っているうちに、わたしのまだ柔らかい皮膚はズタズタに切り裂かれた。感覚がマヒして痛みさえ感じなくなっていた。
こんな小さな魔物にさえも、わたしは非力だったのだ。息が切れて苦しかった。口をハクハクさせるだけで息を吸うことができなかった。
このまま死んでしまうのかもしれない、もうほとんど残っていない体力を振り絞って、両手をバタバタと振り回し、飛び込んで来るイタチの体を振り払った。
ガツンと音がした。飛び込んできたイタチの重みが、わたしの細い腕にかかって、しびれるような震えが体に走った。
偶然だったのか、わからない。わたしの腕に振り払われたイタチが床にたたきつけられ、動かなくなった。
わたしは自分が生き伸びられたことにも気づかず、ただ床に転がった魔物を見ていた。
魔物はしばらくのあいだ、そこにとどまったが、やがて床へ溶け込むようにしてフイッと消えてしまった。
すると突然、体の奥から何か熱いものが、噴き上がるようにわいてきて、体をおおうように広がった。
細胞のひとつひとつが激しく沸騰するように揺さぶられて、なんともいたたまれなくなり、わたしはその場にうずくまった。
それなのになぜ、ダンジョンが私のような得体の知れない子どもを生かしているのか、疑問に思う。
わたしは気がついたらここにいて、ここでダンジョンコアに育てられていた。
コアルームに湧き出ている泉に体を映してみると、わたしは今、おそらく五歳か六歳くらいだろうと思う。
なぜわかるかというと、わたしには前世の記憶があった。シングルマザーとして二人の子を産んで育て、質素ながらもそこそこ満足して寿命を全うした。
子どもたちに見守られて、病院のベッドで静かに息を引き取ったはずだった。
ところが、気がつけばここにいて、ブリリアントカットにも似た、緻密な装飾の宝石のかたわらで目が覚めた。
四方を無機質な白い壁に囲まれた部屋の真ん中に、その巨大な赤い宝石、ダンジョンの
ところが、わたしのお腹が空きすぎて、体を起こしていられず、コアにもたれて「ブリンが食べたいな」と考えたら、目の前にそれがあらわれた。
前世の子育て中よくおやつに作ったプリン。少し固めで卵の香りが懐かしい。あのプリンが出てきたのだった。
どうやら、望んだものが出てくるらしいとわかったわたしは、遠慮なくさまざまなものを思い浮かべた。
食物はもちろん、ソファやテーブル、絨毯、ふかふかのベッドに、クローゼット、着替え各種。子どもの頃欲しくても買ってもらえなかった大きなクマの縫いぐるみに、退屈しのぎのジグソーパズル。
冷蔵庫やパソコンなど電化製品はだめだった。わたしが内部構造を知らないから。それに、電気自体がないのかもしれない。外側の箱だけは出てきたのだが動かなかった。
それでも、
コアルームの一画をわたしの部屋にしてしまったのは図々しかったかもしれない。でもコアの方でも、わたしがイメージした物を、人を呼びこむための珍しいドロップ品として利用していたらしいから、そのあたりはお互い様だと思う。
コアルームの中には誰も入ってこなかった。どれほどの時間がたったのかわからないが、わたしはひとりだった。
それでも退屈しなかったのは、コアがわたしにさまざまなことを語りかけてくれていたからだった。
どういうしくみで、わたしがコアの意志を読み取れていたのかはわからない。少なくともわたしが知っている言葉ではなかったと思う。
コアを通じて直接脳のなかに流れ込んでくる膨大な量のデータが、わたしの脳を成長させてくれた。体は子供でも、人間としては収まらないほどこの世界の知識を得てしまったのだった。
そう、この世界。わたしがかつて生きていた地球とはまったく違う世界らしかった。ここに生きる上で知っておくべき常識はもちろんのこと、この世界の成り立ちから歴史、社会構成、文化、生活など、ありとあらゆる知識が、少しずつ、わたしの脳に刻み込まれた。
私は経験がなくて知識だけの、いわば「頭でっかち」な、アンバランスな子どもだったと言えよう。こうして冷静に自分を客観視しているなんて、わたしが知る限り五歳の幼子にできようはずもないからだ。
前世での記憶があるため思考は大人だったが、知識の量に比べて肉体の成長は遅かった。体は置いてけぼりになってしまい、体力はなかった。
そこでわたしはコアルームの中を歩きまわることにした。
最初は数十歩あるくだけで息が上がるほどだったが、すぐに部屋の端から端まで歩けるようになり、やがてはぐるぐると走り回れるようになった。
ある程度体力がついて来た頃、コアはわたしの前に小さな魔物を一体出現させた。
イタチのようなかわいらしい姿をしていたが、小さいとは言っても魔物は魔物。本能的に目の前の生き物を攻撃するようにできているらしい。
わたしは襲いかかってくる魔物を避けるために逃げ回った。
魔物は鋭い爪でわたしの皮膚を切り裂いた。白い床に赤い血がほとばしり、気が遠くなるような痛みに苦しんだ。
こんな痛みを感じたのは初めてだった、前世でけがをした時でも、皮膚が深くえぐられるような傷を負ったことはなかった。
誰も助けてくれる人はいなかった。当然のことながら、部屋に動けるものは、わたしとこの魔物しかいないのだから。
しばらく逃げ回っているうちに、わたしのまだ柔らかい皮膚はズタズタに切り裂かれた。感覚がマヒして痛みさえ感じなくなっていた。
こんな小さな魔物にさえも、わたしは非力だったのだ。息が切れて苦しかった。口をハクハクさせるだけで息を吸うことができなかった。
このまま死んでしまうのかもしれない、もうほとんど残っていない体力を振り絞って、両手をバタバタと振り回し、飛び込んで来るイタチの体を振り払った。
ガツンと音がした。飛び込んできたイタチの重みが、わたしの細い腕にかかって、しびれるような震えが体に走った。
偶然だったのか、わからない。わたしの腕に振り払われたイタチが床にたたきつけられ、動かなくなった。
わたしは自分が生き伸びられたことにも気づかず、ただ床に転がった魔物を見ていた。
魔物はしばらくのあいだ、そこにとどまったが、やがて床へ溶け込むようにしてフイッと消えてしまった。
すると突然、体の奥から何か熱いものが、噴き上がるようにわいてきて、体をおおうように広がった。
細胞のひとつひとつが激しく沸騰するように揺さぶられて、なんともいたたまれなくなり、わたしはその場にうずくまった。